三話 目醒める悪夢
夏休みが終わり、高校二年生の二学期が始まった。朝礼前のクラスメイト達は切羽詰ってノートを写していたり、あるいは日に焼けた肌を晒してテンション高く笑い合っていたりする。楽しい夏休みを過ごしてきたようだ。
一方、俺と長宗我部は窓辺で黄昏ていた。俺達にとって、学生生活は執行猶予だ。夏休みの終わりは刑罰への時計の針が進んだ事を示している。
お互い趣味に走り過ぎて成績が悲しい事になっていて、しかもそれを改善する気力が無い。宿題終わってねーよやべーよ、と焦っている前の席の田井中はまだ改善の余地がある。俺達は宿題を職員室に呼び出されない程度になあなあで済ませ、その上でヤバい。何がヤバいかと言えば将来のビジョンが無いのがヤバい。将来のビジョンがモヤモヤしたままで、周囲に流されるように大学に進学する奴も多いが、俺達はまともな大学に進学する学力が無い。
進学も就職も危ない。立ちはだかる現実という名の悪夢。しかし頭ではこのままではマズいと分かっていても、「将来」という言葉の意味をどうにも上手くイメージできず、どうにもやる気が起きない。
やりたい事をやるのを許されていて、三食食べて洗濯をしてもらって掃除をしてもらって柔らかいベッドで寝る事ができ、少ないが小遣いも出る。日本の高校生にとっては普通の、しかしぬるま湯のような生活で、将来に危機感を持つ方が難しい。なぜクラスメイト達が真面目に勉強できるのか不思議だ。彼らは逆に趣味に全力投球の俺達を不思議がっているというか不気味がっているのだが。今も俺達の周りだけ空白ができている。
「長宗我部はまだいいよな……」
「働きたくねぇよ。ずっと学生でいたい……」
長宗我部は趣味で資格を取りまくっている。履歴書の資格欄に細かい字でびっしり書かれてあるだけでもう就職に有利だろう。が、本人が身も蓋もない。
俺は長宗我部のように文字や数字にできる結果を残していない。
就職、進学。その言葉が重くのしかかる。いくら
「俺は明が羨ましいわ……」
「どこが? 絶対俺の方がヤバいだろ……」
「アリスに頭下げれば就職高給取り確定だろ。クッソ勝ち組じゃねぇか……」
「それは最終手段な……」
アリスに実生活を握られる事ほど恐ろしい事はない。ブラック企業も白く見える労働条件を強要されそうだ。
順調に人生の駒を進めているクラスメイト達が眩しい。一年の転入生がどうの、補導された三年の先輩がどうの、進路への不安が無いかのように楽しそうに噂話に花を咲かせている。
今からでも猛勉強すればそこそこの大学には行けるだろうが、ドラゴン研究学を扱っている大学など無い(調査済)。大学に行く意欲がまるで湧かなかった。かといってこの就職難の時代に高卒は……うーむ。
ぐずぐず暗い考えに囚われていると、長宗我部がこの手の話題になった時のお決まりの文句で話を打ち切りにかかった。
「ま、三年になってから考えればいいだろ。まだ時間はある。楽しもうぜ、人生!」
「春も同じ事言ってたよな、俺達。三年になったらなったで夏に考えればいいとか言って、夏になったら今度は秋、いつの間にか冬になって試合終了。なんて未来が……」
「おい馬鹿やめろ! 現実見せるんじゃない!」
長宗我部の叫びは冗談めいていたが、切実な響きが混ざっていて笑えなかった。
「おらぁあああああああああああああああああ!」
吹き飛ぶ土くれ、宙を舞う蟻の群れ。
何かを壊すと胸がスッとするのは何故なのだろうか。事態が何も進展していなくてもやり遂げた気分になれる。長宗我部の言う通り、まだ先は長い。人生なんとかなる。よしんばホームレスまで落ちぶれても俺には
半壊した蟻塚に腰を下ろし、ドロドロの汁を煮込み始めたニクスを見ながらぼんやり考える。
アリスに追い詰められた時、ニクスに言った言葉は嘘ではない。今からでもニクスが俺を頼れば、それに応えてできる限りの事をするつもりだ。人生を賭けて。そうする責任があるし、そうしたいと思う。
一方で、そうなった時に俺が何をできるのかと言えば疑問が残る。俺自身が現実に何をできるだろうか。身に付けてきた知識は全てドラゴンと幻獣のためのもので、何かの仕事に役立つものではない。俺は親の庇護下で好き勝手をしている、独り立ちできない高校生に過ぎない。ニクスの人生を背負うどころか自分の人生の面倒を見るのも危うい。
対してニクスはアリスの下で多くの事を学び、身に付けている。家事は本職の執事やメイドに習いお手の物。更に経理もできるという。ニクスが俺を頼って来ても、むしろ頼るのは俺になるのではないだろうか。
このままでいいのだろうか。何かをするべきなのではないだろうか。今の俺はモユクさんの言う「夢に溺れている」状況にあるのではないだろうか?
知り合いの
頭の中にニクスに養われ部屋に引きこもって惰眠を貪る三十代の自分の姿がふっと浮かび、慌てて追い払った。それはヤバい。いやしかしライオンは雌が狩りをするのが当然だし、働かない雄というのも自然界では珍しくは……待て待てだからそれは不味い。
ぐるぐる考えているとニクスが心配そうに声をかけてきた。
「さっきからどうしたの? 大丈夫? 悪魔祓いする?」
「いや、進路どうするか悩んでただけだ」
「あれ、ヒプノスまだ二年だよね。もう進路考えてるんだ? 大丈夫大丈夫、困ったら私が養ってあげるから。ヒプノスは一緒に居てくれるだけでいいよ」
「やめろ誘惑するな! 去れマーラよ!」
サラッと言っているが本気なのは分かる。俺は耳を塞いで丸まった。この魔女め! 俺を駄目人間するつもりか!
もういい! やめだやめ! 現実の問題で苦しむのは現実だけでいい。夢の中でぐらい夢を見ていてもいいじゃないか。
今は夢を楽しもう。暗い未来を思い描いていても面白くもなんともない。よーしパパ幻獣ウォッチングに出かけちゃうぞー。
アリスはドラゴンに更地にされた砦の再建に忙しいらしく、ちょっかいをかけてこない。心おきなくニクスを連れて幻獣ツアーに出かける。
散策でもしようと森に入ろうと思ったが、その前に森と草原の境が面白い事になっているのに気づいた。
「見ろニクス。これが自然の力だ」
「……ごめん何が?」
「これだ、これ」
察しの悪いニクスに森の端に芽生えた幼苗を指した。葉っぱはほんの数枚、背丈もくるぶしまでしかない。強風が吹けば倒れてしまうような木だが、それは自然の強さを体現している。
「後ろの草原と見比べてみると分かるが、森と草原の境目でも木の影になっているあたりは草が萎れていたり枯れていたりするだろう? 草原の草は全て強い日の光が無ければ育たない。だから木の影になり光を充分に浴びられなくなった草は枯れる訳だ。枯れて場所が空くと、そこに日陰でも育つ日光不足に強い木が生える。これはそういう木だ。で、向こうに生えてる若木は分かるか? 森の端から少し離れた草原から頭が出てる、そう、あれだ。あれは日当たりが良い場所で育つタイプの木だ。森から離れた場所に生えているのは鳥か鼠が種を運んだからだろう。こうやって日当たりの程度に応じた種類の木が草を押しのけて芽吹いて育ち、最終的には全て森に変わって行く。分かるか? 俺が
「三百年?」
「三百年だ。三百年で森林面積二倍! 凄い勢いだろ?」
「うん……?」
ニクスはモヤモヤした顔をしている。実感が湧かないようだ。人間のスケールで考える人間にありがちな反応と言える。
地理学者なら百年はあっという間。宇宙学者なら数万年は一瞬だ。動物の進化も十万年単位で起こる。三百年は十分早い。
ウケが悪かったようなので、ニクス向きにマンドラゴラも紹介した。魔術的な植物であるマンドラゴラは通常の植生を無視して生える。俺は詳しくないが魔術にもよく使われるらしく、RPGにも登場する有名なファンタジー植物だ。ニクスは流石魔女脳と言うべきか、紹介するかしないかの内にマンドラゴラの致命的絶叫対策に耳栓を
「いいね、いいねこういうの! 抜いていい? 抜くよ? このマンドレイクの絶叫って聞くと死ぬタイプ? 体調崩すぐらい? 耳栓で防げる?」
「待て待て落ち着け。あー、絶叫の強さは個体差がある。葉っぱの裏側から葉脈の濃さを見るんだ。黒っぽいほど絶叫が強烈だから……ん?」
しゃがみこんで葉を調べようとすると、地面に刻まれた足跡に気付いた。
それもただの足跡ではない。人間の靴の足跡だ。ニクスの革靴の跡ではなく、アリスの軍靴の跡でもない。
「どう? まずそう? 抜ける?」
「いや待て、人間の足跡を見つけた」
ソワソワしているニクスを制し、足跡を観察する。
足跡の大きさからして、身長は150~170程度。足跡の上に木の葉などが全く落ちていない事から、この足跡の主がここを通ったのは精々一日以内である事が分かる。歩幅と足跡の深さから恐らくゆっくり歩いていたのであろうという事が推測できた。ふむ。
「ボスが言ってた新しい
「分からん。モユクさんが人間に化けてきたのかも知れん。追ってみていいか?」
「私も興味ある。ボスから新しい
勧誘はとにかく、ニクスからのGOサインが出たので四足歩行モードになってトラッキングを開始する。
足跡は森の外周に沿って続いていた。時々少し森に踏み込むが、躊躇うようにうろうろしてすぐに出てくる。頻繁に立ち止まっている節もあった。散歩というより、調査か観察の意志を感じる歩き方だ。
「ヒプノス、いた」
「む」
二時間ほど追跡をしていると、ニクスが声を潜めて言った。地面に向けていた顔を上げると、確かに前方に木の肌をべたべた触っている人型生物がいた。
見つけた。幻獣ではない。
その
変な奴だ。いや、
「あれはペスト医師かな」
「知っているのかニクス!」
「17世紀頃からヨーロッパで広まったペスト治療専門の医者の服装だね。その頃は迷信が酷かったから色々非科学的な方法でペストを直そうとしたたみたい。魔術に頼ろうとする医師もいて、ベーシックな瀉血を中心に瘴気の概念を持ち込んで、讃美歌で治そうとしたノストラダムスとか」
「ああ分かった、つまり昔の医者の服なんだな」
黒魔術臭がする格好をしているから、ニクスの同門かと思った。
まあこのまま遠目に眺めていても始まらない。ニクスのような天使か、アリスのような人間か見極めなければならない。
俺は刺激しないようにわざと音を立てながらゆっくり近づき、相手が振り向いてから声をかけた。
「あー、こんにちは始めまして。俺はヒプノス、こんな格好だが中身は残念ながら人間だ。彼女はニクス。君は
「そうです。ここではナイトメアと名乗っています。どうぞよろしく」
だぶついた修道服と全身を隠す装備のせいで性別も年齢も分からない。俺も相当
俺がここへ来た目的を尋ねる前に、ナイトメアはスライドするような気味の悪い動きで近づき聞いてきた。
「地元の方ですか? この森と山を
「ん? それは俺だが」
「おお、貴方が」
答えると、ナイトメアはその場で跪いた。何事かと身構えると、ナイトメアは棒読み合成音でペラペラ喋り出した。
「一目見た時から貴方がそうではないかと思っていました。いや素晴らしい。会えて光栄です。実は私北国に住んでいたのですが、地元からもあの雄大な山が見えまして。ただの岩山ではなく雲の流れや草木、生命の営みがあるのはすぐに分かりました。あれほどの物を
「お、おう。まあ立ってくれ。とりあえず」
感激と興奮で高ぶっているようだが、平坦な合成音のせいで台本を棒読みしているようにしか聞こえない。
どうやら俺のファンらしい。素直に嬉しいが、ここまで丁寧に褒められると気恥ずかしさがある。唐突な褒め殺しに困惑もあった。
立ち上がって切り株を三つ創ったナイトメアは、半分に割ったココナッツを俺とニクスに渡してきた。
「お近づきの印に。切り株は椅子にどうぞ」
「ありがとう……あ、美味しい」
「それは良かった。渡しておいてなんですが、風味が独特で好みが分かれますからね」
「それじゃ俺も遠慮なく。楽園はどれぐらい見てくれたんだ? 特にどのあたりが良かった?」
「まだほんの少ししか見ていませんが、それはもう全て良かったです。
「おお……!」
起伏のない機械音声でも熱意は伝わって来た。ナイトメアは本当に俺の楽園をよく見ていてくれる。これほど俺の思想をよく分かってくれる奴に会ったのは初めてだ。おべっかではここまでスラスラ言葉が出てこない。ありがとう、この素晴らしい出会いにありがとう!
モユクさんは
「ナイトメア、だったか? 君とは是非仲良くしたい」
「こちらこそ。師匠と呼ばせて頂いても」
「師匠!? そんな大げさな、もう少しフランクにして欲しい。呼び捨てでもいい」
「ではそうですね……先輩、と。呼び捨ては遠慮します。尊敬しているので。ああ、もちろんニクスさんとも仲良くしていきたいと思っています。あなたのローブの仕立ても素晴らしい。手織りですね。安いコスプレとかけ離れたこだわりと情熱を感じます」
「ありがとう。分からない事があったらなんでも聞いてね」
ナイトメアは話に置いていかれていたニクスとも快く握手を交わした。気遣いもできるらしい。
なんだこの完璧超人は。変装のチョイスはちょっとアレだが、
聞いてみるか? ……いや、まさか「君はどう頭がおかしいんだ?」などと尋ねるわけにもいかない。普通に失礼だし、もしかしたら自覚が無いのかも知れない。異常性癖を隠し普通に振舞おうとしているのかもしれない。
初対面で突っ込んだ話をして引かれたくはない。何しろ
とりあえず幻獣ツアーに誘って親睦を深めるか、それとも甘噛みするか、と考えていると、ニクスが袖……に相当するあたりの毛皮をちょいちょい引っ張り耳打ちしてきた。
「どうするの?」
「どうするって?」
「追い返すか歓迎するか。お世辞言って取り入ろうとしてるのかもしれないし」
「いやお世辞でもあれだけ言えれば本物だろ。ニクスはどうするんだ、アリスに勧誘任されてるんだろ? それはいいのか」
「会ってすぐ世界征服の話したら引かれない?」
「仲良くなってからでも引くわ」
ひそひそ話していると、ナイトメアが俺達を見比べて聞いてきた。
「お二人は恋人ですか」
「将来を誓い合った仲かな」
親友です、と答えようとしたら、ニクスが神速で答えていた。びっくりして見ると、すごく誇らしげな良い笑顔をしている。
いや、まあ、間違ってはいないが、その答え方は絶対勘違いされるぞ。俺が誓ったのはニクスがどんな目に遭ってもこれからずっと絶対に一緒にいる、という事だけで、別に婚約した訳でも恋人になったわけでもない。
……ないのか? 思い返すと実質告白だった気がしてきた。
「あー、アリスっていう
「うん、今はね」
何か恥ずかしくなって補足すると、ニクスが意味深に更に補足してきた。
どういう意味だ。ニクスはどういう将来のビジョンを見ているんだ。
ニクスが言った「養ってあげる」という言葉がふっと頭に浮かんだ。飼育か? 俺を飼育するつもりなのか?
「アリスさんですか。その方もこのあたりの
幸いナイトメアは俺達の将来の話ではなくアリスの方に興味を持ったらしい。ありがたく便乗して話す。というか注意喚起する。
「気をつけろよ、アリスはとんでもない畜生
「ちょっと、マイナスイメージ刷り込むような言い方はやめてあげて」
「ああ、こいつはアリスの部下やってるから贔屓目入ってるんだ。ナイトメアなら分かってくれると思うが、アリスがやらかした事件は人間の傲慢さの極みと言ってもいい」
「はあ。何があったので」
首を傾げるナイトメアに事件の全容を話す。ニクスとの遭遇から、減少していった幻獣、アリスの策謀、ドラゴンの武力介入による決着まで。
一通り話し終えると、ナイトメアは一つ頷いた。
「なるほど、そんな事が……そうですね、私が思うに、根本的には幻獣に足りない物があったためそれをアリスさんに付け込まれたのではないかと」
「足りない物?」
「はい。先輩の幻獣はまだまだ完成度を上げる事ができる」
「ほほう」
大きく出たな。俺が
そんな幻獣達に不足がある、と。是非聞かせて貰いたい。思えば俺が考えた幻獣のディティールにアドバイスをしようとしてくる奴は始めてだ。何が不足していると思われたのか非常に興味がある。
それはなんだ、と促すと、ナイトメアは合成音でも分かるほど力強く言った。
「悪意です」
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