二話 ニライカナイより獣臭を込めて
例え沖縄でも
「あれ、爬虫類やめたの? バク?」
「オオアリクイ。カッコイイだろ」
いつの間にか現れたニクスがいつもの魔女スタイルで聞いてきた。
そう。今の俺は二足歩行のオオアリクイ。爬虫類の鱗もいいが哺乳類の毛皮も捨てがたい。黒い毛皮と尻尾を持ち、長い顔と長い舌がチャームポイントのアリクイ目最大種である。
秒速2.5回で60cmの舌を高速で出し入れするペロペロ芸を披露してニクスをドン引きさせていると、軍服姿のアリスも現れた。即座にロケットランチャーを創って周囲を警戒している。
「ヒプノス、ドラ……ヒプノスよね? ドラゴンは?」
「わざわざ沖縄に来るほど暇じゃないだろ」
アリスはあからさまにほっとした様子でロケットランチャーを消し、ため息を吐いて濃いクマが刻まれた目元を揉んだ。順調に調教されているようだ。
「さて。今夜の予定だけど、この慰安旅行は沖縄にいる
「一人でやってろ。ニクス、一緒に日なたぼっこするか?」
「うーん、私はとりあえずボスの話を聞こうかな」
草原に後ろ足で浅い穴を掘る。オオアリクイの一日の睡眠時間は約15時間。別に夢の中で眠る必要はないし眠気もないが、オオアリクイになったからには最初ぐらいオオアリクイの生態を体感してみたい。アリスは勝手に話し始めた。
「ヒプノスにとっても悪い話ではないと思うわ。ヒプノスも見たでしょうけど、あの山は
出来上がった窪みに体を丸めて横たわる。じんわり温かい太陽が気持ち良い。
「前にも少し話したけど、ヒプノスが創った楽園の価値はとても大きい。生き物がいる、金属がある、木がある、石材がある、食料がある。しかも全て
「それ自虐か?」
俺の突っ込みを無視して演説は続く。ニクスが何故かタヌキを一匹抱き抱え、俺を背もたれにして座り込んだ。
「だから来るべき外部の
「話は分かった。断る」
「……感情的ね。ドラゴンが全部解決してくれるとでも思っているの? ドラゴンはあの土地の支配者であって守護者ではないわ。あなたの味方でもない。話が通じる
「利益以前の問題だ。信用できん。アリスを頼るなんて服役中の窃盗犯に自宅警備任せるようなもんだろ」
「ボス、流石に無理があります」
俺の正論とニクスの提言でアリスは押し黙った。しばらくして咳払いをして話を続ける。
「あなたはどうかしら? 相応の報酬は約束するわ。
アリスは俺から目線をずらして聞いた。俺はニクスを見たが、ニクスは手元に抱えたタヌキを見ていた。
全員の視線を集めたタヌキは首をかしげ、口を開いた。
「ふむ、一考の余地はある」
「タヌキが喋った!?」
「喋るオオアリクイがそれを言うのかね」
渋い男の声で言葉を紡ぐ食肉目。なんだこいつは。幻獣……ではない。俺は化狸は
という事は、
「紹介がまだだったわね。沖縄の
「モユクだ。タヌキをやっている。よろしく頼む」
モユクさんはニクスに頭を撫でられながらちょこんと頭を下げた。やはり
久しぶりに新しい
…………?
いや待て。このタヌキ、見覚えがある。
「もしかしてお前さっきのタヌキか」
「うむ。あのニボシは大変美味であった。しかしよく儂だと分かったな」
「
「ふむ? これは驚きだ。君は
「人間よりはずっと分かりやすい」
「むむ、認知障害とは少々異なるようだな。興味深い認識能力だと言える。君は
「誠に遺憾ながら」
「ふむむ。ああニクス君、顎もかいてくれないか? あーそこだ、いい、実にいい」
きゅんきゅん子犬のような鳴き声を漏らし始めたモユクさんをニクスが慈しむように撫で回している。俺も舌を伸ばし腹のあたりを丁寧に撫で回すと、とても子狸には見せられないとろけ顔を晒してびくびく痙攣しはじめた。
「ああっ、これはいけない、いけないな。駄目になってしまう。あっ、あっ、きゅーん」
動物流で親睦を深めていると、驚いた様子で固まっていたアリスが空気を読まずに割り込んできた。モユクさんを取り上げ、失礼にも両前脚を持って宙吊りにして睨む。
「ちょっと待って、あなた
「む? 儂は君との初対面でタヌキだと自己紹介したはずだがね」
「
「うむ。いつ気が付くかと思っていたが遅かったな。自らの種族だけが
「……ニクス?」
「いえ、私も今知りました。でもそんなに驚く事じゃないと思いますけど」
ニクスにモユクさんとの関係を聞いてみると、彼はアリスがニクスの次に会った
「失礼な言い方かも知れんが、タヌキがこんなに流暢な言葉を喋る知能を持ってるとは思えないんだが」
「ふむ。良い疑問だ、ヒプノス君」
モユクさんはアリスにぶら下げられたまま尻尾で俺を指した。
「儂もかつては本能に生きるただのタヌキであった。二世紀を超え生きる中で知性を獲得したのだ。うむ、君の言いたい事は分かる。タヌキの寿命はそこまで長くないというのだろう? もっともだ。しかし寿命という概念は細胞分裂の際に起こる劣化複製に由来するのは知っておるかね? 染色体末端のテロメアという構造体が複製のたびに短くなっていくため劣化し、老い衰えてゆくのである。この劣化が起きなければ当然寿命も無くなる。儂は偶然そのような遺伝子異常を持って生を受けたのであろうと推測しておる。遺伝子検査を受けた訳ではないから断言はできんがね。最近の論文によれば人類史の中で理論上過去十人は私のような老いることの無い者が生まれていたはずだという試算結果出ておる。老化しないだけであって事故や病気などによる死は避けられぬ故、そのような者が現代まで生きる事はなかったようだがね。人間に不老の者がいたのなら、タヌキにもいてもおかしくはなかろう?」
突然の講義に女二人は面食らっていたが、とても興味深い話だ。幻獣の生態を妄想するために俺も生物関係の知識はそれなりに身につけてきた。確かに不老人間の論文についても聞いた事がある。
「それでも脳の容量の問題がある。タヌキは時間をかけても人間並みの知能に達する事ができるほど大きな脳を持っていないはずだ。なんでも許される
「いや、
「なるほど。ニクスはどう思う?」
「え? タヌキとアリクイが難しい話してるなって」
「あなたどこでそんな知識覚えてくるの……?」
「タヌキは良いぞ。大学に忍び込めば講義を無料で受けられるし、見つかっても殺される事はそうない。そろそろ離してもらっても良いかね」
手を離され着地したモユクさんはふてぶてしく笑った。実にタヌキらしい貫禄に溢れている。
「モユクさんはどこに住んでいるんだ。琉球大学?」
「あちこちをフラフラしているよ。ちょっとしたコツを心得えさえすれば寝床と餌の確保には困らぬ。ここ十年ほどは沖縄にいるがね」
「本州に来るつもりはないのかしら? 歓迎するわ。安全な家と食べ物も提供するし、何か希望があればできるだけ応える。代わりに
「ふうむ。有り難い申し出だが、生活の糧を他者に任せるには慎重に熟慮せねばならぬ。しばらく考えさせて貰って良いかな」
「ええ! 構わないわ」
上手く濁されたが、アリスはテンションが高かった。俺が塩対応しているせいで断られないだけでも嬉しいのだろう。
「俺の家はどうだ。アリスより設備は悪いが働かなくてもいい」
「ふむ。魅力的な申し出だ。それも一考させてもらおう」
「あれ、ヒプノスの家ってペット飼えるの?」
「失礼な事言うな、モユクさんはペットじゃない。滞在して頂くんだ。賓客だぞ賓客」
ウチは小学生の頃に野良猫を連れ込み壁紙を傷だらけ毛だらけにしてからペット禁止だが、モユクさんが来るというならなんとしてでも親を説き伏せる用意がある。
タヌキで、二世紀を生きる、
人間は人間でない生き物に残酷な生物だという事は歴史が証明している。人間同士でさえほんのわずかな財を驚くべき残虐性で奪い合うのだから、人類の夢・不老の体現者であるモユクさんがノコノコ出ていくのはタヌキが鍋を背負っていくようなものだ。残念ながら日陰で生きる流浪のタヌキでいてもらった方が彼のため。彼もそれは分かっているようだが。
……そういえば傲慢な人間の典型のような奴が目の前にいた。
モユクさんに邪な考えを抱いていないか様子を伺ったが、アリスは上機嫌で雇用条件をモユクさんに説明していた。モユクさんというリアルファンタジーを虐げようとするほど愚かではないらしい。それでも一応ニクスに小声で頼む。
「ニクス、アリスがモユクさんを
「そこは大丈夫じゃない? ボスは実力主義だから、ボスの下につくならモユクさんにだって人間より良い待遇出すと思うよ」
「そうか……?」
疑わしい。幻獣達を丸め込んで誘拐した奴だ。信用できない。
「ヒプノスが根に持つ気持ちも分かるけど、私はヒプノスとボスが仲直りしてくれたら嬉しいな」
「なんだ、ニクスはまだアリスが好きなのか? 恩につけこんで滅茶苦茶に扱き使うクズだぞあいつは」
「あーっと、それはちょっと擁護できないけど、邪悪って感じの人じゃないから。好きというか、姉というか、妹というか? まだ中学生だし、あれから反省もしてるし。ちょっと前だったら絶対ヒプノス達にお詫びなんてしなかったよ。ボスの頑張りも認めてあげない?」
「極悪人が少し良い事しただけで罪がチャラになる訳ないだろ。年齢差し引いてもエグいぞ」
計画的で悪質な犯行。
ニクスは苦笑いしてそれ以上言わず、俺の毛皮に顔をうずめてモフモフし始めた。
……しかしまあ、ニクスの頼みだ。今は許せないが、長い目で本当に反省しているのか見ていく程度の事はしてやろう。
アリスとモユクさんの話し合いを眺めながら、腹の毛をまさぐられうとうとする。久しぶりに
思えば忙しい日々だった。
アリスはこれから大変だ、という事を言っているが、それなら尚更今のこの骨休めを大切にしたい。爽やかに草を揺らし吹き抜ける風。暖かな太陽の光。こんなにのんびりしたのは何時ぶりだろうか。
ニクスを抱え込むように丸まってうつらうつらしていると、アリスが決まりね! と快哉を挙げ眠りを破った。何やら軍帽を振り回して興奮している。
「確認するわ。私はあなたにネット環境を提供する。あなたは私の相談に応じ、敵対しない。これで良いのね?」
「うむ、相違無い。それ以上は保留という形でよろしいな?」
「ええ勿論。まずはこの程度の協力関係でいいわ。これから仲を深めていきましょう。ふふっ、ドラゴンを見返す日も近いわ!」
そう言って胸を張った直後、彼方から超高速で飛来した火球が着弾しアリスを一瞬で消し炭に変えた。衝撃で地面が抉れ、熱波がチリチリと毛皮を焦がす。
旅行先でも容赦の無いドラゴンの裁きだ。本日の睡眠許可時間は終了したらしい。南無。
「うわぁ……今日はすごいタイミングで来たね」
「いや、話聞いてたんだろ。ドラゴンは耳良いからな」
「良すぎじゃない?」
俺とニクスは慣れたものだが、モユクさんは飛び上がって驚いていた。
「これは何事だ?」
全身の毛を逆立てて縮み上がるモユクさんに事情を説明する。話を聞き終わると、呆れた様子でため息を吐いた。
「なるほど、彼女の下に付くとその御仁に目をつけられるやも知れんな。協力関係に留めて正解か」
「協力関係もどうかと思うけどな。何か取り決めしたみたいだが今からでも撤回した方がいいんじゃないか? 相当な畜生だぞあいつ」
「いいや、儂は信じるよ。彼女には王気の片鱗がある。傲慢な程の気位の高さは考えものだが、それも以前より鳴りを潜めておるようだ。君とドラゴンが与えた敗北が良い影響を与えたのだろうね」
「……俺達はアリスの成長の踏み台にされたって事か?」
訝しむと、モユクさんは柔和に笑った。
「そのように敵意を持つ君ですら懐に入れる度量を持つのが彼女の良いところだ。
「…………」
言いたい事は分からなくも無いが、やはり気に入らない。王気があるといってもあれは暴君タイプだ。それともそう思っているのは俺だけなのだろうか。ニクスもモユクさんもアリスを高く評価している。まるで俺が過ぎた事を根に持ってネチネチ引きずっている心の狭い人間のようだ。
まあ王の素質があろうがなんだろうが、とんでもない畜生行為を働いたのは覆しようの無い事実なのだが。
俺の反感を見て取ったのか、モユクさんは鷹揚に頷いた。
「うむ。受け入れがたいのは分かる。まあ古狸の老婆心と思ってくれ給え。さて、そろそろ儂は御暇させて頂くが……」
モユクさんは少し言い淀み、厳かに言った。
「遠からず、
「夜……?」
どういう意味だ、と聞く前に、モユクさんは俺達に背を向け尻尾をひと振りし、草むらの間に消えていった。
俺達は顔を見合わせ、空を見上げる。青い空にちぎれ雲、眩しい太陽。常に変わらない、
この
「
「無いはずだけど……モユクさん、時々よく分からない事いうから」
予言めい言葉の真意を二人で頭を捻ったが答えは出ず。また会った時に意味を聞けばいいか、と思っていたのだが、結局沖縄を発つまで
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