五話 Alice in Dreamland
ドラゴンに砦を吹き飛ばされてから、
俺達がアリス屋敷に到着すると、アリスは安全メットを被りツナギを着てロードローラーの運転席にちょこんと腰掛けていた。目の下の濃いクマのせいでブラックな土木作業員に見える。そしてそんなアリスは黒ずくめの
おい! なんかいるぞ! てめぇ幻獣の方に行くんじゃなかったのか!
「ボス! 危険です! そいつから離れて下さい!」
ナイトメアに気付いた途端、真っ先に突撃していくニクスは忠臣の鑑だ。放置しておけばナイトメアとアリスが刺し合って共倒れになるのではないか、と邪な考えが過ぎり足が鈍ったが、結局は俺もニクスを追った。流石にアリスが拷問にかけられているのを高見の見物するほど憎くはない。ナイトメアが外道過ぎてアリスの方がまだマシに見える。
おっとり足で合流すると、ナイトメアはアリスの背後に隠れて(アリスの低身長では隠せていなかったが)怒れるニクスをやり過ごしていた。
「だから部下になるなんて絶対嘘ですって! そいつはとんでもない奴なんです! ああ、もう、ボス! 信じて下さい!」
「そんな事言ってもね。もう契約は交わしてしまったのだから、失態を犯していない部下に罰を与える事はできないわ」
「ナイトメアァアアアア! このクズ! 卑怯者! ボスから離れなさい! 絶対後ろから刺すつもりでしょう!」
「あっ、酷い事言いますね。そんな恐ろしい事をする訳がないでしょう」
ニクスの糾弾にまるで動じず、しれっと返すナイトメア。こんなに白々しい台詞は聞いた事がない。
「アリスお前、こんなド外道を部下に引き入れたのか?」
「さっきからあなた達はどうしてナイトメアに辛辣なの? 礼儀正しいし、自分から頭を下げて私の下につく判断力もある優秀な人材よ」
アリスは満足げにナイトメアを振り返って微笑んだ。ナイトメアはそれに無言で会釈したが、慇懃無礼以外の何物でもない。
取り入るのが早過ぎる……! こいつ、人の好みを的確に読んで懐に潜り込んできやがる。俺もやられたから分かる。アリスは今、ナイトメアを信用してしまっている。
いっそもうアリスごと串刺しにしてやろうか。
……いや、なんだかんだでアリスは優秀だ。ナイトメアを庇う姿勢を見せている限り、
「ボス、聞いてください、さきほどニクスさんは私の心が腐ってるなんて暴言を吐いてきたんですよ。そちらのヒプノスさんもいきなり殴りかかってきましたし。私はちょっとしたジョークのつもりだったのですが、機嫌を損ねてしまったようで。気持ちがすれ違うというのは悲しいものですね。その点、ボスは聡明で助かります。私の気持ちをとてもよく分かって下さる。
「ふふふ、そうしてもいいのよ?」
リップサービスにしか聞こえないが、アリスは気持ち悪いぐらい上機嫌だ。
俺に殴られ、ニクスに反発され、ドラゴンに焼かれ。モユクさんとも微妙に距離を取られている。最近のアリスは良い事がない。心の弱った部分につけ込んで自尊心をくすぐられ、気を許しているらしい。
アリスはクズだが馬鹿ではない。連日の睡眠不足で判断力が鈍っていなければ、ナイトメアの世辞ぐらいは見抜いていただろう。
俺ははじめてアリスへ心からの善意で言った。
「アリス。悪い事は言わん、そいつを部下にするのだけはやめとけ。大人しくこっちに引き渡せ」
「あら嫉妬? いきなり引き抜きなんて見苦しいわよ」
「ボス、ヒプノスの言う通りです。そいつは口で愛と慈悲を語りながら人を嬲り殺しにできるような奴なんです。私達もやられたばかりなんですよ。お願いですからそいつから離れてください」
ニクスが繰り返す真面目な懇願に、アリスは困惑した様子だった。俺の言葉は軽く流しても、やはり付き合いの長いニクスの言葉は重さが違う。
「ボス、これは新入社員への新人いびりですか。こんなものが続いたら辞めたくなりますよ」
「まあ落ち着きなさい。ニクスは私怨でここまで食い下がる子ではないわ。大げさに言ってるのかも知れないけれど、ナイトメアにも何か不備はあったのでしょう。ナイトメアは反省する事。ニクスもこれまでの事は水に流す事。二人はこれから同僚になるのよ。仲良くしなさい」
「なるほど、喧嘩両成敗ですか。いえ、私は喧嘩をしたつもりはありませんが。ボスが仰るなら」
そう言ってナイトメアはニクスに手を差し出した。ニクスは爆弾を差し出されたように後ずさった。
「ニクス、構うな行け。指全部へし折ってやれ」
「部外者は口を出さないで。これは私の組織の問題よ。ニクスもほら、手を出して」
アリスに促され、ニクスはたっぷり三分は迷ってから恐る恐る手を出した。
するとナイトメアは姫に謁見する騎士のように跪いてその手を取り、流れるように短剣を握らせアリスの脇腹に導いた。
「ちょっ」
よろめいたニクスの短剣がアリスに吸い込まれ血の花が咲いた。
ニクスが真っ先に悲鳴を上げる。それにナイトメアが棒読みの高笑いで追従した。
ほら見ろ! 言わんこっちゃない!
これでアリスも分かっただろう。わたわたと短剣を引き抜き放り捨てているニクスを押しのけ、ナイトメアの頭に
しかし、
おい。
なぜだ。
「どうしたアリス。まだ庇うのか? お前そんな博愛主義者じゃないだろ」
「少し聞きたい事があるだけよ」
脇腹には既に刺された痕は無かった。修復の判断が速い。伊達に毎日ドラゴンに攻撃されていないようだ。
即座に直したとはいえ、たった今裏切られ刺されたばかりだというのに、アリスは異様に冷静だった。刺されるのを予想していた……ようには思えない。
アリスの体躯は小さく、牙も爪もなければ迫力もない。だが、今のアリスには何かよく分からない、逆らえない雰囲気があった。
……まあ、今刺されたのはアリスだ。どう対応するのもアリスの自由。ここは任せよう。
アリスはまだ嗤っているナイトメアに向き直り、静かに尋ねた。
「ねえ、ナイトメア。確認するけど、部下になるって言ったのは嘘なのかしら?」
「いえ、本当です。これは純粋にボスのためを思っての諫言ですよ。部下を迂闊に信用すると裏切られると身を持って知ってもらいたくてですね」
「……そう。つまりあなたはそういう奴なのね」
ようやくこいつの腐りきった臓腑の悪臭に気付いたらしい。アリスは間違っても女子中学生がしないような冷徹な目でナイトメアを見上げ、
「そういう態度も私の組織では矯正していくわ。覚悟しておきなさい。もちろん私を刺した罰も与えるから」
稀に見るド外道を受け入れた。流石のナイトメアもこれには驚いたのか、一瞬動きを止める。
マジか。正気か?
「おい頭大丈夫か。今刺されたのをもう忘れたのか? 絶対こいつ口からデマカセ言ってるだけでお前の事上司だなんて欠片も思ってないぞ」
「そんな事はわかってるわ。でもね、もうナイトメアは私の部下になったの。気に入らない部下、失敗した配下を切り捨てるのはあなたのような三流がやる事。真の支配者というものはどんな部下も心服させて使いこなすものよ」
「お前……ブレないなぁ……」
アリスの支配者気取りはイラつくばかりだったが、ここまで貫き通すと一周回って感心する。
改めて
ただし問題なのは、ナイトメアも同じように揺らがないだろうという事だ。ナイトメアを御す見込みはない。
堂々と言い放ったアリスに、ニクスは半泣きですがりついた。
「ボス、お願いですからナイトメアだけはやめて下さい。もう生理的に無理です。こいつ以外なら誰と同僚になってもいいですから。ゴキブリでもいいですから」
「ああ、せっかくこれから仲良くしようと思っていたのにそういう事を言いますか。一体どうしてそんなに私を嫌うのか理解できません。むしろニクスさんは私に感謝するべきだと思いますよ」
「は?」
「悪質な上司へのささやかな復讐を手伝ってあげたでしょう。普段逆らえない上司への一刺し。心のどこかに少しは日頃の鬱憤を晴らす嬉しさがあったのではないですか」
ニクスが能面のような無表情になり、地の底から響くような声でぶつぶつ呪詛をつぶやき始めた。怒りが臨界点を突破してまずやる事が呪詛、というのがまたニクスらしい。
俺だったらジュラ紀に生きた全長20mを超える史上最大の魚類、リードシクティス・プロブレマティカス(質量兵器)で叩き潰す。ナイトメアには
まあとにかく、これでそれぞれのスタンスは分かった。
アリスはナイトメアを制御して支配下に置きたい。
ニクスはナイトメアを追い払いたい。
俺はナイトメアの魔手から幻獣を守りたい。
ナイトメアはド畜生。
よし。とりあえずナイトメアは殺しておこう。
根本的な解決にはならないが、
形だけでもアリスの庇護下に入っていれば俺が遠慮するとでも思ったか? ニクスの呪詛も段々力強くなり、唱え終わるのが近い。ダブルアタックだ。今度こそくたばれ!
しかし何か
「…………」
「…………」
ニクスは振り上げた杖を下ろす先を失い、気まずげに沈黙した。
俺も高めた殺意のやり場を唐突に失い言葉がない。
二人が居た場所には超高温で真っ赤に赤熱した地面だけが残され、塵すらなかった。
このタイミングでこれかあ……
ドラゴンはもう……なんというか……ドラゴンだなあ……
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