四話 オープンβ
【昨日見た夢の話なんだけど】オープンβ
文武両道、品行方正という言葉がある。言葉があるだけで体現している人は少ない。勉強も運動もできて性格も良い、なんて人はなかなかいない。
知り合いの一学年上の先輩にそんな人がいたが、先日通り魔の被害に遭って亡くなられた。身を呈して妹を庇ったのが死因だというのだから、あの人は最後までグウの音も出ないほど聖人だった。
僕も彼のように良い人であろうと心掛けているけれど、とても真似できない。
親が勉強しろと言えば勉強して、先生が部活は全力を尽くせと言えば全力を尽くしてきた。
でもそれは人生で役立つのか?
少なくとも今は役立っていない。
「あああああああもー腕がぁあああああ!ちぎれる!」
「大げさ!木ぃ運んで腕千切れた人なんていないよ」
夜の森の中で、僕達は松明を掲げて先導するB29の下、ゾロゾロと列を作って苗木を運んでいた。苗木を掘り出す係と運ぶ係に分かれているらしく、NPCらしい金髪の人達もプレイヤーらしいパジャマの人達も(僕もそうだ)混合で組み分けされている。泥まみれ汗まみれの人達が根っこごと掘り起こしたバオバブのような木はてっぺんが皿のようになっていて、そこに水がたまり、メダカぐらいの大きさの紅色の魚が数匹泳いでいる。
B29によれば、この木はセフィロトと言って、木の実の代わりに魚や鳥を実らせるらしい。ファンタジー! 貴重な食料源としてテント村周辺に植え替えるために運ぶ事になったのだとか。流石に十数メートルもある大樹は運べないからこうして苗木に絞って運んでいる。しかしそれでも二メートルはある。
運びはじめて五分で手が痛くなり、十分で肩が痛くなり、今は腕がぷるぷる震えて落としそうになっている。
重いし持ちにくいし普通にキツい。キツい!木を運ぶって言っていたから、てっきり丸太を数人がかりでえっほえっほと運ぶほのぼの肉体労働を想像していた。とんでもなかった。
先生も親も苗木の運び方なんて教えてくれなかったし本でも読んだ事がないというかこれ、トラックか何かに積んで運ぶ案件なのでは? 人力で運ぼうとするのがそもそも間違って……いやそうか、こんな森の中にトラックは入ってこれないか。そもそもこの世界にトラックがあるか怪しいぃいいいあー! 考え事で気を紛らわせようにも無理がある! 腕に力が入らなくてなってきた!
「休憩ー!」
B29の天の声で全員歓声を上げる気力もなく苗木をおろし、地面にどっかり座り込む。疲れた……
僕の隣に座ったおじさんはセフィロトの水を飲んでぐるぐる肩を回してから話しかけてきた。
「君は今日初ログインか?もうちょっと力抜かないと身がもたないぞ。ちょっとぐらい引きずったっていいんだ」
「え、でもB29、僕の担当はセフィロトが傷むから引きずるなって言ってましたけど」
「真面目か。おじさんはもう心折れそうだよ。
力仕事をしていらっしゃる方らしい。地面に大の字に倒れこんだおじさんは本当に疲れ切っているようだった。何というかもうお疲れ様です。
「あのテント村が街の体裁整うまで働いたらあとは自由にさせてくれるらしいじゃないですか。僕はやりがいあると思いますよ」
なし崩し的にゲーム? に参加させられたとは言え、VR機器でもここまでリアルな世界は体験できない。自由を手に入れた暁にはこのファンタジー世界を思いっきり冒険してみたい。想像するだけで楽しそうだ。
しかしおじさんはそう思わないらしい。
「甘いぞ君。この世界には労基も警察もないんだ。街ができたらログインアカウント停止ではいさよなら、なんて事になったって誰も助けちゃくれない。言葉通り住んでる世界が違う奴の口約束をどうやって信用できる? 街になるまでったってハッキリ期限切ってる訳でもないしな。あと
最後の言葉が一番実感がこもっていた。
ハッとする。言われてみれば確かにその通りだ。
不安になってきた。めちゃくちゃに働くだけ働かされて報酬なし、なんてオチがあるのでは……
「言っときますけどね、私達NPCからすればプレイヤーの方が犯罪者予備軍だからね?」
悩んでいるとB29が寄ってきて話に入った。聞いていたのか。ちょっと気まずい。
おじさんはB29の言葉にムッとした。
「随分な言い草じゃないか」
「だってプレイヤーは死んでも
「ええ……そんな事する人いないでしょ」
「アサンはしないかもね。でももう実例があるんです。今日までで傷害24件、婦女暴行15件、器物破損11件だったかな。罰則は無理だからログイン停止するしかない。犯人達は悪いことするだけして放免ってわけ。たまったもんじゃないよ」
B29の言葉もおじさんに負けず劣らず感情がこもっていた。その人たちはいざとなれば逃げればいいや、とでも思ったのだろうか。酷い話だ。夢なのに夢が無さすぎる……!
「プレイヤーにとってここは夢かも知れないけど、私達にとってはここが、ここだけが
「あー、それは……そうかも知れんが、タダで働かされてるプレイヤーの身にもなってくれ。空手形は正直信用できん。何か目に見える報酬くれん事にはやる気も出ん」
「ダメ。出せる報酬ないから。タダより高いものはないって
「おい殴られたいのか」
「まあまあまあまあ二人とも落ち着いて」
険悪な空気になってきたので割って入る。なぜB29は機嫌の悪いおじさんに燃料を投下するのか。名前が爆撃機だから?
「僕もちょっと説明受けただけですけど、NPCって相当切羽詰まってるらしいじゃないですか。ここは大人になってぐっと我慢して助けてあげましょうよ。B29もお腹空いてイライラしてるのは分かるけど言い方は気をつけよう」
「少年、我慢できるのは良い大人だが、我慢するのが良い大人ではないんだぞ。だがまあ仕事はするさ」
「んー、じゃあ休憩終わり。あと二往復するからどんどん行くよ」
おじさんと俺の「嘘だろ」がハモった。
いやー、二往復はキツいっす。ここがファンタジーだというならせめて回復魔法が欲しい。
僕はクリスマスの晩になぜ苗木を担いで運んでいるのか。これが分からない。とんだクリスマスプレゼントだ。
B29が松明を掲げ夜の森の木々の間を先導していく。ちらちら揺れる松明は樹間を照らし、黒々とした陰鬱な影をつくる。強めの冷たい風が吹いて木の葉がざわめくたびに身構えてしまう。何か出そうな雰囲気だ。
こんな時間に森の中を歩くなんて小学生の林間学校以来だった。夜の森ってこんなに怖かったっけか……ファンタジー世界という事もあり、本物の怪物が出そうな異様な空気がある。出たら漏らしそう。
試行錯誤の末上手く肩と腰を使って腕がちぎれないように苗木を運んでいると、急に前を歩いていたB29が止まった。
「休憩? トイレ行ってきていい?」
「や、なんか……なんかある」
「なんかって……なんかある。宝箱?」
驚き戸惑っているB29の後ろから前を覗き、僕も困惑した。ゾロゾロと人が往復してできた森の小道のど真ん中に、宝箱が一箱でんと置かれていた。木製で縁を金属で補強した、ファンタジーによくある形の宝箱。大きさは大人一人ならなんとか丸まって入れるぐらいか。
怪しい。なぜ森の中に宝箱が? 往路では何もなかったのに、復路で突然現れた。
それともこれはこの世界では常識?
「こわっ。何これ」
「あ、やっぱこれおかしいんだ」
「当たり前でしょ。なんだろ、ニクスさんかタナトスさんのイタズラかな」
「誰?」
「
言いながらB29は宝箱を調べている。ファンタジーと言えば宝箱、宝箱と言えばファンタジー。古式ゆかしい伝統だ。うーん中身が気になる。お金か武器?
後ろのNPCやプレイヤー達もがやがや集まってきた。
「鍵は……かかってないみたい。アサン、私照らしてるから開けてくれる?」
「開けていいの? 怪しくないか?」
「だって中身気になるでしょ」
わかる。
開けよう。
蓋に指をかけ、力を込める。錆びついているのか重いが、開かない事は無さそうだ。
「ふぃっ……ん……ぐ……ん?」
気張っていると、目があった。
宝箱の蓋に、いつのまにか一対の目玉が浮かび上がっていた。思考が停止した次の瞬間、宝箱は独りでに飛び上がり、大口を開けて耳障りな甲高い笑い声を上げた!
「きょけけけけけけけけけけけけっ!」
「ゔおわああああ!」
「きゃあああああ!」
二人揃って腰を抜かす。周りの人達も驚いて苗木を落としたり転んだりしていた。口裂け宝箱は絶句する僕達を見てひとしきりゲタゲタ笑うと、煙に包まれて消えてしまった。
ななななななんだったんだ。ミミック? ミミックなのか?
「お、お、おっ、おば、お化け?」
「いや、ミミック……かな」
「な、に、にゃにそれ」
呂律が回っていないB29にミミックと呼ばれる擬態生物について説明する。ゲームやってるとけっこう見るタイプのモンスターだ。
なんで気づかなかったかなもう。
…………。
早めに気付いてたら漏らす事も無かったのかな。驚いた拍子にセフィロトの水がかかったという事にしておこう。うん。
「B29はああいうのがいるって知らなかったんだ?」
「幻獣が色々いるのは知ってる。食べられない幻獣までは詳しく覚えてる余裕なくてさ……なんか臭わない?」
「さー運ぼう! あと一往復だ! がんばるぞー!」
この後めちゃくちゃ運搬した。
「! …………」
クリスマスの翌朝、僕は自室のベッドで目を覚ました。そして何よりもまず、股間の辺りに濡れた冷たさを感じて頭を抱えた。
まあね、夢の中で漏らしたら
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