三話 クローズドβ

 中学の頃の同級生に有名な問題児二人組がいた。

 教室に拾ってきた猫を放したり、授業を全く聞かず資格試験の本を読み耽っていたり、修学旅行中に姿を消して大騒ぎを起こした末に夜中になってからリュックサックに山盛りの山菜と血抜きした野兎を獲って宿にひょっこり現れたり。真冬に立ち入り禁止の校舎の屋上に水を撒いてスケートリンクに変えてしまった事もあった。


 みんなは毎週のように職員室に呼び出される彼らを馬鹿にして煙たがっていたけれど、実のところ、僕は密かに彼らを羨やんでいた。

 世の中には「面白いけどやってはいけない事」がたくさんある。彼らにはブレーキが無かった。叱られても叱られてもどんどん面白い事に挑戦していた。

 僕も一緒に遊びたかったけれど、声をかける勇気がなかった。クラスメイトの白い目が怖かった。親に怒られるのが怖かった。「普通」から外れた、未知の世界に行くのが怖かった。

 親と社会が敷いたレールに沿って進むのに慣れすぎていた。


 中学を卒業して、僕は彼らと別の高校に進学した。

 新しい学校に彼らのような人はいなかった。みんな普通だ。音楽の話をして、テレビの話をして、ゲームの話をして、部活の話をして。

 平和で普通の学校生活はどこか物足りなくて、でも安心もした。

 本や漫画を読んでいるとよく敷かれたレールや運命が否定されているけれど、親の言う通り家事を手伝って、先生の言う通りに勉強する毎日は悪くなかった。

 レールの無い未知を進むのは新鮮で楽しくて、しかし大変だ。誰もが新しい道を切り開いていけるほど強くはない。「こうしなさい」「これをやれば大丈夫」と言われ、その通りにしていると安心できる。


 そして高校二年生の冬になり、進路希望調査の紙を渡された僕は何気なく書き込もうとして愕然とした。

 やりたい事が何も思いつかなかった。


 僕は陸上部で県大会一位を取った。テストの成績もいつも五位以内。生徒会にも入っている。

 でもそれは誰かに言われて頑張っただけで、僕がやりたくてやった事ではなかった。

 大学に進学はすると思う。でも進学して何をするのか。大学を卒業してどうするのか。ビジョンが全く浮かばない。

 親や先生に相談しても、良い大学に行った方がいい、と言うだけだった。自分の将来は自分で決めなさい、とも言われた。

 正直、そんな事を言われても困るだけだった。


 レールの上を快調に走っていたら、突然レールの終着点が無い事に気づいた。

 言われた通りにしろというからそうしていたら、いきなり自分で考えろと言われた。


 不安になってクラスメイトに聞いてみたら、驚く事にほとんどみんな僕と同じだった。

 みんなが大学に行くから。親が行けと言うから。なんとなく進学する。

 自分の人生なのにそれでいいのかと聞いたら、なんとかなるでしょ、と気楽過ぎる返事が返ってくるばかりだった。


 中学の頃の同級生に有名な問題児二人組がいた。

 目を輝かせて、ドラゴンを見たい、ドラゴンを創りたい、と口癖のように言っていた。

 いつも本を読んで工具を弄り、資格百個取れるかな、なんて替え歌を歌っていた。

 今思えば、彼らほど「やりたい事」がはっきりしている人もいない。将来に思い悩む事も無いのだろう。

 夢を持っている彼らが羨ましい。


 僕には夢がない。クラスメイトの多くと同じように。

 今日もまた漠然とした不安を抱えて眠る。

 今日はクリスマス。クラスメイトも家族もお祝いムードだ。でも僕は顔だけ周りの雰囲気に合わせて笑顔を取り繕いながら、心の中では真顔だった。

 明日が来るのが怖かった。


 そして――――














「あ、アタリかな」

「!?」


 目が覚めると草原に居た。いや覚めていなかった。まだ眠っていた。眠ったまま草原にいた。

 ここは夢だと直感的に分かった。しかし冷たい夜風も星空も夢とは思えないほどリアルだ。

 混乱を通り越して呆然としていると、目の前の少女は背伸びして僕の頬をつついてきた。


「やっぱハズレかな? 聞こえる喋れる大丈夫? もしもーし」

「……ぅえ? あ、はい?」


 ヨーロッパ系の顔をした、金髪碧眼の女の子だった。二世紀も時代を遡った農民が着るような服は薄汚れていて、紐で括られた長い髪には艶がなく、勝ち気な凛々しい顔の頬には泥がついている。首から下げたカラスを象った御守りが目を引いた。流浪の民、という言葉が思い浮かぶぐらいにはスレて見える。

 ハリウッド女優のような整った顔をしているのに、ハリウッド男優のようなタフな雰囲気だ。


 何もかもが分からないけれど、一つだけ直感的に分かった。

 彼女は彼らと同じ「普通」ではない人種だ。

 俺が勢いに押されて曖昧に頷くと、少女は身を乗り出してしゃべりだした。


「こんばんは私はNPCのB29です以後よろしく。って言ってもワケわかんないと思うからとりあえずサッと説明しちゃうね。まず今私達がいるのはどこかって話だけど、まあVRMMOゲームだと思っといて。私がNPCで君がプレイヤー。ゲームのジャンルは開拓シミュレーションで、このボロっちいテントの群れみたいな場所を街レベルまで発展させるのが目的。私が専属担当になってサポートするから全部任せてくれれば大丈夫。心配する事なんて何もないから。それでどう? このゲームやってみる?」

「え? いや、やってみるって……え?」


 この異常事態について説明してくれているようではあるけれど、話の展開が早すぎて全然内容が頭に入って来なかった。爆撃機B29がどうしたって?

 僕が混乱していると、彼女は面倒そうに一歩後ろに下がった。


「この世界で自由に生きてみませんか、って事。どうせ君も現実リアルでアレはダメこれもダメあーしろこーしろって命令されてストレス溜めてるんでしょ? この世界ならなんでもできるよ、なんでも。やらないの? あーあもったいないなー! せっかく第二の人生始めるチャンスなのに!」

「第二の人生? ……それは……でも……」

「別に嫌ならいーよ、他の人当たるから。このゲームやりたがる人なんていくらでもいるんだからさ。もう二度とこのゲームに参加するチャンスは来ないけど、やりたくないなら無理やりやらせるつもりないし。それじゃお疲れ様ですログアウトしますねー」

「わあーっ! 待った待ったやりますやります! ゲームやります!」

「はいどーも。一名様ご案内~!」


 彼女は嬉しそうに拳を突き上げた。何が何やら分からない内になし崩し的にゲーム? に参加する事になってしまった。

 これは夢だ。それは間違いない。感覚的に確信できる。どうあがいても現実では無いのだし、これはゲームだと言うのなら、たぶんそうなのだろう。

 ゲームは好きだ。国家運営だとか、国盗りだとか、開拓だとか、その辺りのジャンルのゲームにも手を出した事がある。こんなにリアルなゲームができるなら素直に嬉しい。

 しかしなんだか質の悪い詐欺に引っかかった気がしてならない。夢なのに夢とは思えないほどリアル過ぎるのも気にかかる。正直怪しい。何かの催眠術にでもかけられているのではないだろうか。


 彼女は早速、ご機嫌な様子で近くの焚き火から松明に火を付けて右手に持ち、左手で僕の手を引いて歩き出した。その手は小さく華奢で、水荒れでもしているのかガサガサしていて、ちょっと皮膚が硬かった。妙なところで生々しい。

 こんな時まで流されてしまう自分が少し嫌になりながら、しかしやっぱり手を引かれるままに大人しく歩きつつ、僕は会話を試みる事にした。


「B29さん……ですよね。これからどこに行くんですか?」

「呼び捨てでいいよ、略したりしたらぶっ飛ばすけど。これから森に木を運びに行きます。全然人手足りてないからさ。あ、君もなんかてきとーに名前決めてね。本名でも偽名でもなんでもいいから」

「そんな急に言われても……名前というと『ああああ』とかですか?」

「じゃあそれでいいよ。『ああああ』さんね」

「えぇ!? いやそれはちょっと言ってみただけで、待って下さい今ちゃんとしたの考えるので」

「うるっさいなー、もう決定決まり変更不可! なんでもいいでしょ名前なんてさ。面倒だから『あ』さんって呼ぶね」

「いや、え? ええ……?」


 自分の名前は省略するな、なんて言っていたのに、僕の名前はこれなのか。

 強引な人だ。そういえば彼女は僕の担当NPCだとか言っていた気がする。大丈夫だろうか。


「あの、このゲーム? って月額利用料とかかかります? 利用契約書に同意とかしてないですし、アカウント作ってないですし」

「無いよそんなもん。現実リアルで寝たら私が勝手にこっちの世界に引っ張り込むから黙って働いてくれればオールオッケー」

「はあ。……このゲームのシステムってどんな感じなんですか?」

「どんな感じって?」

「セーブとか、レベルとか、スキルとか?」

「そんなのある訳ないでしょ、ゲームじゃないんだから」

「ゲームじゃないんですか!?」


 さっきから言っている事が無茶苦茶だ。質問に答えてくれてはいるけれど、質問するたびに段々不機嫌になっている。

 B29さんが足早だったせいで、もうテントの群れを抜け草原を横切って森の端についている。ひんやりした薄暗い森に、松明のゆらめく灯りが作る人影がのっぺりと伸びて飲み込まれていた。得体の知れない生き物の羽音が不気味さを煽る。整備された森や雑木林とはまるで違う重い空気だった。はっきりと分かる。この先は人の領域ではない。

 流石に不安になってきた。足を踏ん張り、森の手前で立ち止まる。B29さんは舌打ちして振り返った。


「何?」

「ちょっと待って下さい。本当に大丈夫なんですかこの……ゲーム?」

「大丈夫大丈夫、全部任せてくれればいいから。ほら歩いて! 私も暇じゃないんだからさ、ほらほら」

「引っ張らないで下さい。あなた本当にNPCなんですか? 中に人入ってるんじゃないですか。絶対AIじゃないですよね」

「何? 疑ってるの? 私は純度100%No Play Characterだから」

「No……?」

「ドリームランドは遊びじゃねぇんだよって意味。あーもー面倒くさい! さっきからペラペラペラペラペラペラ質問ばっかり。黙って働けないの?」


 至極全うな質問をしているだけのはずなのに、投げ返されたのは理不尽な怒りだった。

 いくらなんでもここまで言われると我慢できなくなってくる。全部任せてくれればいい、大丈夫だ、と言っていたけれど、全然任せられないし大丈夫でもない。

 B29さんは手を強く引きながら脅すように睨んできた。金髪というだけで漠然と威圧感があるのに、見慣れない碧い瞳を強く向けられると反射的に謝りそうになった。でもぐっと堪えてまっすぐ目を見返す。

 現実だったら謝って丸く収めていた。でも、ここは夢の中だ。よく分からない事ばかりでもそれは絶対間違いない。夢の中でぐらい、NOと言う人になってもいいではないか。


 睨み合い、先に目を逸らしたのはB29さんだった。僕の手を離し、大きくため息を吐いて渋々木の根っこに腰掛けた。横を叩き、僕にも座るように合図する。よかった、勝った。


「やっぱハズレだったかな、『あ』さんがこんなうるっさい人だとは思わなかった。まあいいよ、もう全部説明して上げるから座って。その代わり説明終わったら思いっきり働いてもらうから」


 横に腰掛けて質問をぶつけていくと、B29さんは気怠そうにしながらも素直に答えていってくれた。

 別に隠そうとして話さなかった訳ではなく、純粋に喋るのが面倒だっただけらしい。


 しばらく話を聞いているとB29さんの嫌な態度の理由も分かった。

 今、夢世界ドリームランドのNPCは深刻な生活難にあるそうだ。僕のようなプレイヤーを賦活してアルバイトとして使い始めたのはつい数日前からで、状況は好転の兆しこそあるもののまだまだ良くない。衣食住の何もかもが足りていない。食糧も足りていない。

 つまり、B29さんに限らず、NPCは全員疲れと空腹でイライラして短気になっているらしい。切実過ぎる。


「アタリとかハズレとか言っていたのは?」

「賦活するまでその人魂リアリストがどんな人なのか分かんないからね。赤ちゃんかも知れないし、ボケちゃったお爺さんかも知れないし。私達NPCの間でアサンぐらいの歳の男はアタリって言われてるんだよね。VRMMOって言うだけで大体全部伝わるから説明楽だし、『空気を読む』とかいう変な習性あるから押しやすいし。時々ゲーム脳の馬鹿もいるけどそういうのはハズレかな。私達NPCは一日一回しか賦活できないから、いいの引くまで毎晩引き直し。アサンは気弱そう頭良さそう鍛えてそうでレアなアタリだなって思ったのになー」

「そんな人をガチャみたいに……」

「え、だってアレでしょ? 夢無人リアリストって現実リアルでガチャ回して人間とか幻獣の部下手に入れてるんでしょ。アサンはよくて私はやっちゃダメな訳?」

「それはゲームの話で……いやこれもゲームなのか? あれ、僕ガチャ回される側?」


 僕がNPCの生活向上に貢献できると行動で示せば、B29さんはこれからも毎晩僕を賦活しログインさせてくれるそうだ。数ヶ月は木の実を集めたり、木を運んだり、畑を耕したりといった労働をしなければいけないけれど、キングスポートが街としての体裁を整えた暁には、相応の報酬を貰った上でこの夢世界ドリームランドで自由にさせて貰えるという。夢世界ドリームランドにはドラゴンもいればユニコーンもいて、ミスリルの剣なんて物まであるとか。見て回るだけでも楽しそうだ。


 一通り話が終わる時には僕らは大分打ち解けていた。いつの間にか『アサン』とあだ名のように呼ばれるようになっていたし、僕もタメ口になっていた。

 僕だって可愛い女の子と仲良くなれるなら悪い気はしない。少しぐらい第一印象が悪くても、事情が事情だ。助けてあげようという気にもなる。空手形だけど一応報酬だって貰えるのだ。


 しかしけっこう話し込んでしまった。朝になり現実リアルで起きればログアウトしなければならず、それまでに結果を出さなければならない。さもないと明日からログインさせてもらえなくなる。ここは一つ頑張って、やれる男だという事をアピールしておかなければ。

 僕は立ち上がった。


「もう質問はいいの?」

「大丈夫。質問攻めの分は働くよ」

「だといいんだけどね。まあよろしく、アサン」

「よろしく、B」

「略すなっつってんでしょ殺すぞ」

「ご、ごめん!」


 後頭部を思いっきりド突かれながら、僕はB29の松明の灯りを頼りに夜の森の奥へ向かった。

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