五話 夢を追いかけ、追いかけられて
魂を削ったあの夜以来、ドラゴンはずっと夢の世界にいる。俺が起きている間も存在し続けているようだ。夢世界の24時間は現実世界の24時間。夢世界はなぜかずっと昼間だが、時間感覚といいリアリティといい、ドラゴンは実質異世界に「生まれた」といっても過言ではないだろう。
草原にドラゴンがデンと居るだけでは寂しいので、色々と追加で創造した。魂を使った永続創造のコツは掴んでいる。ドラゴンほど力を入れてはいないが、永続させられる最低限の消費であれやこれやと。
ミスリルやオリハルコンといった魔法金属の鉱脈を抱えた鉱山や、雲を貫く霊峰、その頂上に棲むフェニックス。
磁場が乱れ方向感覚を狂わせる深く古く広大な大森林、そこに棲むゴブリン、オーク、ドライアド、その他諸々の幻獣。
山から流れる川の水を湛えた美しい湖と、そこに棲むクラーケン。
これぞ幻獣の楽園! という規模・質・量で創造を終えた時には、俺の創造パワーは削りに削れ、ジャンボジェット機から紙飛行機レベルにまで零落していた。
もっとも、その代わりに味気ない草原がハリウッドが大金をつぎ込んだファンタジー映画すら足元にも及びもつかない圧倒的幻想世界に劇的ビフォーアフターしたのだから、これはむしろ大いに誇るべきだろう。
自信をもって言える。これは誰にも真似できない。力が足りなければこの規模は無理だし、妄想が足りなければこの質は無理だし、論理化が足りなければこの調和は無理だ。
それに弱くなってみて分かる事もあった。
草原……今は森や山だが、そこに浮いている人魂。これは眠っている人を表しているらしい。創造パワーを持たず、夢世界の中で自分の形すら保てない弱々しい人なのだ。
今までは俺は例えるなら象やクジラで、虫やメダカの区別がつかなかった。普通に暮らしているだけでいつの間にか潰しているような相手を正確に測るのは難しい。
しかし今はネズミであり、鯉である。身体の大きさが近い生き物を似たような尺度で測れるようになった。なんとなく、創造パワーを使い果たせば俺もあの人魂と同じようになるだろうな、という事に察しがついた。
人魂といえば、ドラゴン聖誕は現実世界にもちょっとした影響を与えていた。
ドラゴンが産声というには大きすぎる咆哮を上げた時に周囲一帯の人魂を消し飛ばしていたが、アレのせいで集団不眠事件が発生したのだ。
俺が夢世界で死ぬと現実世界で起床を強いられるように、人魂も夢世界で死ぬ(?)と現実世界で起床してしまうらしい。しかも、これもまた俺と同じように、強制起床後はしばらく眠れなくなるペナルティがつく。
謎の集団不眠事件として地元新聞のちょっとしたニュースになっていて、毒電波説、地震説、毒ガス説などなど自称有識者が自説を披露していたが、まあ真実にたどり着く事はないだろう。
人魂か人型かの差はあっても、人は眠ると誰でもこの夢の世界に来るらしい。たまにすごいスピードでスライド移動する人魂があり、変異種か何かかとばかり思っていたが、たぶん車の後部座席かタクシーにでも乗って寝ていた人の人魂だったのだろう。
それと、夢世界と現実世界の人魂の座標はリンクしているようだ。現実世界で毎日同じベッドで寝ていれば、夢世界でも毎日同じ場所に現れる。その証拠にドラゴン事件でたたき起こされた被害者の皆さんの住所は、だいたい俺の家を中心とした円形の範囲に収まっている。新聞には~地区の住民が謎の深夜起床を、という書かれ方をしていたが、しっかり統計をとったら俺の寝室が中心になるだろう。幸い新聞記者はそこまで熱心に記事を掘り下げるつもりはないらしく、俺が犯人だと特定される事はなさそうだ。
思えば、いつか長宗我部が太陽に焼き殺される夢を見たとかなんとか言っていたが、それももしかしたら俺を焼き殺すドラゴンブレスの余波を受けていたのかも知れない。
全国の皆さんが寝ている間にログインする
というかそもそも許してくれるくれない以前に俺以外の人型に会ったことが無い。この世界に人型は俺だけなのか。他にもいるのか。
一通りの創造を終え、ひとまず満足してしまった今、そのへんが気になるところだ。
森の処女厨ユニコーンにどこまで近づけるかスニーキングチャレンジしてみるのにもかなり心惹かれるが、近所に俺と同じような人型がいるなら挨拶の一つぐらいしておくべきだろう。
という訳で、探索にGO。
夢世界がどれほど広いのかは知らないが、現実世界の人の位置と夢世界の人魂の位置がリンクしているのだから、地球と同じかそれ以上の広さはあると見積もれる。
流石に地球上をくまなく同類探しに奔走するのはバカバカしい。まあ探検がてら、町内を……現実世界で町内に相当する地域をぐるっと回ってみるぐらいでいいだろう。
歩きはしんどいので自転車でも出そうとして、衝撃走る。
自転車は人工物だ。出せない。
なんてこった! 徒歩で町内一周? ダルい! 暇を持て余したジジイじゃないんだぞ。
ここは退化して馬車! いやいや馬は創造できるけど馬車は無理だ。
もういっそ馬に乗ればいいか。乗った事ないけどなんとかなるだろ。
とりあえず昔親父に頼み込んで連れて行ってもらった競馬場で観た名馬ハリボテエナジーを創造。鹿毛のしなやかな馬は鼻息を鳴らし、深い知性を感じさせる澄んだ目で俺をじっと見つめてきた。起きれば消える仮創造だが、標準的な馬のスペックで創造したから変に自己創造・消滅のドラゴン的哲学スパイラルに陥る事もなかろうさ。相手は馬、幻獣を創るわけでなし。こういうのでいいんだよ、こういうので。
騎手がそうするように颯爽と跨り、
跨り……
跨がれない。
馬、背ぇ高いな! 「跨る」っていうより「よじ登る」だこれ。しかも馬の毛光沢あってけっこう滑る。
もっと小柄で大人しいポニーにしとけばよかった。誰だこんな乗り難い馬創造したのは! 俺だ!
馬は鐙をつけないと騎乗めっちゃ難しい。というかそもそも馬具の創造ができない。手綱すら無理。
裸馬に騎乗って。それ何千年退化してるんですかね。
なんとか乗ろうとたてがみを掴んで身体を引っ張り上げようとすると、馬は嫌がって身をよじった。パワフルな馬力に振り払われ、尻餅をついたところにすかさず後ろ足の一撃が飛んでくる。頬を蹄がかすった。
こ、怖ぇええええ! ギリギリ避けたが、首がモゲるところだった。鱗も甲殻も無い人間とかいう欠陥クソ雑魚生物は馬の攻撃一発で簡単に死ねるのだ。
踏み台になる石を創造したり、お辞儀して敬意を示してみたり、屈んでくれないかと頼み込んでみたりして、なんとか騎乗に成功する。もうこの時点で疲労困憊だ。裸馬に乗ってみるといかに鐙の存在が革命的かよく分かった。馬具なしで騎乗なんて正気じゃない。俺の運動神経が低すぎるだけかも知れないが。
馬の上だと視点が高くなり、見える世界が全然違って見えた。股下に馬の体温を感じ、止まっていてもわりとぴくぴく筋肉が動いているのが分かる。生き物って感じだ。生き物なんだから当たり前だが。
馬は賢い生き物で、喋る事こそできないがその分コミュニケーション能力が高く、コミュ障の人間より遥かに察しがいいと聞く。その証拠に、俺が前傾姿勢をとって首筋を軽く叩き、進んでくれ、と一声かけるだけでこちらの意思を理解してくれた。カッポカッポと並足で進み始める。
おお。話には聞いていたが、本当にこちらの意思を汲み取ってくれた。対面しているならまだしも、背中に乗っている自分とは別種族の意思をよく読み取れるもんだ。これが人間なら、背負っている馬がモゾモゾ動いて鳴き声を上げても何をしたいのか全く分からないだろう。そもそも背負えもしない。これだから人間は。
コンパスも創造できないので、馬に乗って森と草原の境界線に沿って適当に進んだ。草原しかない夢世界に山や森を作ったせいで、かなり地形が変わっている。
地理的には、まず東西に伸びる大山脈があり、それを囲むように森林が広がる。山脈の南側の麓には湖があり、そこから川が伸びて森を貫き、森が途切れて草原になるあたりで地面に吸い込まれて湿地帯を作っている。
俺が夢世界に来る時の初期地点は森の端。近くに湿地が見える位置だ。俺の現実世界の家は町内の真ん中あたりにあるから、現実世界の町内に相当する範囲の内、だいたい南側半分は草原のままで、北側半分は森に呑み込まれている事になる。
……森と山脈の創造は早まったかも知れない。北へ行くには森を抜け、山越えをしなければならなくなってしまった。
山脈は日本列島を二つ繋げたぐらいの長さと標高1万mを超える高さがある。迂回も登頂も不可能だ。それを囲む森には人を襲う幻獣が普通にうろついている。遭難不可避。実質北側には行けなくなってしまっている。
誰だこんな頭悪い不便な地形を創ったヤツは。そうだよ俺だよ。人間に都合の良いだけの自然なんて自然じゃない。これぞネイチャー。これぞファンタジー。厄介な土地だからこそ、幻獣が棲むに相応しい。
さて、そんな事を考えながら一時間ほど馬に揺られていたのだが、揺られ過ぎてケツが痛くなってきた。股も痛いし、ズリ落ないように足で馬体を締めているのだが、筋肉を酷使しすぎてプルプルしてきている。手綱が無いからバランス調整にも両手を使っていて、腕もいい加減疲れた。
馬術なんて知らずに適当にやっているから余計に疲れるというのもあるのだろうが、騎乗しているのに移動速度が徒歩とそんなに変わらない。しかし疲労は三倍。騎乗からの疾走こそが馬乗りの真髄だが、今の並足でも怪しいのに走り出したら振り落とされる自信がある。
これ、普通に歩いた方が良いような。なぜ馬に乗ろうと思ったのか。せめて馬具が欲しい。足を置く鐙。ケツを乗せる鞍。指示を出す手綱。この三つがあるだけで全然違う。裸馬に乗るとそれが心からよくわかった。
草原に人魂以外の何かが無いか探しつつ、馬から降りて歩くべきか森の木や蔦を使って馬具作りにチャレンジしてみるか悩んでいると、馬が突然びくりと震えて駆け出した。
「うわ馬鹿っ!」
不意を突かれて振り落とされそうになる。咄嗟に蔦を創造して身体を馬に縛り付けて振り返ると、遠くの空に小さな点が見えた。それが強烈なプレッシャーを撒き散らしながらぐんぐん近づいている。点はすぐに輪郭が分かるほどになった。
絶対捕食者ドラゴンだ。そりゃ逃げるわ。
ドラゴンはコマ落ちしたような異常な速度で追ってきている。まあ最新鋭戦闘機を余裕で追い越せるように創造したから当然なのだが、追いつかれて良い予感は全くしない。
あのドラゴンは古式ゆかしいドラゴンであって、最近の生ぬるいファンタジー産の妙に親切だったり慈悲深かったり寛大だったりするドラゴンとは違う。その行動に善意を期待してはいけないし、命乞いが効く相手でもない。なぜ追ってきているのか分からないが、追いつかれたらロクな目に合わない事だけは分かる。
などと考えている間にもドラゴンは距離を縮めている。異常だ。異常なスピードだ。逃げれる訳がない、速すぎる。
馬を乗り捨てて自分だけでも森に転がり込んでみようか。
邪な考えが頭を過ぎり、そしてその考えは今にも窒息しそうなほど荒い息を吐き、口から泡を吹きながら必死に逃げている馬を見てすぐに消えた。
短い付き合いだったが、確かに俺はこの馬の世話になり、学ばせてもらった。俺を乗せて運んでくれた。信頼とまではいかないが、小さな心の交流があった。
コイツを見捨てて自分だけ助かろうなんて浅はかさは愚かしい。
馬を創ったのは俺で、ドラゴンを創ったのも俺だが、今一緒にいるのは馬なのだ。
ドラゴンに殺されるのは今更だ。俺は何度死んでも現実に戻るだけ。しかしこの馬にとっては、例え俺が目覚めるまでの短い間だけだとしても、この一瞬一瞬が一つしかない命を振り絞って生きる掛け替えのない時間なのだ。
俺は馬がこの世界で生き抜く助けになってやりたい。それが創造主の責任であり、幻獣の楽園で人たる俺が共に生きる喜びでもある。
この世界で俺だけが何度でも死ねるのなら、俺だけが何度でも獣のために命を賭けられる。それはとても素晴らしい事なのだ。
創造で馬を強化する。イメージは即座に世界に反映され、馬の蹄から炎が吹き上がり、テレビのチャンネルを変えるように一瞬にして妖怪馬へと転身を果たした。
蹄だけでなく、肉体全体を速度重視で強化してある。馬は自分に起きた変化をすぐに察し、感謝するように一声嘶いた。そうだ。恐れる事はない。お前には俺がついている。
「行け、ぶっちぎってやれ!」
言葉に応え、合点とばかりに馬はトルクを上げた。炎を纏った蹄がそれまでとは比べ物にならないほど力強く大地を蹴る。馬体はたちまち急加速し、火の粉の尾を散らす一陣の風となった。
魂を削る本格的な創造行使ではないが、それでもできる限りの力は与えた。馬は一足で100mも進み、風を踏んで音を置き去りにする。
「おぶはっ!?」
そして俺も置き去りにされた。
音を置き去りにするという事は、音速を超えているという事で。馬体に無防備に座り込み衝撃波にモロに殴られた俺はあさっての方向に吹っ飛ばされた。身体を固定していた貧弱な蔦はもちろん引きちぎれた。
森の端の草むらに叩きつけられ、バウンドして、転がり、木の幹にぶつかって止まる。地面に這いつくばり、痛む腰を抑えながら呆然と視線を送った先で、必死に逃げる妖怪馬があっさり追いついて急降下してきたドラゴンに捕まって地面に引き倒され、たくましい牙で引き裂かれ捕食されていた。
ほんの少し前まで生命の輝きを魅せていた馬がみるみる肉塊になり、ドラゴンの腹に収まっていく。
何この、何?
無慈悲というか、自然の摂理ですねこれは。なんという弱肉強食。
やっぱりドラゴンには勝てなかったよ……
ほんの数口でドラゴンは馬を食べきってしまった。満足そうに火の粉の混じったゲップを吐き、ゆるりと周りを見回す。思わず悲鳴と尿を漏らしそうになった。
可能な限り音を殺し、可能な限り急いでほふく前進で森の木々の間に身を隠す。心臓がうるさいぐらいに高鳴っていた。ドラゴンがオヤツにちょっと人間をつまむ気になったら、三秒後には俺も腹の中だ。馬に乗っていたのだから俺の存在には気づいているだろうが、だからといってドラゴンの前に出て行って食欲を刺激する事もない。
木の幹から顔を少しだけ出し、様子を伺う。ドラゴンは覇者の如く堂々と、一歩ごとに大地を揺らしながら散策を始めていた。周囲の草木は高熱でみるみる萎び、無造作に踏み出した脚に衝突した木は根元から倒れ、踏まれてバラバラになっていく。付近一帯の動物・幻獣が一斉に逃げ出し森をざわめかせていた。
やべえよアイツ、歩く自然災害だ。下手に動いて目をつけられたら気まぐれに潰されかねない。こっち来んなこっち来んなこっち来んなこっち来んなこっち来んなこっち来んなこっち来んなこっち来んなこっち来んなこっ
「君、何してるの?」
「 」
急に後ろから声をかけられ、心臓が止まりそうになった。代わりに声と息が止まる。
一体どこのどいつだと振り返ると、そこにいたのは喋る幻獣ではなく、人間の少女だった。
「……人間?」
「え、人間以外には見えないと思うけど。君も
探していた他の人型存在が向こうから来た。びっくりして呆けていると、何を勘違いしたのか少女が自己紹介を始めた。勘違いしてなくても自己紹介したのかも知れないが、あれ、これ、どうしよう。
目の前の相手は、少女といっても見た目は俺と同年代、つまり高校生ぐらいだ。二次元世界の住人のようなフラミンゴ色の長髪をポニーテールにしていて、純白に金の魔術っぽい模様が縫い込まれたローブを身に纏い、いかにも魔法使いが持つような先端に青い宝石が嵌った杖を持っている。クール系の落ち着いた感じの整った顔をしていて、澄んだ碧眼がホワイトタイガーのようで猛々しくも儚く美しい。動物に例えるなら猫科だろう。野生の。
色々言いたい事はあるが、とりあえず人差し指を口元に持っていき静かにしろのジェスチャーをして、反対の手でドラゴンを指した。少女は訝しげに森の奥を覗き、木々の間に見えるドラゴンの姿を垣間見るや否やヒッと息を飲んで俺の横に飛び込んで身を縮めた。
「ちょっ、何あの化物! もっとそっち詰めてローブはみ出てるから」
「これが限界だよだから静かにしろって頼むよマジで無駄死にしたくない」
「私だって死にたくないから。あーもー向こうの木に隠れればよかった」
「行けよ今から、狭いんだよ」
「移動の時に見られるかも知れないでしょ!」
声を潜め早口で言い合い、一際大きな地響きの震えに揺さぶられ口を噤む。そしてそのまま地響きが消えるまで、しばらく震えながら身を寄せ合った。
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