九話 夢だ! これは夢にちがいない!
有名なファンタジー生物の一つに、ゴブリンがいる。ゴブリンと聞いて何を想像するだろうか? 小さい、弱い、汚い、醜い、人型、というイメージは大体共通するはずだ。あとは人によって、群れを作るとか、繁殖力が高いとか、子供並の知能があるとか、あるいはズル賢いとか、色々オプションがつく。
俺もファンタジー小説や漫画を読み、そういった「典型的な幻獣のイメージ」を学習してきた。ユニコーンは処女厨だし、クラーケンは触手だし、フェニックスは不死で、ミノタウロスは怪力だ。
しかし伊達に十年以上妄想を溜め込んでいない。俺はその一歩先を行っている。
俺達は森の中を歩き、大山脈の麓にやってきた。背の低い植物や地衣類に覆われた山肌から湧き出し、染み出した湧水があちこちで小さな水たまりや池を作り、溢れ出た水が沢になり。その沢がまとまってできた小川が緩やかに蛇行しながら森の奥へ消えていっている。
水気をたっぷり含んだ腐葉土は踏めば柔らかく、その水分が蒸発する際に気化熱で温度を奪うせいで、周辺の空気は日が照っていてもひんやりしていた。川のせせらぎに混ざる小鳥の囀りはいつ聞いても癒される。木陰に漂う人魂達のせいで一気に別の意味のひんやりした雰囲気が出ているが、気にしないのが一番だ。
ニクスが小川の淵の苔むした小岩に恐る恐る足をかけると、岩陰にいたロクショウヒキガエルが水に飛び込んで水面に小さな波紋をつくった。ニクスは感嘆の息を吐いた。
「はぁーっ。すごいね、これ全部ヒプノスが創ったんでしょ? 自然公園みたい」
「国立公園とか自然公園はけっこう行ったからな。このあたりは白神山地を参考にしてる。ブナの原生林だから分かったと思うが」
「え? あ、うん、そ、そうだね、ブナだもんね」
「分からなくてもいいけどな。凄いのはここからですよ。こっち来てくれ」
小川の淵にうつぶせに寝そべって手招きする。隣にニクスがローブの端を抑えてしゃがみこんだを確認して、浅瀬の砂利をかき回すと、小さな生き物がサッと動いた。それを手ですくい取り、ニクスに見せる。
「このスイカの種ぐらいのやつ分かるか?」
「んー、触手みたいなのが生えてるやつ?」
「そうそれ。これがクラーケンの幼生なのさ」
「……え? クラーケンってあの大きいタコみたいな怪物?」
「そう、こいつが育つとそれぐらいデカくなる」
「殺しといた方が良くない?」
おっと、過激な事をおっしゃる。ニクスは気持ち悪そうに覗き込んでいた顔を遠ざけていた。
「十匹二十匹殺しても意味ないな。この小川だけでも数千匹はいるはずだから」
「ひえっ……」
「親クラーケンの雌は繁殖期になると交尾してから川を遡上して産卵するんだ。産卵数は1万から2万。孵化したクラーケンの幼生は川の浅瀬でプランクトンや死骸を食べて成長して、身体の成長に合わせて深みに移動していく。握りこぶしぐらいの大きさになったら共食いを始めて、それを勝ち抜いて50cmぐらいまで大きくなると川を下って湖に行く。自分の身体と同じ大きさまでの動物なら襲いかかるから、湖で暮らして3、4年ぐらいの個体なら人間も襲う。だから海賊映画なんかでたまに居る船を襲うようなクラーケンは何百年も生きてる大物なんだ。獲物は触手で骨を砕いてから丸呑みにして、ゆっくり消化する。消化能力が低くて骨はそのまま排泄されるから水底のクラーケンの巣には動物の骨が山になってて、その入り組んだ骨と未消化物の山を住処にするデトリタス食性の寄生生物とか極彩色のウミウシが、」
「うえぇ」
熱を込めて語ったのだが、ニクスはなんだか吐きそうにしている。
おかしい。ここはリアルで生々しいいかにも現実にありそうな生態に感動するところではないだろうか。せっかく頑張って考えたのに……
「ニクスはクラーケン苦手か」
「触手で喜ぶ女子なんていないよ。ヒプノスがよーく考えて
ううむ。クラーケンの生態は俺が
仕方なくクラーケンの幼生をリリースし、気を取り直して別の幻獣の案内をする事にした。
次は女子が好きそうな可愛い系で行こう。
森の別の場所で、俺達は木の上に登って薄暗い獣道をかれこれ1時間見張っていた。
俺は全然苦にならないのだが、ニクスは早速飽き始めたようで、先ほどからモゾモゾ動いては退屈そうにしている。忍耐が足りない。
「まだ来ないの……?」
「さあ。会えるかどうかは運だから。ユキヒョウの撮影に挑戦してるようなモンだ」
「話違わない? カーバンクル見れるって言ってなかった?」
「見れる『かも』って言ったんだ。あとカーバンクルじゃなくてコミミカーバンクルな」
「コミミでもオオミミでもいいけど」
そう言って暇そうに杖の先で木肌を弄り始める。良くない感じだ。
ここはホストとして何かするべきか。こうして腰を据えて待ち伏せするのもコミミカーバンクルという幻獣を紹介するための重要な要素だと俺は思うが、つまらないと思われるのも癪だ。
「先にコミミカーバンクルの姿とか生態とか聞く気はあるか」
「カーバンクルってアレでしょ? おでこに宝石ついてて、ヒーリングパワー持ってて、イタチみたいな」
「大体そうだが、かなり俺の妄想を反映してるから色々追加要素がある。まず見た目はイタチより狐に近い。体毛は主に暗緑色から若草色で、これは生息環境によって異なる。要するに森林とか草原に対する保護色だな。コミミカーバンクルはカーバンクル属の中でも小型の種で、癒しの魔法を使えるんだが、自衛能力が無い。だから戦闘能力が高い幻獣と共生して、護衛してもらう代わりに癒しの力を提供してる。毛皮は柔らかくしなやかで、例えば狼あたりと共生していた場合枕にされる事もある」
「なにそれ和む。えー、いいな、すっごいもふもふしてそう。見つけたら抱っこしていい?」
「コミミカーバンクルは俺の物じゃないから許可はいらない。が、オススメはしない。迂闊にカーバンクルに近づくと癒し手を奪いに来たと思われて護衛の獣に八つ裂きにされる」
「ひえっ……」
それから、コミミカーバンクルのマーキング、死骸に生える特有の菌糸類、糞の見分け方まで詳しく解説したのだが、どうもニクスの反応が芳しくない。なぜだ。
一通り話を聞いたニクスはぐったりして言った。
「ごめんなさい。ファンタジーな生き物ってもっとファンタジーだと思ってました。リアルさが、もう、もう……!」
「あ~、やっぱ作り物の臭いしちゃうか。クオリティは高めても結局妄想の産物だからなあ」
「逆、逆。リアル過ぎて正直引く。こんな話聞かされたら夢壊れるよ」
「そ、そうか?」
「カーバンクルのシモの話とかさ。現実に生きてるならそういう話が無い方がおかしいっていうのは分かるよ? でもそこまで詳しく設定する必要ある?」
「ある。排泄と交尾の話抜いて生態は語れないだろ」
「んんんんん、理屈は分かる、分かるけど……!」
頭を抱えてしまった。何を悩んでいるのか分からなかったので詳しく聞いてみると、要するに「アイドルはウンコしないというイメージをぶち壊された」という事らしい。
現実的に考えてそんな事は有り得ないが、そういう幻想を持っていて、その幻想を壊されてげんなりしてしまった、と。
意外と夢見がちな一面もあるようだ。どんな姿にもなれるはずなのにローブ&杖&ピンク髪の魔女っ子スタイルをしている時点でファンタジー脳なのは分かっていたが。
ああそうだ、魔女っ子で思い出した。
「話変わるがニクスが
「何って、呪文だけど?」
心底不思議そうにニクスは首を傾げた。
いや、たぶん呪文だろうな、というのは俺も察しがついている。問題はそこではない。
「
「いや、詠唱しなくても
「呪文唱えるとMP消費が軽減できるとか? あ、いやそうか、言葉を口に出してイメージを補強してるのか」
「そんな事無いよ。詠唱しなくても結果は変わらない」
「ん?」
「え?」
こいつは一体何を言っているんだ。
「結果が同じならどうして詠唱してるんだ? 杖は?」
「だって魔法に杖と呪文は必要に決まってるでしょ」
「……つまりただの雰囲気作り?」
「魔法儀式って呼んで欲しいね。様式はカバラとかゾロアスターとかごちゃ混ぜだけど」
そう言ってニクスは肩をすくめた。
お、おう。なんだそれ、反応に困る。☆魔女っ子☆ かと思っていたが出てきた名前が割とガチっぽいぞ。
これはどう返せばいいんだ? かわいいね! とか? 女子と話して困ったらとりあえず容姿褒めとけって長宗我部も言ってたし……いや駄目だアイツ半年女子と話してないんだった。こんなに信用できないアドバイスもない。
「変わった趣味してるな」
「人の事言えないよね」
思わず本音を漏らすとバッサリ切られた。
せやな。どっちもどっちだ。
なんでもできる(なんでもできるとは言っていない)世界に来たらそりゃまあ内なる欲望を爆発させるよなって話で。趣味に走るのはある意味当然と言える。
「いいでしょ、別にヒプノスに迷惑かけてないんだから。呪文も儀式もなしで創造して喜んでる
「そ、そこまで?」
「そこまでなんです。ヒプノスは自覚ないかも知れないけど。例えばそうだね、
「んんん? そう、なのか?」
言ってる事は正しい……? 何か論点のすり替えが起きている気がしないでもないが。
悩んでいると、ニクスが話を戻してきた。
「それでまだカーバンクルは来ないの? このままこうやって話してるのもいいけど、それならテーブルとか椅子用意したい。何も通らない獣道ずっと見ててもねぇ」
「さっきも言ったが会えるかどうかは運だからな、こういう事もある。しかし何も通らないのは確かに少し変だな。けっこう頻繁に使われてる獣道のはずなんだが」
獣道は、獣が頻繁に通るから道になった道だ。使われない獣道はすぐに森に呑まれて消えていく。今俺達が見ている獣道には真新しい足跡や糞があった。コミミカーバンクルが通らないにせよ、何かしら獣が通っても良さそうなものだが。視界の端であいかわらず
ふむ。
「こっちから探しに行くか。けっこう歩く事になると思うが」
「おっけー」
俺が座っていた木の枝から飛び降りると、ニクスもローブが捲れないように抑えて飛び降りた。道に残された足跡を追跡し、獣道を辿り始める。
ニクスは獣の足跡を辿れないなどとまるで野生の本能を失った二足歩行哺乳類のような事を言い出したので、俺の後についてくるだけだ。これだから人間は。
「あちこち連れ回して悪いな」
「エスコートするならもうちょっと計画立ててもらいたかったけど……まあいいよ、
「そうか?」
「普通草原しかないからね」
「そういえばそうだった」
「自覚薄いね。これだけの森を
「それは断る」
ぐだぐだ話しながら森をうろつく。まさか長宗我部以外の奴と一緒に森で獣を追う事になるとは、人生は分からないものだ。そもそもこうして
獣の痕跡を追っていた俺は、ふと焦げ臭い異臭に気付いた。街中ならとにかく、こんな深い森の中では奇異な臭いだ。このあたりにサラマンダーやフェニックスなど炎系の幻獣は生息していないはず。となると……ドラゴンか。
俺は振り返り、唇に人差し指を当てて静かに、と合図した。獣道を逸れ、臭いを頼りにそろりそろりの異臭の元へ向かう。
果たして、そこにあったのは荒らされた獣の巣だった。焼け焦げた地面に染み込んだ真新しい血痕。焦げ臭さと、むせ返るような血の臭い。巣の残骸と思しき木の枝が無残に踏み砕かれ、散乱していた。
「うっ」
背後でニクスのうめき声が聞こえる。確かにあまり楽しい光景ではないだろう。しかし実際のところ、家畜を数頭解体すればこの程度慣れるものだ。
俺はここで何が起きたのか、調査を開始した。現場に残された足跡、落ちた毛、熱、爪痕。
一通り調べた結果、カーバンクルとそれに共生していたルーン熊がドラゴンに襲われ、捕食されたという結論に至った。事件からまだ間もない。獣道に何も通らなかったのは、ドラゴンに怯えて既に逃げ去った後だったからか。
それに――――
四つん這いになって地面に耳を当てると、何か巨大なモノが歩く微かな振動を感じた。ドラゴンは段々と遠ざかっているようだ。
しかし、これは。耳を澄ますと、遠くから何かの断末魔が聞こえた。
「すまんニクス、ガッカリさせて悪いが幻獣ツアーは中断だ」
「やっぱりこれ、カーバンクル食べられちゃった?」
「俺の予想が確かなら、コミミカーバンクルだけの話で終わらない。忙しくなりそうだ。結局引っ張り回しただけで悪いが、もう帰っていいぞ」
「いや帰っていいって言われても……着いてっていいなら着いてくよ。ボスから森の調査しろって言われてるし」
「死ぬかも知れんが」
一応警告すると、ニクスは首を傾げた後、さっと顔色を変えた。
「……もしかしてドラゴン?」
「ドラゴン」
「つ、着いてくよ」
声が震えていたが、着いてくるというなら構わない。俺はドラゴンの追跡を開始した。
ドラゴンの足跡は深く地面に残り分かりやすく、注意すれば音や振動も拾える。巨体が通りなぎ倒され折られた木々もある。追跡技能がなくても追えるだろう。
巨大なドラゴンの足跡を辿れば、すぐ近くにまた別の惨劇の跡があった。今度は狼の群れがやられたようだ。そこから更にドラゴンの足跡は続いている。
その跡を辿れば、また捕食と蹂躙の痕跡が。そこから続く跡を辿っていくと、また、また、また……
ドラゴンは昨日俺が創造した妖怪馬を捕食していた。そして今日、コミミカーバンクルとルーン熊も食われた。狼も食われた。恐らく、俺が知らないだけで、他の幻獣も多くがドラゴンの餌食になっているだろう。
捕食されてドラゴンの腹に収まった幻獣は、
否。
幾つもの血の跡を辿り、木々の間からドラゴンが見える場所まで近づいた。ドラゴンは立ち上がり両手を振り上げ威嚇するルーン熊を尻尾の一撃で易々と叩き潰し、美味そうに貪っている。2mはある肉の塊をほんの数口で食べ終わったドラゴンは、舌なめずりをすると更に森の奥へ向かっていく。あれだけ喰って、まだ喰い足りないのか。
「こ、こわ……ヒプノスはほんとなんであんなの創っちゃったの」
木の後ろに隠れて顔だけ出し様子を伺っていたニクスが、足をガクガク震わせながら言った。
全力で反論したいところだが、今ばかりはニクスの気持ちも少し分かった。
ドラゴンの暴れぶりが予想を超えている。奴は文字通り霞を喰って生きられるはずなのだが、肉の味がお気に召したらしい。
このままでは生態系の循環と均衡が崩れ、生命の無い死の森になってしまう。森すら焼き尽くされるかも知れない。
絶対強者の暴食による、生態系崩壊の危機だ。
やばい。
俺が創った幻獣に俺が創った楽園を壊される!
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