11話 ドラゴンには勝てなかったよ…
「すまん、待ったか」
「ううん、今来たとこ……ごめん言ってみたかっただけ」
自分で言った定番の台詞に照れて頬をかくニクスに不覚にもドキッとした。
馬鹿な。ホモ・サピエンスにドキドキするような正常な感性が俺にあったのか? イメチェンしたとか? 目を複眼に変えたりちょっと胸に気嚢詰めてみたり。じろじろ見てみたが、昨日との違いは分からない。
……まあいいか。そんな事よりドラゴンだ。
「俺も色々考えたんだけどな、ドラゴンを
現実世界は俺が
しかしこの名案はニクスに全力で却下された。
「いやさせないしできないからね? あんなの現実に送ったら第三次世界大戦起こるから。あと
「
「
なんだ、
「ニクスは何か考えてきたのか」
「うーん、これっていうのはないんだけど。一度消すっていうか吸収して安全装置組み込んで
「却下」
「ですよね。知ってた」
「ドラゴンは俺のMPのほとんどを持っていったから、俺より圧倒的に強い。仮に
「うぐ」
「第二案がある。ちょうそ……
「おー、いいんじゃない?」
「問題になるのはドラゴンが満足できる量を用意できるかで」
改めて話し合った結果、もう少し情報を集めよう、という事になった。
ドラゴンは空腹だから食べているのか? 殺す事そのものが目的なのか? 一日どれぐらい食べているのか? 交渉は可能なのか? もっと情報を集めないとどうにもならない。案外、ドラゴンが暴食に飽きて自分からやめるかも知れない。
ドラゴンの影を警戒しながら森に入って調査を始め、すぐ分かったのは森の獣の少なさだった。
何本もの獣道で草木の侵食が始まっていて、空っぽの巣が幾つもあった。腐葉土に染み込んで固まった赤黒い血の跡。動物の鳴き声はほとんど聞こえず、木まで葉擦れさえ控えて息を潜めているようだった。森が、風までもが、ドラゴンに怯えている。
歩いていても全然獣と遭遇しないし、見つけてもすぐに逃げていく。ほとんどは姿さえ見せず気配が遠ざかるのを感じるだけだ。
予想以上に被害は深刻だった。どれほどの勢いで捕食しているというのだろうか。一週間も経たずに森から動物が消え去りそうだ。
「空腹が原因とは思えない」
数時間歩き回り、まず俺はそう結論を出した。ニクスも頷く。
「それは私でも分かるよ。明らかに自分の体積以上の肉を食べてる」
そもそもその気になれば霞を喰って生きていけるドラゴンが、ここまで苛烈な捕食を繰り返すだけの空腹を覚えるというのが有り得ない。
「あと美味しいものが食べたいからとか、そういう理由はなさそう」
「なぜ?」
「だってあんなの絶対不味いでしょ」
そう言って、ニクスは顔を背けながら少し離れた木の根元に転がっているゴブリンの食いカスを指さした。死後半日も経っていないにも関わらず、既に異臭がしている。もっとも、その異臭は生きていた時からしていたものだが。
「まあゴブリン肉は旨くはないな。臭うし」
「それとドラゴンはヒプノスが色々創造できる事知ってるんだから、グルメ目的だったら真っ先にヒプノス捕まえて美味しいもの創らせると思うんだよね」
「なるほど」
「殺すのが目的っていうのも無いんじゃないかな」
「ああ、喰うより叩き潰すか焼くかいた方が楽だからな。殺すのが目的なら今まで見た幻獣が一匹残らず食われてるのはおかしい」
そこでまた沈黙が降りる。
なぜドラゴンは楽園の幻獣を食い荒らしているのだろう。気まぐれといったらそれまでだが。
「ドラゴンに聞いてみたら? どうして暴飲暴食してるんですかって」
「い、いっやぁ、それはなあ」
絶対問答無用で殺されるやつだろう。今までドラゴンと会話のキャッチボールが成り立った事なんてほぼないぞ。だいたいいつもドッジボールだ。
しかし他に情報収集手段も無いので、一度聞いてみる事にした。交渉の余地が無いとも限らなくもなくはないかも知れない。
今も広大な山脈か森のどこかで暴れているであろうドラゴンは見つけるだけでかなりの手間だ。俺が警察犬を十匹ほど
二、三時間待つとニクスが持っていた受信機から警察犬の反応が消えたため、現場に急行する。俺達が到着した時には既にドラゴンは移動していたが、遠く離れてもいなかったので、供物を
俺が
対してニクスが
「どうして加工済みなんだ? いや文句つけるわけじゃあないが」
割とガチっぽい魔女ニクスの事だから、黒魔術の生贄に使うような羊でも
単純に疑問で聞いたのだが、ニクスは恥ずかしそうに杖を弄りながら驚くような事を言った。
「えっと、生きてる牛とか羊は生で見た事なくて
「なん……だと……!?」
すごいな。この世にそんな人間が存在するのか!?
「豚は? 鶏は?」
「それも両方見た事ない」
「マジか。それでよく今まで生きてこれたな!」
「そ、そこまで? 街中に住んでたら見る機会なくない?」
「いや屠殺場で見るだろ」
「屠殺場に行く機会はもっとないんじゃないかな……」
下らない話をしていたらドラゴンが遠ざかっていきそうだったので、慌てて生贄達をまとめて連れて行き、ドラゴンと御対面。
「ドラゴン様、御機嫌麗しゅう。今日は些細な質問をさせていただきたく、生贄を持って参りました。お納め下さい」
「……ふん」
ドラゴンは生贄を差し出し平伏する俺達を見ると、火の粉の混ざった鼻息をもらし、手始めに牛を食い、羊を食い、精肉を食い、
……俺達も食った。
もちろん会話は成り立たなかった。
やっぱりな(諦め)。
生贄も対話も無理と分かった俺達は、強硬策に切り替えた。
それから毎晩毎晩、手を変え品を変え、ドラゴンの蹂躙を止めようとしたが、尽く失敗に終わる。
幻獣を説得し、森から逃がそうとしても。
「だからここにいるとドラゴンに食われるんだ。ほとぼりが冷めるまででいいから草原の方に避難してくれないか? ユニコーンは草と水で生きていけるだろ」
「黙れ男」
「……ニクス、頼んだ」
「ユニコーンさん、私からもお願いします。少しの間でいいんです。あなたのような美しい方と会えなくなってしまったら、私は悲しいです」
「そうは言うがね、お嬢さん。私にも縄張りというものがあるのだよ。縄張りにやってきた君のようなお嬢さんを守り慈しみ、隣に居るような薄汚い野郎を蹴飛ばして排除する義務がある」
「……ねえちょっとヒプノス、幻獣ってみんなヒプノスに当たりキツくない? なんでこんな感じにしたの? Mなの?」
「俺を特別扱いしないように
「ところでお嬢さん、この後良ければ私の背に乗って遠乗りでもどうかな? 君に似合う美しい泉を知っているのだが」
「えーっと、すみません、お誘いは有難いですが、今日は遠慮します。ヒプノスと他の幻獣のところに行かないといけなくて」
「そうか、残念だ。ふん!」
「げぶぁっ!?」
「ヒ、ヒプノスー! 大丈夫!? 凄い音したけど!?」
「うぐ……思いっきり腹に蹄入った。鱗が無かったら即死だった。くそっ、もう助けてやらん! ばーか!」
ダメ元の封印作戦も。
「来てる来てる来てる! ドラゴン来てる! 早く出せ! 檻出せ!」
「陰鬱なる谷に棲まう異界の狩人よ、我を見るな。どす黒い邪悪なる言葉に染まり、不浄なる不道徳に満ちたる、行く手に広がりたる支配者よ、我を聴くな。我が方へ来るな、待ち構えし飢えたる魔龍よ。我が在りし時、忘却と混乱を覚えるがよい。汝の汚らわしい饗宴は内なる世界で満たすがよい。そして、永遠に汝を縛りし我が呪いに諾々と従え――――」
「その詠唱必要? 今必要? いいから無詠唱でやれよ!」
「我が技を見よ、我がかぎゃ、かぎ、鍵を……あーもーうるさい! 噛んじゃったでしょ! あのね、様式を失った大魔法なんて大魔法じゃないから! ヒプノスだって詠唱破棄でちょこっと撃った魔法でドラゴン封印されたら納得いかないでしょ?」
「くそっ、ちょっと分かる!」
「分かったら黙っきゃあああああああああああ!」
「ぐあああああああああああああああああああ!」
何一つ成果は出ず、幻獣を一匹守る事すらできなかった。
このドラゴンの圧倒的な力! とても人間如きが叶う存在ではない。
しかし逆らうのをやめる事はできない。毎晩殺されて飛び起きるせいで寝不足でフラフラになっても、俺の楽園を守るべく森と山脈と湖岸を駆け回った。俺の気のせいでなければ、ニクスも途中からただ俺の手助けをしているだけではなく、この夢の世界でしか有り得ない奇跡の楽園を守りたいと思ってくれるようになっている。
勝てなくても、勝てないと分かっていても、負けられなかった。
それから三日経ち、四日経ち、五日経ち。
一週間が経つ頃、俺達は妙な事に気付いた。
どうあがいても減る一方で、一度は一匹残らず死に絶えてしまったのではないかとすら危惧した幻獣達が、戻り始めている。ドラゴンの捕食も止まっていた。
しつこい抵抗の成果がついに実ったのだろうか?
いや、ドラゴンは俺達の抵抗をほとんど歯牙にもかけていなかった。ではなぜ?
「ドラゴンが食べるのに飽きて、隠れてた幻獣が出てきたとか」
連日連夜の戦いに怠そうに額を揉みながら、ニクスが推測を口にした。
それはもっともらしい理由だったが、何か違和感があった。何がおかしいかは自分でも分からないが、何かおかしい。再び楽園に満ち始めた幻獣達を見ているとそんな感情が沸き上がってくる。
「何か変じゃないか」
「何が?」
「何かが」
「ええ? そんな事言われても。何かが変……?」
二人揃って首を捻るが何も分からなかった。俺達が何かするまでもなく、勝手に事件が起こり、勝手に解決が向かっているように思える。
ドラゴンの捕食が止まり、幻獣が戻り始めたのは嬉しいが、それは俺達の成果ではない。釈然としないのは、結局俺達の努力が空回りしていたからなのだろうか?
疑問が解消されたのは、ドラゴンの捕食が止まって三日後、すっかり事件の前と同じだけの幻獣が戻ってからだった。長く間を開けた幻獣ツアーを再開しようか、と話している俺達の前に、「気がついたら目の前にいた」というレベルのとんでもないスピードでやってきたドラゴンが現れてからだった。
確実にソニックブームで周囲一帯をなぎ倒すスピードの割に音も風もなく着地するという地味に物理を無視した離れ業をやってのけたドラゴンは、杖を構えて警戒するニクスを見て機嫌が良さそう笑った。詠唱の隙を突かれて何度も殺されておきながら、まだ詠唱スタイルを続けるニクスも相当の変人だ。
「そう構えずとも良い。今日は貴様を喰うつもりはない。話があるのはヒプノスだ」
「俺?」
驚いて聞き返すと、ドラゴンは飛び切り馬鹿なゴブリンを見るような目で俺を蔑んだ。
「貴様以外にヒプノスがいるのか? 愚鈍にも程があるぞ」
「す、すみません。馬鹿ですみません」
「ふむ。貴様の愚かさを許そう。我は今、機嫌が良い」
そう言ってドラゴンは尻尾を揺らし、地面を打つ。軽い地震が起き、付近一帯の木々から枝や虫がバラバラと落ちる音がした。機嫌が良くなっただけで軽い災害が起きるドラゴンは間違いなく最強。
その最強が俺に何の用なのか。ドラゴンにとって俺は創造主ではあるが、力量的には完全に逆転していて、取るに足りない搾りカスのはずなのだが。
「我が幻獣を喰らっていた理由が分かるか?」
ドラゴンは太陽と黄金を混ぜ込んだような金の瞳で俺を見、聞いてきた。
ここで首を横に振ったらまた馬鹿にされる気がするが、分からないものは分からない。
「いいえ」
「ふ、分かっていて邪魔をしようとしていたのではないのか。これはとんだ喜劇だな。よいか、我は一度、貴様が
「そんな、まさか」
反応したのは俺ではなかった。ニクスの呟きを拾い、ドラゴンは顔をニクスに向けた。
「何がおかしい? 人間」
「あなたはヒプノスが
「下らん疑問だ。我は
ニクスは絶句した。
俺も絶句した。
確かにドラゴンには俺の全てを与えたが、そんなところまで。イチイチあれをあげよう、これをあげよう、と選別せずにありったけの全てを渡していたから、
どうしよう。神話クラスの
ドラゴンは挑発的に牙を剥き出して続けた。
「つまりだ、この楽園の幻獣の全ては貴様の創造物ではなく、我の創造物となった、という事だ。全ての幻獣は我の意思一つでどうにでもなる。貴様は最早創造主ではない。我が、他でもない、このドラゴンが! 名実共に支配者となったのだ! どんな気分だ? 創造主の座から引き摺り下ろされた気分は? 力を注ぎ込み創造した全てを奪われた気分は? 言ってみろ!」
俺の心を貪るように覗き混んでくるドラゴンの愉悦を帯びた目線に、俺は震えた。
「――――素晴らしい!」
その一言だった。
まず発想が素晴らしい。俺は現実に肉体を持っている。ドラゴンは俺を殺しきる事はできない。
それに他者の最高の財宝を力づくで奪うその性癖、その姿勢! ついでに俺を慌てさせ弄ぶ悪辣さ!
全てが震えるほど素晴らしい! これがドラゴンだ! 大地や街をひたすら破壊して回るだけの脳筋ドラゴンでもなく! 勇者を優しく導き教えるような甘ったれたドラゴンでもなく! これがドラゴン! 俺の想像を超える、俺の理想のドラゴン!
胸が熱くなり、涙が出てきた。独り立ちした息子を見る親はこんな気分なのだろうか。自分の消滅に諦め、弱気になっていたあのドラゴンが立派になって……!
涙を拭いながら何度も頷く俺にニクスは唖然としていた。ボッコボコにされて喜んでいるのだからドン引きするのも分かるが分かって欲しい。これを喜ばずに何を喜ぶのか。
一方、ドラゴンは手放しの賞賛にあからさまに不満そうだった。上機嫌に揺れていた尻尾が不機嫌そうにうねっている。
「……そうか」
ドラゴンは一言だけ言い、鳴動する火山のような危険な唸り声を上げる。
俺は生存本能に従って全力で飛び下がったが、ドラゴンは俺を睨んだだけで、珍しく何もせず飛び去っていった。
ドラゴンが空の彼方で点になり、霞んで見えなくなってからニクスが寄ってきて言った。
「あれって悔しがって欲しかったんじゃない?」
「ああ、俺もそんな気はしてた」
「わざわざ報告に来て種明かししてヒプノスの言葉欲しがるなんて、ドラゴンにも可愛いところ……可愛くはないかな。タチ悪いよ」
「それがドラゴンだからな」
俺が深々と頷くと、ニクスはこれはもう手遅れだと言わんばかりに首を横に振っていた。
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