第13話
「彼はどこに行ったのかしら?」
「ま、待ってください……。もう、ダメ……」
「だらしないわね。そんなことでは立派な召喚術師にはなれないわよ」
人の波をかき分け走ってきて、シエラは肩で大きく息をしていた。ティナのほうはいつもどおりのクールな感じで、疲れなど微塵もないといった様子だった。
「べ、ベレスフォードさんって意外と体力あるんですね」
「そう? このくらい普通だと思うけど」
さすがは名家というだけあって、召喚術師の技能以外にも身体面の鍛錬も怠らないということだろう。
「それでどこに行ったか分かるかしら?」
「さすがにそこまでは……。ショッピングモール方面だとは思うんですけど」
そう言って、ふたりはその方角を向く。
一瞬、我が目を疑った。そんなことは起きるはずがないという先入観が現実を現実として受け入れることを拒否していた。
ショッピングモール上空に禍々しい黒い光を放つ門。本来なら結界内で開かれることのない門がなぜ出現しているのか。その一切は分からないが、少なくとも門の真下――ショッピングモールでは幻獣が門を潜ってこちらの世界に侵入しているはずだ。中には人に危害を加える幻獣もいるかもしれない。早く手を打たなければ大変なことになる。
「シエラさん。急ぎましょう」
「うん。でも……颯人くんたち大丈夫かな……」
「彼らなら心配はいらないわ。私のフレクリザードを倒した守護獣がいるんですから。むしろ、勝手にくたばられたら、無理やりにでも叩き起こしてやるわ」
「……そうだね。私たちは私たちがやれることをしなきゃ」
行き交う人々も異変に気づき始めてきた。手遅れになる前にふたりは急ぎ足で門の真下へと向かった。
人々が逃げ去り、閑散とした場所で颯人と雪花は幻獣と対峙していた。
誰が幻獣を召喚したのか、それとも本当に結界内で門が開くという前代未聞の事態が起こってしまったのか。そのどちらにしても、周囲にはこちらに害意を抱く幻獣がいるという予断を許さない状況だった。
「ケルベロスに、マンイーターまで……。いったいどうして……」
三つ首の逆立った漆黒の毛を持つ狂気の番犬と血走った赤い目を鋭く光らせるグリズリーのような体躯の人喰い獣。教本でしか見たことのない猛獣だ。視線を外すことは許されず、颯人の頬から汗がぽつりと落ちる。
突然現れたふたりのことを警戒しているのか、ケルベロスとマンイーターはこちらをじっと睨みつけたまま微動だにしない。その口からは今も鮮血が滴り落ちている。
緊迫した状況のはずなのに、そこには静寂が横たわっていた。
――俺なんかが勝てるのか?
不意にそんな言葉が脳内で反芻する。
ケルベロスとマンイーターは気性が荒く、戦闘能力も高い。そのため、契約することが困難な幻獣のひとつとしてカテゴライズされている。マンイーターに至ってはその名が示すとおり、人を好んで襲うことから人が食い殺される事例が何件も報告されている危険な幻獣だった。
そんな危険な二匹の幻獣を前にして颯人は動けなかった。自分は今まで幻獣を召喚できず、落ちこぼれと言われつづけてきた。実戦経験など皆無だ。そんな自分の目の前に教本でしか見たことがない幻獣がいる。それもこちらの命を狙っている。加えて、結界内で門が開くという前代未聞の状況とただ純粋な恐怖によって、颯人の思考は鎖にがんじがらめにされたように自由を奪われていた。
――グルルルゥ……。
ケルベロスが不気味な唸り声を上げる。まるで地獄から響いているようだ。
直後、猪突猛進のごとく颯人の首元を目がけて飛びかかる。鋭利な歯が光る。あんなものに噛みつかれたら最後、死ぬまで離すことはないだろう。
距離が縮まり、迫る。迫る。――迫る。
残り一メートルを切ったとき。ケルベロスが見えなくなる。同時に聞こえる少女の痛々しい声。その声に颯人は我に返った。
「――雪花ッ!」
肩を噛まれると同時に、二本の小太刀のうち一本がケルベロスの胴体を貫いていた。燃え尽きたあとの灰燼のようになったケルベロスだったソレは霧散する。一撃で葬られたケルベロスを見て、マンイーターは警戒を強める。
「……怯えてんじゃないわよ」
こちらの出方を窺っているマンイーターを視界に捉えながら雪花は言う。
「守護獣であるアタシにはアンタの考えていることも感情も、何となくだけど感じる。……今までのことを忘れて、なんて言わない。けど、今はアンタの守護獣を信じて。その信頼がアタシの力になるから」
その言葉にハッとする。そうだ。もうひとりではないのだ。今は小さくとも、強い芯を持った頼れる相棒(パートナー)が隣にいる。何も恐れることはない。ただ隣にいてくれる相棒を信じればいいのだ。
「……そうだよな。怯える必要なんてない。今は雪花がいるんだから」
「やっと、良い顔つきになったじゃない。たく、世話が焼けるんだから」
「はは。面目ないね」
軽く頭をかいて颯人が苦笑する。
「さて」
ピリっと雪花の纏う雰囲気が切り替わる。眼光は鋭さを増し、釘のように突き刺さる。雪花の雰囲気に気圧されているのか、マンイーターは二の足を踏んでいるように見える。
「向こうは警戒しているのか知らないけど、攻めてはこないみたいだから、先手必勝ならチャンスよ」
「そうだね。でも真正面からでいける?」
高い戦闘能力と残虐性を合わせ持つマンイーターとは、背後から奇襲をかけるなど、真正面からぶつかり合わないことが召喚術師の間での鉄則となっている。まともに真正面から突っ込めばその膂力の餌食にになってしまうからだ。
本来なら、囮を使って背後に回り込むのがベストだが、こちらには雪花しかいない。そうなると、おのずと真正面から叩くしか方法はない。
「俺が囮になれればいいけど……」
「それはダメ。アンタがやられたら、元も子もないじゃない。それに……」
そこから先の言葉には雪花の自信が溢れていた。
「アタシがマンイーターを上回ればいいだけの話でしょ?」
きっぱりと言い放つ雪花を見て颯人は思わず吹き出してしまう。そうだった。この少女はこういう奴なのだ。思えば、初めて少女の戦いを見たときもそうだった。いっけんなんの根拠もなさそうな自信のようであっても、この少女はやってのけたのだ。そのときも自分はただ少女を信じていた。なら、いま自分にできることも決まっている。
「……そうだね。雪花なら絶対に勝てる。信じてる」
「当然よ」
言い終えると同時にガッと地を蹴って雪花が飛び出した。弾丸のごとく距離を詰めて、小太刀の冴えた一振りがマンイーターに襲いかかる。
が、そこは危険視されている幻獣。ただで倒されてくれるわけはなく、皮膚を硬化させて腕でその一振りを受け止める。そのまま並外れた膂力に任せるまま、雪花を弾き飛ばす。
視界から雪花が消える。どこかの店内に衝撃のなすがままに突っ込んだのだろう。
やっと邪魔者が消えたと言わんばかりに、マンイーターの血走った目がギョロリとこちらのほうを見やる。一瞬、背筋に冷たいものが走る。だが、すぐにそれを振り払う。怖じ気ついている場合ではない。付与魔術の構えを取る。召喚術師が一般人より秀でている部分は幻獣に対して対抗策になる付与魔術を使えることだ。契約済みの守護獣には主以外からの付与魔術は効果がないが、ただの幻獣はその限りではない。守護獣がいないときでも、付与魔術の勉強はそれなりしてきたつもりだ。今はもうひとりじゃない。こんな所でくたばるわけにはいかない。
「悪いね。俺たち人間も一方的にやられるつもりはないんだ」
飛びかかってくるマンイーターの自由を封じる。肢体を激しく暴れさせ、必死にもがいている。これでしばらくは時間を稼げるはずだ。その間に雪花を見つける算段だった。
付与魔術は通常よりマナを使うので守護獣に供給するマナを減らしてしまう。確実に仕留められる場面で使うのがベストだったが、さきほどのことは致し方ないことだろう。ならば、その分有効活用するのが最善の選択だ。少しでも無駄にしないよう急ぎ足で雪花を探す。
「容赦ないわね……」
がらんどうとなった店から雪花が出てくる。見た限り、浅い傷はあるものの致命傷となる傷はなく、安心しホッと一息つく。
「あの化け物は?」
「いまは付与魔術で拘束してるけど、あの様子だと長くは持たない。もうすぐ動き出すと思う」
そう聞いて雪花は少し肩を落とす。
「そう。あの膂力に皮膚の硬質化……。相手にとって不足なしだけど厄介ね。どうしても決めてに欠けちゃう」
今の状況を打開するには、マンイーターを仮に倒せずとも、行動不能になるまでの致命傷を与える必要がある。だが、先のように硬質化の能力はそれを妨げる。雪花の冴えた一振りでさえ軽々と受け止め、弾き飛ばしてしまう。ここままの状況ではジリ貧になるのは目に見えていた。
「なら、俺の付与魔術で火力を底上げするよ」
考え込む雪花に颯人が提案する。
「……そうね。それでどれだけ渡り合えるようになるか分からないけど、何もしないよりマシね。ていうか、それなら最初から使いなさいよ」
唇を尖らせながら言う雪花に颯人は苦笑する。
「はは、そういえばそうだね。付与魔術はマナを消費するから、決め手として使いたかったんだけど……今は出し惜しみしてる場合じゃない。こっちも全力をぶつけないと、あいつには勝てない」
ドシンと地震のように床を振動させる音が聞こえてくる。どうやら自由を取り戻してしまったようだ。
「大将のお出ましね。宜しく頼むわよ。相棒」
「もちろんさ」
互いが互いにやるべきことを認識し、そして共有し合う。召喚術師と守護獣という関係性において、もっとも大切なことだ。
(相棒、か……)
雪花に言われた言葉が頭の中で反芻する。そして、おもむろに狐を象った盟約印を見る。
――もうひとりじゃない。
さきほどから何度も思ったことだが、手の甲にある盟約印が一番それを実感させてくれる。
害意のある幻獣との戦闘は初めてのことだが自然と恐れはなかった。それ以上に隣に守護獣がいる喜びと少しばかりの高揚感が曇りのない蒼天のように思考を明瞭にしてくれていた。
双眸に殺意を抱く化け物が再び立ち塞がる。先の一戦でマンイーターは警戒をよりいっそう強めるだろう。それに比例して攻撃も苛烈になるはずだ。決して楽な戦いではない。
だが、こちらとて怯むわけにはいかない。自分と互いを守るために。
マンイーターの唸り声が号砲となって、再戦の幕は切って落とされた。
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