第30話

「落ち着いて避難してください!」

 幻獣が大量出現から数時間後。シエラは召喚術師連合からの要請もあり、市民の避難誘導に当たっていた。すでに二箇所の避難誘導を終えて、現在は三箇所になる。

「ここの地区はこれで全員っと……」

 無事に避難を終えて、ホッと息をつくと額に滲んだ汗を拭う。

 学生のうちからよもや前線に出て活動にすることになるとはシエラ自身思ってはおらず、話が来たときには不安で仕方なかった。だが、助けを求めている人たちを見捨てることなど到底できるわけがなく、こうして活動することを決意した。

 とはいえ、完全に不安を払拭していたこともなく、疲れが押し寄せてきたのはきっと緊張していた証しだろう。

「ありがとね、ウンディーネ」

 シエラに労いの言葉をかけられて、ウンディーネは喜びを表すように宙を舞う。その姿をシエラは微笑みながら見つめる。

 ウンディーネの氷を作り出す能力は避難誘導において、その有用性を遺憾なく発揮した。幻獣からの視線を遮るのはもちろんのこと、攻撃をされた際にも一時しのぎとはいえ、防ぐ壁になる。このおかげで避難誘導は問題なく完遂することができたのだ。

「颯人くんは大丈夫かな……」

 課せられた任務を遂行し余裕が生まれたのか、ふとそんなことが頭に浮かぶ。そういえば、連絡はきていない。ティナが助けに行ったというのは本人から聞いている。ティナがいれば、心配するようなことにはならないと思うが、気にならないといえば嘘になる。

 連絡してみるべきだろうか。だが、なにかあればこちらから連絡するとも言っていた。連絡をよこす暇すらない可能性もあるが、気にし始めていたらキリがないだろう。

「ふたりならきっと大丈夫だと思うし、私は私のやるべきことをしないと」

 避難誘導を終えたとはいえ、この大混乱が治ったわけではない。幻獣の攻撃も終わることはないだろう。今もっとも大切なのは各人ができることをするということだ。颯人やティナのことは心配ではあるが、そこは彼らを信じ自分の為すべきこと為すのが今できる最善だろう。

「私も頑張らないと!」

 シエラがそう意気込んだ矢先のことである。

 ものすごいスピードでなにかが道路を目がけて突っ込み、そのまま地を擦りながら滑っていった。しばらくして粉塵が霧散して明らかになった落下物の正体はシエラのよく知る存在だった。

「ふ、フレクリザード……?」

 地に伏してしたのは巨躯を持つ赤竜――フレクリザードだった。身体の表面には怪我が目立ち、翼にかなり大きなダメージを負っているようにみえる。それが落下した原因だろう。

「シエラ」

 シエラが驚いた様子でフレクリザードを見ていると、上のほうから聞き慣れた声が聞こえてきた。

「颯人くんにベレスフォードさん?」

 フレクリザードの上には颯人とティナが乗っていた。どうやら颯人の救出そのものは成功したようで、シエラは胸を撫で下ろした。

 ふたりがフレクリザードから降りる。

「いったいなにがあったの?」

 心配そうにフレクリザードを見ながら尋ねる。

「雪花がいそうな場所に当たりをつけて向かってて、その途中で幻獣に襲われたんだ」

 答えたのは颯人だった。ティナはフレクリザードのことが気が気でないようで、シエラの話は全く耳に入っていないようだ。続けて颯人が答える。

「なんとか逃げ続けたんだけど、最後には猛追に負けて、フレクリザードが翼にダメージを受けて……」

 そこから先は口にするまでもないだろう。その結果はすでに目の前にある。

「それでその幻獣は……」

「一匹は倒した。けど、相手にしてる隙にもう片方から攻撃を受けて、こっちも落ちるまでに一発お見舞いしてやったけど、きっとすぐ追いついてくる」

 そう簡単にやられてくれる相手ではないことは経験から知っている。ショッピングモールで戦った幻獣も雪花とフレクリザードでぎりぎりだった。そのうえ、竜属の幻獣ともなれば、そのしぶとさは比ではないだろう。

(ふたりともそんな危ない目に……)

 ふたりの話を聞きながら、シエラはそんなことを思う。自分たちで選んだ道とはいえ、下手をしたら命を落としていたかもしれない。

――と、地に伏していたフレクリザードがなにかに気づいたように頭を上げて叫ぶ。直後、大地が激震をする。破片が飛び上がり、鉄砲玉のごとく周囲に撒き散らされる。

「ウンディーネっ!」

 シエラのとっさの判断でウンディーネが氷の壁を形成する。全てを防ぎ切り、三人は無事だった。

 氷の壁の上からギョロリと恐怖させる視線が三人を見下ろす。

「やっぱりそう簡単には倒れてくれないよな……」

 倒せないとは思っていたが、それでも多少なりともダメージを負っていると内心では期待していた。だが、そのまるで意に介していないというような様子は、擦り傷程度にしかならなかったことを物語っていた。

 完全に追い詰められていた。颯人はそもそも戦力には入らないし、頼みの綱であったティナのフレクリザードも満身創痍の状況だ。とても満足には戦えないだろう。

(今、この中で戦えるのは……!)

 急速に辺り一帯が冷え始めた。直後に氷の壁が竜属の幻獣を囲い始めた。

「シエラ、いったいなにを」

「――行って」

 小さく、しかし芯のある声でシエラが言った。颯人が聞き返す前にシエラはさらに言葉を紡ぐ。

「ここは私に任せて、颯人くんは雪花ちゃんのところに行って」

「で、でも……」

 この中で戦えるのはシエラのウンディーネだけだろう。だが、ウンディーネと竜属とでは戦闘能力に天と地ほどの差がある。ウンディーネが倒されることはあっても、竜属を倒すなんてことは賭けに近い。

「倒せなくても足止めぐらいにはなるし、それにフレクリザードが繋いでくれたバトンを無駄にしたくない……! だから早く!」

 ガンガン! と幻獣が氷の壁を破壊しようとでたらめに巨躯をぶつける。氷の損傷は瞬時に修復できるとはいえ、マナがいつまで保つか分からない。離れるなら早く離れたほうがいい。

「……分かった。シエラ、ありがとう。絶対ふたりで帰ってくる。約束する。だからシエラも」

「もちろん」

 時間にしてみればほんの何分程度のやりとりだっただろう。そんな短い時間で互いに約束する。

 バトンは受け取った。あとはゴールに向かって突き進むだけ。途中振り返ることはあったが、一度も止まることはなく、颯人の姿は見えなくなった。

「なんて、柄にもなくかっこつけた台詞を言っちゃったけど……」

 口には出さなかったが、怖くない、不安がないといえば嘘になる。当然だ。己よりも高位の存在を目の前にして、畏れ抱かない人などいないだろう。それは人の自己防衛本能だ。だが、それがなんだというのだ。それを言い訳にして仲間を見捨てていい理由にはならない。時にはそんな感情すらも想いで越えていくのが人なのだ。

「私がやらなきゃいけないんだ!」

 シエラの熱の入った声にウンディーネも身構える。

「かっこいいところ見せてくれるじゃない」

 今まで喋らなかったティナが話しかけてくる。

「ベレスフォードさん、フレクリザードは大丈夫なの……?」

「まだ完全には癒えてないけど……でも、この子も一緒に戦いたいって」

「え、でも怪我が……」

「ええ、だけど目の前でそんなかっこいいところ見せつけられたら、私だって負けてられないわよ。それにどうしてさっき彼が私を省いたか問い詰めるまで死ねないしね」

「あ……そういえばそうだね」

 苦笑いする。それは単にティナの実力を見込んでのことだったと思うが。

「そういうわけで、さっさと彼に追いつきましょう」

「はい!」

 幻獣が雄叫びを上げると同時は氷の壁が崩壊する。だが、その破片をすぐにコントロールし、次なる一手へと繋げる。フレクリザードも怪我を押して迎撃態勢に入る。

「ウンディーネ!」

「フレクリザード!」

 ふたりの少女による負けられない戦いの幕が上がった。

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