第四章
第28話
「これがこの都市の防衛線か」
都市が少しずつ静けさを帯びはじめる夜。都市――クリプトの四方に存在する結界を形成する施設にひとつの人影があった。それは定期点検を行う召喚術師ではない。その召喚術師はすでに床に倒れている。
「こんな小賢しい道具で我々を」
シヴァの口許は歪み、唾棄するような視線で青い光を放つ結界生成装置を睨みつける。その顔は憎悪に染まっており、直接見た者がいれば一瞬で戦いてしまうことだろう。
「だが、それも今日までだ」
しかし、そんな憎悪に満ちていた顔もいつしか狂気を孕んだ笑顔に変わっていた。迷いなど微塵もないその顔は必ず目的を達するだろう。
「まずはひとつ」
静かに稼働していた結界生成装置は音も立てずに青い光を消失させる。破片が飛び散って、それを何度も何度も踏みつける。パシンとガラス質の割れる音が響く。
「……お前は来るのだろう? 小娘。オレを倒しに。待っているぞ」
虚空に向かってつぶやくと、不敵な笑みを浮かべて、シヴァはその場を去った。
結界が一瞬歪みをみせたのは、シヴァが去って間もなくのことだった。
入れられた部屋は見渡す限り真っ白で、生活に必要な最低限もの以外はなにもなく、整然としていた。
召喚術師たちに連行されてから数時間後。時間はすでに太陽が姿を隠して夜になっていた。
颯人の身柄は召喚術師連合の出先機関にある一室の中にあった。事情聴取を受けてから入れられたわけだが、特にこれといったぞんざい扱いは受けていない。少なくとも件の幻獣――つまり雪花の身柄が確保されるまではここで拘束されるということだった。
「これからどうなるんだろ……」
郊外にあるということもあって静寂に満ちていた。静かなこの空間での数時間は、これまでのことやこれからの先のことを冷静になって考えるには打ってつけの場所だった。死の間際に浮かぶといわれる走馬灯はこういうものなのだろうか。これまでの出来事が頭の中を駆けめぐった。
自分がまだ守護獣を持っていなかった日々。ピンチに現れて勝利をもたらしてくれた雪花との出会い。ショッピングモールでの共闘。そして最後に雪花を見たあの夜のこと――。
はっきり言って、今いったいなにが起こっているのか、よく分かっていない。分からないことだらけだ。だが、それでもひとつ分かっていることがある。それはあのショッピングモールでの事件を境になにかが狂い始めたのだ。まるで何者かの悪意によって物語が無理やりねじ曲げられているような、そんな気持ちが悪い感覚。そして、雪花はそれに気づいていた。ショッピングモールでの事件を解決し帰りの間際、ほんの一瞬だけ雪花はなにかに反応をみせた。それがきっとその何者であるのだろう。
不思議な感覚だった。思考がとても明瞭になって、見えていなかったものが少しずつ輪郭をあらわしていく。真っ白な天井はまるでホワイトボードのように思考を整理していった。
「なんで言ってくれなかったんだ……」
思考を整理していくうちに気づかなかったものが見えてきたが、それは同時に気づきたくないものまで見えてきてしまう。
「信用してくれてなかったのか……?」
現役で活躍している召喚術師と比べたら、まだ雪花を守護獣にしてから長い月日を重ねたわけではない。それでもティナとの決闘やショッピングモールでの共闘を経験し、一緒に乗り越えてきた。お互いのことはそれなりに理解していたつもりだし、颯人自身も雪花から信頼を得ていると思っていた。だがそれは、自分が勝手にそう思っているだけだったということなのか。
「……今はいったいどこにいるんだろう」
ぼんやりとつぶやく言葉に答えは返ってこない。その代わりに聞こえきたのは慌ただしい足音だった。
「おい! なにがあったんだ!」
「巡回している者からの緊急連絡があって、都市の中心に無数の幻獣が現れて暴れてるんだ!」
怒号にも聞こえる情報交換は激しさを増し、足音も際限なく大きくなっていく。現場だけでなく、この出先機関も相当混乱した状況であることがうかがえる。
「都市の中心で幻獣が暴走だなんて……」
かつての戦いを想起させる状況だ。しかも今回はその数は無数だ。あのときは二匹だったゆえなんとか対処はできたが、それでも建物には甚大な被害をもたらした。それを思えば、今回の無数の幻獣による大暴走は想像しただけで全身が粟立つレベルだ。
「ここもじきに危なくなるかもな」
無数の幻獣が見境なく暴れている状況でひとつの場所、それもいざというときに身動きが取れない場所にとどまるのは最善の行動とは言いがたい。
「とはいってもなぁ……」
ガチャガチャとドアノブを回してみるも、当然といえば当然だが、鍵がかかっており開くことはない。幻獣の出現で慌てふためいているところをみると、自分のことは意識の外側にあると考えるのが自然だろう。
「どうしたもんかなぁ」
幻獣の攻撃でこの建物ごとお陀仏なんてことになったら、笑い話にもならない。他に抜けだせそうな所はないかと部屋中を見まわす。あるのは窓だけだ。窓の高さ的に届きそうではあるが、ここは地上二階。飛びおりるのはあまり現実的ではない。本格的に手づまりになり、必死に思考を巡らしていると、カタカタとわずかに窓が揺れた。
「もしかして、幻獣がもうすぐそこまで――」
言いかけた言葉は破壊された窓ガラスの音によってかき消された。突然の突風が窓を襲ったのである。とっさに部屋の隅に逃げ、様子をうかがう。
「おいおい……シャレにならないぞ」
本能が今すぐ逃げろと告げているが、それは叶わない。次にくる攻撃はなんだろうか。どんな攻撃にしても、もうじきここも安全ではなくなるのは明白だった。
「ここで終わりか……」
諦念の言葉は自分でも驚くほどすんなりと口をついて出た。雪花から相談してもらえなかったことが自分の思う以上に堪えているのかもしれない。こんな姿を見たら雪花はきっと怒るだろうなと自嘲的に笑うのはせめてもの強がりか。
「あなたみたいな人に負けたと思うと、今でも腹が立つわね」
そんな弱気な颯人を否定する――否、叱咤するような強気な口調で現れたのは赤髪の少女――ティナだった。
「ど、どうしてここに……?」
突然の出来事に事態を飲みこめていない颯人は惚けた声を出す。割れた窓からはフレクリザードに乗ったままティナがこちらを見下ろしている。
「どうしたもこうしたもないわ。見てのとおり、あなたを助けに来たのよ」
「助けに?」
「そう。もう承知のとおりだと思うけど、今この都市は大混乱よ。ここへ来るときにも何匹かの幻獣を相手取ってきたわ」
「もうそんなにも幻獣が」
想像以上に事態は切迫しているようだ。ふたりが話している間にも遠くから爆発音のようなものが聞こえてくる。
「ぐずぐずしている時間はないわ。さあ早く乗って」
窓から差しだされる手を掴もうとして――ためらう。
「なにしてるの。早くしないと手遅れになるわ」
差しだした手を握らない颯人に少し苛立ちをあらわにしながらティナは言う。
「……今の雪花に俺は必要なのかな」
「突然、なにを言いだすの?」
妙なことを言いだす颯人に対しティナは怪訝な目を向ける。
「今回のこの幻獣の出現も今までの事件も、雪花はなにかを知っていたと思うんだ。それもとても重大なことを……」
「そうでしょうね。でなきゃ主を差しおいて向かうわけがない」
「そんな重大なことを雪花は俺に話してくれなかったんだ」
ティナは口を出さず、ただ黙って聞いている。
「雪花にとって俺は本当に必要なのか分からなくなったんだ……」
紡がれる言葉のひとつひとつが小さく、覇気がない。遠くのほうから絶え間なく聞こえてくる衝撃音にすらかき消されてしまいそうだ。
「……損した」
ぽつりとティナが言った。
「今なんて」
「損したって言ったの。こんなへたれで情けない奴なんか助けに来るじゃなかったわ」
ティナの突然の辛辣な言葉に颯人は唖然とする。そんな颯人に構わず、ティナは思っていることをぶつける。
「少なくとも、私に勝ったときのあなたは自信に溢れていた。それは勝ち負けとかそんなことじゃなくて、もっと単純(シンプル)で大切なこと――信じる心」
「信じる……心」
心の中で反芻する。
「あなたたちの問題に私が口を出す権利ない。けど、これだけは言わせて。自分の守護獣ぐらい最後まで信じ抜いてみなさい。――だって、初めてできた守護獣なんでしょう?」
――宜しく頼むわよ。相棒。
不意に雪花の声が聞こえた気がした。
「……そうだよな」
自然と笑いが零れた。こんな単純なことすら忘れてしまっていた自分に笑いが止まらなかった。そもそもこれはそんな難しい話ではない。守護獣を信じるか否か。究極的に突きつめればその二択しかないのだ。ならば、選ぶ選択肢などとうに決まっている。
「――行くよ。俺を連れ出してくれ。雪花が待ってる」
決意を宿した双眸をティナに向ける。もう迷わない。
「私に勝ったんだから、辛気くさい顔はしないでほしいわね」
そう言ってティナはわずかに口角を上げる。
ティナの手を借りて、フレクリザードの背中に乗る。思っていたよりも安定していたが、下を見ると思いのほか高く、緊張のせいか思わず生唾を飲み込む。
「あの……安全運転でお願いします」
「分かってるわ。じゃあちゃんと掴まってなさいよ」
ティナがフレクリザードの背中に手を当てて伝えるような動作をすると、天空に轟かんばかりの雄叫びを上げて飛翔する。風圧によってほんの数秒台風のような突風が起こり、辺りを薙ぐ。
「ちょ……そんな派手にやったら大騒ぎに」
「それどころじゃないんだから問題ないわ。誰も私たちとは思わない」
言われてみればそうだろう。突然の幻獣の襲来に都市は大混乱のはずだ。それを収拾させるために多くの人員が割かれているだろうし、その証拠としてあれだけ大きな音を立てたにもかかわらず、誰も追ってこない。
「じゃあ飛ばすわよ」
「え、いやあの……安全運転でって――」
颯人の願いも虚しく、猛スピードで空を切っていく。それはさながら飛行機のようである。
「そういえば、シエラは?」
気を失いかけていたところをなんとか持ち直す。これから雪花を助けにいくのだ。こんなところでグロッキーな状態になっていてはまともに戦えない。気を強く持たねばならないのだ。
「召喚術師のほうは幻獣の対応で手いっぱいことで、学生の中で前線に出られる人は民間人の護衛と避難誘導してる。シエラさんもその中にいるわ」
シエラの守護獣であるウンディーネの持つ氷の能力は遮蔽物として少なからず役に立つだろう。民間人の避難誘導としては打ってつけの能力だ。
「あれ?」
そこで颯人はふと疑問に思う。シエラに要請がきたということは当然より強力な守護獣と契約を交わしているティナにも要請がきているはずだ。むしろ要請しないということ自体ありえないといっていい。
「ひょっとして、私がサボってるとか思ってる?」
颯人の口調から微妙なニュアンスを読みとったのか、ティナが少し不満げに言う。
「私のほうにも支援要請はきたわ。だから、さっきも言ったように幻獣たちを退けながらあなたを助けに来たというわけよ……っと、言ってるそばから」
ティナの口調がきつくなる。その口調の向く先には空を飛行する幻獣の姿がある。種族は身体の形からしてフレクリザードと同じ竜属だろう。向こうもこちらの存在に気づいたのか、ギィシャアアア! と威嚇するような雄叫びを上げている。敵意むき出しといった印象だ。見逃してはくれないだろう。
「どうするんだ?」
「私ひとりだけなら強引にでも倒しながら突破するところだけど……」
ちらりと目だけで颯人を見やる。乗り慣れているティナだけなら時間をかけてでも倒しながら進むのはひとつの選択肢としてはありだろう。だが、今は颯人も乗っている。そもそもの目的に雪花の救出がある。こんなところで時間をかけてはいられない。
「今よりちょっと飛ばすけど、落ちないように」
「えっ?」
特に説明することもなく、さらっと言うとティナはフレクリザードに指示を出す。
「フレクリザード、突破して!」
説明は一切なく非常に端的な指示だ。普段なもう少し詳しく指示を出すティナだが、それはわざわざ言わなくても、自分の守護獣(パートナー)なら理解してくれるという信頼ゆえだろう。フレクリザードも説明ご無用と言わんばかりにギュン! と速度を上げる。
幻獣のほうもこちらに止まる意志がないと知るや否や、両翼を大きく広げて臨戦態勢に入る。――その直後、火球が飛んでくる。
「しっかり掴まってなさい!」
ティナの声に熱が入る。
真正面から飛んでくる火球を左に回避することで対応する。そのまま左に飛ばされそうになるが、ぐっと踏んばって耐える。
「なかなか手荒な歓迎ね」
「んなこと言ってる場合かよッ!」
この緊迫した状況でも少し楽しそうにしているティナに颯人はツッコミを入れる。決闘のときでもそうだったが、危機的状況なほど燃えるらしい。
「次来るぞ!」
竜属の幻獣との距離が縮まるにつれて、攻撃は苛烈さを増す。火球が雨霰のように向かってくる。それはかつてのフレクリザードと雪花のぶつかり合いを想起させる。
「やられる側は結構大変なのね」
迫り来る火球の弾幕を縦横無尽に飛び回り回避する。その際、颯人が酔いかけていたようにみえたが、それは致し方ないだろう。
「やっぱり……すごいね」
竜属の幻獣の攻撃が一瞬だけ途切れた隙をついて、付与魔術を発動しフレクリザードの飛行速度を底上げすることによって一気に距離を引き離した。
「これくらい普通よ。それより、どこにいるのか見当はついてるの?」
「この都市の四方にある結界発生装置の状況はどんな感じ?」
「召喚術師連合の人の話によれば、四つのうちすでに三つは破壊されてしまっているそうよ。北にある残りひとつの死守に向けて全戦力を投入しているみたい」
「そっか。となると……」
考えこむように目を伏せる。
「北に向かってほしい」
「北に?」
「ああ。真犯人が結界を消滅させるために動いているなら、当然北にある残りひとつの所にも向かうと思う」
「順当に考えれば、それが妥当ね」
「そして、雪花が真犯人でないとするなら、雪花もきっと同じ場所に向かっていると思う」
確信を以て颯人は言い切る。
「どうしてそう思うのかしら?」
「雪花が真犯人ではなく、つまり違う目的を持って動いているとしたら、それはきっと計画を止めるために単独で動いていると考えたんだ。だから、俺に相談しなかったんだと思う。巻き込まないために」
もしかしたら、今からやろうとしていることは雪花の意に背く行為かもしれない。それでも雪花の主として、たった一匹の――いや、たったひとりの守護獣を守るのためにやらなければならないことなのだ。どれだけ迷惑がられようが、怒られようが構わない。もう一度、おもちゃのペンダントを渡したときのあの笑顔が見られるのなら――。
「そういうことなら、もっとスピードを上げないとね」
そう言ってティナはフレクリザードにお願いする。
「連戦の疲れが残っているとは思うけど、もう少しだけスピードを上げることはお願いできる?」
そう聞かれ、フレクリザードは視線だけで答えると、さらに飛行速度を上げた。
(今助けにいくからな。雪花!)
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