幕間三
第27話
少女が男――秋月源一郎に守護獣として拾われてから一ヶ月が経とうとしていた。
最初に言われたときには過去のトラウマから暴力的な行動に出てしまったが、それからは源一郎のことを信用し、一緒に過ごす暮らしに少しずつではあるが慣れ始めていた。
少女が今いる縁側から行ける庭には何匹かの幻獣がいた。
源一郎の住む家には多くの幻獣がいた。獣の姿の幻獣もいれば、中には少女のように人間とそっくりな幻獣もいる。そんな彼らは仲良く庭を駆け回っている。
雪花が何気なく見ていると、その視線に気づいた一匹の幻獣と目が合った。実はさきほどから何度かこちらを見てくることに気づいていた。そのうちに意を決したのか、少女に近づこうと歩き出そうとしたところで、周りにいる幻獣に止められてしまった。自分を誘おうとしたのかもしれない。少女は内心そう思った。
「……バカバカしい」
吐き捨てるように言って、素っ気なく彼らから視線を逸らす。
ここへ来てから一ヶ月――いや、それよりももっと前から少女はずっとひとりでいることを望みそうしてきた。初めて守護獣として呼ばれ、そして世界に絶望した日から、少女は他者との関わりを絶ってきた。傷つくくらいなら初めから関わらなければいい。それが両者が傷つかない最善であり、それは自分を守るため方法でもあった。
いまさら他者と仲良くすることなどできはしない。それ以前に他者との関わりを持つ方法を雪花は持ち合わせていなかった。
「お前は混ざらないのか」
男の声がする。少女を拾った秋月源一郎の声だ。源一郎は少女の隣に腰かける。
「余計なお世話よ」
「つれないなぁ」
「アンタのためについてきたんじゃたないし」
相変わらず歯に衣着せぬ物言いだが、そこに以前のような刺々しさはない。少女は源一郎だけには心を開いていた。
「お前、ほんとに素直じゃないな」
「うるさい」
隣の陽気な笑い声にますます不機嫌になる少女である。
「いまさら仲良くしろだなんて、できるわけないじゃない……」
聞こえるか聞こえないかぐらいでほとんど独り言のようにつぶやいた。その横顔にはどこか寂しさを感じさせるものがある。
「あいつらもな、お前と同じだったんだよ」
「アタシと……同じ?」
突然、滔々と語り出す源一郎に少女は思わず目を丸くする。
「初めて来たとき、びっくりしただろう?」
「そうね。ここまで多くの幻獣を従える人間は初めて見たわ。全部アンタの守護獣なんでしょ?」
「いや、実はそうじゃないんだ」
今までどの幻獣もずっと源一郎の守護獣であると思っていた少女は、ここでもまた驚いた表情をみせた。では、あの幻獣たちとはいったいどのような関係なのだろうか。
「あいつらも、自分の召喚術師がいないんだ。それは召喚獣師が亡くなったり、不当な扱いを受けて逃げ出したりとか、理由は様々だが、とにかく元の世界に帰る手立てを失った状態なんだ。俺はそうワケありな幻獣を集めて世話してるってわけだ」
「なんでそんなことを」
そう問われ源一郎は今も庭ではしゃぎ回っている幻獣たちに目を向ける。
「ほっとけないんだよ。人でも幻獣でも、困っている奴を見るとな」
「だから、アタシも助けた?」
「まあそういうことだな」
どこまでもお人好しな人間だなと少女は思う。個体によって能力差はあれど、それでも幻獣は人智を超越した存在だ。それを一匹や二匹ではなく、何匹も相手にするのはいかな召喚術師であっても骨が折れることだろう。
「物好きなのね」
「そう言われたらそうかもな」
「で、なんでアタシにそんな話を?」
「あいつらも最初はお前と同じように他者と関わりを持とうとしなかった」
そう言われ少女は源一郎から庭に目を向ける。とても楽しそうに駆け回っている。まるで初からそんな仲であったように。だが、源一郎の話では、そうでなかったということになる。あんなに仲良くしている彼らが最初はひとりだったことは、にわかには信じられない話だが、彼らを世話している源一郎がそう言うのであればそれは事実なのだろう。
「色々とトラウマとかもあったんだろうが、今はご覧のとおりだ」
「あの幻獣たちが……」
「少し興味が湧いただろ?」
にやにやと笑みを浮かべながら言う源一郎に対して、態度にこそ出さないが少しばかり少女は興味を持った。そんな少女の胸中を見透かしたように、
「なんで仲良くすることができたか教えてやろうか?」
「べ、別にいいわよ。そんなの」
「お前って、ほんとに素直じゃないな」
「二回も同じことを言うな! いいって言ってるでしょ」
「まあそんなこと言うなって」
「あっこらッ!」
源一郎は雪花を自分の膝の上に載せる。その表情はまるで我が子を可愛がる父親のようだ。雪花も抵抗はするものの、やはりなんだかんだで心は開いているようで、恥ずかしさゆえの抵抗もすぐに終わりを告げた。
「……子供扱いしないでよ」
「俺からしたら十分子供だよ」
いくら子供のような背丈といえど、少女も一応は幻獣である。それを子供と言い切ってそのように扱ってしまうのだから、この人間は度量が大きいのか、それとも単に馬鹿なだけなのか。不思議な人間だと思う。
「なあ、どうしてあいつらがお前を誘わないか分かるか?」
手元では少女の頭を撫でながら、視線では庭で駆け回る幻獣たちを見つめて少女に尋ねる。
「そんなの、アタシが嫌いだからでしょ。まあそっちのほうが助かるけど」
分かり切っていることを聞くなと、言わんばかりに少女は投げやりだ。自分は嫌われているのだと、そう思うのにさきほどの幻獣たちの反応は十分すぎる理由だった。
「それは違うな」
だが、源一郎は少女の答えを真っ向から否定する。
「なにが違うっていうのよ」
「あいつらはお前を嫌ってなんていないってことさ」
確信を持った言い方だ。
「そんなわけない。じゃあなんでアタシを誘わないのよ。嫌いだから誘わないんでしょ」
「あいつらがやろうとしていることはむしろその逆なんだ」
「逆?」
意味が分からないというように少女は首を傾げる。
「好きになりたいからこそ、今のお前に対しては誘いの言葉をかけられないんだ」
「……言っている意味が分からないわよ」
源一郎の口から紡がれた答えは予想外のものだった。嫌いだからではなく、好きになりたいからこそ、その相手を誘わないという道理などあるものか。矛盾している。理解に苦しむ少女にさらに言葉を続ける。
「みんなはお前と仲良くしたい。けど、みんなはお前のことをなにも知らない。ここへ来てから誰とも関わってないだろ?」
「そりゃまあ……。そもそも関わる必要性を感じなかったし。けど、それがなんなの?」
「みんなお前とどう接したらいいか分からない。分からないから傷つけてしまうかもしれない。嫌われてしまうかもしれない。それが怖いんだ。だから、みんなためらってしまうんだ」
源一郎のその言葉に少女はハッとした。少女は源一郎にここへ連れてこられたときから、ずっと彼らに対してつんけんした態度をし続けてきた。少女にとってそれは自分を守る術であり、普通のことだった。それは同時に彼らとの間に見えない壁を作っていた。
だが今、それに気づいたとしても――。
「いまさらどうしろっていうのよ……」
もう身体に染みついてしまっているのだ。己を守る術として他者を拒絶する方法しか知らなかった少女にとって、それ以外の方法は存在しないも同然で考えもしなかったことだ。どうすればいいか分からない。少女の心はひどく混乱した。
「そんな難しく考える必要はないんだよ」
そんな少女の戸惑いを予想していたように源一郎はもう一度、少女の頭を優しく撫でる。そこには確かな愛情があった。
「特別なことなんてする必要はない。お前はただあいつらを受け入れてやれば、それだけでいい」
「受け入れる?」
「お前がみんなを受け入れて、そうすれば次第にそれがみんなに伝わり、みんなもお前を受け入れてくれるようになる」
確信に満ちた言い方だった。それは長年ここにいる幻獣たちを傍らから見守り続けてきたからこそ言えることなのだろう。説得力のある言葉だった。
「アタシがみんなを受け入れて……」
少女にしてみれば思ってもみなかった方法だ。他者を受け入れる――それはつまり他者を信用するということだ。かつてなにも知らされず呼ばれるがままにひとりの人間を信用し地獄を見た少女にとって、それは乗り越えるには高いハードルといえるだろう。
「でも、今のアタシにそんなこと……」
いつもの勝ち気な口調の少女には似合わない弱気な発言をする。今でこそ打ち解け合っている幻獣たちも悩みに悩んだはずだ。トラウマを抱える少女としてはできないと思っても仕方のないことだろう。
「心配するなって」
自信なさげな少女に源一郎はニカッと笑う。
「一丁前に悩むなんてらしくないな。辛気くさい顔はお前には似合わないぞ。お前はもっと無駄に自信満々じゃないとな」
「なによ、それじゃまるでアタシが普段からいばってるみたいじゃない」
「なんだ、違うのか?」
源一郎は半笑いを浮かべる。
「あ、言ったわね!」
「おいおい、やめろって」
ポカポカと反撃に出る少女だが、子供同然の少女の攻撃は軽くいなされてしまう。そんなふたりのやりとりはまるで本当の親子のようだった。
「いつか今みたいにお前とあいつらが本気で喧嘩して、泣いて、笑って……。そんな日が来るといいな」
「……そんな日が、来るのかな」
「来るさ、絶対に。俺が保証する」
「なんで、アンタが自信満々なのよ」
自分のことでない源一郎が意気込んでいる姿はどこか少しおかしくみえて、少女は思わず無邪気な笑みを零した。
「そういえばお前、そろそろ名前を教えてくれてもいいんじゃないか? もう一ヶ月が経つのにお前って呼ぶのは違和感があるだろ」
「別にいいんじゃない。アタシ以外の幻獣ははみんな名前で呼んでるだから、差別化できてるわよ」
「そういう問題じゃないだろ」
「……口にしたくないのよ」
少し声のトーンを落とした少女に源一郎は怪訝な目を向ける。
「名前はとうの昔に捨てた。アタシを地獄のどん底に突き落としたあの召喚術師に一度でも呼ばれた名前を持ったまま生きていくのは耐えられなかったの。だから、捨てた。アタシが名前を教えないのは、そもそも教えるような名前がないからよ」
もうすでに立ち直っているようにみせかけて、少女の声は少しばかり震えていた。少女の感情の機微を感じ取ったのか、源一郎も少女が口にした以上のことは無理に聞き出そうとはしなかった。
「ってことは今のお前には名前と言える名前がないわけか……」
「そうなるわね。まあでも、今までだってなくて困ったことはないし、いまさら新しく名を名乗る必要も――」
「なら、俺が新しい名前を考えてやるよ」
「はぁ?」
唐突すぎる源一郎の提案に少女には珍しい甲高い声が響き渡った。
「どうした? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」
「突然、変なことを言い出すからよ」
「別に変じゃないだろ。呼べる名前がないと、こっちだってなにかと不都合があるからな」
「不都合って、そんな大げさな……」
「遠慮はしなくていいぞ」
「別に遠慮はしてないけど……。そんなに名前をつけたいの?」
不思議に思う気持ちで視線を向けると、源一郎は快活に笑いながら言った。
「つけたいに決まってるだろ。お前もう、うちの家族の一員なんだからな。その家族に名前がないってんじゃ、あいつらもお前をどう呼んでいいか分からないし、それになにより――」
ここで源一郎は一度言葉を切って、少女の身体ごと自分のほうに向けさせて視線をしっかりと合わせる。
「いつまでも過去のことに囚われることはない。大事なのは過去ではなく、今この瞬間から続く未来なんだ。変えようのない過去を引きずって未来まで台無しにしてしまったらもったいないだろ? だから、お前には未来を見て生きてほしい。そのために名前が必要なんだ。新しい自分になるために」
自分を見つめる熱意のこもった双眸に少女は気圧されるような感覚に襲われた。かつてこれほどまでに自分に対し真剣になってくれた人間はいただろうか。否、そんな人間は誰ひとりとしていなかった。
「……なれるのかな、新しい自分に」
目を伏せる少女の声は消え入りそうなくらい弱く、か細い。それでもそう口にするということは少女の中で変わりたという意思があることの表れだ。だが、それはまだ意思であり、意志ではない。そんな少女の不安を消し飛ばしてしまおうと源一郎は力強い口調で言った。
「お前が心の底から変わりたいと思えば、きっと変われるさ」
源一郎によるもう何度目かの根拠のない自信だ。そうなる確証もなければ、まして未来が見えるというわけでもない。だが、源一郎の言葉を聞いていると不思議となんとかなりそうと思えてくる。そう思わせるなにかがあるのだ。それに背中を押されるように少女は今度こそ力強くうなずいてみせた。
「……うん」
その様子に源一郎は微笑むと、
「というわけで、お前、なにか好きなものはあるか?」
唐突にそう尋ねた。
「え、好きなもの?」
「そうだ。名前をつけるのになにかヒントになるかと思ってな。難しく考えなくていい。好きなものを教えてくれ」
「突然、言われてもね……」
少女は少し思案顔でうつむくと、しばらくしておもむろに顔を上げる。
「花……」
「花?」
「うん。ずっとひとりだったとき、知らないうちに花を眺めるようになってたの。一口に花っていっても、色が違って色んな顔をみせてくれるから、綺麗だなぁって」
「花か……」
少女の話にヒントを得たように源一郎は考え込み、決まったと言わんばかりに上機嫌な顔を少女に向けた。
「お前の新しい名前を決めたぞ。『雪花』だ」
「……ユキハナ?」
地面に書かれた漢字を見て、少女は片言の外国人のような口調で首を傾げる。
「違う違う。これは『ユキハ』って読むんだ。雪のような白い髪で『雪』と、花が好きだから『花』で、ふたつ合わせて『雪花』だ。お前にピッタリの名前だろ?」
冷静に考えてみれば、少女の身体的特徴と好きなものをそのまま引っつけたごく単純な名前だ。ひねりもなければなんら特徴的でもない。
だが、少女はその説明を自分の中で噛み砕くように聞くと、
「雪花……雪花……。アタシの新しい名前……」
何度も何度も確認するように少女はつぶやいている。
「気に入ったか?」
「……まあ、まあね。アンタがどうしてもその名前をつけたいっていうなら、使ってあげないでもないわ」
「素直じゃないなぁ」
いつの間にか少女はいつもの調子に戻っていた。それの意味するところを理解している源一郎は微笑むだけだ。子を持つ父親のように。
「お、そうだ。記念にひとつ良いものをやろう」
「良いもの?」
きょとんとする少女に源一郎はポケットに手を突っ込むと、少し汚れたペンダントのようなものを取り出した。
「これは昔、俺が母親から貰ったものなんだ。俺が悩んでいたときに渡してくれたんだ。まあお守りってやつだな。これをお前にやるよ」
「え、でもいいの?」
少し困惑した様子で少女は尋ねる。
「いいんだ。もうお守りに頼るような歳じゃないしな。それにこういった縁起物は未来ある奴に持っていてもらったほうがいい」
「未来あるって……縁起でもないこと言わないでよ」
「ハッハッハ。そうだな、お前が立派に成長した姿を見るまでは死ねないな」
「だから縁起でもないこと……まあいいわ。どうしても貰ってほしいなら貰ってあげる」
少女は源一郎の手からペンダントを受け取る。その取り方はいっけんすると粗暴そうにもみえるが、自分の手に持った瞬間からまるで宝物のように扱うその姿は、いかに少女が源一郎のことを信用し大切に思っているかが見て取れる。
「お、ほら見てみろ。あいつらが呼んでるぞ」
その言葉に少女はペンダントから目を逸らして、庭で遊んでいる幻獣たちに視線を向ける。どうやらさきほどまで少女に声をかけようとしていた幻獣がまたこちらに向かって歩いてきていた。
「行ってやれよ。みんな、お前――いや雪花を待ってるぞ」
「……うん」
今の少女の顔にはもはやなんの憂いもない。踏み出す一歩は力強く、またとても軽やかなものであった。
その日から少女――雪花の新しい世界が幕を開けた。
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