第32話
「そ、そんな……」
思わずといった様子で驚嘆の声を漏らす雪花。ふらふらとした足どりで、かつての主であり、ずっと会いたかった人へ向かう。カランと二本の小太刀が滑り落ちる。
――シヴァの口角が上がる。
「待て雪花ッ! なんか変だ!」
瞬間、空を切る音がする。
「え……」
とっさの判断で仰け反った雪花は自分の頬に手を当てる。かすめる程度ではあったが、しかし確実に傷はあった。拳がかすって傷をつけたのだ。その傷をつけたのは、拳を振るったのは紛れもなく雪花の前にたたずむ男――秋月源一郎だった。
「な、なんで……」
かつてないほどの困惑と動揺を見せる雪花を見て、シヴァは高らかに笑う。
「どうだ? 最愛の主との感動の再会は」
「アイツになにをしたッ!?」
「まあまあ、そう慌てるなよ」
憤慨する雪花の神経を逆撫でするようにあえて言葉を選ぶシヴァ。
「よく見てみろ。こいつはもう人間じゃない」
道具のような扱いをすることにさらなる怒りを抱きつつ、雪花は源一郎を見る。そうして気づいた。颯人と接していたから、人間の気配は覚えている。幻獣の気配も知っている。だからこそ驚かずにはいられなかった。今の源一郎から感じ取れる気配は人間のものではなく――まさに幻獣のソレだったのだ。
「そんな……どうして……」
「あぁ……そうだ。オレはお前のその顔を見たかったんだ」
恍惚な表情を浮かべるシヴァ。それとは対照的に雪花の顔は絶望に染まっている。
「こいつ、自分ごとオレを封印しようとしたんだが、ぎりぎりのところでオレが逆に取り込んでやって、幻獣にしてやったんだよ。まあそれでも一世紀は封じ込められてしまったがな」
シヴァの口から語られる事実は少しずつ雪花の心を抉っていく。
「お前が……お前が……!」
横たわる小太刀を拾う。怒りを爆発させて、激情に身を任せて特攻する。完全に我を見失っており、そこに作戦もなにもない。
「お前の相手はオレじゃない」
かつて秋月源一郎だった存在は雪花の前に立ちはだかる。雪花の動きが止まる。様々な感情が渦巻いている表情だ。
「そいつを叩きのめせ」
命令を下された直後、機敏な動きで雪花に迫る。人間離れした速度は彼がもう雪花の知っている存在ではないことを認識させる。
「ほらほらどうした? 避けてばかりだぞ」
高い位置から手も足も出ないでいる雪花を愉悦な笑みを浮かべながら見下ろしている。
源一郎は徒手空拳で雪花に攻撃を仕掛けている。たとえかつての主であった者でも、今は敵だ。その状況は覆ることなく、雪花は応戦する。
単純な攻撃力なら小太刀を持つ雪花のほうが上であるが、幻獣化によって底上げされた身体能力は雪花を翻弄する。次々と繰り出される攻撃は隙がなく、雪花は終始押されていた。それでも耐えながら反撃の一手を探る。そして、自分の中でタイミングを計って、攻撃を受け流すと同時に攻勢に転じる――が、その攻撃が当たることはなかった。
かつての源一郎の優しい笑顔が脳裏をよぎる。それが雪花の一太刀を鈍らせる。
(どうして……!)
一瞬のためらいが致命的な隙を生み出す。
「カハッ……!?」
源一郎が雪花に一撃を叩き込む。戦術もなにもない力任せの一撃だが、それゆえにその一撃は鋭く苛烈だった。壁に叩きつけられる。衝撃で小太刀が手元から滑り落ちる。
「雪花っ! 今、術を――」
「おい、召喚術師に邪魔をさせるな」
ティナとシエラの攻撃を免れた幻獣が颯人に迫る。そのまま颯人を踏みつけて身動きできないようにする。雪花がボロボロになっていく様を見せつけるように。
「お前はそこでじっと守護獣が喰われる様を見ていろ」
まるで楽しげなショーを見せるかのような口調だ。
やっと動かなくなった雪花の元にシヴァは余裕をみせるような、ゆっくりとした足取りで近づく。
「散々手こずらせてくれたが……その過程で失ったマナは貴様の幻核で償ってもらうとしよう」
シヴァを止められる者はいない。ティナもシエラも邪魔するように襲いかかってくる幻獣に手いっぱいで守護獣をシヴァに差し向ける余裕はなかった。颯人も自分を押さえつけている幻獣に命を握られている状態だ。少しでも妙な動きをしようものなら、そこで命は絶えることになる。雪花への助太刀は不可能だった。
「一世紀の前の雪辱、ついに果たすときがきた」
吸収せんとするシヴァの幻核が少しずつ見えてくる。
誰もが雪花の消滅を覚悟した。
――だが、予想された未来は訪れなかった。代わりに響くのは驚嘆が入り交じった苦しげなシヴァの声だ。
「貴様……なぜだ……?」
誰に問いかけているのか。それはすぐに明らかになる。
「このときをずっと待っていた……」
誰もシヴァを止めることができないはずの中で、ある人物がシヴァの動きを封じていた。
「源……一郎?」
目の前にもがき苦しむシヴァがいる。シヴァを抑えつけているのは、幻獣と化してシヴァの支配下に落ちた――と思っていた秋月源一郎だった。
「貴様……まだ、自我が残っていたというのか。馬鹿な……」
「ああ、この一世紀あまり、気が狂いそうだったよ」
源一郎の声もまた苦しさを孕んでいるものだ。
「貴様はどこまでもオレの邪魔を……!」
動けないながらも、シヴァは支配下にある幻獣に命令を下す。手向かった時点でもはや用済みだ。これ以上邪魔されることはシヴァにとって望むべくところではない。
「――こいつを始末しろ!」
颯人を押さえつけていた幻獣が主の命令の下、源一郎に向かって襲いかかる。シヴァを抑え込むのに手いっぱいな状況では対処できない。
「――雪花!」
自然と身体が動いていた。どうするべきか、指示などされなくても分かる。その一声だけで、自分の中の全てがあの頃に戻ったような気がした。
神速の一撃で源一郎に迫っていた幻獣を切り捨てる。
「源一郎!」
「来るな!」
近づこうとする雪花を制する。
「――俺ごとこいつの幻核を貫け!」
視線は源一郎から幻獣の生命線である幻核を向いていた。この絶望的と思われた状況で、かつて倒し損ねた宿敵を打ち倒す手段が目の前にある。それは同時にこの都市を救う手段でもある。
「早くしろ!」
源一郎の切迫した声が響く。
雪花は躊躇していた。今が千載一遇のチャンスであることは分かっている。しかし、その行為はかつての主を手にかけることと同義だ。雪花の中を源一郎と過ごした日々の思い出が駆け巡る。
「あ、アタシが源一郎を……」
「――思い出せ、雪花!」
そのとき、颯人の痛々しいほどの叫び声が雪花の耳朶に触れる。
「ずっと、倒すために追いかけてきたんだろ! たとえ疑われようとも、それでも主の果たせなかったことを成すためにここまできたんだろ! だったら、ここでやめちゃダメだ。――もう一度、会うことのできた主の想いを無駄にしちゃダメだッ!」
今の主である颯人の魂の叫びが轟いた。それが雪花の迷いを吹っ切らせた。
「……なに迷ってたんだろ。バカみたい」
ここで躊躇することはふたりの主の想いを踏みにじることになる。シヴァが生きていることを知ったとき、この刀に誓ったことを思い出す。
「颯人、力を貸して!」
雪花の声にぐっと力が入る。己の成すことを見定めたという感じだ。なら、今の雪花の主として成すべきことはひとつだ。
召喚術師の基本を思い出す。生半可の一太刀ではシヴァの幻核を完全に破壊することはできないだろう。雪花のことを真に想い、心をひとつにする。召喚術師と守護獣は一心同体だ。
(もっと、もっと……深く……)
さらに深いところで雪花と共鳴を図る。その関係性は召喚術師と守護獣のなくてはならない基本にして、守護獣がどこまでも強くなることができる究極の方法。それを以てすれば打ち倒せない存在などこの世に――ない。
「この一太刀で――」
「――討つ!」
ふたりの声が重なる。ふたりの共鳴に呼応するように二本の小太刀がどこまでも澄んだ青い光を帯びる。それと同時に雪花は地を蹴る。
「ふ――っざけるなぁあああああ!」
シヴァも最後の抵抗とばかりにありったけの幻獣を雪花にけしかける。ティナとシエラが相手取っていた幻獣すら、今は雪花を止めるべく向かわせている。なりふり構っていられないのがありありと伝わってくる。
「――百花繚乱!」
まるで咲き乱れる花がごとく、刹那の間で幻獣たちを仕留めていく。消えていく幻獣たちは散っていく一輪の花のようである。
「……やめろ」
立ち塞がる幻獣たちを切り捨てて、シヴァの幻核を切っ先の範囲内に捉える。小太刀に持てる力の全てを結集させる。
「――やめろぉおおおおお!」
「終わりよ――シヴァ」
全てに終止符を打つため、青い軌跡を描きながら、必殺を秘めた二本の小太刀がシヴァの幻核に迫る。
――刹那の沈黙のあと、ガラスが割れるような乾いた音だけが響く。
「……お、おの、れ」
掠れた声とともにシヴァの手が雪花に伸びて――まるで風に飛ばされる砂のようにボロボロと朽ちていった。彼が使役していた幻獣たちも溶けるように消えていく。
「や、やった……」
全身から力が抜けて、ほとんど零れ落ちるように雪花が言う。
「うっ……!」
宿敵との戦いに勝利した余韻に浸る暇もなく、苦しそうな源一郎のうめき声が雪花の表情を一変させる。手にしていた小太刀を放り出して、横たわっている源一郎のそばに行く。
「や、やったな、雪花……」
血相を変えて駆け寄ってきた雪花に彼は息も絶え絶えにそう告げる。
シヴァとの戦いに勝利し、思わず呆けてしまっていた颯人を含めた三人も慌てて雪花と源一郎の元に駆け寄る。
「こんなときくらい、自分の心配しなさいよッ!」
目じりに涙を浮かべながら、怒気を孕んだ声で雪花は言う。
「し、心配もなにも……俺は、一度死んだ人間だ。こうなることは分かっていたさ……」
「でもぉ……」
もう二度と会えないと思っていた人物と再会することができたのだ。雪花にとって、もう源一郎が人間であろうとなかろうと、それだけで嬉しかった。それがこんな結末を迎えてしまうなんて、運命とはあまりに残酷だ。
「そんな哀しい顔をするなよ」
ぽつりぽつりと。朝露のように透明な雫が源一郎の顔を濡らす。嗚咽を漏らす雪花の頭を力ない手でそっと撫でる。穏やかな笑みを絶やすことはない。
「だ、だってぇ……」
子供のように泣きじゃくる雪花に源一郎は優しい声で続ける。
「雪花――お前には、もうお前を大切に思ってくれる仲間がいるじゃないか。もう……ひとりじゃないんだ」
雪花はおもむろに振り返って周囲を一瞥する。
ボロボロになりながらも、最後までサポートに徹してくれたティナとフレクリザード、シエラとウンディーネ。そして、たとえどんな状況でも信じて助けに来てくれた――颯人。決して多いとはいえないけれど、だからこそ真に想ってくれる信頼できる仲間なのだ。
「君が……今の雪花の主か……?」
源一郎の視線は雪花から、ふたりのやりとりをずっと邪魔しないように見ていた颯人に移る。
「颯人、秋月颯人です」
「秋月……。そうか……なら、君が、俺の――」
末裔とまで言えず、苦しそうに咳き込む。
「主……ということは、雪花が主にたり得る召喚術師だと、認めたんだな」
「い、いえ……俺なんて、そんな……」
雪花の視線を感じつつ、謙遜する颯人にそんなことはないと言って続ける。
「君を認めたから、雪花……は守護獣になったんだ。もっと自信を持っていい」
ティナとの決闘も、ショッピングモールの戦いも、そしてシヴァとの決戦も、雪花がいてくれたからこそ勝利を掴むことができた。その雪花が戦ってくれたのは、雪花が自分を新しい主として選んでくれたのは、彼女の心を動かしたのは――紛れもない颯人自身の強い想いだった。
「――と、もう……そろそろ限界みたいだな……」
不意に源一郎がそんなことを言う。漏れるような息とともに身体が足元から徐々に薄くなっていく。まるで幻獣が消えていくかのように。
「源一郎ッ!」
声を張り上げて雪花が心配そうに覗き込む。颯人もよりそばに寄ってその身を案じる。
「……颯人。こいつは素直じゃないし、負けず嫌いだし、粗暴な奴だ。……けど、その何倍も優しくて、仲間思いで……。お前たちふたりならきっとうまくやっていける」
源一郎は最後の力を振り絞って伝えたいことを続ける。
「雪花。もう俺に囚われる必要はない。新しい主とともに未来を作っていくんだ。お前ならきっとそれができる」
源一郎の最期の言葉にふたりは真っ直ぐ目を見て、深くうなずく。
そして――。
「最期にもう一度だけ、会えてよかった。雪……は――」
全てを伝え終えて、満足したというように源一郎の身体は完全に消え去った。
「……アタシも会えてよかったよ」
その小さくも確かな想いを込めた言葉はきっと彼の元に届いたのだと、雪花の頬を伝う澄み切った涙を見て、颯人はそう思った。
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