第5話

「フ、フレクリザード!?」

 ティナはそのとき初めて、攻撃を受けるフレクリザードの姿を見た。ティナにとって全てが予想外の出来事だった。

 これまで戦局はフレクリザートの圧倒的な力でティナの優勢で動いていた。その力は学院で上位に属するレクターのデュラハンを以てしても越えることはできなかったほどだ。過去の戦いにおいてもフレクリザードに一撃でも与えたものは誰ひとりとしていない。

 その戦局を突如として現れた謎の少女によって、一瞬にして覆されたのだ。無傷で数々の戦いを制してきたフレクリザードにも反撃の隙も与えず一撃を入れた。それがどれだけ尋常ならざることか、一番近くで見てきたティナにはよく分かった。

(な、なにが起きたというの……)

 声にこそ出しはしないが、ティナの顔には驚愕が浮かんでいた。 

「えっと……君は?」

 現場の困惑を代弁するように颯人が声を出す。いったいなにが起きているのかさっぱり分からない。

「自分の手の甲を見てみなさい」

 少女は素っ気なくそう告げる。颯人はそう言われ自分の両手の甲を見やった。

「え……まさか……」

 颯人の右手の甲にはこれまで存在していなかった狐を象った盟約印があった。それはどれだけ颯人がやっても成し遂げられなかったことだ。

「でも、なんで……」

「アンタ、ほんとに鈍いわね」

 フレクリザードの動向を注意しながら、少女は少し呆れたようにしながら説明する。

「アタシがアンタの守護獣になったってこと」

「君が、俺の……守護獣?」

 まだ状況を上手く飲み込めていないのか、ふたりの間で会話が成立していない。

 いい加減面倒になった少女は、

「ああもう! メンドくさいわね! 詳しくは後で説明するから、とにかくアンタは契約を承諾して」

 通常、守護獣が召喚されている場合、召喚術師の盟約印が淡い光を帯びるはずなのだが、颯人の盟約印はそうなっていない。つまり、まだふたりの間では召喚術師と守護獣としての契約が結ばれていないことになる。

「え、あ、うん。分かった」

 いまだ、なにがなんだか分からないが、颯人はとりあえず少女の言うことに従う。

「――我、汝を守護獣として盟約を交わす。汝、我が名のその身に刻め」

 ぽわぁっと、少女の左手の甲が光をまとう。そこには〈颯人〉と刻まれた。契約が結ばれた証拠だ。

「……雪花(ゆきは)」

 それと同時に脳内に浮かぶふたつの文字。少女の名――つまり幻獣として少女が持っている名だ。

「なあ、雪花」

「なによ」

「君は、俺を……認めてくれたのか」

 絶体絶命のところに現れて窮地を救ってくれた。そのうえ、守護獣として自分と契約してくれたのだ。盟約印は守護獣となる幻獣がその召喚術師を主として認めなければ現れることはない。それはつまり、雪花が自分を認めてくれたということだ。今までどれだけやっても成し遂げられなかったことゆえにそこはどうしても気になったのだ。

「勘違いしないで。アンタのことを完全に認めたわけじゃない。ただ……アタシもアイツのことを馬鹿にされてムカついたから、あの竜ごとぶっ飛ばしたいってだけ」

 素っ気ない反応だったが、それだけで十分だった。もう一度立ち上がるには、それだけで十分だった。

「なんだかよく分からないけど……面白くなってきたじゃない」

 ティナも同様に半分も状況を理解できていない。ただ、おそらくこちらにとってあの少女が敵であることはふたりのやりとりを見てなんとなく察すことができた。それにこれは野良試合。公式大会のような厳格なルールはない。つまり乱入も認められるということになる。

 ならば、こちらは誰であろうとねじ伏せるまでだ。徹底的に。

「それがあなたの本当の守護獣ってことかしら?」

「俺にもよく分かんないだけど……ただ、君に勝つための力を貸してくれるみたい」

 曖昧な笑みを浮かべる颯人の隣に佇む少女。

「あなた……名前は?」

「……雪花」

 態度には棘ある。敵意は丸出しといった感じだ。そして、今までに経験したことのないマナを雪花から感じる。

「大層自信があるみたいだけど――いつまでその自信が保てるかしらねッ! フレクリザード!」

 休んでいたフレクリザードが一気に空へと上昇する。

「さっきお返しよ!」

 雄叫びとともに優に千を超える無数の炎弾が襲いかかる。それはさながら天空から降り注ぐ隕石のようだ。

「なんて数だよ……」

 対レクター戦のときとはまるで比にならない。回避しようとしてできる限度をはるかに超えている。

「なに慌ててるのよ」

 雪花は一貫して冷静だ。雪花にもあの炎弾は見えているはずなのに、まるで気にしていないという様子だった。

「アンタの精神状態はアタシにモロに影響するだから、しっかりしなさい」

 雪花の言うことはもっともだ。だが、あれだけの数を目の当たりにして慌てないほうがむしろ難しい。

「でも、どうするつもりなんだよ」

「そりゃ避けるわよ」

「避けるって……、あの数をか?」

「もちろん。避けられないならそのときは――斬るまで」

 造作もないと言わんばかりの自信が雪花の口調から伝わってくる。無数に降り注ぐ炎弾を避けつつ、近づいてくる炎弾を斬るだなんで、普通に考えれば実行なんて不可能に近い荒唐無稽な作戦にしか聞こえない。

 だが、不思議なことに雪花なら可能に思えてくる。目の前で業火をぶった斬った雪花なら。

「……できるのか」

「もちろん。アタシの状態が最高ならね」

 それは暗に心配するなと言っているのだろう。

「分かった。信じるよ」

「言われなくても」

 手に持つ二本の小太刀とともに雪花は降り注ぐ炎弾の中に向かっていく。

 炎弾の中を駆け抜けていく雪花にはまるで迷いが感じられなかった。着弾地点を予測しているかのようにルートは的確で、着実にフレクリザードとの距離を詰めていく。

「もっとよ! フレクリザード!」

 雪花を近づかせまいと、ティナはさらに炎弾を増やすよう指示をする。炎の弾幕の勢いはより苛烈になっていく。もはや目で追えるものではなくなっているが、それでも雪花の勢いは衰えることを知らない。

 さながら戦場を駆け抜ける白い流星のようだ。フレクリザードをその小太刀の圏内に捉えるまでそう時間はかからないだろう。

「超特大のをお見舞いしてやりなさい!」

 数ではどうにもならないと判断したティナは大技に打って出た。莫大な量のマナがフレクリザードの元に収束し、今までの炎弾をはるかに凌駕する超極大の炎弾が生まれる。

「潰れなさい!」

 超極大の炎弾が雪花に向けて放たれる。このまま炎弾を放ち続けても雪花に当たる可能性は低い。いたずらにマナを消費してしまうだけだ。ならば、マナ切れを起こしてしまう前に避けることすら不可能な超極大のその圧倒的破壊力を以て一撃で倒してしまおうというのがティナの算段だった。

「雪花ッ!」

 颯人が叫ぶ。雪花は心配するなと言っていたが、あんなものまで使われたとあっては叫ばずにはいられなかった。

 ティナは相当焦っている。それは今まで一度も使ってこなかった大技を使っている時点で明白だ。

 フレクリザードが放った超極大の炎弾。見ただけでも分かる。あの中でこれまで生きてきて感じたことのない絶大なマナが渦巻いている。竜属の幻獣が最大出力で攻撃をした際の破壊力は街ひとつを消し去るレベルといわれている。さすがにティナもそこは出力を調整させていると信じたいが、それでもあの大きさをみるにかなりの破壊力を秘めていることは間違い。

 回避できなければ斬るまでと雪花は大見得を切っていたが、果たしてあれは斬れるものなのか。仮に斬ることができたとしても、雪花の持つ武器は二本の小太刀だ。大きさ的にも明らかに分が悪すぎる。

 もどかしかった。本来、召喚術師の役割は使役する守護獣の能力・特性と場の状況を総合して、どう動くかを的確に把握し導くことにある。召喚術師と守護獣は相互関係にあるので、その連携の巧さが物を言う。まして、召喚術師の中でも最高クラスの名家に幻獣でも高位存在に属する竜属のコンビを相手取ることなど、どれだけ連携が巧くても足りないくらいだ。

 だが、今の颯人にはそれができなかった。そもそも実戦経験など皆無に等しい。幻獣の扱い方もろくに分からず、この状況をどう打破すればいいか、そのビジョンすら見えてこない。

 そんな中でただひとつできることがあるとすれば、それは信じることだろう。雪花の状態に影響しないようただ信じること。今はそれしかなかった。

 不意に雪花が立ち止まった。

 諦念。降参。――いや、そのどれでもなかった。

 一瞬。雪花の二本の小太刀が青く光ったように見えた。通常マナは目には見えないが、収束する量が莫大なものになると、青く見えることがあるらしい。

 その直後――。

「十字払い!」

 超極大の炎弾が青い閃光によって十字に引き裂かれる。残骸となった炎弾を霧散していく。雪花はその勢いのまま無防備になったフレクリザードに向かって大きく跳躍する。

「アタシを見下ろすな、トカゲ」

 一閃――。

 直後、フレクリザードが悲鳴を上げて地に落ちる。空へ羽ばたいて逃げようとするが、上手く飛ぶことができない。ただただ地べたでもがいている。

 雪花がフレクリザードの両翼にダメージを与えていたのだ。空を自由に飛ばれることは雪花にとって厄介だった。一瞬の跳躍力はあっても空を翔けることができるわけではない。そこで両翼にダメージを与え、飛べなくすることで同じ土俵に引きずり込む。地上戦ならば、機動力において圧倒的に雪花のほうに分があった。

「フレクリザード、大丈夫!?」

 ティナが叫ぶ。その声に心配ないというように応じるフレクリザードだが、両翼へのダメージは致命的なものでやはり空へ飛翔することはできないようだ。先ほどの一戦も影響しているのか、動きはかなり鈍くなっていた。

「やっと地に落ちたわね」

 ここぞとばかりに雪花は一気に畳みかける。機動力は奪った。あとは地上戦で追い詰めるだけだ。距離を詰め、攻撃態勢に入る。

――そこでティナが笑う。

「さっきと同じだ……。雪花ッ!」

 デュラハンが攻撃をするその直前で吹き飛ばされたときと状況は同じだった。死角からの攻撃のため、デュラハンは対応ができなかった。それはきっと雪花にもいえることだ。加えて、先ほどの炎弾の雨霰で生み出せる量は無数にあるのだ。

 颯人の声が届く前に炎弾となって復活した残り火は雪花を捉える――。

「――やっぱり、昔戦ったあの化け物よりは劣るわね」

 対応していた。全てに。

「なっ……」

 これにはティナもただただ唖然とするばかりだった。もう戦える状況にないフレクリザードの最後の隠し玉をまるで見透かされていたように対応されてしまったのだ。

 追尾する炎弾に速度の差はほとんどない。つまり全て同時に襲ってくるのだ。その全てに対応するなど、並大抵のことではない。ある種神業にも近い芸当だ。

 戦いの一部始終を見ていた生徒たちは圧倒されて、もはや声すら出せないでいる。

「チェックメイト、でいいわよね?」

 地に落ちた赤竜を見下ろして、雪花はティナに問いかける。

「……」

 返事はない。ティナ自身、認めたくはないのだろう。それは表情からありありと伝わってくる。認めたくはなくても、認めざるを得ない。ここで己の激情に駆られて守護獣に無理をさせるなど、召喚術師としてなによりも恥ずべき行為だ。そんなこと、ティナ自身が許さなかった。

「……フレクリザード、お疲れ様。ゆっくり休んで」

 フレクリザードに駆け寄って労いの言葉をかける。頭を撫でて微笑む。ティナのその手と微笑みでフレクリザードは眠るように目を瞑り青い燐光に包まれて姿を消していった。

『え、えっと……』

『ど、どうなったんだこれ……?』

『どっちが勝ったんだ?』

 生徒たちがざわめき出す。が、どちらに軍配が上がったのか決めかねているといった感じだ。

 そんな観衆を尻目にティナはグラウンドから去っていこうとする。

「あ、ちょっと!」

 それに気がついた颯人がとっさに呼び止める。

「えっと、これって勝敗は……」

「……あなたの勝ちよ」

 立ち止まり振り返ってそう告げる。

「悔しいけど……あなたの勝ち。それと、あなたの一族のことを悪く言ったことは謝罪します。もう悪く言わないことも約束します」

 意外だった。いや約束だから当然なのだが、名家の生まれで、それこそいわゆるお嬢様みたいにプライドが高くて約束もあれこれ理屈をつけて反故にすると思っていた。たが、そこは彼女なりの矜持があったのだろう。ちゃんと約束を守ってくれた。

「……ま、まあ、分かってくれればいいから。そ、そんな暗い顔をしないでよ」

 ティナな終始うつむき加減で、決闘前や戦闘中にあった強者のオーラのようなものは感じない。

 ティナは勝ちにしてくれたが、それは雪花という颯人にとってもイレギュラーな存在が助けてくれたおかげだ。実際、颯人にも勝ったという実感はなかった。無効試合としてもよかったが、あれだけ勝ちにこだわってティナはそれを認めはしないだろう。それどころか、ティナの神経を逆撫でかねない。そんな追い討ち行為をするほど、颯人は嫌味な人間ではない。

 ――と、不意にティナが顔を上げる。そのときにはオーラの溢れるティナに戻っていた。

「このまま負けで終わるほど、私の勝利に対する思いは軽くはないから」

 今度こそ、ティナはグラウンドから去っていく。

「どういう意味だ……?」

 しばしの思考のあと、颯人が頭を抱えることになるのは言うまでもない。

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