幕間一

第6話

 人間という生き物がどうしようもなく身勝手で、無価値な存在であることを悟ったのは、少女がこの世界に来て間もない頃である。

 その日、初めて少女は自分がこちらの世界に召喚されたことを知った。

 少女を召喚したのは、齢にして二十代後半の身なりの整った召喚術師の男である。名は今となって忌ま忌ましい対象でしかなく、当の昔に記憶の彼方へ忘却して覚えていない。今でもあの男の名が身体に刻み込まれていたかと思うと、身の毛もよだつ思いだ。それくらい少女は男のことを忌み嫌っていた。

 そんな男のことをあえて紹介するなら、自己保身の塊とでも表現できよう。自身の評価のためなら手段を選ばず、非合法な手段にも手を染めるような男だ。少女も男の研究材料として召喚されたのだ。

 男は召喚術師連合というものに所属していた。幻獣について様々な研究を行う学術的機関で、男はその中でそれなりの地位を得ていた。召喚術師としての適正も高く、将来を嘱望されている人間のひとりだった。

 そんな男がおかしくなったのは、男が所長という地位に就いてから三年ほど経った頃だった。若い頃から優秀だった男はそれなりの成果を収めていたが、それが災いして男に対する周囲の期待はどんどん高くなり、通常ならば評価されるようなものであっても、男の実力と照らし合わせたときに低く評価されがちだった。その優秀さゆえに男はおもむろに追い詰められていってしまったのだ。そうして、男の精神が憔悴していき、それに比例するように研究は常軌を逸したものへと変化していった。

 少女が召喚されたのはそんなときだ。召喚されてすぐ独房に入れられた。独房には男に召喚されたであろう幻獣たちが多くいた。人間の作った独房など、常識を超越した存在である幻獣の力を以てすれば容易く破壊することができるそうなものだが、男の付与魔術によって力を抑制されているのか、壁や天井に抵抗の痕はあっても破壊までには至っていなかった。

 少女の同胞は乱暴に連れ出されては二度と戻ってくることはなく、日に日に一匹、また一匹と姿を消していった。

 そうして、少女の番まであと数匹となった頃。少女は独房から抜け出すことを決意した。普段は鍵がかけられ梃子でも開かない鋼鉄製の扉だが、独房から幻獣を連れ出すときは男がその扉を開けるのだ。チャンスがあるとすればそのとき。そして、少女は次に幻獣を連れ出すとき、それに乗じて抜け出すことに成功した。

 男の所業はすぐに明るみに出ることとなり、所長の座からは失脚となった。男によって監禁されていた幻獣たちは順番に元の世界へと戻り、全て無事に解決する――はずだった。

 男が少女を元の世界へと帰すと決めた約束の日、男が現れることはなかった。

 自殺だった。召喚術師連合が管轄する拘置所内で男は舌を噛み切って自殺した。巡回する召喚術師がいないわずかな時間を狙ったものだった。

 それによって少女は元の世界に帰る術を完全に失った。

 自ら門(ゲート)を開き、こちらの世界にやってきた幻獣ならば自由に行き来ができるが、召喚術師を介してやってきた幻獣はその幻獣を召喚した召喚術師をなくしては元の世界に帰ることはできないのだ。

 当然、少女を召喚した男もそのことは知っていたはずなのだ。召喚術師の基本常識であるそのことを優秀であった男が知らないはずがないのだ。

 現場を見た者の証言によれば、男の死相は――笑っていたという。そう聞かされたとき、少女は悟った。死の間際、男がなにを思っていたのか今では知る由もないが、それが性根腐りきった男の最後にして最大の報復だったのだろう。

 世界が全ての色を失ったようだった。

 それは少女にとって死よりも辛い結末となった。

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