第二章

第7話

「良い試合だったぞ、ふたりとも」

 理事長室に楽しげな笑い声が響く。イリスが颯人とティナを交互に見ていた。

「見てたんですか。理事長」

「あんな面白そうなもの、見ないわけがないだろ」

「人の気も知らないで……」

 はぁ、と颯人がため息を吐く。傍から見れば、超がつくほどのエリートと身を弁えない愚か者が消化試合をしているようなものにしか見えなかっただろう。

「理事長。勝手に決闘したこと、申し訳ありませんでした」

 颯人の横でティナが深く頭を下げる。

「そう畏まるな。グラウンドがめちゃくちゃになったのは少々痛いが、幸い休暇中だし、始まるまでには元に戻すから心配するな」

「ご配慮、ありがとうございます」

 再びティナが深く頭を下げる。それを見てイリスが苦笑する。畏まるなとは言われても、どうやら目上の人間に対する礼儀は身体に染みついてしまっているようだ。

「まあそっちの話はこの辺にして……」 

 イリスはふたりから視線を外し、理事長室の奥。本来なら応接用にある黒革のソファーにふんぞり返っている……つもりでいるようだが、身体が小さいせいで普通に座っているようにしか見えない雪花を見やった。

「あの小さい子が秋月の勝因たる守護獣か?」

「ええ、まあそうなんですけど」

 自分でもまだよく分かってなくて、そう言いかけたとき。後ろのほうで大きな音がして、

「――ちっさいて言うなぁああああ!」

 今にも襲いかからん勢いで雪花がイリス目がけて飛びかかった。

「お、おい!」

 慌てて颯人が押さえにかかる。フシューフシューと、お前はなにかの動物かと言いたくなるくらい鼻息が荒い。かなり身長のことについては敏感のようだ。

 言われてみれば確かに雪花の身長は低い。小学生高学年ぐらいの身長しかないように思える。

「元気のいい子供だねぇー」

 呑気そうな声でイリスは雪花の頭を撫でる。それも子供をあやすようにだ。それがさらに雪花を刺激する。

「子供扱いすんなー!」

 その反応が余計にツボにハマったのか、今度は雪花を抱きかかえようとする。

「おっ。意外に軽い。やっぱ人間と幻獣とでは身体の構造とかも違うんだなぁ」

「下ろせ! ぶん殴るぞッ!?」

 イリスの子供扱いはどんどんエスカレートして、雪花の反抗具合もどんどん増していく。

(なにやってんだよ、この理事長は……)

 もはやどちらが子供か分からないイリスの行動に再びため息を吐く。助けを求めるように颯人がティナのほうを向くと、ティナがしゃがみ込んでいた。さらに良く聞いてみると、なにかボソボソと呟いている。

「ど、どうしたの、ベレスフォードさん。気分でも悪――」

 心配になって顔を近づけたときに聞こえてしまった。

「あんな子供に負けた。あんな子供に負けた。あんな子供に負けた……」

 こっちはこっちで相当病んでいた。つぶやく言葉のひとつひとつがまるで呪いのようだ。もう決闘のことについては切り替えていると思っていたが、存外メンタルはあまり強いほうではないのかもしれない。

(な、なんなんだよこれ……)

 個性的すぎる面子に囲まれて、早くも本日三度目のため息を吐いた。


「いやあ、まさか、こんな子供がベレスフォードのフレクリザードを倒したとは驚きだな」

 やっと冷静さを取り戻したイリスは感心するように何度もうなずいた。実際、初対面の人間なら雪花を子供と勘違いしてもおかしくはない。竜を倒したと言ってもまともに受け取りはしないだろう。それだけ雪花の見た目と実力は比例していないのだ。

「だから子供って……!」

 またも憤慨しそうになる雪花だが、

「いや、褒めてるんだぞ?」

「え、あ、そう……。そうなの」

 意外に大人しく引き下がった。

「それにしてもちょうど良かったな、秋月」

「え、なにがですか?」

「ペアだよ。秋月、誰も組んでくれないって嘆いてたじゃないか」

 そういえば、そうだったと思い出す。だが、それはもう過去の話だ。颯人は妙に勝ち誇った顔をする。

「なんだ、急に気色悪い笑みを浮かべて」

「サラっと心に刺さる言葉、言わないで下さいよ……。ペアなら、もう見つかりました」

「なに? 幻獣を一回も召喚できなかったお前にか?」

「俺になんか恨みでもあるですか……」

 イリスは「すまんすまん」と快活に笑う。

「で、真面目な話、誰とペアを組んだんだ?」

「シエラです。断られるの覚悟で誘ったら、むしろ喜んでくれて。いやあ殺伐とこの学院の中で最後の良心ですね」

「シエラか。まあ、あいつなら秋月からの誘いを断るわけないな」

「え? なんでですか?」

「そりゃお前、あいつは秋月のことが――」

「理事長。お言葉ですが、それ以上の助言は野暮というものだと思います。これは彼個人の問題でもありますし」

「それもそうだな」

 なぜだかふたりで通じ合って、なんとも言えない視線を颯人に向ける。当の本人である颯人は、いったいどういう意味か分かっていないようだ。

「……あいつも大変だな」

 ぼそりとイリスが呟いて、

「ほんとですね」

 それに追従するようにティナがうなずいた。

(なんの話なんだ?)

 終始、颯人の頭上には疑問符が浮かんでいた。

「それでだ、秋月。雪花にこの都市の説明はもうしたのか?」

 不意にイリスがそんな質問を投げかける。

「都市の説明なんてさっき会ったばかりで、できてない……あ」

 イリスの言いたいことを察したのか、颯人は得心したような顔をする。

「なによ。またアタシを子供扱いしようとしてるんじゃ――」

「いや、そうじゃないんだよ」

 またも雪花の顔が不機嫌そうになる。また暴れられては収拾がつかなくなると思った颯人は食い気味に否定する。

「この都市で生きていくなら、守らなければならないルール。人類と幻獣が共存していくために定められた不可侵の規律があるんだ」

 適当に誤魔化しているではないかと、イリスに怪訝な目を向けるが、そのうなずく様子からは謀ろうとしているとは思えず、大人しく聞くことにした。

「そのルール、そんなに大切なわけ?」

 ふたりが自分を馬鹿にするつもりがないことは分かったが、颯人が言った『規律』ということにはまだ懐疑的な部分があった。人間ならまだしも、人智を超えた力を持つ幻獣に対して人間の決めた規則など、あってないようなものだ。正常に機能しているとは思えない。

「大切だよ。なんせ、規律を破ったら、人間は元より幻獣も拘束されるんだ。事の次第によっては、そのまま消滅させられることもあり得る」

「……消滅、ね。人間の割には大それたことを考えるじゃない」

 それは皮肉にも取れる発言だった。同じ幻獣である雪花からすれば、とても良い気分ではいられないだろう。

「といっても、消滅なんて滅多にないし、そもそも近年で幻獣が大暴れしたなんて話、聞いたことないからね。召喚術師でない人なら忘れているかもね」

「けど、そんな規律、野良の幻獣には無意味だと思うけど」

 召喚術師と契約している幻獣なら勝手な行動に出ることはあまりないが、召喚術師と未契約の幻獣ならそれこそ本能の赴くままに行動することあるはずだ。それが知らず知らずのうちに規律に抵触していたら、人間で考えるならば納得はしないだろう。

「うん、まあそうなんだけどね。けど、その辺は上手いこと対策を講じているんだ。俺も詳しいことは知らないんだけど」

「口を出すようだけど、説明するより実際に見たほうが早いと思うわよ。論より証拠とも言うし」

 颯人が苦笑いで誤魔化していると、ティナが会話に入ってくる。

 言われてみれば、確かにそうだ。あれは人間と幻獣という本来なら異なる存在同士が、互いに争うことなく生きていくために人類が編み出した叡智の結晶だ。あれのおかげで人類の生存圏が確保されているといっても過言ではない。

「よっぽど大層なものなのね」

 いまだに雪花の声は懐疑的だ。疑われている者が声高に主張すればするほど胡散臭く感じるように、知っている者だけの評価だけではどうにも判断しづらい部分がある。

「ベレスフォードの言うとおりだ。実際に見せたほうが早いぞ。それにそのついでに都市を案内してやれ」

「俺がですか?」

「当たり前だ。秋月以外に誰がいる」

 颯人は横目でちらりと雪花を見る。こうして見ると、少し気の強いだけの可愛げのある少女に見えるのだが、一連のやりとりから察するに、相当のおてんば娘であるのは間違いない。実際には人ではないのだが。そんな雪花を面倒をみきれる自信――守護獣である以上は家族同然なのだが――はなかった。

 そんな颯人の胸中を察したようにイリスが言う。

「秋月のことだ。自信がないんだろう。まあ今までのことを考えれば、それも分からなくはないが。だが、考えようによっては君自身の成長にも繋がるかもしれないんだぞ。召喚術師と守護獣は謂わば一蓮托生、運命共同体みたいなものだ。高名な召喚術師でもプライベートまで一緒に過ごす者は少ないと聞く。これを足がかりにして、どうだ? やってみろ」

 イリスのこういうところを颯人は信頼していた。普段は良くも悪くも適当というかいい加減な言動も多いのだが、ここぞというところではしっかりとしていて、助言してくれる。

「まあ、なるようにしかならないんだ、そう深く考えるな」

 身も蓋もない言い方だが、実際やってみなければ分からない。先のことを心配していても仕方ないと言いたいのだろう。それは颯人にも十分に理解できることで、素直に助言として受け取った。

「……まあでも、そうですね。念願の守護獣が来たわけですし、せっかくですから良好な関係が築けるよう頑張ってみます」

「その意気だ」

 そのとき、甲高い音が学院全体に鳴り響いた。学院で使用されているチャイムの音だった。休暇中でもチャイムは鳴るようだ。

「ちょうど話のキリもいいし、ここでお開きとするか」

 解散の雰囲気を醸し出すイリスに待ったをかける。

「なにか重要な話があると聞いて来たんですけど……」

 そこで颯人は呼び出された本来の理由を思い出す。ここへは重要な話があると言われて来たのだ。今までの話が重要かと言われれば、その大半は雑談をしていたような気がしないでもない。

「秋月の今後について話しただろう。十分重要な話だったと思うぞ」

「確かにそうですけど」

「なんだ、グラウンドの修理代でも請求されたかったのか」

 冗談を言っているつもりだと思うが、目は笑っていなかった。重要な話をあると言われて、てっきり今の冗談のようなことを言われると内心思っていただけに、何事もなく終わったことに颯人は少し拍子抜けしていたのだ。

「いえ、遠慮しておきます」

 丁重にお断りしておく。修理代など、どれだけするか分かったものではない。

「私の気が変わらないうちに言ったほうがいいぞ」

 半ば時限爆弾のようなその発言を聞いて、颯人はティナと雪花を連れて、そそくさと理事長室を出ていった。

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