第16話

「離れろ、雪花!」

「フレクリザード! 竜の息吹(ブレス)」

 間髪入れない斬撃のあとに紅蓮の炎がマンイーターを包み込む。斬撃によってできたわずかな傷を抉るように炎は隅々まで焼き尽くさんとする。

 雪花とフレクリザードによるコンビネーション攻撃は想像以上に効果的だった。雪花単体では小さな傷にしかならず、フレクリザード単体では強固な外皮によって炎はろくに通らなかった。しかし、そのふたつが合わされば話は別だ。ひとつひとつは小さな傷でも、その傷に炎が染み込むように焼いていく。相乗効果で本来与えられる何倍ものダメージを短時間で与えることができたのだ。

 それを証明するようにマンイーターの動きは格段に鈍くなっていた。機動力に長けている雪花には全くついていけず、雪花と比べれば鈍重なフレクリザードの全身を使った攻撃さえ回避できていない。消耗はかなり大きいのだろう。勝負はもう少しのところまできていた。

「いい感じになってきたわね」

 フレクリザードの動向を終始注視しながら、適切に付与魔術を行使するティナはそう口にする。

「これまでにない手応えだよ。これならいけるかも」

 追随するようにうなずく。手応えとしては雪花単体で戦っていたときより何倍も上だ。

 改めてティナと彼女の守護獣であるフレクリザードの強さを実感する。初めて決闘したときはその圧倒的な実力差に打ちひしがれ劣等感に苛まれたが、今はさほどそれらを感じない。やはり協力してくれているというのが大きいのだろう。

 精神状態はすこぶる好調だ。それが雪花にも影響を及ぼしているのか、動きにいつも以上にキレがあるように思える。

「このまま押し切る」

「誰に命令してるのよ」

 そんな悪態をつきながらも、ティナはフレクリザードを雪花の動きに合わせるように指示を飛ばす。

 動きの速い雪花が撹乱と斬撃を与え、交代するようにフレクリザードが手痛い一撃を放つ。速度に関して差がある二匹の幻獣だが、この場合はそれが恐ろしく噛み合っていた。機動力に長ける雪花ならばいかようにも対応できる。フレクリザードが雪花に合わせるように、雪花もまたフレクリザードに合わせていたのだ。

 攻防の末、あと少しで押し切れるというところで、ついにマンイーターが膝をついた。畳みかけるなら今しかない。すかさずティナが指示を出す。

「至近距離で炎弾よ!」

 口に炎を蓄えながらフレクリザードは降下する。至近距離での炎弾ともなれば、距離による威力減衰はほとんどなく、動けないマンイーターにはそれを避ける術はない。この一撃で決めるべく、このときばかりに配慮して抑えていた火力を解放する。

 最接近し、炎弾を放つまであと一秒もない瞬間――異変は起きた。

 片膝をついたマンイーターが不意に動き出し、フレクリザードの真下に潜り込む。そのまま圧倒的な膂力を以て持ち上げ、投擲武器がごとくぶん投げた。その矛先は雪花――ではなく司令塔であるふたりの召喚術師だった。

「演技だったのかッ!」

 謀られていたことを悟るも時すでに遅し。連携を取るために一緒にいたことが災いし、フレクリザードの巨躯も手伝ってふたりは完全に射程圏内だった。回避を試みるもその膂力によって投げ飛ばされた速度は圧倒的で、人間が反応できる速度をはるかに超えていた。

「ぐッ……」

 本来は守護獣に展開する障壁の付与魔術を自分に使い、衝撃を軽減する。それでも人体にとっては強烈な一撃で口からうめき声が漏れる。それはティナも同様だった。

「颯人ッ!」

 雪花が叫ぶ。その怒りの矛先はすぐさま目の前にいるマンイーターへと向く。ガッと地を蹴り、加速度的に距離を詰める。怒りを帯びた刀身はさらに鋭さを増し、強烈な一撃を叩き込む。

 だが、不思議なことにさきほどよりも手応えがなかった。今までと同様、雪花の速度には敵わず攻撃を受けているのだが、それでも何回かは見切ったように対応されていた。

 原因は簡単だ。マンイーターが主に手を出したことで怒りから太刀筋は鋭さを増し、一撃の威力を上げることに繋がったが、同時にその怒りが災いし無意識のうちに太刀筋が単純になっていたのだ。いかに流れるような太刀筋であっても、そのパターンを把握し予測することができれば対応は容易だ。主を狙ったのは雪花を逆上させる目的だった。所詮は人間である召喚術師は幻獣の力を以てすればどうにかなる。その前に邪魔な守護獣を片づけようとしているのだろう。

「しまっ――」

 雪花の素早い小太刀捌きの前になす術がなかったマンイーターだったが、動きを見切り、ついに小太刀を掴む。猛撃を受けながらもずっと見てきた太刀筋だ。マンイーターとしてはやっと追いついたというところだろう。

 小太刀ごと壁へと叩きつけられる。

「カハッ!?」

 叩きつけられた衝撃で動けなくなる。人体より強靱な肉体をしているといわれる幻獣だが、相手も同じ幻獣だ。雪花でなければ、その衝撃には耐えられなかっただろう。

 痛みに苦しんでいる雪花にマンイーターがにじり寄る。緩慢とした動作だが、その一挙手一投足には今までいいようにされてきたことへの怨嗟のようなものが感じられた。

 雪花の元まで近づくと動けない様をあざ笑うように見下ろし、パックリと大きく口を開く。捕食するつもりなのだろう。

 そして、その開いた口の奥。青い光を放っているものがある。幻核だ。本来なら弱点といえるものを相手に晒すのは自殺行為だが、動きが見られないことから抵抗はされないと踏んだのだろう。

 そう思って、マンイーターは大きく開けた口を近づける。

――パリン。

 ガラスの砕けるような音。その直後にマンイーターはくずおれた。晴れていく霧のようにその身は瞬く間に霧散していく。激しい戦いが繰り広げられたことがまるで嵐が過ぎ去ったあとのように静寂に満ちていた。

 なにが起こったのか。普通ならば大逆転劇だが、この場にいる者にとってはこの結末までが想定していたシナリオだった。

「……う、上手くいった」

 緊張の糸が一気に切れたように間の抜けた声が出てしまう。

「さ、作戦成功ね……。もう起きていいわよ」

 その声に今まで倒れていた――ふりをしていたフレクリザードが起き上がり、ふたりから離れる。

 フレクリザードが退くと同時に雪花の元へと飛び出した。

「雪花っ!」

 この作戦の立て役者といえる雪花は力なく壁にもたれかかっている。それが戦いの激しさを物語っていた。

 そんな戦いに自分は見ていることしかできなかった。付与魔術による援護もしていたが、それでも実際に戦場に立つのは守護獣だ。召喚術師ではない。それは仕方のないことのだが、終わった今でも胸中にはやりきれなさがあった。

 そんな歯がゆい気持ちを抱えながら、再び雪花に声をかける。

「雪花――」

 いくら声をかけても反応がないことに背中に冷たいものが走る。いくら重要な役回りだったとはいえ無理をさせすぎてしまったかもしれない。そんな悔恨に近い様々な感情が脳内をかき乱す。

 錯乱しそうな切羽詰まった声を上げようとしたとき。

「……疲れてんだから、耳元で騒がないでよ」

 どこか子供っぽさが残る声が颯人の耳朶をくすぐった。はっきりと聞こえたその声に沸騰しかけていた頭が冷や水を被されたように冷めていく。冷静さを取り戻すことができた。 

「大丈夫ならそう言ってよ……」

「幻獣は幻核が壊れなきゃ大丈夫なのよ。召喚術師ならそれくらい知ってるでしょ?」

 軽口を言うことができるぐらいには元気が残っていると分かってホッと一息つく。その一息で全身から力が抜けて、同じように倒れるように壁へともたれかかった。

「お疲れさま」

「あれくらい、どうってことないわよ」

 いつもどおりの少し意地を張った口調に、やっと日常に戻ってきたのだと実感する。あまりに現実離れしていた時間だった。いやひょっとすれば、遠からず訪れていた未来なのかもしれない。人間が作るものに絶対はない。それをまざまざと思い知らされた気分だった。

 だが、同時に分かったこともある。

 かような事態になっても、守護獣とともに手を取り合えば、なんとかできるということだ。守護獣と共闘経験のなかった颯人はより強くそれを感じていた。

 前線に立ち、死力を尽くしてくれた雪花には感謝の言葉もない。いや、彼女の成し遂げたことは言葉などというもので言い表せないだろう。近いうちに彼女が望む形で返したいと思う颯人だった。

「あの子は無事なの?」

 颯人にティナが聞いてくる。

「アンタに心配されるほど柔じゃないから」

 颯人が答えるより先に雪花が割り込む。いつものように少し棘のある口調だ。

「ほんとにいけ好かない子供ね。……でもまあ、今回ばかりは助かったわ。感謝してる」

 子供という単語に反応して食ってかかろうとする雪花だったが、予想以上に素直な態度に面食らったのか、それ以上突っかかることはなかった。

「フレクリザードのほうは大丈夫なのか?」

「ええ。多少の負傷はあったけど、元々竜属は怪我の治りも早いし、幻界に帰したわ」

「そっか」

 本当は雪花とともに戦ってくれたフレクリザードにも感謝を伝えたかったのだが、帰してしまったのなら仕方がない。

「今日は本当に助かったよ。フレクリザードにも伝えておいて」

「私も誰かと組むのは初めてだったから、いい経験になったわ。まあ、さすがにフレクリザードを投げられたときには焦ったけど」

「確かに。騙すためとはいえ、危なかったね」

 確実にマンイーターを倒すために颯人たちは一芝居を打った。それはどうやらマンイーターも同様な考えだったようで、雪花を潰すためにわざと片膝をついたのだろう。元々、騙すつもりだったので、颯人たちはあえてそれに乗っかり罠にかかったふりをした。まんまと罠にかかったと思ったマンイーターは雪花を捕食するために口を開けて幻核を晒した。

 一歩間違えれば、一転攻勢どころか最悪の事態もありえた作戦だった。逆にいえば、それだけの危険を冒さなければ倒せない幻獣だったいうことだ。そんな幻獣が出現したというのは、終わった今でも夢であってほしいと願うばかりだ。

「今日のことは私から学院を通じて召喚術師連合に報告しておくわ」

「なら俺も行くよ。当事者だし」

「あなたは先に帰って休んでなさい。連戦で疲れているでしょう」

「そんなことないって。ほら、こんなにピンピン……」

 勢いよく立ち上がったものの、少しふらついてしまった。連続の付与魔術の行使で知らずうちに身体に負荷をかけていた。戦っている最中はなにも感じなかったが、しかしこうして安堵できる状況になると、確かに少しだるいような気がする。

「こんな前代未聞の事件が一度起こってしまった以上、またいつ起こってもおかしくはないわ。あなたとあなたの幻獣を守るためにも今日は休みなさい。あなたはもう、ひとりじゃないんだから」

 無理をしていることをティナに見抜かれ諭される。

 ティナの言葉が頭の中で反芻する。

「……分かった。今日はもう休むよ」

「そうしなさい」

 ティナも必死に尽力してくれたので疲れていると思うの颯人だが、そんな柔な鍛え方をしていないのか、それとも自分を気遣ってあんなことを言ってくれたのか。いずれにしても、今までそんな気遣いをしてくれたのはシエラくらいで、その気持ちは素直に嬉しいものだった。

 と、そんなやりとりをしているとき、慌てた様子で何名かの人が建物に入ってきた。その中には召喚術師と思しき格好の人もいる。

「どうやら、向こうから迎えにきたみたいね」

 騒ぎを受けて駆けつけてきたのだろう。その騒ぎはすでにふたりの召喚術師とその守護獣たちによって解決しているが。

 ティナが率先して状況の説明をしている。それは颯人を思ってのことだろう。

 ほどなくして、ひととおりの説明は終わった。上階で建物の崩壊を食い止めてくれているシエラの所には何名かの召喚術師が引き継ぐ形で向かい、やっと三人は合流した。残りの召喚術師たちはとりあえず三人を学院まで送り届けると言ってきた。またいつ襲ってくるか分からないゆえの提案だった。

 それぞれの戦いに全力を注いだ三人にとってそれはありがたい申し出で、その好意に甘えることにした。

「雪花、立てる?」

 いまだ壁にもたれるようにして床に座っている雪花に手を差し伸べる。ティナとシエラはすでに用意された車に乗っているので、あとは颯人たちだけになる。待たせるのもあまりいいことではないだろう。

「ひとりで立てるから、先に行ってて」

 差し出された手を軽く払いのける。そこに悪意はなく、どちらかといえば恥ずかしがっているような感じだった。

「分かった。先に行ってる」

 必要とないと言うなら、無理にさせることもない。少し寂しいとは思いつつも、颯人は先に行くことにした。


「よいっ……しょ」

 颯人に少し遅れて雪花も立ち上がり、建物の出入り口を目指して歩く。座って休んだおかけでかなり回復した。手を差し出してくれたのに邪険に扱ってしまったことには少しばかり後悔していた。本心と裏腹な言動をしてしまうのは子供と揶揄されても、人間基準では仕方ないことなのかもしれない。

 颯人は良い奴だ。今日のことではっきりした。そろそろ、あのことを話してもいい頃かもしれない。

 そんなことを考えながら歩いていた雪花が出入り口まであと少しのところで立ち止まる。その顔は驚愕で染まっていた。

 不意に感じた視線と気配の出所を探す。

 駄目だ。すでに気配は霧散し、視線も消えている。ただ、あの気配だけは忘れたことがない。いや、忘れられるはずがない。あの気配は、まさか……。

「……そんなわけない」

 心の中で湧き起こる疑念を締め出す。あれはすでに終わったことなのだ。復活などありえない。きっと先の戦いで感覚が鋭敏になっているだけだろう。些細なことを増大させて感じてしまったにすぎないのだ。きっとそうに違いなかった。

 そう雪花は結論づけた。


 偶然振り返ったそのときの雪花の顔は颯人が一度も見たことのないものだった。ただならぬなにかがあったのだと、そう思わざるを得ない。

 今回の異常ともいえる事件となにか関係があるのだろうか。それともまだ話してもらっていない雪花の秘密に関することなのか。いずれにしても、決して悪い方向には進まないでくれと心中で切にそう願う颯人だった。

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