第一章

第1話

 近代的なビルが乱立する水上人工都市・クリプト。そのはるか上空を一匹の竜が飛んでいた。比喩などではなく、ファンタジーの世界でしか見かけないような巨大な両翼を持つ竜が飛んでいたのだ。

 竜が空を飛んでいるなんて、一世紀前の人間が聞けば、きっと一笑に付すだろう。どこのおとぎ話だと。どんなフィクションだと。

 だが、それが現実だった。そして、今となってそれがありふれた日常の出来事だった。

 世界がこんなファンタジーのような変貌を遂げたのは、今からおよそ一世紀前のことである――。


 当然、罠だとは分かっていた。これまでだって幾度となく同じようなことはされ続けてきた。

 だがもし。万が一。女子生徒ひとりが男子生徒数人に無理やり校舎裏に連れていかれるところに遭遇し、もし本当だとしたら――

 秋月颯人(あきづき・はやと)はそれを見逃すことはできなかった。

「あは、あはは……」

 当然のごとく――罠だった。

 まんまと釣られた颯人を出迎えたのは、男子生徒三人と連れ去られた……ように見えた女子生徒ひとり。そのうちひとりの金髪の男子生徒――名はレクター・リダウト。かなりガラの悪いことで有名で喧嘩っ早い男だ。

「あはははは……。どうやら俺の勘違いだったみたいで。それじゃあ失礼しま――」

「まぁ待てよ」

 引きつった笑みを浮かべて、その場を後ずさりで去ろうとしたところを制される。

「うわさには聞いてるぜ。あんた、あの秋月家の末裔らしいじゃねぇか」

「ひ、人違いだと思いますよ」

 完全に嘘をついているが、こう何度も辟易とするぐらい毎日勝負を挑まれては、嘘のひとつやふたつ、つきたくなるものだ。

「さあ、テメェの守護獣(ガーディアン)を見せてくれよ」

「いや、だから人違いだって!」

「じゃあテメェの名前を言ってみろよ」

「そ、それは……」

 思わず口ごもる。退路は取り巻きたちが塞いでおり、隙を突いて逃げ出すことも叶いそうにない。となると、選択肢はひとつしかないのだが。

「な、なあ。どうしてそこまで俺と戦いたいんだ」

 このガーディアンズ学院には颯人以上に強く、挑む価値がある生徒はごまんと存在しているのだ。まして、レクターは学院でも上位に食い込む実力者であり、その彼が自分より格下の相手に挑むなど、全く以て無意味なことなのだ。

「さっきも言っただろ。テメェが秋月家の末裔だからだよ」

「で、でも、俺の家系が活躍したのは一世紀ぐらい前の話で……」

「それでも、血筋は血筋。その才能は受け継いでいるはずだ」

 颯人の説得もむなしく、レクターは戦う気満々のようである。正直言って、勝てる見込みはない。本当は戦わずして、今すぐにでも逃げ出したいが、相変わらず退路は取り巻きたちによって塞がれている。なにも言わず、ただ道を塞いでいる姿は少し笑えてくるが、ここで声を出して笑おうものなら、なにをされるか分からない。

「……分かったよ。戦うよ」

「やっとその気になったか」

「……俺を戦ったこと、後悔するなよ」

 颯人は重低音の声にその言葉を乗せる。

「お、おもしれぇ……!」

 その言葉を戦闘開始と判断し、レクターは構えを取る。

「我が血の盟約の下、汝我が召喚に応えよ――デュラハン!」

 レクターの右手の手の甲にある騎士を象った〈盟約印〉が淡い光を帯びる。それと同時にレクターの前の地面にも同じ形をした〈召喚陣〉が出現し、眩いばかりの光を放つ。

「これが俺の守護獣、デュラハンだ」

 不敵な笑みを浮かべてレクターは言う。そのレクターの前には、漆黒の鎧を身にまとい、深淵のように黒い大剣を持つデュラハンの姿がある。

「さあ、次はテメェの番だぜ」

「分かってるよ」

……これでごまかせるといいけど。

 内心、希望的観測をしながら召喚に必要な呪文を唱える。

「我が血の盟約の下、汝我が召喚に応えよ――ノーマン!」

 地面に出現した〈召喚陣〉から白い色をしたデッサン人形のような守護獣が姿を現した。

――沈黙。

 あれだけ戦う気満々だったレクターはまるで意気消沈したように覇気がない。取り巻きたちも言葉を失っている。

 その反応を見て、ここぞとばかりに颯人が言い放つ。

「――こ、これが俺の守護獣だよ。俺はこの程度しかできないんだよ」

 颯人が召喚したのは正確には守護獣ではなく、入学時に新入生全員に与えられる守護獣を模した人形――通称、模擬幻獣(ノーマン)だった。

 通常はマナの扱いや本物の守護獣を召喚する前の練習として用いられるもので、戦闘能力は期待するだけ無駄といえるレベルだ。ほとんど生徒はその後に幻獣の召喚を行い、自分の守護獣とするのでそこで用済みとなる。

 しかし、颯人の場合は違った。颯人は学院内において唯一守護獣を持っていない。ゆえに颯人のノーマンは回収されておらず、まだ所持を認められていた。

 そして、颯人が思いついた考えというのがノーマンを召喚することにより自分を幻滅させ、レクターにその認識を改めさせること。つまりは、自分と戦うこと自体を時間の無駄と思わせることだった。その作戦の結果は――。

「――テメェふざけてんのかッ!?」

 逆上させる結果となり、完全に失敗に終わった。

「い、いや、マジだから! ほんとに!」

「ふざけんな! 仮にもあの英雄の末裔がこんな程度なわけねぇだろ!」

 レクターの反論は颯人にとっても耳が痛い話だった。颯人自身、あまりの出来の悪さに自分は本当にあの英雄の末裔なのかと疑っていた時期があった。ありとあらゆる文献などを調べ真相を確かめたのだが、どうやらそれは紛れもない事実だった。

 真実は分かったのだが、むしろそれがよりいっそう颯人には重圧としてのしかかった。自分が英雄となんの関係のない一般人だったならば、辟易とするぐらい絡まれることも、比べられることもなかったはずなのに。

「と、とにかく俺はほんとに駄目な奴なんだよ。だから、もう諦めて他をあたってくれよ」

 颯人の自虐ともいえる説得にレクターはわなわなと拳を震わせ、

「英雄の末裔殿は人をおちょくるのが大好きみたいだな……。――デュラハン!」

 レクターの呼びかけに応じるようにデュラハンは攻撃姿勢に転じる。

「ちょッ!?」

「こうなったら意地でも本気を出させてやるよ」

 レクターの指示に従って、デュラハンは大剣を振り下ろす。

 間一髪で躱す。続けざまに一発二発。普通の人間ならば、ある程度間隔ができるものだが、そこは疲れ知らずの幻獣。攻撃後の隙を作ることなく、その攻撃姿勢を崩さない。

「さっさと守護獣を出さないと、怪我じゃ済まねえぞ!」

「んなこと言ったってよ!」

 波のように押し寄せる攻撃を間一髪で回避していく。ここらで攻勢に転じたいところだが、戦闘には適さないノーマンでは攻撃したところで破壊されるのが関の山だ。

「うわっ!?」

 回避行動の最中、着地に失敗し転倒してしまう。

 デュラハンはその隙を見逃さず、大剣を振り下ろす行動に入る。

「――あなたたち」

 もう駄目だと、颯人が目を瞑った直後、少女の声がした。

「あぁ? なんだテメェ」

 レクターの威嚇をする先にいたのは、燃えるような赤髪を持つ少女だった。顔立ちは良く、場所が場所なら一目惚れをしてもおかしくない。

「誰だが知らねえが、邪魔すんならタダじゃおかねぇぞ!」

「一度だけ。一度だけチャンスをあげる」

「はあ?」

 意味の分からないことを言う少女にレクターは馬鹿にしたような声を出す。

「今すぐやめるっていうなら、一度だけ見逃してあげる」

「部外者はすっこんでろ!」

 はぁ、とため息を吐く少女。

「それがあなたの回答でいいのね?」

「ごちゃごちゃうるせぇな! デュラハン!」

 デュラハンは標的を颯人から少女に変えて襲いかかる。

「に、逃げて!」

 どこの誰だが知らないが、自分を助けてくれようとした人が目の前で傷つくの見たくない。腹の底から精一杯の声を出し、颯人は少女に訴えかける。

「……ちんけな守護獣ね」

――刹那。不意に周囲に影が落ちる。颯人も含め、ぞっとするような気配に満ち、全員が戦慄する。そして、それは奇しくも少女の守護獣が出現したのと同時だった。

「な、なんだよそれ……」

「私の守護獣――フレクリザードよ」

 まるでファンタジーの世界からそのまま連れて来たかのような巨体。鋭く大きい爪。猛々しく広がる巨大な両翼。背中には常時燃え盛っている炎。

「チャンスを棒に振ったってことは、フレクリザード(この子)の炎で消し炭にされるってことでいいのよね?」

 厭らしい笑みを浮かべる少女。

「……くそっ! お前ら、行くぞ」

 勝てないと判断したレクターは取り巻きたちを連れてこの場を去っていった。

「……ふぅ。ありがとね、フレクリザード」

 下げてくるフレクリザードの頭を撫でる少女。その穏やかな微笑みを先ほどとはまるで別人だ。

「あ、あの。君」

 しばし圧倒されていた颯人はやっとの思いで声を絞り出す。

 しかし、颯人の声が届く前に少女は去っていってしまい、結局いったい何者なのか分からずじまいだった。

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