第9話
部屋の片づけが済んだということで、改めて雪花を招き入れた。ワンルームの部屋には寝るためのベッドや棚、その他およそ生活するうえで必要と思われる家具は一通り揃っている。
「自分で揃えたの?」
「いや、入寮したときから揃ってたよ。たぶん寮備えつけなんだろうね」
ぐるりと部屋を見回しながら言う。お金の調達手段に乏しい学生にとっては最初から生活に必要な家具が揃っているのはありがたかった。
「結構な待遇ね」
「そりゃ今の世界の状況を考えれば、ひとりでも多くの召喚術師が必要だからね」
空には竜が。海には体長何十メートルにも及ぶ巨大なタコやイカが。陸には小さな小人や三つ頭を持つ犬が。そんなおとぎ話のような光景が今となっては日常茶飯事と言えるくらい当たり前の光景となっていた。幻獣と呼称される彼らの生態系は既存の生物とは大きく異なる。幻獣が現れるようになって一世紀ほどが経つ今日でも、その全貌は明らかになっていない。
「今のところは大きな衝突はないみたいだけど、といっても幻獣は人類の常識を越えた存在だから、なにが起こるかは誰にも想像できないからね。だからこそ、いざというときに対応するためにできるだけ多くの召喚術師が必要なんだよ」
何事にもイレギュラーはある。それをもし、先人たちがなにも想定せず手を打ってこなかったら、今頃人類は生存していなかったかもしれない。そう豪語する召喚術師もいるくらいなのだ。
「一部屋一部屋、家具が全部揃ってるんだから、金持ちなのね。ここは」
「まあ一応、名門に入るからね」
水上人工都市・クリプトができてから、最初期に作られたガーディアンズ学院は歴史は古く、それゆえに召喚術師を育てるノウハウも豊富にある。
「で、アンタはそんな名門で優遇されながらも、なにひとつ成果を出していないと」
さらりと、それでいて颯人の心に深く突き刺さる言葉を言う。颯人も分かりやすく動揺する。
「……気にしてるんだから、そこには触れないでほしいなぁ」
「まあ、アンタのこれまでなんて、はっきり言ってどうでもいいのよ」
ばっさりと切り捨てられた。その言葉とおり、雪花はそれ以上言及はしなかったが、それはそれでなぜだか、少し傷ついた颯人であった。
「それにしても……」
「な、なんだよ」
唐突に雪花が颯人を凝視する。突然の行動に颯人の動きがぎごちなくなる。人にはない、透き通った空色(スカイブルー)の双眸が颯人を見つめる。
「外見はやっぱり面影はあるのよね」
なんのことかと、しばらく頭を悩ませて、そのうちになにかひらめいたようにポンっと手を叩いた。
「ひょっとして、秋月源一郎のこと?」
「やっぱり知ってはいるのね」
「一応ご先祖様だし。かなり遠くはなるけど……」
とりあえず名前だけは口にしたみたが、それ以外のことは颯人はあまり知らなかった。いや、正確には文献などに記されていることについては以前調べたときに分かっていた。だが、それはあくまで後世の人間が想像混じりに書いたのもでしかない。本当のところは誰にも分からないのだ。それはもちろん、颯人も同様だった。
「そういえば、何度かアイツって言ってたけど、それってひょっとして……」
「アンタの想像してる通りよ」
「雪花もあの人のこと尊敬してるの?」
世界を救った英雄と称される秋月源一郎だが、現存する彼の逸話に対して懐疑的な声は多かった。世界を救ったのは本当に彼だったのか。肯定派よりも否定派の方が多いくらいだ。
かなり遠くなるとはいえ、先祖にあたる人の悪い風評は聞いていて気持ちのよいものではなかった。颯人としてはどう思っているか気になるところだった。
「アタシがなんて言ってたか覚えてないの」
呆れたように雪花が小さな肩を竦める。
雪花に言われて、決闘のときの記憶を頭の奥から探し始める。あのときは決闘に集中して半ば興奮状態だったが、振り返ってみると、雪花がどう思っているかは明白だった。
「『アイツを馬鹿にされてムカついたから』だったっけ」
確かそう言っていたはずだ。
「それくらい、ささっと思い出しなさいよ」
「そ、そんな言い方をしなくても……。でも、珍しいよね」
自分と同じ思いを持つ同志を見つけられて、颯人は顔をほころばせた。純粋にそう思っただけなのだが、
「突然笑わないでよ。気持ち悪い」
気持ち悪がられてしまった。
「で、なにが珍しいの?」
「あ……、うん。血縁のある俺なら当然だけど、自分以外でそこまで熱心になってくれるのは珍しいと思ったんだ」
「そりゃだって――」
なにか言おうとしたのだろう。それは颯人にも分かった。しかし、それより先の言葉が続けられることはなかった。言わなかったのか、言えなかったのか。いずれにしても、先ほどまで流暢に喋っていた雪花は黙りこくってしまった。
「え、えっと……」
なにか踏んではならない地雷を踏み抜いてしまったのではないかと、颯人はばつが悪そうな顔をする。なにしろ、雪花と契約してから時間はそれほど経っていない。分からないことのほうが多いのだ。地雷を踏んでしまった可能性は十分にある。
「……なんでもない。気にしないで」
次に続けられた言葉はそれだった。
「そ、そう? ならいいけど」
そう口では言いつつも、気がかりではあった。気にしないで、なんていう言葉はなにか悩みを抱えている者がよく口にする言葉だ。幻獣とはいえ生物である以上、思考する能力はある。人と同等の知能を持つといわれているほどだ。それはつまり、人でいうところの『悩み』に相当するなにかを持つ可能性もあるということになる。
「なによ、そのいかにも『心配してますよ』的な顔は」
「そんな顔をしてた?」
分かりやすくとぼける。昔から考えが顔に出やすいと言われることが多かったが、人の感情に機敏なこの少女の前では特に気をつけなければいけないようだ。
「人間に心配されるほど、幻獣は弱くはないし、落ちぶれてもいないわよ」
「まあそれはそうだけどさ」
雪花の言うことは正しい。どれだけ力のある召喚術師でも、結局は幻獣の力を借りているのにすぎない。多くの召喚術師はそれを理解したうえで信頼関係を構築している。
「……でもさ。やっぱり心配だよ」
ほんの一瞬、雪花の目が見開く。
信頼関係――聞こえはいいが、その大半は打算で成り立っている。いかに幻獣の力を引き出し利用するか。強い幻獣を契約できれば、それだけで自身の力として誇示できる。そう考えている召喚術師は少なくない。
そんな中で颯人が発した言葉。真っ直ぐな目でそう言ったのだ。そこには打算もなにもない。あるのは、まるでひとりの人間を心配するような優しさと守護獣を家族として受け入れた温かさだった。
「――し、心配するなって言ってるでしょ! 子供扱いしないでってば」
「い、いや別に子供扱いしてるわけじゃ……」
ただ純粋に心配しているだけとつけ加えたいところだったが、言ったところで逆効果にしかならないと感じて、喉の奥に押し込んだ。
(難儀だなぁ……)
内心でため息を吐く。どうにも扱いが難しい。本人は子供扱いするなと言うが、その反応そのものが子供じみていて扱いに困ってしまう。思春期の子を持つ親というのはこういう気持ちなのだろうか。
「ちょっと散歩してくる」
ばっと雪花が立ち上がる。何歩か歩いたところでなにが音を立てて落ちた。安物のアクセサリーのような音だった。見ると、床にペンダントのような物がある。それが本物かイミテーションなのかは判断がつかないが、とりあえず拾うために手を伸ばした。
「――触らないで!」
今までに聞いたことのない声だった。決闘の際、ティナに対して抱いていた怒りからの声とは別種のもの。もっと胸の奥。心の奥から出てきたような鬼気迫るものだった。
そっと優しく、雪花はそのペンダントを拾い上げる。
「突然、怒鳴ってごめん。でも、これは、そう……とても大切なものなの。だから、誰にも触られたくなくて……」
先ほどまでの気の強かった感じから打って変わって、とてもしおらしかった。それだけ素直な感情だったのだろう。気になる部分もあったが、そこに土足で入り込むほど颯人は無神経な人間ではない。きっと幻獣にも人や主に話せない秘密はあるはすだ。それを忌憚なく言える、いや言い合える仲になってこそ、真の信頼関係を築くことができたといえるのかもしれない。
いつか、雪花が自分の口で話してくれるのを信じて待つことにした。なによりも召喚術師が自身の守護獣を信じることが良好な信頼関係を築く第一歩であろう。
「俺こそ、不用意に触ろうとしてごめん……」
まるでダイヤモンドを扱うように丁寧な動作で元あった場所にペンダントを付け直す。
「わ、分かればいいのよ」
いつもの調子を取り戻して言う。
「でも、ちょっとくらい見してほしいなぁ……なんて」
「はぁッ!? さっき大切なものって言ったでしょ。聞いてなかったの!」
そうは言って気になってしまう。秘密にされるとなおさら気になってしまうのは人間の性というものだろう。
「雪花が持ったまま見せてくれればそれでいいから。少しだけお願い」
「イヤよ! あっち行きなさいよ!」
生者を追いかけるゾンビのごとく迫る颯人にすげない態度で追い払う。
「少しだけでいいから見せ――うわッ!?」
不意に颯人の身体が傾く。急ごしらで片づけたものの、まだ床には不要物が残っていたようで、それにつまずいたのかバランスを崩してしまったようだ。
「ちょっと、なにやって――きゃっ!?」
一度勢いづいてしまったものは自分の身体であってもどうしようもなく、そのまま雪花のうえに覆い被さってしまった。
「なにやってるのよ。本当にどんくさいわ――ッ!?」
一瞬どこかに視線が行ったかと思うと、見る見るうちに雪花の顔が紅潮していった。余程のことなのか、瞳孔もこれまでにないくらい開いてしまっている。
「ごめん。なにかにつまずいて倒れちゃったみたいで……」
そのとき、颯人は初めて自分がなにを触っている――触ってしまっていたか認識した。人形(ひとがた)の幻獣の身体も人間と似たような感じだと知ったのもそのときが初めてだった。両手にある小ぶりではあるが柔らかく少し暖かな感覚。男なら一度は触れてみたいと思うものだろうが、過去に一度も触れたことのない颯人はそれを認識するのに時間がかかった。
「――ご、ごめんッ!?」
慌てて両手を離すのと全身の温度が上がっていくのとでは、果たしてどちらが早かっただろうか。わずかに手を離すほうが早かったかもしれない。
「おーい秋月ー。お前の守護獣記念に祝いに来てやったぞ」
「お、お邪魔します……」
「なんで私まで」
不意に何者かの声が聞こえてきた。誰が訪ねてきたかはその声と態度だけで容易に判断がつく。
「ひゅー」
「――ひゃっ!?」
「……最低」
扉がガチャリと開く。それとともに聞こえてくる三者三様の声。ひとりは面白がるような声を、ひとりは恥ずかしそうな声を、ひとりは心底ドン引きしたような声を出していた。
本当にタイミングが悪いというのはこういうことを言うのだろう。
どれだけ取り繕っても事実は変わらない。これまでの過程など、この場を見た者には関係ない。その光景は、まだあどけなさが残る少女に思春期の男が跨がっていかがわしいことをしようとしているようにしか見えない。そのうえ、実際には相手は少女ではなく幻獣で、それも今日契約したばかり守護獣だ。手を出すなど常軌を逸した蛮行にも等しいものだ。
「――ちがッ、違うッ! これはその、ふ、不可抗力で」
無駄だとは分かっていても必死に取り繕い、こうなった経緯を説明する。だが、そんな説明も虚しく三者の態度に変化はない。むしろ、よりいっそう嫌疑を深めてしまった。
イリスは意地悪そうな笑みを浮かべ、シエラは赤面し背を向けて、ティナはまるで生ゴミを見るような心底軽蔑した目で颯人を見ていた。
(はぁ……なんでこんなことに……)
内心でため息を吐く颯人だが、そんな彼は状況の説明に意識を向けすぎて、あることをひとつ失念してしまっていた。
「――いぃぃぃぃぃつまで乗っとんじゃこの変態ぃぃぃぃぃぃぃッ!」
幼い少女にはない力で颯人を押し退けて、鋭い右ストレートが炸裂した。
激しい衝撃に吹き飛ばされ意識を失っていく中で、決闘での小太刀が使われなかったことに颯人はなぜだか感謝した。
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