第18話 商人の縁

『――開放リリース


 布地に広げた魔法陣に向けてフュリアタが呪文を唱えれば、ほのかな光が灯る。フュリアタの魔力が魔法陣に満ち、そして格納されていた商品が魔法陣の上に浮かび上がった。


「商品に変わりは無いですね」


『格納』の魔力を受けたことによって商品に変質が起きていないかをフュリアタは確かめる。


 フュリアタたちアグザウェ商会が『店』を広げたのはダンジョン3層の広場の奥、4層への入り口にほど近い場所だった。


「商売するニャ場所は悪くねえが――ちっとばかし気にいらんな」


 じっと目を細め広場の奥、4層のほうをジルグドは睨む。迷宮行商人が商売をする相手はダンジョンへ奥へと挑む冒険者。であれば、商売相手はダンジョンの奥からやってくる。店を置くには好都合というわけだ。

 だが、ダンジョンの奥から来るのは商売相手ばかりだとは限らない。


(竜……)


 あえてに声には出さず、シュンディリィは心中でその不吉の名を呼んだ。6層の扉から5層に現れたという最悪のモンスター、それがシュンディリィたちの足元で今も暴れておりいつここに来るかもわからない。

 シュンディリィの緊張を感じとったのか、ジルグドはフと笑い、少年の肩に登って尻尾で彼の頬を軽く叩く。


「あんまり無駄に心配すんなよ小僧。来るかどうかもわかんねえモンスターに怯えるのなんざバカバカしいぜ?」

「……うん!」


 気楽げにそう笑う歴戦の戦士に、シュンディリィもうなずいた。


「ホレ、わかったらさっさとフュリアタを手伝え! 仕事は山積みだぞ!」

 

     ○


 肩を押され、駆け出す少年の背を見てジルグドは笑みを消す。ピクピクと顔の筋肉が動き、何かを感じ取るかのように細く伸びたヒゲが揺れる。


(とは言ったものの……どうにもヒゲの具合がよろしくねえ)


 それは何か根拠のある確信ではない。だが言葉では現せない、彼の戦士としての、そして動物としての勘が『よからぬもの』が近づいてきていることを知らせている。

 だがそれをあえて伝えてようとは思わない。魔物を恐れていては迷宮行商人としての仕事は務まらないからだ。ジルグドがひとかどの戦士としてフュリアタを守る以上、彼女にも一人前の迷宮行商人として動く責務というものがある。若さや未熟さは言い訳にはならない。


「……荒れた初仕事にニャりそうだ」


     ○


 準備、と言っても結局のところは外の露天商とそう変わりはしない。広げた布(これは魔法陣がそのまま使える)の上に商品を見栄えよく並べるだけのことだ。違うところといえば、その隣にテントを設置することだろう。外の露天商であれば仕事の時間が終わったなら家に帰ればいいだけの話だが、昼も夜もないダンジョンの中で商売をする以上しばらくはここに滞在しなければならない。


 地下にあるフリークフォドール霊廟は気温も湿度も年間を通して安定しているため、実のところ寝袋一つあればテントはそれほど必要なものではないのだが(実際にテントを立てずに過ごしている迷宮行商人は多い)、なにせフュリアタはうら若い女性である。護衛だからってノゾキにまで対処していられるか! とジルグドはテントを持ってこさせた。彼なりの親心なのかもしれない。


 そのテントは厚手の防水布を軽金属製のポールで立てる一般的なものと同じであるが、唯一違うところといえばアグザウェ商会の屋号が入っていることぐらいだろう。(「……本当は花柄とかにしたかったんですが」と残念がっていたフュリアタにジルグドは猛烈に渋い顔をしていた。)


 ともあれ、居住空間は一応確保できた。テントは二人で使うにはギリギリの狭さだが、どのみち誰かが店番をしていなければいけないため、二人そろってテントに入ることはほぼないだろう。


「これで準備は完了ですね!」


 ぐっと拳を握り、フュリアタは快活に笑う。彼女にとっては初めての商売ではあるが、手順はしっかりと学んでいる。

 シュンディリィは手伝いを申し出たものの、テキパキとした彼女の動きにほとんど出る幕もなく準備は終わってしまった。もとより働き者の彼女であるが、それにしても動きはしっかりとしていた。


「手慣れてますね」

「組合の、他の迷宮行商人の方たちのところで学ばさせてもらっていたんですよ」


 彼女が属するドンキオッカ市の商業組合には彼女以外にも多くの迷宮行商人がいる。幼いころに両親を亡くした彼女は、商売のイロハを親からではなく他の商人から学んだのだろう。


「……父さんのおかげなんです」


 商売のやり方をわざわざ他人の子供に教えようなどという酔狂な人間はそうそういない。それでもなおドンキオッカの迷宮行商人たちが彼女の師となってくれたのは彼女の父、先代のアグザウェ商会の主の影響があったからだろう。


「こいつの親父は変わったやつでな」


 シュンディリィたちの話を小耳に挟んだのか、商品の影にゴロリと寝転んだジルグドが口を挟む。


「目端が利いて……商機ってのか? をつかむのが上手いやつだったよ。それでいてその儲け話も自分の一人の手に余るとなりゃ惜しげもなく他人にくれてやるのさ。『自分ひとりが稼げりゃそれでいい、なんてのは二流三流のやることさ』とか言ってな」


「フュリアタさんのお父さんは欲が無かったってこと?」

「いや、ちょいと違うニャ。あいつはあいつで自分の商売のことを第一に考えてたさ。ただその方法論として自分の稼ぎだけじゃなく他のやつの稼ぎも頭に入れてたんだろうよ」


 言われ、シュンディリィは少し首をかしげた。

 個人の利益を追求するよりも全体の利益を優先し、それによってさらに自分も利益を得る……ということなのだろうか? 商売人としては駆け出し以前のシュンディリィにはいまいちピンと来ない考え方だ。

 ジルグドは苦笑する。


「わかるような…わからないような…って感じだな? 安心しろ、俺もよくわからんさ。『上』で会った大商人のオバハン――(フュリアタはジルグドを睨む)――ゴホン、御婦人殿みてえな大物がそうするってんならまだわかるが、あいつはそれほどでもないただの迷宮行商人だった。

 ……だが、そうだな。あいつには『徳』ってもんがあったのかもしれねえな」


「徳?」


 聞き返すシュンディリィに、少し考えながらフュリアタは答える。


「そうですね……おおざっぱに言ってしまえば善性による他人への奉仕の気持ち、というようなところでしょうか?」


「借金で首が回らんやつに気前よく金を貸してやるようやつのことさ。――だがただのお人好しと違うのは、あいつの場合金を借りたやつがしっかり恩義を感じて、ちゃんと借りを返す気になっちまうってことさ」


 そういうジルグドもフュリアタの父にはひとかたならぬ恩義があると言っていた。そしてそれを返すために、大金での雇い手などいくらでもいるであろう凄腕の戦士でありながら律儀に駆け出し商人のフュリアタの専属の護衛となっている。それもフュリアタの父が持っていた『徳』なのだろう。


「で、その親父の縁でこいつは方々の迷宮行商人のところで勉強してたってわけさ。真面目なだけが取り柄のやつだから、それなりに可愛がられたみたいだが……仕入れの腕だけはいつまで経っても身につかなかったのはとんだお笑いだがな」

「ううっ……」


 痛いところを突かれフュリアタは肩を落とした。


「だがそれでもまぁ……」


 フュリアタをからかう口ぶりから一転し、ジルグドは懐かしむような遠い目で並べた商品を見渡す。

「あいつの残したもんがこうして結果になり、また『アグザウェ商会』が始められるってのは悪い気分じゃないな」


 ジルグドもまたフュリアタの父が遺した『縁』だ。彼女の父に恩があるという彼は、費用をほぼ度外視して彼女のガードとなっている。猫戦士一人を雇うというのは並大抵のことではなく、ジルグドが受けた恩というのがいかに大きいかを物語っている。


「――でも私だって、父さんに負けていません」


 ふわり、と商売用のエプロンを革鎧の上につけながら仕入れた商品と、そしてシュンディリィのほうを見てフュリアタは誇らしげに微笑む。


「私には私の『縁』がありますから」


 得心したのか、ジルグドもまた口の端をつりあげて笑う。


「なるほどな。たしかにこいつばっかりはおまえ自身の縁だろうよ」


 目利きの苦手なフュリアタが偶然出会い、アグザウェ商会で働かないかと誘ったシュンディリィ。彼だけはフュリアタの父は関係ない、フュリアタ自身が得て結んだ縁である。


「きょ、恐縮です」


 あらためてそう言われるとむず痒いものがあるが、彼女の『縁』第一号としては思わず背筋が硬く伸びる。ただのアグザウェ商会ではない、『フュリアタの』アグザウェ商会はシュンディリィが居てようやく始まるのだ。そう思えば嬉しさと緊張が増してくる。

 そしてそこに――


「なあ、あんたら道具屋かい? ちょっと急な入り用なんだが……」


 鉄鎧をつけ、剣を腰に下げた戦士風の男が話しかけてくる。言うまでもない、お客だ!

 フュリアタとシュンディリィは顔を見合わせ、


「はい! おうかがいします!」


 笑顔で、そして大きな声でそう返事をした。

 場所はフリークフォドール霊廟第3層広場、新米迷宮行商人フュリアタと落第鑑定魔術師シュンディリィの、アグザウェ商会最初の仕事が始まった!


(続く)

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