第9話 仕事の準備

「それで帰っていきなりこの大騒ぎってわけか」

「まあ、急な話だったからね……」


 そう言って呆れたようにして尻尾を揺らすジルグドに、シュンディリィは苦笑する。

 目の前ではフュリアタがドタンバタンと倉庫をひっくり返しながら何か道具をかき集めている。売りに出す商品、ではない。迷宮行商人として初仕事へと出向く彼女自身が使う、商売道具だ。

 迷宮行商人の仕事とは基本的には市街で商売をする行商人と同じ、商品を売り場へと持って行き、広げて道行く人間(迷宮行商人の場合は冒険者に)へ見せて売りに出すことであり。それは何も変わらない。


 しかし問題は売り場の場所だ。迷宮行商人が商品を持っていくのはその名のとおり迷宮ダンジョンの中。太古の危険な罠と血に飢えた魔獣、あるいは悪意を持った犯罪者……そういった存在と遭遇する確率が非常に高い場所である。

 自分の身と、そして何よりも商品を守るための準備はけして怠ることはできない。

 フュリアタが引っ張り出してきた古めかしい装備類を手に取って眺める。


「鎧、武器、鞄……こういうのは普通の冒険者とそうは変わらないんだね」


「そうだな。冒険者どものように魔獣と積極的にやりあうわけでもないが、それでも戦う可能性はゼロじゃねえ。最低限の備えってもんは必要だ」


 そんなものか、と納得しながらシュンディリィは鎧を検分する。

 女物のやや埃のかぶった年代物の皮鎧だ。軽くて丈夫な分厚い牛皮のところどころに軽金属のパーツで補強が入れてある、動きやすくそれでいて堅実な鎧だ。縫い目に綻びなどは多少あるものの、とりあえず使用する分には問題はないだろう。

 武器は大振りの戦闘ナイフだ。剣というにはやや短く、ただのナイフというには少々物々しい。油が塗られ丁寧に手入れはされているが、わずかに刃が欠けているところなどもあり、これが実際に使用されていたものであることを物語っている。


『――鑑定アプレイザル


 たわむれに手に取った鎧へ鑑定の光を向けてみる、するとシュンディリィの脳裏にはいつものように言葉が浮かぶ。


『年経た武具には魂が宿るというが、この鎧に宿る魂は戦士のものではなく商人の魂であるだろう』


 使い込まれた古めかしい皮鎧。それを使っていたのは戦士ではなく商人だということを示した。この鎧はフュリアタの母が使っていたものなのだろう。

 軽く頭を振って魔術を解除すれば、傍らのジルグドはのん気に毛づくろいをしているばかりだ。ふと、気になってシュンディリィは彼に問うてみる。


「ジルグドも護衛としてフュリアタさんについていくんだよね? 準備はしなくていいの?」


「ん? 俺か? 俺は――」


 シュンディリィに問われ、ジルグドは一本の小さな銀色のナイフをくわえ上げ、


「こいつ一本で十分よ」


 そう言って不敵に笑った。


「ええっ……?」


 シュンディリィはやや戸惑う。ジルグドが強力な戦闘種族であるところの猫戦士キャトゥオーリアなのは間違いない。しかしいかに猫戦士といえど、こんなナイフ一本で本当に戦えるのだろうか?


「こいつはただのナイフじゃねえ、まあ見てみろ――そらっ!」


 口にくわえたナイフを器用に一振りすれば、シュンディリィの目の前で驚くべきことが起こる。


「ナイフが……伸びた!?」


 人間の握り拳二つ程度の長さであったナイフの刀身は、ジルグドの動きとともに倍以上の長さに急激に変化した。


「魔法武器ってやつさ。なに、別に大したもんでもねえ。ちょっと気の利いた店に行きゃ誰でも買えるもんさ。単に刀身の金属をそのまんま薄く延ばすだけの代物だ、多少便利だが戦士の武器ニャ不十分さ」


 ジルグドの言うとおりである。近接武器とはその形状や強度もさることながら、『重量』もまたその攻撃力に影響を及ぼすものである。

 基本的に武器は重ければ重いほどその攻撃力は高い。重量のある物体を振り回すことで破壊力に変えるのが武器という概念の根本であるからだ。

 そうなるとこの武器の攻撃力はかなり低いということになる。小さな猫であるジルグドが持てる程度の重量のナイフ、その刀身を普通の長剣サイズにまで伸ばしても重量がそのままであるならば攻撃力は低いままだ。いや、それどころか刃先の重量は減ってしまう分攻撃力は低下してしまうといってもいいだろう。

 しかし――。


「だがそいつはあくまでも人間の戦士の場合。俺ら猫戦士はな――■■■」


 ジルグドが口中でゴニョゴニョと、人間の言語では表記することもできない特殊な発声で呪文を唱えれば――。

 ガシャン! と激しい音を立てて長剣へと姿を変えたナイフが跳ねる!


「重力魔法でこの通り、さ」


 ジルグドの魔法により急激に重量を増加させたナイフは、切っ先を倉庫の地面に突き立てる。ジルグドはその剣のつかの上にチョコンと乗り、ニヤリと笑う。

 たしかにこれならば武器の重量は関係ない。ジルグドほどの使い手であれば剣を振るう瞬間は限りなく軽く、剣を相手に斬りつける瞬間は限りなく重くと自在に変化させることも可能だろう。

 これこそが猫戦士が強力な戦士として畏れられる由縁の一つであった。


「ジルグド! 何をしているんですか!」


 物音を聞きつけてフュリアタが物置から顔を出す。倉庫の床に突きたてられた長剣を見て、眉根を寄せた。


「シュンディリィくん、あまりジルグドを調子に乗らせないでください。彼が父さんや母さんも頼った凄腕の戦士なのは私も承知していますが、だからといって店の中で暴れられては困ります」


「かたいことを言うなよフュリアタ。俺だってやっとこさ久しぶりの仕事なんだぜ? ちょっとは肩慣らしの一つぐらいしておきたいってもんさ。なあ小僧?」


 フュリアタとジルグド、双方からつつかれる形となったシュンディリィは苦笑いするより他ない。

 とはいえ、ジルグドも仕事を前に多少の緊張を持っているのはたしかだろう。これから向かうダンジョンは危険度も低い初級向けのダンジョンだというが、護衛のジルグドは気を抜くわけにもいかない。フュリアタも仕事柄一般的な成人女性よりは体力はあるほうなのだろうが、魔物と戦えるほどではないのだ。


「それで? 結局アミュリタ――いや、おまえの母親の装備は見つかったのか?」


「ええ、なんとか一式見つかりました」


 ジルグドに問われ、フュリアタは倉庫から引っ張りだしてきた装備を並べる。先ほども見た皮鎧と戦闘ナイフの他にも金属製の額当てや皮の手袋やブーツ。なんらかの魔法的効果があると思しき装身具アミュレットなどがある。どれも実用性を重視したものであるが、わずかながらも装飾があり女性が使っていたものだということがわかる。


「ふむ。多少埃臭いが……まあ問題なかろうよ」


 装備の状態を検分したジルグドはそう保証した。本来ならば鑑定師であるシュンディリィが装備を鑑定し、問題が無いかを確かめるべきなのだがシュンディリィの特異な鑑定魔術ではそれは期待できない。

「…………」


 やや情けない思いを抱えながらも、自分があてにならない鑑定をするよりは歴戦の戦士であるジルグドの目のほうが信用できるだろう。ダンジョンで身に付ける装備であれば間違いはあってはいけない。


「ダンジョンに行くのは明日、でしたか」


「はい。出発は明日の早朝になりますね。ダンジョンはこのドンキオッカの街から少し離れたところにありますが、道はによって整備されていますし昼頃には到着できるかなと思ってます」


「そっからさらにダンジョンの中の『市場』まで潜るのにさらに半日かかるとして合計で丸一日。商売を一日やってそっから帰ってくるのにまた一日。日程は合計三日ってとこか」


 指折り数えるように尻尾を振るジルグドに、フュリアタはわずかに眉を寄せて困ったような顔をする。


「順調に売れれば、ですけどね……。場合によってはもう二、三日ダンジョンの中で粘ることになるかもしれませんけれど」


「うげえ、下手すりゃ一週間がかりかい。そいつはなんとも御免こうむりたいところだな」


 なるほど、あらためて聞いてみるとダンジョンの中に商売に行くというのはなかなか大変なことのようだ。街の中の市場に商売に出向くのとはやはりわけが違う。


「でも、やっと念願の初仕事ですから! 私も売り込みをがんばりますよ!」


 シュンディリィ君も頑張って商品を仕入れてくれたんですからね! とこちらを見てフュリアタは笑った。その笑顔は今までになく快活で、彼女が本当に仕事への意欲を持っていることを物語っていた。


(ああ――僕の仕事はここまで、なのかな?)


 ふとそう気づき、胸にわずかな痛みが走る。

 自分の仕事は仕入れの苦手なフュリアタに代わり、商品の仕入れを行うことだ。

そしてその仕事はすでに完了し、あとはフュリアタが行商に出向くだけだ。自信ありげな彼女の姿から、まさか仕入れだけでなく売ることも苦手だなどということもないだろう。ならばもう自分が――シュンディリィが手伝えることなど何も無いのだ。

 それはなにもおかしなことではないのだが……わずかな寂しさに似た感情は胸に迫る。だがそれを訴えたとて、フュリアタたちを困らせるだけだということもシュンディリィは理解している。

 ならば自分は大人しくしているべきだとシュンディリィは判断した。


「留守番は……任せてください! このお店のほうは僕がしっかりと守りますから!」


 笑顔を作り、胸をドンと叩いて請け負った。鑑定師としても未熟であれば、一人前の男でもない自分ではその程度のことしかできない。せめて彼女たちが安心して仕事に打ち込めるようにする、それだけがシュンディリィにできることだ。

 だけど……。

 フュリアタとジルグドは、意外という顔をした。


「シュンディリィくんは一緒に来てはくれないんですか?」


 その問いに驚いたのはシュンディリィのほうだ。


「えっ……僕もダンジョンに行っていいんですか?」


 逆に問い返す言葉にジルグドは何かを納得したように苦笑した。


「ああ、普通は仕入れ担当の鑑定魔術師は売り子に行く必要ないと考えるわな! そりゃそうだ! くっくっく……俺としたことが、すっかりおまえさんも来るもんだと思ってたぜ」


 フュリアタも笑う。


「そうですね、たしかに変でした。でも――父さんと母さんはいつも一緒でしたから」


 それが彼女にとっての迷宮行商人ダンジョンパッカーの姿なのだ。

 ただフュリアタが、自分とシュンディリィに父母の姿を重ねてくれたことに、シュンディリィの頬は熱くなった。

 加えてジルグドは言う。 


「実際の所おまえさんが来てくれると都合がいいこともある。護衛は俺一人で十分だが、ダンジョンの中で『人間』が一人ってのはどうしても手が足りないって事態が起きやすい」


 それはそうかもしれない。ジルグドは護衛としては凄腕であり、魔物や犯罪者から彼女を守ることは容易いかもしれないが、ダンジョンの中で起きるトラブルはそれだけではない。

 例えばもしもフュリアタが怪我や急病を起こしたとして、彼女をダンジョンの外に連れ出すとなると小さな猫の身体のジルグドでは都合が悪い。誰かもう一人、人間が居てくれたほうがいいということなのだろう。


「本当に、僕が一緒でいいんですか?」


「はい。ジルグドが一緒ですから、そうそう危険は無いとは思いますが……それでも大変なのは大変です。なので私としては無理にお願いはできませんが、でも……

 ――シュンディリィ君が一緒に来てくれればとても心強いです」


 フュリアタの蒼くまっすぐな瞳で見つめられ、そう願われれば断れるシュンディリィではない。それに何より、


(僕が仕入れに関わった商品が売れるところを、ちゃんと見られるのなら……!)


 改めてそのチャンスを与えられてみると、その思いはシュンディリィが自分で考えていたよりも、ずっと強いものであるとわかった。

 魔術学院で落第し、一度は見失いかけた鑑定魔術師への道。それが形はどうあれまだ続けていけるなら……


(ダンジョンの中だろうと何処だろうと、行ってやるさ!)


 そう決意し、シュンディリィは少年らしい快活さで強く頷いた。


「わかりました! 僕も一緒に行きます!」

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