第8話 ダンジョンへ行くことを決める
シュンディリィがフュリアタの元で働き出して数日経った日のことである。
商品の仕入れ(これはもう事実上完全にシュンディリィの仕事となった)から帰ったフュリアタとシュンディリィは、アグザウェ商会の前に立つ一人の人物と出会った。
「あ……サーフォーズさん」
サーフォーズと呼ばれた人物は50がらみの中年で、恰幅のいい体形と胸元まで伸びる顎鬚が特徴的な男だった。腰に巻いたエプロンや服装などから彼も商人であることが知れた。
「やあ、おかえりなさいフュリアタちゃん」
帰りを迎える形となったサーフォーズはにこりと笑って挨拶をする。
(どちら様なんですか?)
シュンディリィは小声でフュリアタに尋ねる。フュリアタの取引相手であるならば失礼があってはいけない。
フュリアタはうん、と頷いてサーフォーズとシュンディリィの間に立つ。
「こちらはマダリ・サーフォーズさん、このあたりの中小商人のまとめ役といいますか……ドンキオッカ商工会で私がよくお世話になっている方です。――サーフォーズさん、彼はシュンディリィ君といいまして。少し事情があって私の店を手伝ってもらっている鑑定魔術師さんです」
「なんと、この少年は鑑定魔術師かい!」
目を丸くしてサーフォーズは驚く。魔術学院があることもあり、ドンキオッカでは別段鑑定師が珍しいわけでもない。単にフュリアタが鑑定師を雇っていることに驚いたのだろう。
「いえ、あの! 僕は鑑定魔術師といっても見習いといいますか、見習い以前の落第者といいますか。とにかくそんな大した者ではないんですが……」
魔術学院を落第になったばかりの自分が一人前扱いされてはさすがに気恥ずかしいにもほどがあると、慌ててシュンディリィは弁明する。
だがフュリアタは落ち着いた笑みでそれを否定した。
「そんなことはありませんよ。シュンディリィ君が仕入れを手伝ってくれているおかげで私は大助かりです。予定の商品ももう8割がた仕入れできました。これは驚異的なスピードです!」
(そりゃあフュリアタさんの仕入れに比べればマシだろうけどさ!)
実際はそれほど楽な話ではない。シュンディリィの仕入れは自身の奇妙奇天烈な鑑定魔術を騙し騙し使うのと、あるいはそれに頼らない魔術学院で学んだ基礎的な商品選びのテクニックで行ってきたが、良い商品を仕入れられる割合はせいぜい3割程度というとこだろう。
今のところ致命的な不良品や粗悪品だけはなんとか回避できているし、品質にバラつきの少ない大量生産品などの仕入れは問題ないのだが、先日のポーション選びのときのような醜態をさらさないかと常にひやひやとしながら仕入れを行っている。
(フュリアタさんにかっこ悪いところはもう見せたくはないしなぁ……)
と、少年の心に思うのは止められない。気になる女性、それも年上の働く女性相手ならば少しでも有能なところを見せたいと思うのは人情というものだ。
……もっとも、落第鑑定魔術師の少年に仕入れを任せっぱなしなフュリアタのほうもそうとうに『かっこ悪い』のであるのだが。
そんな彼らの事情を知ってか知らずか、サーフォーズは我が事のように嬉しそうにうんうんと頷いた。
「そうかぁ。フュリアタちゃんも鑑定魔術師まで雇っていよいよ本気で商人としてデビューするつもりなんだね。……立派になったとお父さんやお母さんもきっと喜んでいるだろうね」
サーフォーズもまた、ジルグドのようにフュリアタの両親には尊敬の念を持っているのだろう。彼の言葉の端にはわずかに親しみと、そして敬意の念がこもっていた。
「うん。それならこれを持ってきた甲斐もあるってものだね!」
そう言って、サーフォーズはなにやら書類を取り出し、フュリアタに手渡した。シュンディリィは彼女の手元を横から覗き込む。
「連絡帳、ですか?」
書類は硬質の紙で出来たバインダーに留められていた。バインダーの表紙には『ドンキオッカ商工会連絡帳』と書かれている。その中身はといえば、
「そう。これは各店舗の休業の連絡であるとか、売り出しの告知などを知らせあうための物だね。そして
「……ダンジョンの出張名簿表」
そのページをめくり、真剣な面持ちでフュリアタはつぶやいた。
ページに書かれているのはドンキオッカ周辺の主なダンジョンの名前と、それに対応して明記されている人物名と思しきものだ。
「誰がどこのダンジョンに行商に出ているかを書いてあるんですか?」
シュンディリィはそう推察した。
商工会に所属し情報を共有する商人同士であれば、誰がどのダンジョンに何を売りにいっているかを事前に把握することができ。その情報を利用すれば競合する相手とダンジョン内で鉢合わせし、おたがいの商売を妨げあうことになる愚を犯さずに済むというわけだ。
情報共有で競争を回避するというのは市場原理としてはあまり褒められたことではないのかもしれないが、なにぶん商売の場所が場所だ。ダンジョンという危険地帯に出向いて商売を行うというリスクをすでに負っている以上、ある程度のリスク低減の手段は冒険者たちからも看過されていることだ。
「見て欲しいのはね、ここ。フリークフォドール霊廟のところ」
名簿を覗き込んだサーフォーズは、ページの片隅を指差す。フリークフォドール霊廟と書かれた欄の、『日用品・雑貨』を担当する迷宮行商人の部分が空白となっていた。
「ここは明後日にブルゾイの女将さんが出向く予定だったんだけどね。今朝になって急に娘さんが産気づいちまってねえ。おかげでブルゾイさんとこはてんやわんやでそれどころじゃないってことになってね」
どうやらフリークフォドール霊廟に出向く予定の商人が急に行けなくなってしまったらしい。サーフォーズはその代理をフュリアタに打診しにきた、ということなのだろう。
「とはいえここは先週別のモノが潜ったばかりだから、今はあまり売れ行きも期待できそうになくてね。他のところを差し置いてわざわざ出向こうかっていうやつもなかなか居なくてさ。――どうかな、フュリアタちゃんは行って見る気はないかい?」
問われ、食い入るように名簿を見つめていたフュリアタは顔をあげた。
サーフォーズの言葉通りならば、実入りはそれほど期待できないということだろう。しかし逆に考えれば、他の商人に気を使うこともなく気楽に出向けるということでもあり。
つまり迷宮行商人としての初仕事にはピッタリというわけだ。
フュリアタは、その美しい青の瞳でシュンディリィの目を見た。人間を鑑定してはならない鑑定魔術師という仕事柄、普段からあまり他人とは目を合わせないように心がけているシュンディリィではあるが、彼女に瞳を向けられるとどうしても目はそらせない。
その瞳に魅入られたから、彼は今彼女の隣に立っている。
頬がわずかに上気するのを感じながら、シュンディリィも彼女の瞳を見て言った。
「僕もこれはチャンスだと思うよ、フュリアタさん!」
フュリアタに付いて共に市場をめぐり、仕入れを行ったここ数日間。彼女は彼女なりに真剣に商売のことを考えていて準備をしてきたのをシュンディリィはずっと見てきた。
もしも彼女をシュンディリィの魔術で鑑定できるならば、きっと未来へと躍進する彼女を占う言葉が浮かぶはず。
仕入れが苦手という商人として致命的な短所を持ちながらも、けして諦めることなく自分の仕事に向き合い続けた彼女の努力が実を結ぶのならば、それは今だという確信がシュンディリィにはあった。
フュリアタはシュンディリィの言葉に強く頷き、自前の道具袋からペンを取りだし、名簿へと己の名前を書きこんだ。
『フュリアタ・アグザウェ』その名がドンキオッカ商工会の公式記録に上るのはこのときが初めてのこと。そして『シュンディリィ』の名が歴史に刻まれるのはこれよりもまだまだ先のこと。
「ダンジョン・フリークフォドール霊廟への行商のお仕事。私――いえ、私たちアグザウェ商会が担当させていただきます」
サーフォーズにそう告げる彼女の青の瞳は、けして迷いに揺らぐことなく凛として決然の光を湛えていた。
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