第23話 猫戦士の力

「……!」


 ジリジリと肌を刺すような空気を感じ、シュンディリィは息を思わず呑んだ。

 膨れ上がるのはドラゴンの圧力と、それに抗する猫戦士キャトゥオーリア――ジルグドの気迫だ。全身の毛を逆立て、剣を構えたまま竜とにらみ合う。対峙する二者ではあるが、竜はシュンディリィが見上げる大きさであり、ジルグドはシュンディリィが見下ろす小ささだ。その体躯の大きさの差は100倍どころの話ではない。


 しかしジルグドが発する気はけして竜に劣るものではなく、むしろ竜の気勢を押し返すほどに強い。これが地上最強の戦士の一族、猫戦士。その最精鋭たるジルグドの力であるのか。

 自分よりもはるかに小さく、しかしけして侮りがたい強者に対し竜は攻撃の術を探りあぐね。じわり、と全身を震わせ敵の隙を見つけようとする。竜はけして愚かな生物ではない。言葉を発することはなくとも、その脳髄にはたしかな知性を宿している。

 そしてそれに相対する猫戦士はむしろ獣的獰猛さを有する!


gNAOOOOOOOO!!


 喉の奥から低い威嚇の唸り声で敵を牽制、しかる後に攻撃をしかけた!


「!」


 ジルグドの攻撃はまさに電撃的であった。構えた剣の煌めきが白銀の軌跡を描き、一筋の光条となって竜に躍り掛る。狙いは竜の顔面だ。

 キィイン! と鋭い金属音が響く。ジルグドの剣閃が竜の眉間をとらえたのだ。小さな猫の身体から繰り出されたとは思えぬ重く鋭い斬撃。しかし……浅い!


「チッ……」


 弾かれたのはジルグドのほうだった。竜の外皮と鱗は鋼鉄に匹敵する強度だ。貫くには生半なまなかにはいかない。

 空中で身をひねるジルグドを狙い、今度は竜が攻撃を見舞う。

 ジルグドの位置は竜の眼前、そして身動きの取れない空中……とあればそれは竜の必殺の間合いを意味する。竜の最大にして最強の武器、恐ろしき刃の如き牙を用いた咬撃だ!

 口を開けた竜はその顎でジルグドをとらえんとする。そのサイズ差は人間で言えば、宙に舞う豆粒一つに食いつこうというほど。圧倒的差異だ。


 だがそれでもジルグドは怯まず臆さず、空中で敵に向き直りなが決然と相手を睨む。

 竜の牙とジルグドの剣が交差し、激しい火花が散る! ジルグドは大質量でもって迫りくる竜の勢いを完全に打ち払った。体格の差を覆すのは猫戦士の得意するという、今は失われ人間の魔術師では呪文を発声することすらできない超絶の古代魔術『重力操作』によるものだ。

 重力操作によって操られた剣の重量は瞬間的に激しく増大し、竜の質量に拮抗する。しかしこれはタイミングを誤れば剣に振り回され体勢を崩す危険な動きだ。それを成し得るのはひとえに猫戦士が、ジルグドが優れた戦士であるからである。

 古代魔術の行使だけが猫戦士の本領ではない。その古代魔術を巧みに使いこなす、生まれながらにして精強な戦士であることこそが猫戦士の強みなのだ。


「す、すごい……」


 激しく切り結ぶ猫と竜の戦いにシュンディリィは目を奪われる。戦士の『観』など持ち合わせないただの少年であれど、この戦いが尋常でないことぐらいは容易にうかがい知れた。

 ……だがその戦いに見惚れていたことが仇となった。

 ブゥン! と風を切る音を立てながら、戦いを見守っていたシュンディリィの眼前に竜の尾が迫った!


「う、うわぁッ!? ――うぐっ!」


 悲鳴をあげてシュンディリィは身を伏せるが、尾の一撃で破壊された商店の破片が身体を打った。鎧のおかげか大した怪我ではないが、それでも重い痛みが身体に響いた。

 この攻撃はシュンディリィを狙ったものではなく、ジルグドを狙った竜の牽制にすぎない。ただそんな竜にとっては小技程度、ジルグドにとっては躱すだけで事足りる動きであったが傍観者の少年にとっては致命的ともなりかねない一撃だ。


「ボケっとしてんじゃねえ!」


 ジルグドはシュンディリィの傍らに降り立ち、もう一度返し狙いくる尾を剣で弾いた。

 最強の戦士たるジルグドをしても竜は鎧袖一触に倒せる相手ではない。まして満足な装備もない状況であればなおさらだ。その上ジルグドはシュンディリィを守りながら戦わねばならないのだから状況は依然として不利なままだ。

 ではシュンディリィが離れれば、と思うだろうが。もしシュンディリィがこの場から逃げ出せば竜はその後を追うだろう。それを追撃し、足止めする手段は今のジルグドには無い。今この場で、ジルグドはシュンディリィを背にかばい続けなければならないのだ。


 Grrrr...


 喉を鳴らして竜は猫と少年を見下ろす。表情も何もない竜であるが、その気配にはわずかな余裕が混じり出した。おそらく竜も気づいたのだろう、この二者が離れることのできない関係の存在であり、目の前の厄介な猫は無力な人間を守らねばならないのだと。

 次の攻撃はおそらくシュンディリィを狙ってくる。シュンディリィの運動能力では竜の攻撃をしのげず、ジルグドは後手に回ることとなる。そうなれば生き残る道は閉ざされてしまう。ならば――



 静かな声でジルグドは少年の名を呼びかける。竜からはけして視線をそらさず、背中越しの問いかけだ。


「どうにもこの状況は。この戦い俺一匹ではどうにもならんと見た。勝つにせよ逃げるにせよ状況を打開をするには――おまえにも命を賭けてもらう必要がある」

「……!」


 シュンディリィは息を飲んだ。ジルグドはシュンディリィにも竜と戦えと言っているのだ。


「「嫌だ。怖い』ってんなら……まあそれもかまわん。逃げ切れるかはわからんが、少しくらいは時を稼いでやる」


 逃げる少年を猛追撃するであろう竜を全力で足止めするとあれば、ジルグドにとっても分の悪い戦いどころではない。死を覚悟して戦う必要がある。

 ジルグドはなんの気負いも無く「おまえが恐れるのであれば、俺の命を捨ててやろう」と言ってくれたのだ。けして捨て鉢なのではない。気高き猫戦士であれば、恐れ戸惑う無力な人間を救うために命を賭すのはごく自然なことであるのだ。

 そしてその上で共に戦うことを彼は求めた。生き残るにはそれしかないと。

 ――否、力を合わせれば生き残れるのだと!


「……!」


 ぐ、とシュンディリィは恐怖に震えそうになる歯を噛み締め、目の前の猫戦士と、そして敵である竜を見た。

 正直なところをいえば怖い。今すぐ背を向けて逃げ出したくなる。だけどこの小さな、そしてこの上なく頼れる戦士が自分の力を求めてくれたのなら。

 それに応えなければ男ではない!


「……戦えと言われたって僕に何ができるのかはわからないし、正直言ってすごく怖いけれど……」


 絞り出した勇気の言葉を続ける。


「それでも僕が協力することでどうにかなるっていうのなら――やるよ! 僕も戦おう!」


 少年の答えに猫戦士は満足げにうなずく。


「腹ァ決めたってツラだな。いいぞ、そういう野郎は俺も嫌いじゃねえ。――ヘタレて逃げてくようじゃあフュリアタのことは任せられねえしな?」

「なっ――フュリアタさんは関係ないだろ!」


 いきなりフュリアタのことを持ち出してくるものだから、シュンディリィは状況も忘れて赤面する。もとはといえば彼女のために、向こう見ずにも竜の前に飛び出していったのだから。

 少年をからかい、わずかなリラックスを得たジルグドはニヤリと笑う。


「くくく。女にコナかけてえなら俺の機嫌をとっとくに越したことはねえぞ。なんせ俺が手貸してやりゃあ――」


 言いながらジルグドは急跳躍。飛びかかるのは敵ではなくシュンディリィの頭上!


「――竜だって倒せるぜ。モテるぞ? 竜殺しはよ」


 ペタリ、と少年の頭の上に密着するように着地する。


「!」


 その猫戦士の行動に刺激され、竜が再び攻撃に移る。相手が一つとなったのならばこれ幸い、まとめて踏み潰すのみというつもりか。

 それを見て慌てたシュンディリィは頭上のジルグドに問いかける。


「ジ、ジルグド! 一体何を!?」

「動くなよ。気が散るだろ」


 迫りくる竜に動じることなく、ジルグドはじっと魔力を練り上げる。


「――」


 一瞬の沈黙。ピン、と張り詰めたような鋭い魔力を滾らせ猫戦士はその魔術を発動する。


「『同調シンクロ』」


 ドォン! 迷宮の石畳を激しく震わす、竜の振り下ろしの前足が――炸裂した!

 少年一人と猫一匹など余裕で覆い尽くせる巨大な足裏が地面に勢いよく叩きつけられれば、瞬間的なすさまじい突風が生まれる。散乱した商店の破片が舞い散り、土煙をあげた。

 ダンジョンの中を流れる風が土煙を洗い流したとき、そこにあったのは無残に踏み潰された少年の遺体――ではない!

「!」

 竜は目をむく。踏み潰そうとした人間と猫は五体満足のまま、竜の足元に居た。踏み潰そうとした脚は、人間が斜めにかまえた銀色の剣によって受け流され狙いを外されていたのだ。

 竜の攻撃を捌いた人間――シュンディリィは低い声で呟く。


「……あっぶねえなあ、ギリギリじゃねえか。取り込み中だってのがわかんねえのかクソトカゲ」


 それは彼らしからぬ粗野な口調の言葉だ。折り目正しい少年のものではなく、まるでその頭の上にいる猫戦士のもの……。


(な、なんだこれ!?)


 驚きは少年自身にもあった。急に身体が勝手に動いたかと思えば剣をかまえ、まるで凄腕の剣士のような技量と力で竜の攻撃を防いだのだ。声を発したのすら自分の意思ではない。何者かがシュンディリィの身体を強化し、操ったとしか思えない。そんなことができるのは――


「『同調』の魔術は初めてか? まあそりゃそうか。人間の魔術師じゃ赤の他人の身体なんぞ動かせないわな。せいぜいが濃い血縁者か、儀式と契約でがんじがらめにしたやつくらいのもんだ」


 疑問に答えたのはやはりシュンディリィ自身の声。ここまでくれば疑う余地もない。シュンディリィの身体を操っているのは、


(ジルグドがやっているの!?)

「応よ。おまえを守りながら戦うとニャるとこいつが一番手っ取り早くてな。おまえの身体、使わせてもらってるぜ」


 自分の体が勝手に動き喋るというなんとも気持ちの悪い事態にシュンディリィは身悶えしようとするが、それもできず。せいぜい鳥肌を立てることぐらいしかできなかった。

 シュンディリィの身体を操ったジルグドはボリボリと腕をかき、人の悪い笑みに顔を歪めさせる。


「気持ち悪いのはわかるがまあそう嫌がんなよ。今は動けないだろうが、契約も何もしてないんじゃ一時的な同調がせいぜいなんだ。おまえが本気で同調を切ろうと思えばすぐに切れる。そんでも――」


 ギィン! と激しく鋭い金属音が響く。竜の身体を剣で弾きその反動で後ろに飛んで少年は間合いを取った。


「竜を倒すぐらいのことはできるだろうさ」


 今や最強の猫戦士と一つとなった少年は、不敵な笑みで敵に向き直る。

 戦いはまだ始まったばかりだ。



【続く】

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