第24話 竜と剣と

「はぁ、はぁ、はぁ……」


 息を切らせながら、フュリアタはフリークフォドール霊廟第3層の『市場』を駆け抜けていく。竜が背後からは店舗を破壊する轟音が響き、彼女を焦らせる。手にはこれまでの売上などが入ったバッグ、そして商品を『格納』した魔法陣だ。

 飛び出していった少年の時間稼ぎのおかげもあり、彼女は商品を持ち出すことに成功したのだ。だがその代償は……。


「シュンディリィくん、ジルグド……!」


 彼女の背後、竜の眼前に残ったままの二人の名を呼びながら彼女は安全圏へと駆けていく。『小僧のことは俺に任せて、おまえは他の商人と一緒に逃げろ!』そう彼女に厳命したのは護衛であったジルグドだ。彼が救援に向かったのであればシュンディリィはきっと無事なのはず、そう願うのだが。


「おい、お嬢ちゃん! こっちだ!」


 ダンジョンを支える構造物、ひときわ頑丈な柱の陰から商人らしい男が必死の形相で手招きをする。この男は見覚えがある。ダンジョンの市場に来た時に出会った武器商人の男だ。彼のもと、柱の陰にフュリアタは滑り込んだ。


「はぁ、はぁ……」


 膝に手をつき、大きく息をつく。彼女とて迷宮行商人のはしくれだ。そこいらの町娘よりはよっぽど体力はあるし、簡単な魔術であれば運動の補助として使うことが出来る。少々の距離を走り抜けたところで疲れるということはないのだが、今回は事情が事情だ。

 暴れ狂う竜を背後にして逃げ出すというのはそれほどまでに大きな緊張を彼女に強いたのである。


「あんた、よく無事だったな? 店、竜の出たとこに近かったんだろ?」

「私の護衛――いえ、私の商会の護衛が時間を稼いでくれているんです」

「そうか! じゃああそこで戦ってる猫戦士はやっぱり昨日見たあんたのところの……」


 言って男とフュリアタは通りの奥、竜のほうを振り仰いだ。

 かなりの距離を走ってきたがそれでも竜は巨大だ。まだその姿は確認できる。そしてそれと戦う猫戦士の姿も――否、それだけではない。


「あれは!」


 フュリアタは驚きに目をみはる。竜と戦っているのは小さな猫戦士ではない。その猫戦士を頭に乗せた少年、シュンディリィだった!


「あれはもしかして……『同調シンクロ』!?」


         ○


 薄く伸ばした剣を身体の周りで振り回せば、ヒュンヒュンと風を斬る音が鳴り響く。身体の動きを確かめるように軽くジャンプをし、肩を回し、腕を伸ばし、手を閉じては開くを繰り返した。シュンディリィは――シュンディリィの身体を操るジルグドはその感触に満足がいったように笑う。


「悪くねえ。小僧とはいえ男は男だな。フュリアタなんぞよりよっぽど馴染む」


 声は少年のものだが、話す口調は年かさの男のもの。シュンディリィの喉を震わせるのはジルグドの意思によるものだ。これが『同調シンクロ』の魔術の力なのだ。


(やっぱり同性同士のほうが同調しやすいの?)

「そりゃそうだ」


 ふと思い立った疑問をぶつけてみる。声に出すことはできないが、思考はジルグドとつながっている。ジルグドはシュンディリィの身体で笑いながらうなずく。


「なにせ股ぐらにタマがねえってのはどうにも落ち着かねえからな! いっぺんやってみりゃわかるがありゃゾっとする感覚だぜ? 戻ったときニャ思わずシモを確認してみたもんさ!」


 ケッケッケと口をすぼめ、下品なジョークを飛ばすジルグド(シュンディリィの口と声を使って!)にシュンディリィはげんなりとする。

 戦いに協力すると同意したとはいえ、ただでさえ身体を好きに使われているというのはなんとも気色の悪いことであるのに、下品な言動までされてはたまらない。その上――


 Grrrroooo!!


 こちらに敵意を向ける竜の眼前であるのだ!

 咆哮とともに竜が再び攻撃を仕掛けてくる。襲い来るのは弧を描いて唸り振るわれる長い尾の一撃! 喰らえば壁に叩きつけられたちまち全身を打ちつけられることは必至、しかし猫戦士の技量でならば回避することは容易だ。


「ふ――」


 獰猛な笑みで口を歪めながらシュンディリィは跳躍する。しなやかに身体を捻った、まさに猫のような柔軟な跳躍は、よく訓練された体操のようなムダの無い動きで竜の尾を悠々と回避した。


(わ、わ、わ!)


 泡を食ったのは内心のシュンディリィだ。自分の体が勝手に動くという感覚はいつまで経っても慣れるものでもない。その上さらにシュンディリィを困惑させるものがある、それは――


(もしかしてジルグド――竜を見ていない!?)


 身体を操られてわかったことだが頭の上のジルグドはシュンディリィの感覚器官、すなわち目や耳も利用している。これは当然といえば当然のことで、手足を操るのであればそれとセットとなる目や耳も同時に操らなければどうしても身体の操作に齟齬が出来てしまう。

 そのためジルグドがシュンディリィの目や耳を使うというのはわかるのだが、驚くべきことにジルグドは敵対し襲いかかってくる竜を目視していなかったのだ!


「来るのがわかりきってる攻撃なんぞいちいち見てられっかよ」


 次いで襲う爪の攻撃を後ろ飛びで回避! 視線はやはり竜の爪を見ず、明後日の方向を見ていた。だがこれは余所見をしているわけではない。


「今の攻撃よりも次に動く場所を見て、次を見たらそのまた次を見る。そうすりゃあ――」


 言いながらジルグドがシュンディリィの眼で見るのは瓦礫の山、飛び乗れば距離を空けられるが足場としては不安定な場所がほとんどだ。だがジルグドはその瓦礫の山を眼で洗い、ほんの一瞬で降り立つべき地点をピックアップした。

 ひらり、と躱した先に立つのは瓦礫の中にあった一本の柱。折れて先の尖ったその一点にこそシュンディリィは立っている。驚異的な身体バランスとしかいいようがない。

 体の大きさも、体重も、何もかもが猫の身体の時とは異なるであろう。しかしそれすらも織り込んで、これだけの動きが出来るのはこの身体を動かすのは卓越した戦士であるからこそ、だ。

 瓦礫の上で少年は剣を構え、竜に相対する。


「――こんな攻撃、なんてこたあねえんだよ」


 シュンディリィは内心で絶句する。

 鑑定魔術師という「見る」ことに重きを置く職を志すシュンディリィにとって、それは発想の埒外の行為だ。あらゆる行動をまず「見る」ことから始めるのが鑑定魔術師にとっての基本であれば、「見ない」という選択肢を最初に持って行動する猫戦士の動きは驚きでしかない。

 ともあれこれで敵の攻撃を過度に恐れる必要はないとわかった。ジルグドにしても攻撃を全て避けきる自信があるからこそ『同調』で戦うという手段を選んだのだ。

 ジルグドが身体を操る限り、竜の攻撃を恐れる必要はない。その実感がシュンディリィにも湧いてくる。

 その意志が伝わったのか、ジルグドは剣の切っ先を竜へと向けた。反撃に移るのだ。


(どうするのジルグド? やっぱり『逆鱗』を狙うの?)

「逆鱗か」


 応えて呟き、油断なく周囲を睥睨する。敵ではなく戦場そのものを注視する『景を見る』という猫戦士の戦い方は当然攻撃にも応用される。

 シュンディリィが問うた『逆鱗』とは一般的によく知られる竜の弱点だ。知っての通り竜はその全身が強固な鱗に覆われ、攻撃を徹すのは難しい。だが竜の喉元首筋には一点、逆さに生えている鱗があるという。そこだけは守りが薄く、そこをつけば竜を一撃で絶命せしめると言われている。

 戦いの知識などまるで無いシュンディリィであっても、逆鱗を突けば竜を倒せるということは知っている。だからジルグドにそこを攻めるのかと問うたわけだが。

 問われたジルグドは苦笑気味の笑みを浮かべさせる。ありがちな素人の発想を聞いた、という風に。

 逆鱗ってのはたしかに有名な話だが、と前置きし、


「竜の喉元にホントに『さかさうろこ』が生えてるわけじゃねえし。そこを突いたら即死するわけでもねえ。単に喉元が比較的竜鱗や皮下脂肪が薄く、それでいて神経やら血管やら弱点になる線が集中してるってだけの話さ」


 急所というのなら人間だって猫戦士だって喉は弱点だ。というよりも、まともな動物であればどんな生き物でも喉をえぐられて致命傷を負わないものはいないだろう。竜とてそれは同じこと、というわけだ。


「……とはいえ、弱点らしい弱点はそこしかねえってのもまた事実なんだが」


 ジルグドは剣を短く縮め、細身の両刃、刺突に適した形……いわゆるダガー・ナイフへと変化させる。自由に形を変えられるこの剣は非常に便利だが、その大きさの総量は変えられない。剣としての強度を保とうとするとどうしてもその刃は短くなってしまう。

 変じた剣はシュンディリィの腕よりも短く、巨大な竜に対してなんとも頼りない大きさにしかならない。さしものジルグドといえど、得物の不利は否めない。


「さて、やれるもんかね? こいつでよ」


 手の中の剣――それはもはや短剣となっている。――を弄びながら、皮肉げに自問する。

 まともな装備もないのに竜に相対したくはない、と以前ジルグドは言っていたがその願望は最悪の形で裏切られてしまった。あとはジルグドの技量がどこまでその不利をカバーできるかが問題だ。

 ぐ、と剣を握る手に力をこめると、シュンディリィはわずかに貧血のような感覚に襲われた。血の気が頭から引いて、冷たくなるようなあのゾっとする感覚。貧血のようであるが貧血ではない。


(ジルグドが……僕の魔力を……!)


 頭上のジルグドがシュンディリィの魔力を吸い上げている。血が引いているような感覚の正体はこれだ。全力で攻撃に移るために、ジルグドが自身の魔力のみならずシュンディリィの魔力をも利用するつもりなのだ。

 これは同調の魔術を使っているのだから理論的には可能な行為であるが、現実として他人の魔力を自身の魔力に転換するなどという繊細な作業は、猫戦士でなければ相当に難しい行為であるだろう。

 そして吸い上げる魔力の量も問題だ。シュンディリィはただの少年とはいえ魔術師のはしくれ、魔力の量はただの素人より何倍も多い。にもかかわらずジルグドが吸い上げる魔力はシュンディリィをして体調に異変を覚えさせるほどのもの。これに同じくジルグド本人の魔力をも使うというのだから、その攻撃に要する魔力の量は尋常ではない。

 ミシシ、とシュンディリィの骨格が歪んだ音を立てる。肌は張り詰め、筋肉が軋む。攻撃の前兆、一気呵成の挙動へと力をためているのだ。


 竜はそれを黙って待ち構える。竜は愚かな生き物ではない。敵が己の喉元を狙おうとしていることなどとうにお見通しだ。ならばいっそそれを迎撃するほうが、このちょこまかと逃げ回る敵を捉えるのにちょうどいいという算段だ。

 ジルグドも望むところ。敵が動きを止めたというのであれば是非もなし。敵の思惑を凌駕する攻撃を仕掛けるべし!


 シュンディリィの足元では風が渦巻き、紫電がバチバチと音を立てて走る。接敵は魔力で強化された筋力や重力操作のみで行うものではない。『同調』したジルグドが取りうるあらゆる行動強化を持って行われる。


「――速く《ggnaoooo》」


 少年の喉から出るのはシュンディリィの声でもジルグドの声でもない。二人の声が混ざり合う、声帯ではなく魔力そのものを震わせて発せられる言葉、すなわち『呪文』。そして発せられるのは現代の人類では発声不可能といわれ、今や猫戦士のみが発することが出来ると言われる古代魔術だ。複合加速術。重力操作と並んで猫戦士が得意とする秘術である。

 魔術研究家が見ていればを噛んだであろう。猫戦士による同調の魔術を使ってとはいえ人間の身で古代魔術を扱える機会などそうそうないことだ。

 構えるダガー・ナイフは腰だめに。技よりも力を込めて刺し貫くための姿勢だが、これでも竜の鱗を貫けるかは甘く見積もっても五分と五分がいいところだろう。

 だがそれでも賭けるしかない。


 ――。


 一瞬の静寂。そして、


「ッ……ラアッ!」


 吐いた息に気合を込めて、シュンディリィは跳んだ! 紫電と突風をまとい、爆発的な筋力を開放した一直線の跳躍。狙うは竜の喉元ただひとつ。

 竜は目を細め、それを凝視する。竜の知覚能力は低くなく、特に魔力に対する反応は敏感だ。魔力を使っての挙動ならば必ず対応してくる。


 Grrrooooaaa!


 ひときわ強く吠え、竜は敵を迎撃する。最短距離で喉を狙う敵を迎えうつのにもっとも適した攻撃は、凶悪な牙と強靭な顎を用いるもの。すなわち『喰らいつき』だ。

 竜の大口が飛翔するシュンディリィの眼前に迫り――そして激突する!

 ギイン! と金属が軋む嫌な音が響き、竜のアギトは少年の剣を捉えていた! 剣が突き刺さったのは喉元ではなく竜の牙と牙の間。剣は生半可な金属などよりよほど強固な竜の牙に完全に止められてしまった。突撃よりも竜の対応が一枚上手であったのだ。

 竜はニタリとまるで感情があるかのようにほくそ笑む。跳ね回る厄介な小敵をとらえ、あとは食らうのみという勝利の確信が満ちている。こうして、乾坤一擲の攻撃は失敗した……


「――とったぞ」


 その声は静謐として迷宮に響く。声の主がいるのは竜の眼下、頭の下に潜り込む位置。その正体は誰あろう、猫戦士を頭に乗せその身を操らせる少年シュンディリィ。


 !?


 竜は驚きに目を見張る。馬鹿な、この敵は今まさに自分の牙の中のはず!? その驚きとともに咥えたままのはずの獲物へと視線を戻せば、そこにあるべき少年の姿はなく。小さな剣の一本が牙と牙の間にはさまっているのみだ。

 竜の口に収まるこの剣はジルグドが振るう剣ではなく、もともとシュンディリィが持っていたもの。武器よりも道具としての機能が強く、竜との戦いには不向きであるからとジルグドがあえて抜くことはなかった、フュリアタの父の形見の剣だ。

 そして驚いたのはシュンディリィ自身もだ。


(今、僕は竜に向かって跳んだはずじゃ……!?)


 その感覚はたしかにあった。魔力を高められ、複合させた加速に関する魔術で竜に突撃した数瞬前の記憶と、竜に剣を受け止められた嫌な感覚まで手にはしっかり残っている。これは一体?

 答えは簡単だ。喉元めがけて一直線の単純な攻撃では竜に簡単に対応されることは無論のことジルグドにもわかっていた。だがかといって壁や天井を経由したトライアングルリープ(三角飛び)では角度的に竜の喉元は狙えない。そのためジルグドは竜にフェイントをかけたのだ。

 それもただのフェイントではない。百パーセント完全な攻撃の気配をもって仕掛けなければ、竜の卓越した知覚能力によって見破られてしまう。だからジルグドはシュンディリィの意識を利用したのだ。


 フェイントで騙したのは竜ではなくむしろシュンディリィのほう。シュンディリィの剣を竜に向かって投擲しただけなのに、シュンディリィは自ら竜に向かって跳んだと錯覚してしまったのだ。その錯覚を竜は感知し、まんまと釣られてしまったのだ。

 ……はたしてどんな技術や魔術を持ってすればそんなことが可能なのか。猫戦士の恐るべき技の一端であるとしかいいようがない。

 シュンディリィの疑問に、ジルグドは言葉で答える暇を持たない。竜は驚きで硬直させたまま、この一瞬の隙をつくしかないのだ。


「オオ――ッ!」


 再びシュンディリィは跳ぶ。今度は前面ではなく、頭上に竜の喉元を据えての跳躍だ。前腕も、尾も迎撃の範囲外。完全な死角からの意識外の攻撃、これを防げるものはいない。必殺の間合いだ。

 過度の緊張がもたらした鈍化した時間の中にあっても、見る間に竜の身体がシュンディリィの視界に迫る。さしものジルグドもここに至っては敵の急所をその目にとらえている。突き出したジルグドの剣の切っ先が竜の鱗に触れ、わずかな抵抗とともにその身に食い込んでいく。あとはその急所を突ききれば竜に致命傷を与えることができる。

 だが!


「何ッ!?」


 切っ先がわずかに竜の肉に食い込んだところで、キィンッ!という金属同士のぶつかる異音が響く。いかに竜の鱗が強固とてこんな音が鳴るわけがない。

 シュンディリィは強化された己の目でその異音の正体を見た。

 鱗の隙間、浅い角度でわずかに竜の肉に食い込んだ金属の異物がシュンディリィたちの攻撃を阻んでいた。その正体は『剣』である。


 その剣はジルグドのものでも、シュンディリィのものでもない。どこにでもあるありきたりな冒険者が持つ小さな剣。いつ突き刺さったものかはわからないが、昨日今日刺さったものではないだろう。完全に竜の肉体の一部に埋没していたその剣は、刺された場所から考えるにシュンディリィたちのように喉元の急所を狙おうとして、しかし仕損じてしまったがゆえに竜を仕留めること無くそのまま剣が残ってしまっていたのだ。


 grrooooo!


 血走った目をして竜が唸る。食い込んだ剣は奇しくも急所を守る防具となっているが、それでも急所の近くは近くだ。血管や神経を圧迫するその異物は、竜に強い不快感と痛みを与える。

『逆鱗に触れる』とはよく言ったもの。その不快感は強烈な怒り、苛烈な攻撃へと転化される!


「クッ……!」


 剣を弾かれた空中でガードの姿勢を取るがすでに遅かった。身をひねらせた竜は激烈な体当たりをシュンディリィに浴びせた!


「ぐ、あああああッ!」


 苦悶の叫び声をあげたのはシュンディリィであるか、それともその身体を操っていたジルグドのほうであるかはわからない。防ぎようのない空中で全身に衝撃を受け、シュンディリィたちは吹き飛ばされ、迷宮行商人の店舗の残骸に激突した。


「ぐ、ぐぐうううっ……」


 咄嗟のガードとあらかじめジルグドが最低限の保証としてかけていた防御の魔術が効いたのか、重傷はなんとか免れることはできた。奇跡的に骨も折れていないし、大きな刺し傷や切り傷も無い。これがもし壁や柱に叩きつけられていれば即死は免れえなかっただろう。激突したのが店舗の残骸、それもテントの一部だったことが幸運した。だが、


「じ、ジルグド!」


 同調の魔術が解除され、シュンディリィの頭から離れたジルグドは地面に倒れ込んでいた。最後の最後までシュンディリィを守ろうと身体を操って防御の姿勢を取らせ続けたために、自分自身の防御を行うことができなかったのだ。


「……」


 ジルグドはぐったりとして意識を失っている。目立った外傷は見られないが、身体の内部のダメージはシュンディリィよりも深刻のようだ。

 猫戦士は何者もその身をとらえることのできない身軽さと数々の魔術で己を守ることができるが、その肉体そのものはけして頑健ではない。骨も筋肉も人間に比べればずっと華奢であり、単純な肉体の強度を比べれば人間に大きく劣っている。

 そしてジルグドは限りなく無防備に近い状態であの竜の攻撃を受けてしまった。これではいかに精強な猫戦士といえど、起き上がれるわけもない。


 ズシン、と地響きが鳴る。吹き飛ばされたこちらがまだ生きていると見て、竜がこちらに向かっているのだ。反撃を警戒してなのかその歩みは速くはないが、それでも着実にこちらをマークしている。逃げることは不可能だ。


「う、ううっ」


 シュンディリィは呻く。ジルグドにはもはや頼れない。いや、それどころか動けないジルグドを今度は自分が守らねばならないのだ。――ただの鑑定魔術師である自分が、竜に立ち向かわなければならないのだ。


(何か……何か……!)


 震える手で倒れ込んだ周辺をまさぐる。自分の剣はフェイントに使われ、ジルグドの剣は竜に弾かれたときに取り落したままだ。自分が武器を手にしたところでどれほどのことが出来るわけでもない。ただの棒きれでもかまわない。それでも何もないよりはマシだ!


 その時。カラン、と小さな金属音が鳴る。何かがシュンディリィの手に触れる。


「これは……」


 それは果たしていかなる偶然か? シュンディリィたちが叩きつけられた店舗は他でもない、迷宮の市場に降りてきた際に立ち寄ったあの武器屋であり。そしてシュンディリィの手の中に転がり込んできたのは――


「あの時の剣!」


 店主が戯れにシュンディリィに鑑定させたあの剣であった!

 その剣を無意識的に掴んだ瞬間、バチリ、と電流が流れたようにシュンディリィの脳裏に言葉が走る!


『暴威の顎門あぎとに自らを投げ入れる勇気を持つ者だけがそれを為す。この剣は――竜を殺す剣だ』


 それは先刻この剣を鑑定したときに読み取った詩文だ。その詩文を思い出したとき何か大きなパズルのピースがピタリとはまったかのような、嫌な一致がシュンディリィの背に悪寒を与える。


 竜が現れたという情報を聞き、

 竜を殺すという剣を見せられ、

 竜と相まみえることとなり、

 竜を殺す剣がその手の中に転がり込んできた。


 これは果たしてただの偶然なのだろうか? 己の奇妙にねじくれた鑑定魔術がもたらした、なんらかの呪いなのだろうか?

 その恐れに震える暇は――今は無い!

 ぐ、と剣を握りしめシュンディリィは竜を睨む。今目の前にこちらを食い殺そうとしている竜がいること、そしてそれと戦わねばならないのが厳然たる現実だ。迷ってはいられない。


「まだジルグドのかけてくれた強化の魔術は効いている……」


 握った剣は羽のように軽い。それはシュンディリィの腕力が一時的に高まっているからだ。猫戦士が『同調』とともにかけた強力な身体強化魔術は、彼と分離してしまった今でもまだ効果は続いている。猫戦士の技は振るえないとしても、竜を相手に立ち回ることぐらいは不可能ではない。


「……っ!」


 意識を失い地面に横たわるジルグドを、竜に狙われぬよう瓦礫の隙間に隠し、シュンディリィは剣を構える。洗練されたとはとても言えない、素人丸出しの引け腰の構えだ。それでも戦意は失わない。竜と戦う覚悟はできている。

 あとは――


「『竜を殺す剣』と鑑定した僕自身の鑑定魔術を僕が信じられるかどうか――」


 その答えを出せぬまま、シュンディリィは竜に向かって駆け出した。

 竜と戦うために!


(続く)

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