第21話 未熟者たち。そして――
「俺は寝る」
竜を討伐に向かうサルダットたち魔狩人を見送って数時間後、ダンジョンに入ってから半日以上経ったころジルグドはそう言い出した。
「あっ、もうそんな時間ですか」
懐中時計を取り出してフュリアタはうなずいた。
シュンディリィは首をかしげた。
「ジルグドまだ寝るの?」
ダンジョンの中で店を開いてからもジルグドはちょくちょく丸くなり眠っていた。戦闘が無い時に身体を休めておくのも戦士の本分であるとは思うが、それにしても寝すぎではないだろうか?
あのなぁ、とジルグドは半目で言う。
「別にダラけてんじゃねえよ。たしかに俺たちゃ猫戦士は日に何度か寝るが、ありゃ浅い眠りなんだよ」
たしかに言われてみればジルグドは丸くなりながらも、商品を並べる最中に落っことしてしまった時などほんの少しの物音ですぐに目を覚まし「どうした?」と声をかけてきた。(そして物を落としただけと聞いたときは怒った)
「おまえら人間だってまともに動くのニャあ日に5時間だか6時間だか寝なきゃいけねえだろ? 同じことさ。俺らは日に多く浅く眠りを分散させてんだ。そのほうが隙がないからな」
たしかにあの浅い眠りではいきなり敵が襲ってきてもすぐに対応ができるだろう。人間よりも野生に近い生き物として、そしてなによりも戦士としての生態により特化した睡眠方法というわけだ。
だが、と言葉を続ける。
「いくら俺たちでも浅い眠りだけじゃどうしても体力や魔力は回復しきれねえ。どうしても熟睡する時間が少しは必要なんだ。敵に追われてる状況でもなけりゃ、できればまともな睡眠時間を少しは確保しておきたい」
とくに魔力の回復は深刻な問題だ。今は人間種族の間では失われた古代魔術を多用する猫戦士の戦闘スタイルは魔力の消耗が激しい。彼の魔力量は人間の魔術師と比較してもけして少なくないが、それでも万全を期すには魔力を常に保っておく必要がある。
そして魔力を回復する一番の方法は深い睡眠だ。これは人間でも猫戦士でも同じこと。よく魔力を使い、よく眠ることが魔術を発達させる(ゆえに若い者ほど魔術の成長スピードは早いのだ)。
「つーわけで俺は寝る。――フュリアタ、起こし方はわかってんな?」
「あ、うん。わかってるよ」
熟睡に入ればジルグドは何があっても起きない。そのように眠るからだ。だがそれではもちろんのこと彼女の護衛に隙が出来ることとなる。そのため独自の『起こし方』を設定し、それを行うことで急激な覚醒を得ることができる。
「左のヒゲを3回引っ張る、だよね」
「ああ。つまらんことで起こすなよニャ……」
そう言ってジルグドは丸くなる。眠りの姿勢はいつもこうだが、今回は少し様子が違う。いつもは眠りながらもどこか張り詰めた空気を漂わせていたが、今のジルグドは彼らしからぬ弛緩した気配を見せる。
スーッと大きく息を吸い……そして眠りについた。
それを見届けたフュリアタもふう、と息をつく。
「こうなると一時間は起きませんね。私たちも休憩にしましょうか」
そう言って笑う彼女は年相応の少女のようだった。
◇
『アグザウェ商会 準備中』の札を下げ、シュンディリィとフュリアタはテントの中に入る。
ジルグドはフュリアタの膝の上で彼女に背を撫でられている。普段の彼ならば絶対にやらせない行為だが、それだけ深く寝入っているということだろう。
「ジルグドには頼り切りですね」
そう言って彼女はわずかに目を伏せる。実際彼には無理をさせているとシュンディリィも感じている。フリークフォドール霊廟は比較的危険度の低いダンジョンであるとはいえ、それでも未熟な少年少女を
彼が睡眠中は二人の休憩時間としたのも、ジルグドが動けないときにトラブルが起きることを極力減らすためだ。強盗、とまではいかないものの相手が未熟な商人とわかると難癖をつけようとする冒険者がいないとは限らない。そういうときもジルグドが居れば脅しなどに屈せずにすむというわけだ。
狭いテントのなか、フュリアタと膝を突き合わせるようにして向かい合う。
テントの中には空き箱や板などの上に寝袋を置いて適当に作ったベッドと、主にジルグドが休むときのやはり空き箱で作った椅子があり、フュリアタがベッドの上、シュンディリィは椅子に座る。眠る人間が二人いるはずなのにベッドが一つなのは、どちらかが眠るときはどちらかが店番で起きている必要があるからだ。昼夜の区別の無いダンジョンならでは、というところだろう。
ふと正面に座るフュリアタと目が合う。彼女はその美しい蒼い目にわずかに疲労の色をにじませながら彼に微笑む。
「二人きりなのは久しぶりですね」
「そう…かもしれないですね。ひょっとしたら出会った時以来かも?」
「ふふ、そうですね。あの時からこっち何故かジルグドがいつも一緒に居ましたから」
何故かも何もないだろう、とシュンディリィは内心ため息をついた。
まだ年若いとはいえシュンディリィも男は男。それを無防備にもひとつ屋根の下に招き入れたのだからジルグドとしてもそのまま、というわけにもいかない。フュリアタの風呂上がり(かなりドキドキとした!)の時など、いつの間にか彼がシュンディリィの背後にただならぬ気配で立っていたことなど何度とあった。
フュリアタを守ることを至上の命とする彼の考えを思えば無理もないが、猫戦士の殺気を何度も背に受けるほうの身にもなってほしいものだ。
彼女はそれを知っているのか知らぬのか……。
「……」
話しながらフュリアタは、ふと沈み込むようにその表情を暗くした。疲れのせいだけではない、なにか気落ちを誘う感情を見せながら。
シュンディリィは彼女の様子を訝しむ。
「フュリアタさん?」
「――っ!?」
呼びかけられ、フュリアタはハっとする。自分が気落ちしていたことにすら気づいていなかったのか。心配事かなにかあるにしてもこれは深刻だろう。
「どうかしたんですか?」
「いえ、その――やっぱり私はまだまだ未熟なんだな、ってまた思っちゃって」
彼女がそう自らを卑下することは実のところ少なくない。年若い女であることもだが、商人でありながら仕入れが苦手というのは彼女にとって大きなコンプレックスであるからだ。
いつもならばそんな彼女を茶化すようにして笑い飛ばしていたジルグドは眠っている。
不安に思う彼女に声をかけられるのはシュンディリィだけだ。
「それは……僕だって同じですよ。魔術学院を落第した半人前以下の鑑定魔術師、こんなの未熟以前だ」
そう、コンプレックスという意味ではシュンディリィも同じ、いやそれ以上だ。手ひどいといえば手ひどいとはいえ仕入れが「苦手」レベルの彼女と違い、シュンディリィの鑑定魔術はわけのわからない「欠陥品」だ。今はなんとか騙し騙し使っている鑑定魔術だが、これもいつまで頼れるものかは怪しいものだ。
(結局僕の問題はなんにも解決してないんだよな……)
魔術学院を放校になってすぐ、運よくフュリアタに拾われ寝床と仕事にありつけたのは僥倖だが、一流の鑑定魔術師になるという目標は正直言って暗中模索の状況だ。
相変わらず悩みの種は大きい。だけど、
「でもフュリアタさんは――いや、僕たちはこうして今は商売ができてるじゃないですか!」
「……!」
フュリアタは顔を上げる。言ってシュンディリィが手にとったのは商品の在庫――それはあの時のポーションだった。
このポーションが二人を引き合わせてくれた。縁をもたらす道具、そしてそれを取り扱う鑑定魔術師と商人。そのつながりはたしかにここにあり、そして前に進む力になっている。フュリアタはシュンディリィという仕入れ担当者を得ることができたし、シュンディリィも鑑定魔術を使う環境にいることができている
。
たとえ先行きが暗くても、歩みを進めているという実感があれば不安はあっても怖くはない。それはただの少年の無鉄砲なのかもしれないが、それでも……。
「フュリアタさんのおかげで僕も今はここにいられるんです。自信がもてないのはわかりますけど、もっと胸を張っていて欲しいんです!」
自分を導いてくれた人が前を向いてくれるのであれば無鉄砲でもなんでもいい。
「ありがとうございます。ダメですよね、私は商会長なんですから弱気になってちゃ」
アグザウェ商会。フュリアタが両親から受け継いだ迷宮行商人の商会。それは今は彼女だけのものではなく、彼女を守るジルグドと彼女を慕うシュンディリィの寄る辺なのだ。フュリアタの役目はただ商売をすることではない。商会を守り、共に働く彼らを導くことも商会長たる彼女の役目なのだ。
それを忘れていたわけではないだろうが、実感はできていなかったのだろう。シュンディリィとは出会ったばかり、ジルグドは家族同然の相手だから無理もない話である。
「父さんと母さんが居なくなってからずっと一人でやってきたつもりでしたけど……そうですね。今の私には二人が居てくれるんですね」
真っ直ぐな目でそう言われると少し気恥ずかしい。頬が熱くなるものを感じて、シュンディリィは頭をかく。
「ジルグドはともかく、半人前の鑑定魔術師の僕じゃ本当にお役に立ててるかわかんないですけどね」
「そんなことありませんよ。シュンディリィ君は今はまだ鑑定魔術が上手く使えないのかもしれませんけれど、それでも目利きが苦手な私の代わりに仕入れを担当してくれるのですから大助かりです」
フュリアタはシュンディリィの鑑定魔術が数値や情報ではなく詩文を読み取るという「ねじ曲がって」いるものであることは知らない。シュンディリィ自身どう説明していいものかわからず、ただ『結果に正確性が欠けている』とだけしか伝えられていない。それ自体は未熟な鑑定魔術師にはよくあることであるから、彼女は不思議には思っていない。
何か騙しているかのようで気が引けるのだが、説明しようがないものはどうしようもない。魔術を使わない目利きでなんとか対応しているのが現状だ。そんな自分でも彼女の役に立てているのは嬉しいことだ。
「本当に、本当にありがたいと思っています。シュンディリィくんのおかげでこうして、アグザウェ商会として私はダンジョンにやってこれたんですから……」
遠い目で彼女は上を見る。見上げる先に空はない。暗いテントの天幕、その向こうには堅いダンジョンの天井があるだけだ。たとえ街の中に家と店を持っていたとしても、この暗い地の底こそが彼女が憧れた仕事の場だった。
フュリアタは述懐する。
「準備だけはずっと続けてきていたんです。他の商人さんのところで迷宮行商人の商売を習って、モンスターの防ぎ方をジルグドに教わって、残っていた在庫を整理して、新しく商品を仕入れ――ふふ、これは結局シュンディリィくんに頼っちゃいましたね――アグザウェ商会のフュリアタ・アグザウェとしてダンジョンに来ようって。
でも、もうその目標も叶っちゃいましたね」
その、どこかなにかに満足してしまったかのようの口ぶりに違和感を覚え、シュンディリィは口を挟む。
「……これで終わりじゃないでしょう? ドンキオッカの街の近くにはまだいくつも発掘中のダンジョンがあるし、中には手つかずのものだってあるっていうじゃないですか。迷宮行商人の仕事はこれからどんどん忙しくなりますよ!」
「そう、ですね。……ただそこに私たちがいけるかというと少し難しいかもしれません」
「ど、どうしてですか!?」
いきなりの言葉にシュンディリィは驚くが、問われたフュリアタは困り顔で苦笑するだけだ。
「恥ずかしい話になってしまいますが、我が商会は今資金繰りがいいとは言えないんです」
「資金繰り?」
「はい。簡単に言ってしまえば次の行商に行くための商品を仕入れるお金がないんです。少なくともすぐには用意できそうにありません」
「そんな、今回の商売の売上を使えば……」
今回の行商、ダンジョンに入る前はあまり実入りは期待できないと言われていたが、竜の召喚とそれに対抗するための魔狩人たちの参入という想定外の事態で、事情は大きく変わっているはずだ。
フュリアタたちより先にダンジョンに入っていた商人の中には竜と遭遇するリスクを恐れて一時撤退するものが増えだし。さらにダンジョンに滞在していた冒険者たちもいざというときに備え装備や物資を整えようと積極的に迷宮行商人を利用している。
これははっきり言って商機に他ならない。
現在までの売上も、シュンディリィの素人目から見てもそれほど悪くない額を稼いでいるように思える。このままのペースであと数日商売を続けられれば十分に次につなげられる目があるはずなのだが……。
だがフュリアタは首を振る。
「駄目ですよ。ドンキオッカの市税など絶対に納めなくちゃちゃいけない税や、ダンジョン入場料なんかの必要経費を差し引いて、そのうえ次の仕入れ費用もとなると、どうしても払えなくなるお金があるんです。絶対に、払わないといけないお金が」
「そんな支出があるんですか?」
シュンディリィの問いにフュリアタは少しだけキョトンとしたあと。何を言っているんだとやや呆れ気味の笑みを返す。
「シュンディリィくんのお給料に決まってるじゃないですか!」
「え……?」
言われ、シュンディリィは一瞬言葉の意味をわかりかねた。
そしてすぐに自分がフュリアタに請われアグザウェ商会に雇われている人間だということを思い出す。まだそれほどの月日は経っていないが朝から晩まで仕入れに動き、こうして危険を冒してダンジョンにまで荷物持ちと補助役でついてきている。給料があるとすればそうそう安くはないはずだ。
「いや、でもそんな! 僕は――」
だからといってそれがために彼女が商売を続けられないというのは間違っている。そう訴えかけたが、
「お金なんかいらない――なんて冗談でも言わないでください」
万事ひかえめな彼女らしからぬ強い語気でそれを遮る。
怒りすら伴う強い瞳でシュンディリィを見据える。
「私はそういうのは大嫌いです。給料を払わない雇い主も、給料を求めない使用人も、どちらも不誠実の極みです。お金のためだけに働くのはあさましい振る舞いかもしれませんが、かといって必要なお金を動かさないのはこれもまた理に反することです」
ふ、と険しい表情を消して微笑む。
「なにも別にシュンディリィくんに大金を渡したいと言ってるわけじゃありませんよ。むしろ支払えるギリギリの額になってしまって申し訳ないぐらい。それでも、私はシュンディリィくんにちゃんとお給料を払いたいんです。それでようやく、私も一人前の商人になれるっていうことなんですから」
彼女の言い分はわからないでもないが、だからといって「じゃあお給料を頂いて失礼します」とはいかない。
絞り出す声でシュンディリィは問う。
「……なんとかならないんですか?」
「なんとかしたいとは私も思いますが、先立つものが無いのはどうしようもないですね」
彼女の返答はあっけらかんとしてにべもない。万事において優しく穏やかな彼女であるが、商売に対してはときおり驚くほどドライな一面を見せることがある。それもある意味彼女の「センス」なのだろうが。
「とはいえ、流石に店を畳むほどではありませんよ。少しの間はなんとか食べていけるだけの稼ぎはできますし、また私が他の商会で雇ってもらってそこで資金を稼げば迷宮行商人は再開できます。それが……いつになるかはわからない、というだけのことなんですよ」
そう言って笑う彼女だが、それが言うほど楽なことではないことぐらいシュンディリィにもわかる。働きながらそれだけの資金を貯められるのははたして1年後だろうか? 2年後だろうかか? もっとかかるかもしれない。
もちろんシュンディリィも何もせずに過ごすわけにはいかない。結局自分もどこか別の所で働いて、自分の食い扶持を稼がなければいけないのであれば――彼女とはこのダンジョンで別れるより他ない。
そんなのは――嫌だ。
「……」
じっとりとした重い感情がシュンディリィの胸のうちに淀んでいく。
『どうにもならない』という言葉は嫌いだ。希望も、可能性もなにもかも否定される気分になる。
実を言えばシュンディリィは楽天的な少年だ。魔術学院を放校処分になったときでも「まあなんとかなるか」とさほど深刻に考えなかった。
これは鑑定魔術のような「視る」ことに特化した魔術を扱う素質を持つものによく見られる性格だ。常日頃から魔術の光を通して物事を見ていると、いきすぎた『客観視』がクセとなってしまうからだ。
だからこそ、言葉であらためて先の展望を否定されてしまうと精神と現実のギャップがとたんに彼の心を苦しめる。そしてその現実を解決するには彼はまだ、あまりにも無力なただの少年でしかない。
そんなシュンディリィの気持ちを慮ったのか、フュリアタはわずかな楽観を絞り出す。
「……そんな顔をしないでください。まったく希望が無いわけじゃありません、今回の行商の売れ行き次第ではもっと早く――」
言いかけた言葉にはわずかな希望。
だがその希望は無慈悲に踏みにじられることとなる。何故なら、
「きゃあああああああっ!?」
絹を裂くような女性の悲鳴がテントの外に響いた!
「えっ!?」
「なんだ!?」
突然の出来事に二人は慌ててテントの外に這い出る。そこで目にしたのは……
「あれは……!」
市の並ぶ路地の向こう、奥の階層に続く方向で何かが蠢く。メリメリと木箱潰し、ビリビリと布を引き裂き、激しい轟音を立てて他の行商人の店を破壊するそれは、
ぬらぬらとした奇妙な質感の鱗を全身にまとった堂々たる4つ足の巨躯! 爛々と光る眼は殺意と敵意に満ちて周囲を睥睨する。
直接目にしたことがあるものは数少なく、しかしてその名を誰もが知るその獣の名は、
「
ダンジョンに踏み入る前より存在が囁かれていた脅威。あるいは暴威の伝説。その一端がシュンディリィたちの前に姿を現したのだった!
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