第14話 ギルドの黒衣

「シュンディリィ君!」


 慌てた様子でシュンディリィのところに駆け寄ってきたのはフュリアタだ。彼女もジルグドのすっとんきょうな声を聞いたのだろう。


「……」


 合流したシュンディリィとフリュアタの前に、ギルド・ガードの詰所からジルグドが出て来る。小さな眉間、まさに猫の額に深いシワをつくり渋面を顔いっぱいに広げている。


「ジルグド、一体どうしたんですか?」


 膝を折ってしゃがみこみ、彼の目線に合わせてフュリアタは問う。


「どうもこうも……面倒なことになったぞ」


 どこかうらめしげな視線を自分が出てきた詰所に向けて、ジルグドは苦い声で説明する。


「ギルド・ガードのヤツらにここ最近のダンジョン内の様子を聞いてきたんだが……」


「モンスターの動向とかについて、ですよね?」


「ああ。ダンジョン内に出るモンスター――シュンディリィ、ダンジョン内のモンスターの出現方法は教えたはずだな。覚えているか?」


 不意にそう問われ、シュンディリィは記憶を探る。数日前から彼にダンジョン内についての知識をレクチャーされている。その中にモンスターの出現方法についての知識もあった。たしかそれは――


「ええと、たしか……『召喚式』と『生成式』とそれと『居着式』の3つがほとんどだったっけ?」


 指折り数えて教えられたことを思い出す。

『召喚式』は文字通りダンジョンの内部に他所(主にダンジョンの外だ)からモンスターを召喚し侵入者を撃退する罠としているものだ。洞窟の奥に出没する野生の魔狼など、本来その場所にはいるはずのない生態のモンスターが見られた場合はこの『召喚式』である可能性が高い。


 次に『生成式』は動く石像ゴーレム動く鎧リビングメイルあるいは魔術人形ホムンクルス粘性生物スライム、そして不死者アンデッドなど、古代の魔術によってダンジョン内部で作られる自律的攻撃機構がこれに当たる。……一応のところ、これは厳密にはモンスターではないのだが、戦う冒険者にしてみればどちらにせよ同じことと片付けられている。


 最後に『居着式』。これは前者2つの亜種のようなもので、召喚されたモンスターあるいは生成されたモンスターがダンジョン内部で独自の生態を築くなどしてそのまま居着いてしまっているものを指す。おおむね亜人種など強靭で知能が高く環境に対応する柔軟性に富んだ種がそうなることが多く、敵対するには厄介な相手だが場合によっては交渉などで交戦を避けることもできる。冒険者にも対応の柔軟性が求められることだろう。


 なお余談ではあるが、意外と思われることにフリークフォドール霊廟にアンデッドのモンスターは出現しない。……というよりも霊廟など墓地に類するダンジョンでは基本的にアンデッドは存在しない。死体が数多く残る場所であるのにアンデッドが存在しないのはどういうことかとシュンディリィはジルグドに問うてみたが、問われた猫戦士は呆れて言った。


「あのなぁ、どこの世界に自分の手で埋葬した死者に呪いをかけて使役したがるやつがいるもんかよ。丁重に弔ったってんなら安らかに眠らせてやりたいと思うのが人情ってもんじゃねえのか?」


 と、言われてみればその通りであるなと納得したものである。霊廟などにおいてはむしろ埋葬した遺体に邪霊が宿ることなどを阻止するための魔術や封印が過度に施されているのが普通なのだ。

 遺跡が荒れ果て、その仕組みも劣化しきっている場合などは無論その限りではないのだが……。


 閑話休題ともあれ。ダンジョンに発生するモンスター、その出現の仕組みはダンジョン個々によって様々であり、一定ではない。フリークフォドール霊廟の場合は――


「『召喚式』が主流だな。出て来るモンスターはドンキオッカ市周辺の魔獣、とくに血の気の多いのがダンジョンの魔力で狂わされて人間に襲い掛かってくる」


 魔術に長けた先住民族がフリークフォドール霊廟の内部に施した仕掛けがそれだ。周囲の地脈から抽出した魔力を元に、魔獣を召喚する機構がダンジョンには仕込まれている。召喚魔術自体はさほど高度な魔術ではないが、半永久的にそれを自動で行い続ける仕組みというのは現代の魔術では再現不可能といってもいいだろう。

 冒険者が一歩霊廟の中に足を踏み入れた瞬間に魔術は発動し、魔獣が襲い掛かってくる。冒険者は魔獣を撃退し、可能であれば召喚の魔術そのものを破壊もしくは無効化しながらダンジョンの奥へと進んでいくというわけだ。

 その流れ自体はどこのダンジョンでも同じこと。歴戦の護衛であるジルグドがいちいちと騒ぎ立てるほどのことではない。――問題は呼び出されたモンスターが『ドラゴン』であるということだ。


「厄介極まる、というところだ。よりにもよってドラゴンが出るとはな」


「ドラゴン……!」


 ジルグドが口にしたその名を反復し、シュンディリィは息をのんだ。

 戦士でもなく冒険者でもないシュンディリィはモンスターの種についての知識はそう多くない。しかしそれでもドラゴンだけは話が別だ。

 竜。それは獣であって獣ではない、獣を超えた超常の生物の総称だ。何者をも恐れぬ絶対不遜にして強靭にして強大な肉体と高い知能、場合によっては高度な魔術をも使いこなすと言われている。

 猫戦士キャトゥオーリアが人間に味方する最高の生物戦士であるならば、ドラゴンはその対極にある人間の絶対敵であるといえるだろう。


「いくら古代人の魔術とはいえ、フリークフォドール霊廟に流れてる魔力程度じゃ高位竜なんかは呼び出せやしない。せいぜいが下位竜アンダードラゴン がいいところだろうが、それでも手強い相手ニャ違いない」


 アンダードラゴンは竜のなかでも最下層に位置する種だとジルグドは言う。体躯は巨大で無尽蔵ともいえるほどの体力を持つが、魔力も知能も獣並であるためその点については恐れる必要はない。だがもしダンジョンの中で遭遇し、敵対することとなれば無傷では済まないことはたしかだ。いかに卓越した猫戦士たるジルグドであっても、竜狩り専用の装備もないうえに彼単騎で挑むことになれば必勝を期することは難しいだろう。


「ギルド・ガードの連中が言うことニャア、どうも最近6層の扉に手をかけた冒険者が出たらしい」


「6層って……今攻略中だっていう5層よりもさらに先にですか!?」


「ああ。運がいいのか悪いのか、どんどん奥へと歩を進めちまったんだろうな。5層を踏破して6層に入ったところでダンジョンとっておきの召喚の魔術が発動した…と俺は見るね」


 ダンジョン仕込まれた侵入者撃退用の魔術、この場合はモンスターの召喚術式であるが、その発動のキーは『6層への侵入』ということだったとジルグドは推測した。


「ダンジョン内部の市場はたしか3層にあるんですよね? そこまでドラゴンが来るんですか?」


「わからん。状況から察するにドラゴンは今も5層か4層かのあたりで暴れてるんだろうが、そこまで潜れる冒険者どもも素人じゃねえ。上手いことやりすごすなりしのぎ切るなりしているんだろうが……」


 ううむ、と唸り、ジルグドは言葉を濁す。情報は確定的ではなく、いまだ未確認な部分も多い。彼としても危険を断定することは難しいのだろう。


「フュリアタさん、どうしましょう……?」


 ジルグドすら判断しかねる事態に、シュンディリィはフュリアタを仰いで見る。


「……っ」


 問われたフュリアタの表情は硬い。今はアグザウェ商会を預かる責任者として、彼女が判断を下さねばならない状況だ。ドラゴンが出現したという情報がある以上ダンジョンの中に入るのは危険が大きい。しかし危険を恐れていては迷宮行商人ダンジョンパッカーの仕事は務まらないというのもまた道理だ。


「私たちは――」


 迷いながら、決断の言葉を口にしようとする彼女。しかし!


「! ふたりとも下がれッ!」


 何かを察知したジルグドの警告がそれを遮った! そして言うが早いかジルグドは二人を庇うように前に出る。全身の毛を逆立て、ピンと背を伸ばしての最大級の警戒態勢だ。彼が察知したものそれは――


「――偉大なる猫戦士よ、警戒の必要はない。我々に敵意はない」

「えっ!?」


 不意に響いた声にシュンディリィは驚きの声を上げる。いつの間にか彼らの前に一人の男が立っていた。

 服装は全身黒尽くめ。目深に被ったフードと全身を覆うマントの色は漆黒。肩の膨らみなどからマントの下には鎧をつけているものと思われるが、その詳細はわからない。わずかにマントの間から細剣の柄頭が見えるが。


(あ……これ、鑑定ちゃいけないやつだ……!)


 老鑑定魔術師からの教えがさっそく活きてしまった。この黒尽くめの男が持つ剣、おそらくはなにか特別な魔術がかけられている。それを鑑定するまでもなく気配で感じ取ってしまったシュンディリィは、背に鳥肌が立つ感覚を味わった。

 今のシュンディリィの力量レベルでは鑑定することはできない絶級古代魔術遺物ハイ・アーティファクト。無理に鑑定すればフィードバックで目が潰れるといってもけして大げさではない。


「ケッ。気配を隠して近づいてきた野郎に敵意はありませんよと言われて、ハイそうですかとなるもんかい」


 警戒態勢を解かないまま、刺々しくジルグドは告げる。言葉を受けた男は気にした風もなく、フと笑んだ気配すら見せる(表情はわからない)


「貴殿の仕事と同じだよ猫戦士。護衛を生業としているのであれば素性はどうあれ武器を持った人間には最大級の警戒は必要だろう?」


「護衛だと? 笑わせるぜ! 護衛ってのはなあ、争いを避けるためにあえて気配を増して相手を威圧する商売なんだよ。てめえらときたらその真逆、相手を先制で闇討ちするための気配の消し方をしてやがる。そういう手合は護衛なんぞといわねえ、『暗殺者』ってんだ! そうだろ、エエッ? ――『黒衣』よぉ!」


『黒衣』。ジルグドの呼んだその名には心当たりがあった。


 ギルドが有する専属の戦士、ギルド・ガード。その最精鋭とも言われるものたちが『黒衣』だ。通常のギルド・ガード戦士を大きく凌駕する戦闘力、それも対人戦においては比類なき実力を発揮するという。彼らの職務は自ら言ったとおりギルド幹部やギルドに出資する貴族や大商人の護衛。……そしてこれは全くの非公式、まことしやかな噂の類ではあるが、黒衣はギルドの運営に悪影響をもたらす人物の暗殺も請け負っていると言われている。

 実際にそうした例が表立って報告されたことはないのだが、彼らの持つ個人戦闘力というのはそんな噂がまかりとおるほどであることを物語っている。


「やれやれ酷い言われようだ。……まあ我々には猫戦士ほどの信頼が無いことは自覚しているがね」


 黒衣の男は気楽そうに肩をすくめる。暗殺者呼ばわりされても強くは否定はしない。それは真実の一端があるゆえなのか、あるいはそうした風評すら利用しようというほどのクレバーさなのか……。

 いずれにせよけして油断ならぬ相手を前に、戦闘の素人であるフュリアタとシュンディリィの背筋は冷えるばかりだ。


「――本当に驚かせてすまなかったよ。猫戦士の貴殿はいざしらず、純朴な少年少女にはの存在はたしかに毒かもしれないね」

「我々……?」


 男の言葉をシュンディリィはいぶかしむが、


「……おまえの後ろだよ、シュンディリィ」

「えっ――っ!?」


 苦々しげなジルグドの言葉にシュンディリィは振り向き……再び驚きに息をのむ!


「……」


 黒衣がもう一人、シュンディリィの背にはりつくようなごく至近距離で立っていたのだ!


(い、いつの間に……!)


 こちらの黒衣は少し小柄。顔も見えないため年齢はわからぬが、体格から推測しておそらくは女性だろう。そしてやはり、そのマントの内側から禍々しき『アイテム』の気配が漂う。この黒衣もまたなんらかの絶級古代魔術遺物を持っているのだ。

 いずれにせよ、ただの鑑定魔術師であるシュンディリィではまったく及びもつかない次元の実力者だ。彼女がその気になればただの少年など苦もなくひと捻りされるだろう。


「ううっ……」


 緊張で固唾を飲むシュンディリィ。うかつな動きを見せればどうなるかわかったものではない。そう思えば身動き一つとれそうもない。そんなシュンディリィを救ったのは――フュリアタだった。


「黒衣の方」


 怖じ気を見せない、蒼の瞳に強い意思を携えて彼女は黒衣の男へ歩み寄る。


「私どもアグザウェ商会は、ギルドの管理地の中においてはギルド・ガードの方々の指示に全面的に従う意思を持っています。であれば、このような恫喝じみたやりかたで私どもの商会員や護衛を威圧されるのは、商会長として大変不本意です」


 フュリアタの言葉は強い抗議の意図を含んでいる。……黒衣が恐ろしいのは彼女も同じだろう。だがそれ以上にジルグドとシュンディリィに対する彼らの言動に対する怒りのほうが彼女には強いのだ。それは彼女のアグザウェ商会の長としての自覚によるものであり、そして何より彼女の勇気と度胸が並の少女のものではないという証なのだ。


「ふむ……!」


 一歩も引かない彼女の言葉に、黒衣の男もまたわずかに感じ入るものがあったのだろう。気楽げな居住まいを正し、一人の責任あるギルド・ガードとしての姿勢で彼女へと向き直る。


「いや、これは大変失礼をした(言いながら彼は手振りでシュンディリィについていた黒衣の女を下がらせる)。商会長女史とその部下のお二人には謝罪をさせてもらうとしよう。……しかし本当に今日の仕事は護衛でね。過剰ではあったかもしれないが、先触れとしては必要な作業ではあったのさ」


「先触れだぁ?」


 黒衣の言葉にジルグドは怪訝に目をひそめる。しかし男の言葉の意味はすぐにわかった。


「――何か問題でも起きたのですか?」


 戸口のほう、ギルドの建物の入り口から黒衣に声をかける人物がいた。

 それは一人の女性だ。

 老年の入り口がやや見えるかというぐらいの年齢か。髪にはやや白髪が交じる壮年の女性である。その身なりは豪奢というほどではないものの、遠目に見ても質の良いかなり上等な衣服を着ているのがわかる。体力の衰えはとうに迎えている年齢だろうが、その背筋は怖いぐらいピンと伸びており、体力以上の身体の内側からあふれでる『気力』のようなものが感じられた。

 ひと目で見てただものではないこの女性に、黒衣の男はうやうやしく頭を下げる。


「いえ、何も問題はありませんよ。――ミジェーロ様」


「ミジェーロ……ミス・ミジェーロ!?」


 男の言葉に驚いたのはフュリアタのほうだ。目を丸くし、驚きの表情を隠せない。

 矢継ぎ早に訪れる驚きに戸惑いながら、シュンディリィは彼女に問うた。


「ご、ご存知の方なんですか?」

「……ご存知も何もねえ」


 答えたのはジルグドだ。


「あのご婦人殿はムンラーナ・ミジェーロ。ドンキオッカ有数の大商人でミジェーロ商会の主、――そしてこのフリークフォドール霊廟の探索権の現所有者だ」


 ドラゴンの出現、そしてギルド要人の突然のダンジョン訪問。

 新米迷宮行商人ダンジョンパッカーと落第鑑定魔術師の初仕事はまたしても波乱の気配を強めていく。

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