第15話 討伐賞金
悠久の時を経て、どこまでも続くかのように思える薄暗い石畳の廊下に、引き込まれるような感覚を得てシュンディリィはわずかに
(これがダンジョン……!)
ごくり、と飲み込んだツバが音を鳴らす。初めて踏み入れる迷宮の空気が鼻孔をくすぐった。
回廊にはわずかに明かりが灯っている。魔術による光源。冒険者やギルドが設置した光源ではなくこのダンジョンに元から備わっているものらしい。「古代人どもだって明かりがなけりゃ廊下は歩けんだろ?」とはジルグドの談だ。
「しかし相変わらずカビくせえな。地下ダンジョンってやつはこれだから嫌いなんだ」
彼なりの準備体操なのか猫らしく大きく伸びをしながらジルグドは軽口を叩く。
そしてチラリとこちらを振り返り、ニヤリと笑う。
「さあて気張れよ小娘、小僧。ここから先が本当のダンジョン、おまえらの仕事場だ!」
「……!」
言葉を受けたシュンディリィ、そしてフュリアタはわずかに身をこわばらせ――しかし意を決して一歩を踏み出す!
「ええ……『市場』に急ぎましょう!
●
商業都市であるドンキオッカの街において、ムンラーナ・ミジェーロの名を知らない者はほとんどいない。彼女本人に面識はないとしても、彼女の経営するミジェーロ商会の名を聞いたことがないということはまずないだろう。
ドンキオッカの商人を大雑把に分類すれば『ドンキオッカ市の中で商売をする商人』と『ドンキオッカ市の外と取引をする商人』にわけられる。フュリアタのような中小商人の大半は前者であり、ミジェーロのような大商人は後者の場合がほとんどだ。
ミジェーロ商会は多数の従業員や多くの店舗を構える大規模な商会ではないが、先読みが利き抜け目なく、そして機動力に優れた精鋭の商会員を揃えたやり手の商会である。彼女の商売のやり口としてはまず貪欲にドンキオッカ市内外の情報を集め、商機の気配を感じたのなら迅速にこれを手配するというものだ。やや安定性に乏しくはあるが上手くハマれば荒稼ぎできる手段であり、事実彼女はこの手法を用いわずか30年あまりでドンキオッカ市有数の商人にまで一代で上り詰めたものだ。
そのドンキオッカ市の女傑が、このフリークフォドール霊廟に訪れていた。
(この人がこのダンジョンの探索権の所有者……!)
目の前の女性をまじまじと見つめ、シュンディリィはあらためてその事実に息を呑んだ。
ダンジョンの探索権が資本家に有償で貸与されていることは学んだとおりであるが、実際にそれを有している人物を見るのはもちろん初めてだ。
莫大な財宝が眠るとされる、「生きた」ダンジョンの探索権はもちろん安くはない。シュンディリィたちからすれば目が飛び出るほどの額を払って彼女はこのダンジョンの探索権を得ているはずだ。
そうなればギルドももちろん彼女に対しては最大限の優遇を示す。黒衣が護衛についているのもその一環だ。こと、このフリークフォドール霊廟の周辺においては今の彼女が望んで叶わぬことなど何もないであろう。
だが不思議なのは彼女が何をしにこの地へ訪れたのかということだ。
いかにダンジョンの探索権を持つとは言え、なにも彼女が直接ダンジョンの調査状況を監督する必要など無い。ドンキオッカ市内のオフィスで報告を読むだけで事足りる。だというのにダンジョンへとわざわざ足を運んできたのは相応の理由があるはずだ。
その理由が考えられるとすればそれは――
「ドラゴンが出たそうですね」
ピシャリと言い放つようにミジェーロは言葉を放つ。それはただの事実の確認の言葉であるが、一級の商人である彼女の口から発すればいいしれぬ迫力めいたものを感じられずにはいられない。
現在ギルドの建物、受付の前にはシュンディリィたちアグザウェ商会の一行とアエカたちギルドの職員、そして幾人かの冒険者やダンジョン内での仕事をしにきた者たちがいる。いずれも一癖も二癖もありそうな人物たちであるが、それでもミジェーロ一人の圧には及ばない。彼女の護衛としてついてきた黒衣の二人も、影のように気配を消しそばに控えるのみだ。
「……ああ。そうらしいな」
答えたのはジルグドだ。驚くべきはやはり猫戦士の胆力というべきか、尋常ならざる実力を持つ黒衣を侍らせた大商人を前にしても彼は臆した様子もない。荒事に関する事態であれば、矢面に立つべきは自分だと一歩進み出てミジェーロに問うた。
「で、それがどうしたってんだい? よりにもよってドラゴンとはたしかに面倒なこったが、ダンジョンにはモンスターが付き物だ。俺たち迷宮行商人はモンスターにビビってちゃ商売にニャんねえ。それともまさかあんたがドラゴン退治の陣頭指揮でも取ってくれるってのかい?」
無礼寸前の絡むような口調であるが、ジルグドとて迷宮行商人の護衛としての矜持がある。命をかけて迷宮に潜り、生計を立てるものとしてはただ探索権を買ったというだけで大商人に大きな顔をされるのは面白くない。彼女がなにかしらの『口出し』をするつもりなのなら、現場に入る者として一言でも牽制をしておこうというのだ。
無論、そんな雑草根性など海千山千の大商人である彼女にとっては透けて見えるも同然だ。ミジェーロはむしろ優雅に微笑んでみせすらする。
「まさか、あなた方の仕事を邪魔などしませんよ。それは私にとっても損なのですから。――ですがええ、事態の解決のためにここに来たというのは間違いではありませんよ」
「解決のため、だと……?」
訝しむジルグドには答えず、ミジェーロは一歩進み出て布告する。
「フリークフォドール霊廟5層最奥、6層の入り口より召喚され出現したと思しきモンスター『
「なにっ!?」
「えっ!」
ジルグドとフュリアタは驚きに目を丸くする。布告を聞いたギルド内の者たちも同様だ。互いに驚きの顔をあわせている。
(討伐賞金だって?)
ただ一人、事情がわからずシュンディリィはきょとんとする。言葉通りならば、ダンジョンの探索を妨げているドラゴンを倒したものにミジェーロが賞金を払うという話なのだろうが……。だがそれだけならばフュリアタたちが驚くことなのだろうか?
シュンディリィの疑問を察して、フュリアタは口を開く。
「……ダンジョンの探索権を有しているミジェーロさんがドラゴンの討伐賞金を出すのはおかしいことではありません。ドラゴン出現の報告からすぐにその判断をされるのは流石の決断力と言わざるを得ませんが」
では何が問題なのかといえば
「――これは
言って、ジルグドは何事かを思案する渋面を顔いっぱいに広げた。
「ハンター?」
「ざっくり言や冒険者の業態の一つさ。ダンジョンに潜ってお宝を探すのを主な目的とした冒険者が
明確な区分があるわけでもないんだがな、とジルグドは付け加えた。
戦闘に自信のある探索者が遭遇したモンスターを討伐して賞金を得ることもあり、逆に魔狩人の方が道中で見つけた財宝を持ち帰ることもあるというわけだ。
そしてここからが肝心、とジルグドは目を細めて
「ただひとつ確実なのはこのフリークフォドール霊廟に来る冒険者の数が増えるってことさ」
「それって……!」
ようやく事態が飲み込めた。シュンディリィは勢い振り向きフュリアタを仰ぎ見る。フュリアタも頷く。
ドラゴンの討伐賞金を求めて探索者以外の冒険者が来るということは、
「はい。ダンジョン内での商売が上手くいく可能性が上がるということです……!」
つい先日に別の迷宮行商人がもぐったばかりで、実入りは少ないと思われていた今回の行商。だが客となる冒険者が増えるというのならば話は別だ。しかも、
「魔狩人は荷物の重量を武器と防具に割り振って食料や道具の携行は最低限だ。金払いも悪くねえし、ドラゴンの捜索や戦いが長期化するようなことがありゃいい商売相手になるだろうよ」
ドラゴンの出現の報を聞き、ダンジョンへ入るかどうかを決めあぐねていたアグザウェ商会。しかし事態は急変した。フリークフォドール霊廟の探索権を持つ大商人ミジェーロ自らのドラゴン討伐賞金の布告。それを求めて訪れるであろう魔狩人たち。それは大きな商機の到来を意味する!
アグザウェ商会の長として、フュリアタは決断を下す。
「どうやら行くしか無いみたいですね……ダンジョンの中へ!」
「おうッ!」「はい!」
●
……意気を上げ、慌ただしく動き始める
彼らの様子を見ていたミジェーロはふと声をかけた。
「――そこの貴方」
「!? は、はい!」
呼ばれた少年は慌てて振り向く。振り向いた少年はとっさにミジェーロの顔から目をそらす。ミジェーロはそれだけで彼が鑑定魔術の心得を持っていると見抜いた。だがそれには触れずに、ただ問う。
「貴方も迷宮行商人ですか?」
「(少年はチラリと商会長へと目線を向け)は、はい。まだ見習いみたいなものですが一応は」
初めて対面する大商人に緊張しているのか、少年は緊張に身体を強張らせる。大小の違いはあれど商人は商人、同じものだ。別に緊張をする必要などないのであるが、年若い少年にそれを求めるのは酷であろう。
ミジェーロは目を細め、さらに彼に問う。
「探索の前線に出るわけではないとはいえダンジョンの中は危険ですよ。ご両親は心配しないのですか?」
「両親は……いません。父さんも母さんも僕が子供のころに――ああ、ええと。僕はまだ子供ですけど。とにかく数年前に事故で死にました。少し前まではドンキオッカの魔術学院に通っていたのですが、いろいろあって今はこちらのフュリアタさんのところで働かせてもらっています」
少年は両親の死という事実を特に気負うことなくそう答えた。それは彼の中ですでにその事実は過去のものとなっている証なのだろう。思い出せば悲哀はあるのかもしれないが、今を生きていくうえではもはや心を動かすことではなくなっている。
それは彼の若さゆえなのか……。
「――」
ミジェーロはほんの数秒瞑目し、
「そうですか。ならお気をつけなさい」
簡単な言葉だけを投げ、背を向けた。
少年――シュンディリィは気まぐれのような大商人の振る舞いにやや戸惑いながらも、少年らしい快活さで応じた。
「あ、ありがとうございます! 気をつけます!」
ミジェーロがなぜシュンディリィを気にかけたのか。その理由をシュンディリィが知るのはこのダンジョンでの仕事が終わった後のこと。
恐ろしきドラゴンとの戦いを経た後であった。
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