第16話 市場への道すがら

『市場』の位置というものは明確に定められているわけではなく、ダンジョンの攻略の進行度などによってその位置は常に変わっていく。今、シュンディリィたちが目指すフリークフォドール霊廟の『市場』は第3層の中ほどにあるらしい。


「商人としてダンジョンに入場すれば、基本的にどこで商売をしてもかまわないのですけれど……」

「浅い層でやっても客は素通り、深い層では危なくて商売どころじゃねえ。結果的にはだいたい中程の層でやるのが一番になるわけだ」


 というわけで、シュンディリィたちは第3層を目指すこととなったのだが……。


「なんか……思ったよりも平和なんだね」


 ダンジョンに脚を踏み入れたときの緊張感はやや薄れ、気を張り詰めることが難しくなってきている。

 シュンディリィはダンジョンの内部を見渡す。

 足元はピッタリと隙間なく正確に切り出され並べられた石畳。どのような工作技術が使われているのかはわからないが、これほどの精度で石を切り出すのは相当難しいということは想像できる。古代人の技術力の恐ろしさだ。

 廊下の壁も同様の石造りで、石棺の並ぶ小部屋がいくつも開いている。天井はかなり高く、魔術の明かりでは見渡せないほどだ。道は複雑にわかれているのだが、迷わないようギルドが設置した目印があり市場までの道はわかりやすくなっている。

 そしてその道のりは思ったよりも平坦で、ダンジョン内は危険な魔獣や罠で満ちているのかと覚悟していたシュンディリィはやや拍子抜けしてしまったというわけだ。


「このあたりは何年も前から探索され尽くしていますからね、罠もモンスターもほとんどないんですよ」

「もちろんお宝もな。そもそも俺らは商人であって冒険者じゃないんだ。お宝探してうろつく必要なんかねえ。道はわかってんだから真っ直ぐ市場に向かやいいんだよ」


 たしかに二人の言うとおりだった。ミジェーロがドラゴンに討伐賞金を設定した以上、このダンジョンに人が大挙してくることは確実だ。冒険者はもちろんのこと、ドンキオッカの商人たちの耳にもそれは耳に入るだろう。

 一応のところ組合の取り決めでフュリアタの商売上での優先は確保されているが、それも絶対ではない。早く商売の準備をしておかなければ組合に所属していない迷宮行商人も増えてくるだろう。


「ああ、でも」


 ふと思い出したようにフュリアタは軽く手のひらを叩く。


「『像』のところくらいなら行ってみてもいいんじゃないですか、ジルグド?」

「あん? 『像』? ……ああ、あの像か。あれならたしかにここからすぐだな。ふむ、せっかくだから退屈してる小僧に少しぐらいは観光させてやるか」


 そう納得し、先頭をいくジルグドは方向を変え市場へと向かう順路から外れる。フュリアタもそれに続き、突如の方向転換にシュンディリィはひとり戸惑った。


「えっ、どこへ行くんですか?」


 問われて振り返り見るフュリアタの表情は明るげで、少しイタズラっぽい笑みを浮かべていた。


「すぐそこにちょっとおもしろいものがあるんです。見に行ってみましょう!」


        ○


 方向転換して歩くこと十数分、二人と一匹は目的の場所にたどり着いた。

 そこは少し開けた広場のようになっている場所で、石から削り出した簡単なベンチのような物が並んでいた。人が登って立つものと見えるような壇もあり、霊廟ということを考えるとここはなにか祭礼を行う場所であると推測できた。

 この場所そのものはさして目を引くものはない。フュリアタたちがシュンディリィに見せようと思ったもの、それは『像』だ。


 剣と天秤を持った女神像。剣は正義を、天秤は公平を意味している。剣の形や女神の格好などは違えども、これ自体はよくあるモチーフのものだ。ドンキオッカ市内にも似たようなものがあり、一つのランドマークとなっている。

 古代人も現代人も考えることは大して変わらないのだなと思えばなかなか感慨深いが、逆に言えばさして珍しいものでもないとも言える。わざわざ寄り道をして見せるものでもない。

 ……像そのものは、だが。

 フュリアタたちが見せたかったものはこの像そのものではない。これに付随するものだ。それは、


「……札が貼ってある?」


 女神像には手のひら大の紙片が貼り付けられている。それも一枚や二枚ではない。像のいたるところに無数に貼り付けられていて、詳細な造形のディティールを覆い隠してしまうほどだ。


「はい。ギルドの発行する『所有優先札』です」


『所有優先札』は冒険者がダンジョン内部で宝物を見つけた際に貼り付けるものだ。荷物が多くて持ちきれない場合、あるいは動かすことが困難な場合に「これは先に自分が見つけたものだ」と主張するために名前を書いて宝物へ貼り付けるのだ。

 ギルドによる特殊な魔術がかけられたこの札は、専門の解除魔術を用いねば剥がすことができず、無理に剥がせば痕跡が残る仕組みとなっている。さらに後から別の人間が札を貼り付けても、誰が先かは『鑑定』の魔術でわかる。これで宝物をめぐっての無用な争いをある程度は避けることができるのだ。

 だがその所有優先札がこうも無数に貼り付けられているのはどういうことだろうか?


「どうもこうも。動かすことができないんだこいつがニャ」


 ジルグドとフュリアタは笑い合う。


「正確に言うならば、動かすことはできるけど割に合わないっていうところですね」

「別に固定されてるわけでもないんだが、この大きさの石像ともなると運び出すのは一苦労だ。櫓を組んで土台から引っこ抜いて、さらに専用の台車やらなにやら作って通路の拡張工事をして……そんなことをしてたら石像を売っても割に合わんのさ」


 言われ、シュンディリィはあらためて石像を見上げた。無数の札の張り付いた石像からは何らかの魔術の力を感じる。魔除けかなにかの魔術効果があるのだろう。それは持ち帰り研究すればそれなりの価値を生む古代の遺物なのだろうが……それを防いでいるのは魔術でもなんでもない、ただの重量と大きさというのはどこか諧謔的であった。


「『格納』の魔術では持っていけないんですか?」

「少なくとも私くらいの練度では無理ですね。この大きさもですけど、石像にかけられている魔術が『格納』の魔術に干渉にしちゃうんです。その干渉をキャンセルして、なおかつこの大きさを入れられる練度となると、ちょっとした大魔術師さんの仕事になっちゃいますね」


 当然、そんな人物を雇うとなると相応の予算が必要となるだろう。


「で、そうこうしているうちに後からどんどん冒険者どもが入ってきてどんどん札を貼っていったというわけさ」


 優先札はあくまで優先札だ。先に貼った人物が権利を放棄するなどすれば次に貼った人間に権利がうつる。あるいは共同して運び出せれば山分けになるし、ギルドなど公的な機関が行えば札を貼ったもの全員平等に金が入る。宝を見つけたのであればたとえ運び出せなくても札を貼らない理由がないという仕組みだ。(そしてギルドはその札を冒険者に売ることで利益を得ている)

 よく出来ているもんだな、と感心しているとジルグドがどこか人の悪い笑みでニヤリと笑う。


「……おまえも札を貼るか?」


 言って彼はどこからか取り出した優先札をくわえてシュンディリィに差し出す。


「えっ、僕も貼っていいの?」


 シュンディリィは冒険者ではなく商人としてダンジョンに入場した。商人は安価な入場料でダンジョンに入れる代わりに宝物の取得ルート権を有さない。札を貼ったところで何の意味もないはずなのだが……。


「ダンジョンに入った記念みたいなもんさ。実際ここに貼ってる札も大半は冒険者以外のもんさ。むしろ冒険者こそ運び出せる目もねえ品になんか札を貼らないからな」


 そういうものか、と納得して札を受け取った。シュンディリィは札の表面に指を触れ、わずかに念じる。


「……」


 札の表面が一瞬光り、そしてすぐにその光は失われた。

 これは魔術ですらない、ただ魔力を流しただけだ。だがこれでこの札はシュンディリィの魔力パターンを記録した。魔力の波長のタイプは人それぞれ異なり、魔力の強弱に関係なく人間を識別することに向いている。これと署名を合わせれば個人の識別はほぼ完璧と言っていいだろう。ギルド専属の凄腕鑑定魔術師はもとより、駆け出しの鑑定魔術師でも見分けることができる。


(僕は……どうかわからないけどね)


 魔術による鑑定を前提とした優先札。その鑑定すら上手く出来ないというのであれば鑑定魔術師としては絶望的だ。

 ペンを取り出し、シュンディリィは自分の名を札に書き込んだ。『シュンディリィ』。姓は無し。今は何者でもない、ただの少年の名だ。あらためてそう自覚すると、胸の中には不安や情けなさが湧いてくる。

 だがそれでも、


「準備できましたか?」


 こちらを覗き込むフュリアタの蒼の瞳と一瞬目が合う。すぐにシュンディリィは目をそらすが、その蒼の美しさは初めて出会ったときからずっと印象に残っている。

 札に書かれた彼の名はただの『シュンディリィ』ではない。『アグザウェ商会のシュンディリィ』だ! 鮮烈な蒼は彼をそう勇気づける。


(よし!)


 うなずき、シュンディリィは札を握りしめる。

 不安はある。しかしそれでも今は彼を信じ、一緒に道を歩こうとしてくれる仲間がいる。ならばうつむいてばかりはいられない。


「これはどこに貼ればいいんですか?」

「どこでも。好きなところに貼ればいいんですよ」

「……そう。にニャ」


 そううながされ、女神像を見上げる。像のそこかしこにはこのダンジョンを訪れた人間の札が貼り付けられている。女神の身体に貼られた札、像の台座に貼られた札、女神の持つ剣や天秤に貼られた札、様々だ。なるほど、どこに貼るのも自由だと思われる。

 ではシュンディリィはどこに貼るべきか?


「それなら……」


 ほぼ迷うことなくシュンディリィは像の台座に足をかけ、わずかに像をよじ登る。女神の肩を掴んで手を伸ばした先は――


「むう、『眼』か」


 何故かどこか面白くなさげにつぶやき、ジルグドはシュンディリィが札を貼るのを見届けた。

 シュンディリィが札を貼ったのは女神の顔、それも眼のあたりだった。


「『眼』ですね」


 フュリアタもまたクスクスと笑う。二人のリアクションの意味がわからず、シュンディリィは首をかしげた。


「『眼』だと何か変なんですか?」

「いえいえ、別に変ではないんですれけど」


 実は、と笑いながらフュリアタは前置きし。


「この女神像のどこに札を貼るかというのは、ちょっとした占いになってるんです」

「占い?」

「はい。札を貼る場所によって札を貼った人物が心の中で求めているものがわかる……という占いです」

「ええっ!?」


 知らないうちにそんな占いを仕掛けられていたのか、とシュンディリィは驚く。

 黙って他人の心理を占うというのは、さすがに少し人が悪いのではないかとやや憮然とした気持ちになる。

 口を尖らせたシュンディリィに、フュリアタは慌ててフォローをする。


「あっ、占いといっても別に何かちゃんとした根拠のある話じゃないんですよ! 誰が言い出したのかもわからないんですけれど、いつの間にかそういう噂が広まっちゃって……。みんな面白がっているのか、初めてここに来る人を試しちゃうのが定番になっちゃっているんです」


 ごめんなさいね、と申し訳なさそうな様子で謝るフュリアタとは対照的にジルグドはケッと面白くなさげに息を吐いた。


「女神の乳だの尻だのに貼りゃあ思いっきりからかってやろうと思ったのに、つまんねえ小僧だぜおまえはよ!」

「もう、ジルグド! シュンディリィくんは真面目なんですよ! 女神の眼に札を貼ったということは、きっと鑑定魔術の腕前を上達させたいっていう意思があるからなんでしょうから!」


 ですよね! と笑顔を向けられるがシュンディリィは、


(うっ……!)


 内心で焦りの気持ちを飲み込んだ。

 アイテムの内実を見通す鑑定魔術。その鑑定魔術になることを志望している少年が、女神の『眼』に札を貼ってみせた。素直に考えるならたしかにそれは鑑定魔術上達の願いのあらわれ、ということになるだろう。

 ――だがそれだけだろうか?

 たしかに鑑定魔術の上達はシュンディリィも望んでいる。それは間違いないのだが、本当に心の奥から真摯にそれだけを願った行動だったのかというと……これは少し怪しい。


(フュリアタさんの眼が印象にあったから貼っちゃっただけかもしれない!)


 シュンディリィがフュリアタに声をかけた最初のきっかけであり、つい今しがたも見惚れてしまったフュリアタの美しい蒼の瞳。これが印象にのこったせいで女神の眼に札を貼った可能性は否定できない。

 この占いは遊びのようなもの、ちょっとしたイタズラだというけれど。


(あながちデタラメでも無いんじゃ……)


 と思わずにはいられないシュンディリィなのであった。

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