第17話 運命の一端に触れる。
「やっと着いたか」
軽く伸びをしながらジルグドはどこかほっとした様子で呟いた。常に戦士としての自信ありげに振る舞い、鷹揚にかまえていたように見えた彼だが、やはりダンジョンの中を二人の人間を守りながら進むのには相応の緊張があったのかもしれない。
長い階段を降りきり、アグザウェ商会の一行……二人と一匹はダンジョン第3層の『市場』にたどり着いた。道中で少し寄り道はあったものの、ここまではおおむね問題なくたどり着いた。
迷宮の罠にも攻撃的なモンスターにも出会うこともなく、怪我らしい怪我をすることもなかった(シュンディリィが慣れないブーツのせいで一度転んだのと、フュリアタが低い横柱に頭をぶつけたことがあったくらいだ)。
やや拍子抜けしてしまうが、大事なのはあくまでも市場へとたどり着くこと。シュンディリィたちの本当の『仕事』はまさにこれからなのだから。
「ここが市場……」
目の前に開けた光景にシュンディリィはわずかに驚いた。
現在フリークフォドール霊廟に『市場』があるのは3層の中ほど。石畳の廊下を抜けた先にあるかなりひらけた空間だ。ドンキオッカ市の通りの一つがすっぽり収まりそうなほどの広さがあり、天井もひときわ高くなっている。
市場の様子はといえば、これは街のものとそう変わりはない。敷布などの上に商品を広げ、店主が番に立っている。武器、防具、雑貨、食料、売っているものは様々であるが、これも街の市場とそう変わらない品触れだ(値段は少し割高だが)。
違うところがあるといえば、店の後ろに寝泊まりするためのものと思われるテントがあるくらいだ。
通りを進みながらシュンディリィは店を観察する。まずは武器の店。店主はくたびれた中年の男で、痩せてはいるが眼光はそれなりに鋭い。いかにも場数を踏んだという風情の商人だ。身につけているのはシュンディリィたちと似たような革鎧に護身用の短剣……もっともこちらはかなり『使い込んでいる』風に見える。
しかし並べた商品はといえばそれに比べてピカピカの新品が多く、どこかチグハグな印象を受ける。だがジルグドが言うには、
「ダンジョン内で武器を『買う』やつは滅多にいないからさ。当たり前だが武器なんざどの冒険者も絶対に持っているもんで、ダンジョン内で調達しようなんてやつはいやしねえ。トラブって武器を失くしたアホウのために置いてあるようなもんだ。本業は損耗した武器の手入れや修理ってところだろうさ」
なるほどよく見れば並べた新品の武器の横に、かなり使い込まれた砥石や簡単な冶具が置かれている。本当の商売道具はこちら、というところだろう。
そう、店の前で観察していると店主はこちらをジロリと睨んできた。この店主と違っていかにも駆け出しの迷宮行商人という感じのシュンディリィとフュリアタだ。商売相手でないことはひと目でわかる。商売の邪魔だと思ったのだろう。
少し剣呑な雰囲気がただようが、そこへさっとジルグドが降り立つ。
「ほう? だがダンジョンの中で売ってるもんにしちゃだいぶマシな
品揃えを覗き込んだジルグドがそう褒めると店主は(駆け出し商人の護衛に猫戦士がいることにわずかに驚きながら)まんざらでもない、という笑みを見せる。
「お、わかるかい? そこの剣はダロンズ(名の知れた武器匠らしい)の新作さ。鋼の上に古代金属を薄くコーティングしてあってな、魔力のノリがいいってんで魔術剣士なんかにゃ好評なんだぜ。どうだい? ひとつ買わねえか、猫戦士の旦那よぉ」
「ケッ、バカ言え。モノはいいのは認めてやるがこんな値段で買えるかよ。『外』でなら3割引きで買えるだろ」
「もちろんそこは値引きさせてもらうさね。腕に覚えのある猫戦士が買ってくれたとなりゃあっこっちもいい宣伝だ。半額でも商いになる」
「よく言うぜ。俺が剣を買ったってのをダシにして、次の仕入れで職人から買い叩こうって魂胆なんだろ。何が半額でも商いになる、だ。その手にゃのらねえよ!」
隙あらば売り込もうというようなたくましい商人のやり取りを目の当たりにして、シュンディリィは驚きとともにわずかな高揚を覚えた。フュリアタもわずかに頬を上気させ、顔つきにやる気の色を見せる。
今から自分たちもこんな風に商売をするのだと、そう思えば自然と肩に力もこもってくる。
「私たちも早く店を開きましょう!」
ふんす、と彼女らしくもなく大きく息をついてシュンディリィとジルグドをうながす。
「おお、それがいいだろうさ」
満足気にジルグドはうなずく。今のやりとりはフュリアタを触発させようという狙いがあったのだろう。初仕事の前に少しでも迷宮内での商売の雰囲気を見せておこうという彼なりの気遣いだったのだ。
「なんだい買ってくれないのかい」
店主は苦笑気味で残念がるが、彼にしてもどうやら途中でジルグドの狙いはわかっていたようだ。同じ市場で商売をする仲間同士……というわけでもないが、新米商人にたいしては少しくらいの世話を焼くぐらいの人情はあるということなのだろう。
「悪かったな店主――だがその剣、モノはいいのは俺も保証してやるぜ。それなら『外』でも売れるだろうよ」
「そう言ってくれんのは嬉しいが、俺ぁ外での商売は性に合わねえんだがなあ……」
ぼやきながら店主は剣を手に取る。キン――と澄んだ鍔鳴りの音を響かせる。シュンディリィもその剣には少し目を奪われた。
「ん? おまえも
「あっ、うん。いい剣なんだよね?」
ジルグドはもちろん鑑定魔術を使うわけでもないが、一流の戦士である彼であればこと武器の見定めに関しては玄人裸足だ。もしフュリアタが道具商ではなく武器商人であったなら、商品の鑑定役にシュンディリィが出る幕などなかっただろう。
「そっちの坊主も迷宮行商人なのかい?」
「いんや、こいつは鑑定魔術師のヒヨコさ。この小娘も迷宮行商人のヒヨコ卒業できねえもんだからな、二人組んで仕事してんのさ」
そんで俺はそのお守りってわけさ、とジルグドは軽口を叩くが、シュンディリィたちとしても言い返せるわけでもないので憮然とするより他ない。
「鑑定魔術師か! ならこいつも鑑定してみるか?」
そう言って笑い、店主は剣を差し出した。
この店主に限った話でもないのだが、シュンディリィが若い鑑定魔術師だと知ると自分の持ち物を鑑定することを勧めてくる人間は意外と多い。それは少年の成長を助けようとして…、という親心も多少はあるのだろうが、半分はただの自慢だ。
売り物にせよ、持ち物にせよ良い物品を持っていれば他人に自慢をしたくなるのは人の常。だが物の価値を正確に見てとれる人間というのはそう多くない。居たとしてもそれなりに目が肥えた人物であり、これに自慢するというのはなかなか難しい。
しかしそこへ行くとシュンディリィはといえば年若い鑑定魔術師。鑑定魔術で物の価値はわかるが(…と余人は思うのだろう。実際は彼の鑑定はまったく正確ではないのだが)、目が肥えているわけでもない。良いものを見せればその価値を理解し、そして驚き賞賛することを期待できるのだ。
(……いいけどね)
シュンディリィとしてもそれは願ったりだ。魔術の上達の方法とは単純明快。すなわち『練習あるのみ』だ。一度でも多く、一つでも多くのモノを鑑定すればそれだけシュンディリィの鑑定魔術は上達する。……「詩文を詠む」という奇怪な鑑定魔術の行き着く先がどこであるのかはシュンディリィ自身にもわからないが、それでも一流の鑑定魔術師を目指すのであれば練習を欠かすことはできない。
シュンディリィは受け取った剣を眺める。魔術はまだ使わない。ある程度は自分の目で見て確かめてから鑑定しなければ、目と魔術で見たものの齟齬に脳が混乱することがあるからだ。
剣の長さは小柄なシュンディリィの腕くらい。いわゆるショートソードに分類される大きさだ。武器は基本的に大きければ大きいほど、重ければ重いほど強いものだがダンジョン内で扱う場合は話は別だ。狭所での戦闘も起こりうるダンジョンでは過度な大きさの武器はかえって扱いづらいことが多く、ジルグドのようにサイズが可変する武器を好むものもいる。この剣はダンジョン内で扱うにはちょうどいいだろう。
鞘は腐食防止の塗料が塗られた銅製。柄は樫の木に革を巻いてある。そして刃は――
「綺麗な白銀色ですね」
横から見ていたフュリアタがそう呟く。彼女の言葉通り、鏡のように磨かれた無垢の刃は白銀色に輝いている。ただの鋼の色ではない、魔力の流れがよくなるという古代金属をコーティングしてあるというがこれがそうなのだろう。目だけの鑑定はまだまだ未熟なシュンディリィでもひと目でわかる業物、名工が鍛えたというのも頷ける。
あとはこれを魔術で鑑定してみるだけなのだが――
「――っ!?」
ギラリ。白銀の剣が光を反射したとき、シュンディリィの背筋にぞくりと嫌な感覚が走った。
(なんだ、これ……!)
それは今まで味わったことの無い感覚であった。ここに来るまで鑑定してはならない危険な道具というものがあることをシュンディリィは知った。ダンジョンの入り口で老鑑定魔術師に見せられた古代の魔術がかけられた副葬品の短剣、あるいは直接見てはいないもののギルドの暗部『黒衣』が携えていた恐ろしい力を秘めた武器などだ。
ではこの剣もそれらと同じ類のものなのだろうか?
(いや、あれとは違う気がする……)
そう、それが違和感なのだ。この剣は危険なものではない。鑑定魔術を使ってもおそらく目が潰れるようなことはない。そもそもそんなものを店主が差し出すわけはないし、ジルグドも看過しないであろう。そしてシュンディリィ自身にも、この剣を鑑定したところで害は無いことがなんとなくわかっていた。
何の変哲も無い剣なのに、何か嫌な予感を覚えてしまう。
「う、うう……」
言葉で形容し難いその悪寒にシュンディリィの額に冷や汗が浮かぶ。
「どうしたよ? その剣になんか呪いでもかかってんのか?」
さすがにおかしな様子を見て取ったのか、彼らしくもない怪訝な顔つきでジルグドはシュンディリィを見上げる。
「オイオイ、そいつは呪いなんかかかっちゃいないぞ! そりゃたしかに魔術剣士用にするための加工はしてあるが、剣自体は打ち立ての新品もいいとこだ。鑑定したって何の問題も無いはずだぜ」
店主も眉間にシワを寄せてそう抗議する。
「ええと、よくわからないのですが……。何か不都合があるなら鑑定をお断りしてみては?」
フュリアタはそう心配するが、
「い、いや。鑑定してみせますよ!」
シュンディリィは悪寒を冷や汗ごと振り払うようにブルブルと首を振った。
理由もわからない嫌な予感なんかで、鑑定を怖じ気づいてる姿などフュリアタには見せたくない。そう奮起し、シュンディリィは呪文を唱える。
「『
呪文とともにシュンディリィの瞳に魔術の光が宿る。その光越しにシュンディリィは剣を見た。そしていつものように『詩文』がシュンディリィの脳裏に浮かぶ!
『暴威の
●
「――?」
『何か』を感じ、それは上を見上げた。薄暗い迷宮の地下、淀んだ空気の中で見上げた先には何もない。だが、それはたしかに自身と『何か』が触れ、繋がる感覚を得たのだ。
それは自身に触れたものを確かめるべく、ゆっくりと動き出した。
●
『暴威の
その鑑定は予想通り何の抵抗も無く成功した。普通の剣を鑑定したのと何も変わらない、いつもどおりの鑑定魔術だ。だがその詩文は奇妙であった。剣の来歴、あるいはそこに込められた思いなどではなく。何かを暗示するかのようだ。はたしてこの文の意味は――
「どうだい! いいもんだろう?」
シュンディリィの思考は店主の声でかき消された。
「え――ええと、はい。いい剣ですね。その、
「ははは! そいつは大げさだな!」
詩文が示した『竜』という言葉が頭に残り、どこか取り繕うようにそう剣を評した。店主は気をきかせた冗談かなにかだと思ったらしく、それでも嬉しそうに笑ってみせた。
「竜を殺せる剣、なぁ……」
一方、竜の出現情報に護衛として気を揉んでいるジルグドは渋い顔だ。竜でも殺せそうな剣とは彼にしてみれば笑えない冗談というところだろう。
(僕も気にしすぎ、かな?)
鑑定の詩文で竜という言葉が出たのも、ジルグド同様にシュンディリィも竜のことを気にしていたからなのもしれない。竜のことが頭の中にあったから、鑑定にそれが現れてしまったのだろう。――きっと。
「さて、それじゃあ私達も急ぎましょうか」
パン、と手を叩いてフュリアタはシュンディリィたちを促す。鑑定で思わず時間を取ってしまったからか、彼女としても少し気を急いているようだ。
「そうですね、――剣、ありがとうございました」
シュンディリィは鞘を持ち、柄を相手に向けて剣を店主に返す。店主は受け取り、一応剣を
「あんたらも、いい商売ができるといいな」
「「はい!」」
店主の送り出す言葉に二人の若者は大きくうなずき、シュンディリィたちはアグザウェ商会が店を出す予定の場所(組合によって場所は確保されている)へと向かった。
……この時すでにシュンディリィの頭からは剣の鑑定、その詩文のことは消え去っていた。
だがもう少し彼が自分の鑑定魔術のことを気にかけていたのなら、けしてあの内容は無視してよいものではないとわかっただろう。
シュンディリィの鑑定魔術は奇妙でねじ曲がってはいるがけして嘘をつかない。その言葉は常に正しいものが読み取られる。
そして言葉というのは常に残酷だ。あの剣が『竜を殺した』という事実でもなく、『竜を殺せる』という可能性でもなく、『竜を殺す』と示したのであればそれは確定した未来を語っていることになるのだ。
それはもう一つ、けして無視してはいけない未来を示している。
――竜を殺すには、竜に出会わなければいけないということを。
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