第11話 ダンジョン経済

 ガタンと石を踏んで馬車は揺れ、乗っている者たちはわずかに顔をしかめる。

 道路の舗装はしてあるとはいっても森の中だ。小石の一つも落ちていることはしょうがない。

 馬車の乗員たちの表情はやや硬く、リラックスしているとは言いがたい。殺気だっているとまでは言わないまでも、皆一様に緊張感を抱えている。それもそのはず、彼らが今向かっているのはダンジョン。危険な罠と魔獣がひしめく太古の迷宮……そして一攫千金の夢の眠る場所だ。


 森の中を行くのは『ギルド』の運営する駅馬車。冒険者――そして迷宮行商人ダンジョンパッカーをダンジョン・フリークフォドール霊廟へと運ぶ馬車だ。


「しかしフリークフォドール霊廟か。久しぶりに行くが、まだまだ賑わってるみたいじゃないか」


 フュリアタの頭の上に座ったジルグド(こうすれば彼の分の運賃はかからない)は周囲を見回して言う。狭い車内にはフュリアタたちとは別に、二組のチームの冒険者たちが身を寄せ合っていた。

 ダンジョンに向かうのは二組だけ……というとなにか寂しいものがあるが、実際ダンジョンの中にはこの何倍もの数のチームが潜っているはずである。

 ダンジョンの攻略は一日や二日では足らず、粘り強いチームであれば一ヶ月ほどもダンジョン内で過ごすこともある。であるからこそ、フュリアタたち迷宮行商人の仕事があるのだが。


「父さんたちが最後にフリークフォドール霊廟に行ったのは……もう十年も前になりますか」


「うむ。それくらいになるか。あの頃はたしか……まだ一層が攻略途中でな。『市場』もダンジョンの中ではなく外にあった」


「今はもう攻略の最前は5層の半ばほどまで行っているそうですから、『市場』も3層にあるみたいですね」


 規模や複雑さ、あるいは住み着いた魔獣たちの強さにもよるが、通常一つのダンジョンは十年以上の時をかけて探索されるものである。

 フュリアタの父母が最後にこのダンジョンへと商売に来たのが十年前で、現在はまだ5層目というから、ほぼ一般的かあるいはやや遅いくらいのペースで攻略は果たされていると思っていいだろう。


「シュンディリィ、おまえダンジョンに行くのは初めてか?」


「初めてだよ。魔術学院の中じゃダンジョンに実地研修に行く科もあるけど、鑑定魔術科じゃそれはないしね」


 フュリアタの頭の上からジルグドは問うた。答えるシュンディリィは、自然と見上げるような形になり……フュリアタと目が合う。フュリアタは蒼の瞳を笑みの形に細めた。


「ドンキオッカ魔術学院で戦闘魔術の訓練をしている……戦技魔術科の人たちですね。父さんたちも一度一緒になってダンジョンに潜ったこともあると言っていましたが」


「それこそ十年前、このフリークフォドール霊廟での話だな。ここは比較的難易度も低いダンジョンだから、魔術学院のガキどもの実地研修やるニャもってこいなんだろうよ」


 自分で言い出したこととはいえ、シュンディリィにとって退学になった魔術学院の話をされるのはどうにも尻の座りが悪い話題である。


(もし進級できてたら、僕もどこかの鑑定魔術師のところで研修を受けていたのかな……)


 戦技魔術科の生徒がダンジョンに研修にいくように、鑑定魔術科の生徒はすでに資格をとって働いている鑑定魔術師(おおむね魔術学院の卒業生かその関係者だ)のところで研修を行うのが通例となっている。

 成績不足から二年への進級に失敗し、退学となってしまったシュンディリィにとってはそれはもう関係の無い話だ。……それでもふとしたとき、こうして学院への未練が心に顔をのぞかせることがある。


(いや……今の僕はもうアグザウェ商会の一員だ! この仕事だってきっと鑑定魔術師への道につながってるはずだ!)


 強いてそう己の心を奮い立たせる。遠回りであるし、本当にたどり着けるかはわからないが、それでも今の自分は夢へと前進しているはず。

 そう信じて今は――


「あっ、ダンジョンが見えてきましたよ!」


 このフュリアタを助けて、迷宮行商人の仕事に集中するだけだ。


 ●


 フリークフォドール霊廟が作られたのは、およそ800年ほど前だと言われている。

 今のドンキオッカ市がまだ影も形も無いころ、この地に住んでいた先住民族が築いたものだ。その先住民族はすでに滅び、世界のどこにも残ってはいないがその遺物はこうして残っている。

 霊廟の名の通りこのダンジョン(先住民族にとっては迷宮でもなんでもなかったのだろうが)は墓地として作られたものであり、内部にはおそらく高貴な身分の人間のものだっただろう棺がいくつも納められている。


 冒険者たちが狙うのはもちろんダンジョンの中の財宝……つまり副葬品だ。棺に遺体とともに収められた金銀は、それ自体が非常に価値の高いものである。大きな墓を暴くことができれば一財産を築くことも夢ではなく、一攫千金を求めて多くの冒険者が訪れる。

 そしてその冒険者そのものを目当てに、多くの人間がダンジョンの周りに集まってきている。


「うわぁ……ちょっとした村みたいになってるんだな」


 ワイワイとざわめく人々にやや気おされながら、乗合馬車を降りたシュンディリィたちはダンジョンへと歩く。

 馬車の停留所とダンジョンの間、森の中を切り開いた土地の中にはいくつもの簡素な建物が並び、さまざまな商売が営まれている。

 初めて目にする光景に目を丸くするシュンディリィに、ジルグドは笑う。


「ダンジョンに用があるのは冒険者や迷宮行商人だけじゃない。いろんなやつらの飯のタネになってるのさ。そうさな、例えばあれは――」


 ジルグドが視線を向けた先にいるのは工具箱を抱え、切りそろえた木材の上にたむろする男たち。ダンジョンの中を描いていると思しき地図を広げて、なにごとかを相談しあっている。


「ありゃ大工だな。ダンジョンの中の崩れた足場やら壁やら天井やらを直して冒険者が通れるようにするよう仕事を請け負ってる。気が荒い連中だから無意味にケンカを売るんじゃないぞ?」


 そういうジルグドこそ挑発的な目つきを彼らに向けて、それに気づいた大工たちもわずかに剣呑な表情を見せる。フュリアタとジルグドは慌ててその場を離れた。


「ジルグド! ふざけるのはやめてください! ――キャッ!」


 頭の上のジルグドに抗議の声をあげたフュリアタは、すれ違う人物と肩をぶつけあってしまった。


「――失礼」


 ぶつかった男はつまらなさげにそう断って、そそくさと通り過ぎる。冒険者や大工、行商人にも見えないひょろりと痩せた男だった。

 通り過ぎる男を目で追って、ジルグドはふんと鼻を鳴らす。


「あの野郎、ありゃ学者かなんかだな。ケッ、ダンジョンくんだりまでお勉強にきてご苦労なこった!」


「ダンジョン内の魔術痕跡を調べにきたんでしょう。フリークフォドール霊廟の建築には古代の魔術も多く使われていると聞きますし」


 それならばシュンディリィも話の覚えがあった。各地のダンジョンの多くは古代種族が建造したものであり、その建造に用いられた古代の魔術は現在の魔術を大きく凌駕している。その魔術を調べ、解析できたならば大きな成果が得られることだろう。


「俺はあの手の野郎は嫌いだぜ。いっぺん一緒に仕事したことがあるが、口先ばっかりでクソの役にも立たねえ! 何度面倒ごとになったことか――っと! フュリアタ! 避けろ!」


 話をさえぎっての警告の声! 前方から来る人物に対してだ。


「っ!」


 今度はフュリアタもぶつからなかった。慌てて横にずれると、スイと男が通りぬける。


「ハイハイ坊ちゃんお嬢さんごめんよ!」


 農夫らしい格好の年配の男は、そう気さくに声をかけながら通りすぎた。肩には天秤棒をかつぎ、棒には厳重に封をした樽のようなものがかけてあった。

 ジルグドはふうと息をつく。


「あぶねえあぶねえ。ぶつかったら一大事だったぞ」


「今の人は何なの?」 


「何、ってありゃみ取り屋だ。ダンジョン内の便所のを汲んでもっていき、発酵させて肥料にするんだ。おおかたこの近くの農民だろうよ」


 となれば、男が担いでいた樽に入っていた物は……。


「……フュリアタさん、ぶつからなくてよかったですね」


「……本当にそうですね」


 二人顔を見合わせ、嘆息して胸をなでおろす。

 ドンキオッカ市は下水道が完備されており、市内で暮らす分にはそうした業者を目にする機会は稀である。しかしこうして一歩郊外に出れば、農村と結びついた生業も見えてくる。


「ったく、おまえら人間は感謝しとけよ? おかげでダンジョン内でもある程度は便所に困らんで済んでるんだからな」


 ジルグドの言葉にシュンディリィも深くうなずいた。


「ダンジョンに関わっているのは冒険者たちだけじゃないんだね……」


 そうして周囲に目を向けると、さらに多様な職の者たちが目に映る。


「――あれは画家さんみたいですね。ダンジョン内の風景は街の人には珍しいらしくて、絵を欲しがる人は多いんですよ――」

「――オイうるせえぞ吟遊詩人! ヘタクソな竪琴の練習ならヨソでやれ!――」

「――怪我の保険に入らないかって!? いや、僕は迷宮行商人の見習いですからそういうのはちょっと――」


 二人と一匹は道を歩く間に、様々な人々とすれ違う。そしてそのほとんどがダンジョンを中心としてある種の経済圏を作っていることがシュンディリィにもわかってきた。


「と、まあいろんな輩がダンジョンの周りに居るが、あとは……そうだな。カタギじゃねえやつらも少しは混じってるな」


 ジルグドはと鋭い視線を通りの暗がりに向けた。油断ない歴戦の猫戦士キャトゥオーリアの眼光を前に、何者かが身を隠す気配がする。盗賊か、詐欺師か、あるいはもっとおぞましい悪意をもった者か。いずれにせよ関わりあいになるべきではない者もいる。


「……っ」


 闇の気配に身を硬くして息を呑む二人に、ジルグドはフと笑う。


「あれはあれで必然として沸いてくるもんなんだろう。人が集まるところニャああいう手合いはつきものさ。――だが安心しろ、俺が居る限りおまえらには一切手出しはさせねえよ」


「……ええ。頼りにしてますよ、ジルグド」


 小さな猫戦士の請け負いに、フュリアタとシュンディリィは大きな安心を得た。

 そして一行は目的の場所にたどり着く。


「ここが……」


 見るものを圧倒する大きな門。その先は広大かつ深遠の地下の穴倉へと続いている。


「はい、フリークフォドール霊廟です」


 ついにやってきたダンジョン。ここがアグザウェ商会の仕事の場だ。ここでシュンディリィたちは『ダンジョンの経済』に関わることとなる。


「まずは受付を済ませましょう」


 そう言ってフュリアタが示したのは、門の前に建てられた簡易な建物。

 掲げられた看板に書かれているのは『迷宮開発公社 ドンキオッカ支部フリークフォドール霊廟前事務所』の文字。

 迷宮開発公社、つまりは通称『ギルド』の建物である。

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