第6話 フュリアタの誘い
『戦場で友を選ぶのならば猫がいい』
そんなことを言っていたのは果たして誰であったか。いずれ名のある名将、猛将による言葉であることは間違いない。
猫の持つ俊敏性と知覚能力に加え、現代の人間では発声不可能な古代魔法呪文のいくつかを使いこなす。中でも有名なのは重力を自在に操る重力魔法であろう。先ほどシュンディリィを引きずり倒したのもおそらくその応用のはずだ。
またその勇敢さは他の種族に比類なく。戦士に与えられる最高の名誉、竜殺しの称号を持つ猫戦士も少なくは無い。
そんな猫戦士である彼が何故このような小さな商会に雇われているかといえば――
「別にどうということもないさ。俺は死んだ
フュリアタの肩の上に乗り、憮然として尻尾でペシペシと彼女の頭を叩く。
「この小娘ときたら、いつまで経っても尻から殻の取れない半人前のヒヨコでな。俺もこの商会を離れるに離れられんというわけさ」
「ううっ……」
ジルグドのこき下ろす言い方にさすがのフュリアタも憮然とするが、仕入れにあそこまで手間取る体たらくでは何も言えないらしくされるがままになっている。
「俺としちゃ、こんな店なんぞ畳んでさっさと嫁にでも行ってくれれば言うことはないんだが、そっち方面も期待できやしねえときたもんだ!」
「私は……!」
それだけは聞き捨てならない、とフュリアタは声を上げる。
「父さんと母さんの残したこの商会を守りたいんです……!」
その表情は固く、決断的である。普段から口に出し慣れている話題なのであろう、ジルグドは呆れたように肩をすくめるのみだ。
「そういう台詞は一度でも行商に出向いてから言うもんだな」
「えっ、一度も売りに行ったことないんですか?」
これに驚いたのはシュンディリィだ。彼女の仕入れが下手なのはわかっていたが、まさか一度も仕入れた商品を売りに出したことがないとは思わなかったからだ。
「倉庫のほうに在庫はいくつかあるのは見たか? あれもほとんどはこいつの親父が仕入れていたもんさ。雑貨なんぞといった日持ちのするもんもまめに手入れはしてあるから売るのに問題ないが、薬の類なんぞはそうもいかねえ。ダンジョンへと商売に行く直前に仕入れるのが鉄則だわな。――だってのにこのグズは、仕入れがてんでヘタクソでどうしようもない!」
ポーション売りの前でうんうんと唸っていた彼女の様子を思い出すと、それもまた否定しづらいことだ。シュンディリィとしてはなんとかフュリアタを擁護したくもあるが……。
「う、うーん……」
なんと言葉を出していいのやら。変な顔をするより他ない。
ジルグドもニヤリと笑い。
「その様子じゃ小僧も知っているみたいだな? まったく情けねえ! 腕利きの
かなり辛辣な言葉だが、ジルグドにしてもフュリアタの両親に対しては並々ならぬ好意があってこその言葉であるかのような響は感じる。先代を尊敬しているからこそ、フュリアタの現状に対して厳しい目にもなるのだろう。彼女が別の道を選ぶのではなく、迷宮行商人という道を選んでいるからなおのことである。
「…………っ」
フュリアタもそれがわかっているのだろう。自らの力不足を噛みしめ、悔しげに口をつむぐだけだ。
(何か力になれればいいんだけど……)
シュンディリィはそう思うが、彼とて魔術学院を落第になったばかりのただの若僧だ。今の自分は半人前以下の男、それがどうして彼女の力になんかなれるものだろうか。
彼女のことどころか自分の明日からの、いや今日からの身の振り方すら……。
そう、今日からの……。
「あーっ!」
シュンディリィはいきなり素っ頓狂な声をあげた。
「えっ?」
「っと! なんだいきなり!」
驚き顔を上げたフュリアタと、その勢いで彼女の頭からずり落ちかけたのはジルグドだ。
「こうしちゃいられないんだった! 今の時間は……」
シュンディリィは時計を確認する。居間にあるのは『ドンキオッカ商工会寄贈』と書かれた大きな柱時計だ。その時計が示す時刻は……。
「もうこんな時間じゃないか! 急がないと!」
もうすでに正午はとっくに回り、陽も傾きかける時間となっている。昼食を軽く食べる程度のつもりが、すっかり話し込んでしまっていた。
「慌てやがって、どうしたってんだ」
「急いで街に戻って今日の寝床を探さないと、野宿する羽目になっちゃうんだよ!」
ジルグドは片目を見開いて意外そうな顔をした。
「なんだ小僧、おまえ宿無しなのか? 俺はてっきり魔術学院の学生かなんかだと思っていたが」
「いや、さっきまではそうだったんだけど、いろいろあって寮を追い出されちゃったんだよ」
「ふむ。ならば急いだほうがよかろうよ、どうせ大した金も持っていないのであろう? 小僧でも泊まれるような安宿などすぐにいっぱいになるぞ」
ドンキオッカ市は訪れる人も多い大きな街だ。ダンジョンに出向く冒険者はもとより、別の街からやってくる商人も多い。宿場街には貴族や大商人が宿泊するような高級な宿から、身元も不確かな者でもとりあえず泊まれる木賃宿まで数多くあるが、さすがにあまり質の悪い宿になど泊まりたくはない。手ごろな値段で、そこそこの質の宿は言うまでもなく人気であり、午前に出て行った客の後始末などが済めばすぐに次の客が入ってしまう。
シュンディリィとしてはいずれはどこかに住み込みで働くつもりであるが、そこが見つかるまでの間の拠点となる宿は確保しておきたい。そのため早く宿を取りにいくべきだった。
「フュリアタさん、ジルグドさん、悪いけど今日は失礼させてもらいます!」
慌てて手荷物(あまり多くはないが)をまとめながらシュンディリィは言った。こんな大事なことを忘れているなど、やはり彼女の力になんかなれるものじゃない……。
「そうかい。――おっと、そういえば転ばし倒したことは悪かったな、小僧」
ヒョイと尻尾を曲げてジルグドは軽く謝った。
「それはもういいですよ、誤解はとけたみたいですし」
シュンディリィは苦笑したのち、フュリアタに向き直った。
「――あの、フュリアタさん。今日はありがとうございました、ポーションの仕入れの時にいろいろ迷惑かけちゃったのにお昼までご馳走になっちゃって」
シュンディリィはアグザウェ商会の中を見回す。よく整理され、隅々まで行き届いた清潔な室内は彼女がこの場所をいかに大事にしているかを物語っている。
その空気は、シュンディリィにとってとても好ましく思えたのだ。だからこそ、何も力になれずとも精一杯の言葉を贈るつもりだ。
「その、僕は迷宮行商人のことは完全にはわからないです。でも鑑定士の端くれとして――ええと、落第はしちゃってますけど――アイテムに携わる仕事の大変さと、面白さはわかるつもりです」
「!」
フュリアタは思わず顔を上げた。
「面白いですよね、アイテムって。作った人と使う人それぞれの考えとか思いとか、そういったものに直に触れることが多いと……なんていうのかな? 楽しいんですよね!」
この思いはシュンディリィもあまり人に言ったことがない。アイテムにまつわる詩文を読む、なんていう胡乱な鑑定魔術を使う身でこんなことを言ってしまえば、「そんなふざけた性根だから魔術が上達しないのだ!」と教師や同級生から叱られることが間違いないからだ。だけど、
(楽しいもんは楽しいんだからしょうがないよな……!)
今日のポーションの鑑定をしたときもそうだった。薬の情報を読み込んだとき、脳裏に流れた老いた
こんな思いを持って作られたものを自分は手に取り、そして選ぶ! その高揚感は言葉にしがたく、ある種陶酔的ですらある。たぶんこれは、シュンディリィならずともアイテムに携わるものならば少なからず持つ感覚なのではないだろうかとひそかに思っていた。
いや、たとえ数字だけしか見えていない普通の鑑定士であっても、その数字を眺めてアイテムに向き合う楽しさはきっとあるはずだ。それだけは同じ鑑定士として共有できる感覚のはず。
そう、鑑定士だけではない。鑑定されたアイテムを買い、それをまた必要とする者に売る行商人だってきっと同じ思いを持てるはず。
亡き父母への思いを大事にし、どんなに不得手でも迷宮行商人の道を諦めないフュリアタならばきっと同じことを思うはずだ。そうシュンディリィは信じた。
「そう、きっと楽しいですよ迷宮行商人も! だから、その……頑張ってください! 僕も頑張りますから!」
頑張る。そうだ、頑張るのだ。試験に落第し、魔術学院を放校されたことでシュンディリィもまた鑑定士になるという目標をどこか諦めかけていたが、自分と同じく苦手なことに挑戦しながらも目標を追い続けているフュリアタに出会ったことでシュンディリィにも勇気がわいてきた。
(人足仕事はやっぱりナシだ! 時間はかかってもいいからちゃんと商売にかかわる仕事を探そう!)
そう決心し、新たな生活への意気を固めた。
「それじゃあ僕はこれで……」
シュンディリィは立ち上がり、荷物を手にとって歩き出そうとする。だが、
「待ってください!」
それを遮るようにしてフュリアタは大きな声で彼を呼び止めた。
「フュリアタさん……?」
控えめな印象を持つ彼女らしからぬ大きな声にシュンディリィは目を丸くする。ジルグドも少し驚いたのか、毛並みを逆立てている。
フュリアタは蒼の瞳にわずかな迷いの色と、そして決心の輝きを見せながら絞り出すかのような声で言った。
「……シュンディリィくん。住む所を探しているのなら、もしよければ――ここに住んでみませんか?」
彼女のいきなりの提案に、
「へ? ……えええええっ!?」
シュンディリィは間抜けな声を出し、そして困惑するのみであった。
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