第5話 アグザウェ商会にて
「お昼は何がいいですか? 食堂街のほうに食べに行ってもいいですし、屋台で何か買って行くのもいいですよ。私が奢っちゃいますよ」
「いや、さっきは僕がその……迷惑をかけたわけだから奢ってもらうのは悪いっていうか、どちらかと言えば僕が奢らなきゃいけないくらいなんじゃ」
「気にしないでください。さっきも言いましたがシュンディリィ君に商品を選んでもらえてとても感謝しているんですよ。本当なら鑑定の手数料を払わなきゃいけないくらいなんですからこれぐらい安いものです」
それに私のほうがお姉さんなんですから、とフュリアタは笑う。伏せ目がちだった商品選びのときとは打って変わった朗らかな笑みだった。
よければお昼をご一緒しませんか、と誘ったのはフュリアタのほうだった。
出会ってからまだほんのわずかの間で、しかも第一印象は最悪(だろうに、とシュンディリィは思う)。であるのに、フュリアタの態度は柔らかであった。
もって生まれた優しい気性であるのか、あるいは何か思うところがあってのことなのかはわからないが、美人の女性から食事に誘われて断れるほど硬派を気取れるシュンディリィではなかった。
ともあれ、ちゃんとした店でご馳走になるというのも流石に気後れするものがあるので、何か適当な安い屋台料理でも買っていこうかということになった。
すると彼女は、
「それじゃあ料理を買っていって私の家で食べましょう。今日の仕入れの予定はシュンディリィ君のおかげで終わってしまったので、ちょうどいいです」
と言い出した。
(仕入れは終わったって……ポーション1本だけなんじゃ)
彼女の手にあるのは厚手の布製の道具袋に仕舞った先ほど買ったポーションだけだ。それで予定が終わりだというのなら、彼女は本気でポーション選びに丸一日かける予定だったことになる。本当に仕入れが苦手だというのは、どうやらあながち嘘でもないらしい。
フュリアタとシュンディリィは連れ立って歩く。道の途中屋台で適当に昼食(ハムと野菜のサンドなどを二人分)を買い、辿り付いたのは表通りから二本外れた通りの中ほどだった。
あたりは表通りの店が利用する倉庫やその店の者が住む住宅などが並ぶ通りで、荷馬車などが出入りする関係からか比較的道幅も広く日当たりも良い。正午も過ぎかけた時間からか、通りにはあまり人影もない。ときおり中小規模の店の商売人めいた人物が往来するくらいだ。
「こっちです」
彼女に案内されたのはその並びの一画だった。店、と彼女は言っていたがどちらかといえば倉庫のようなもので、やや大きめの頑丈そうな両扉に堅固な鍵のついた小さな建物だ。店の造りから見て客を呼び込んで商売するという
がちゃり、と鍵を回し、重い外開きの扉を身体全体で引っ張るようにして開く。
建物の中は窓の無い薄暗い広間になっていて、中には商品棚がいくつも並んでいる。薄暗いのはポーションをはじめ薬品などの商品の品質が劣化しないようにするためだろう。日が差し込まない割に埃臭さがないのは彼女がマメに掃除をしているからか。半分以上が空になっている商品棚には埃一つ落ちていない。
「ポーションはとりあえずここに、と」
言いながら道具袋から取り出したポーションを商品棚に置く。その周囲にはやはり彼女が仕入れ集めたのか多種のポーションや雑貨類が整理されて置かれている。
ポーションを並べて、フュリアタはさらに奥に進む。シュンディリィもその後について進んでいく。倉庫の奥にはまた扉がある。こちらは表の扉とは違う普通の扉だ。どうやらこの奥が彼女の居住空間らしい。
扉の先は簡単な応接室のような部屋だった。応接室とはいってもリビングと兼用している程度のもので、花の飾られた木のテーブルがあるくらいの質素なものだ。こちらの部屋には窓があり、小さな裏庭からの光が差し込んでいた。
「少し座って待っていてください、お茶を入れますから」
シュンディリィを椅子に座るよう促し、買ってきた昼食をテーブルに置いて彼女は別の部屋に行ってしまった。台所なのだろう。水道の音(ドンキオッカ市には上水道と下水道が完備されている)や、魔術師でなくても使える簡単な調理用火魔法の声、それにカチャカチャと食器を用意する音が聞こえた。
(なんか気まずいな……)
シュンディリィはどことなく居心地の悪さを感じて、もぞもぞと椅子の上で身じろぎする。勢い込んでついてきたはいいが、ほぼ初対面の女性の家に上がりこむのはいくらなんでもやりすぎではないか?
そっと周囲を見回して生活の様子を観察する。
(一人暮らしかな?)
そう推察する。ハッキリとした根拠があっての推察ではない。見て取れる周囲にハッキリそれとわかる物証はない。強いて根拠を言うならば『匂い』だろうか。彼女が父母や兄弟、あるいは恋人(あまり考えたくない可能性だ)と一緒にいるのならばその匂いがどこかに残る。
よくわからない詩文を読む『鑑定』の魔術などという胡乱なものを使っているせいか、シュンディリィはそういう『なんとなく感じること』にひどく敏感になっている。よく言えば直感的、悪く言えば当てずっぽう。勘で物事を判断するなど、正確なデータを導き出すことを生業とする鑑定魔術師にはけして勧められることではないが、感じ取ってしまったことを否定するデータもまたシュンディリィには用意できない。
「あっ」
と小さな声を漏らし、パタパタと足音を立ててフュリアタが居間に戻ってきた。
「すみません、茶葉を切らしていたみたいで……すぐに買ってきますね」
「買ってくるって……」
(大丈夫なの?)
彼女の買い物下手というのが本当ならば、またとんでもない時間がかかってしまうのではないか?
そんなシュンディリィの心配を悟ったのかフュリアタは苦笑する。
「大丈夫ですよ。いつものと同じのを買うだけだから迷うことは無いです。それに馴染みのお店の方は、その……私の欠点もちゃんと知っていますから」
迷いそうになればちゃんと察してくれる、ということだろうか。たしかに商品の仕入れはともかく、日々の生活必需品の購入にまでそんな手間をかけていてはまともに生活もできないだろう。
「すぐに戻りますので、本当に少し待っていてください」
エプロンを外し、やはりパタパタと足音を立ててフュリアタは出て行った。
本格的に一人取り残されるとやはり何か気まずさを感じるようになってくる。家主の居ない部屋の中でゆっくりくつろげるわけでもなく、居心地の悪さだけが残る。
(置き手紙でもして帰るべきかな?)
そう思い、腰を浮かせたところで、
「んっ?」
部屋の隅で『何か』の影がサっと動くのが目に付いた。
その影は人影というほど大きな物ではないが、ハエや
「今のは――ぐがっ!」
言いかけたところでシュンディリィはその場へ突然引きずり倒された。
椅子が横から蹴飛ばされるように動かされたためバランスを崩したのだ。
這うような形でうつぶせに床の上に転げ落ちたシュンディリィは起き上がろうとして、
「――動くな」
低い男の声とともに、肩口を強い力で押し込まれてそのまま抑えこまれる。
「え……――」
間抜けにもらした声も伏せた顔の前に突きつけられた鋭い刃――細身の剣の切っ先に遮られる。
「小僧。おまえどっから入った?」
問うのは先ほどと同じ低い、年かさの男の声だ。青年というには声に深みがありすぎて、中年というには声に鋭さが残る。そんな声だ。
「ここが俺が守るアグザウェ商会の店だと知っての狼藉か? 知らないようなら教えておくがドンキオッカ市は商業の都市だ。商家からの盗みの罪は重い。小僧のこそ泥でもまあ……腕一本ぐらいは覚悟してもらうことになるぞ」
ギラリと光る刃をあえて見せ付けて、声の主はそう脅す。誤解で腕を落とされてはたまらない。シュンディリィは慌てて弁明する。
「待ってくれ! 僕はフュリアタさんに昼食に誘われて、それでここで待ってるだけなんだ!」
「フュリアタが昼食に……? フン、語るに落ちるとはこのことだな小僧。毎度毎度日暮れまで市場で延々と商品選びに悩んでつっ立ているあのフュリアタが、昼飯前のこんな時間に帰ってこれるわけがないだろう」
「あー……やっぱりあの優柔不断の話は本当なのか……じゃなくて! ホントに彼女に誘われたんです! 僕がフュリアタさんのポーション選びを手伝って、そのお礼にって!」
「選ぶのを手伝った……? たしかに棚のポーションが増えていたが……。ふむ? それではもしやおまえは鑑定魔術を――」
男が言いかけたところで足音が響き、戸を開ける音がした。部屋に入ってきたのはもちろんフュリアタだった。
「シュンディリィ君!? ――ジルグド! あなたは何をしているんですか!」
押し倒され、押さえつけられたシュンディリィを見て彼女は血相を変える。
ジルグド、とはシュンディリィを押さえている男の名前だろう。
「何を、ってほどでもないさ。こそ泥を始末をするのは俺の仕事だろう?」
「シュンディリィ君は泥棒なんかじゃありません! ああ、もう! とにかく彼を離してください!」
「へいへいっと」
ジルグドがそう言うと、フっとまるで消えるようにシュンディリィの肩を押さえる力が抜け身体が軽くなる。シュンディリィはよろよろと立ち上がり、自分を押さえていた男を見る。だがそこに居たのは――
「……猫?」
テーブルの上で優雅にくつろぐトラ猫の姿だった。
「なんだ小僧?
そう言って猫はニヤリと笑った。
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