第30話 大商人のもとへ
ドンキオッカ市の区画整理のありようを説明するならば、単純な一言で済む話だ。すなわち「北は高く、南は低く」。市内の地価は北側になるほど高く、南側ほど安くなっている。これには様々な要因があってのことであるが、一番の原因としては市の北側には先住民族の『旧市街』が残っていることだろう。
ドンキオッカ市、あるいはその周辺の地域にはかつて別の民族が住んでいた。フリークフォドール霊廟を始めとした数々の巨大建造物、つまりダンジョンを作ることのできた高い魔法技術を持った文明である。
彼らの歴史には不明な点も多いが、一つわかっているのは彼らには南方より来る外敵がいたことである。強大な魔法文明とそれに匹敵する武力を持った敵の激突はすさまじかったのであろう。現在この地に住む人々の祖先が移り住んできたときにはドンキオッカ市の南側は徹底的に破壊されていた。北側を死守した結果なのか、あるいは逆に南側に重要な拠点があったからなのか。いずれにせよ残ったのは北側の市街だけであった。
先住民族がなぜこの地を捨て去っていったのかは定かではないが、その遺構は今もなお健在であり利用されている。古代の魔術による浄水や排水、保温や断熱などの生活での便利さ、呪いや悪霊払いなどの魔術的防御、あるいは単純に歴史的価値。それらが北側の地区の価値を高め、そこに住む者のステイタスとなっている。
大商人ムンラーナ・ミジェーロの居宅も、そんなドンキオッカ市の北側地区にあった。
〇
「どうぞ、こちらでおかけになってお待ちください。会長は間もなくお出でになられます」
体格のいい執事はそう二人を促して部屋を退出していった。
残された二人――シュンディリィとフュリアタは思わず顔を見合わせた。
「まさかすぐに会ってくださるなんて……」
思いがけないことに困惑するフュリアタは緊張を隠せない。無理もないだろう。多忙を極めるだろう大商人が、弱小商人の面会の申し出にまさか二つ返事で応じるとは思わなかった。
「会ってもらう約束を取り付けるだけのつもりでしたもんね」
当初このムンラーナ・ミジェーロの屋敷を訪れたのはアポイントメントを得るだけのつもりだった。『フリークフォドール霊廟で竜を倒した者だが、そのことでお話したいことがある』そう言って、あとは彼女の都合がいい時に合わせるつもりだった。
ところが話は急転。屋敷からミジェーロ商会のオフィスに連絡がいったところ、彼女はその日の予定を全てキャンセル。すぐにでも会おうと申し出たのだ。
これには二人も仰天した。たしかに大事な話をするつもりではあったが、今日この場でとは思ってもいなかった。おかげで大人物に会うというのに服も平服のままであるし、手土産の一つもない。失礼千万である。
一つ良かったことがあるといえば、
「『これ』を持ってきておいたのは正解でしたね」
ソファーに座ったフュリアタの脇に置かれた紙包み。竜の身体に突き刺さっていたあの剣である。これこそが今日の話の本題だ。
「――失礼します」
と、応接室にメイドが一人入ってきた。ティーセットを抱えた小柄な少女である。
「お茶をどうぞ」
素っ気ない口ぶりで、ややぎこちない手つきでカップを並べる。一流商人の家に仕えているメイドとしてはどこか不自然なようにも思えた。
(新人の子なのかな?)
見て取れる年齢は14歳のシュンディリィとそう変わらないくらいである。このくらいの歳でなら奉公に出るのは別段珍しいということもない。愛想も愛嬌も無さそうだが、顔立ちの整った美しい少女である。
「……」
お茶を置いた少女はじっとシュンディリィの顔を見た。これもまたメイドのすることとしては不躾である。
「な、なにかな?」
少年としては女の子からじろじろと見つめられては緊張を覚えないわけにもいかない。自分の顔に何かついているのかと気になるが、少女は「ふうん」と口を漏らす。
「キミ、ホントに竜を殺したんだ。すごいね。――ねえ、竜を殺すのってどんな感じだった? 私まだ竜は殺したことがないから知らないんだ」
「えっ」
いきなり物騒なことを言い出す少女にシュンディリィは面を食らう。横で聞いていたフュリアタも目を丸くした。
言った当人の少女も話が通じていないことに対し、一瞬きょとんとする。そして「ああ」と何かを得心したようにうなずいて――ふ、とその姿が掻き消えた。
「私のこと忘れちゃった?」
響いた少女の声の元は……シュンディリィの真後ろ!
「!?」
ソファー越しに、驚いて振り返った先には少女の顔。一瞬前まで前に居たはずなのに、驚異的なスピード――猫戦士ジルグドにも匹敵するほどの――で音もなく後ろに回り込んだのだ。
そしてこれと同じことがシュンディリィの身に覚えがあった。あれはダンジョンに入る直前、ギルドの受付の前で起きた、
「あのときの『黒衣』……!」
ダンジョンの入り口、ギルドの受付の前での出来事を思い出す。ミジェーロが護衛として連れた黒衣(精鋭のギルド・ガード)の一人が気配をまったく感じさせずにシュンディリィの背後に立っていた。もしシュンディリィが怪しい動きをしていれば即座に制圧できる構えだった。暗殺者としても恐れられる黒衣の妙技、それを行えたということはこの少女はあの時の黒衣だったのだ。
「まさか女の子だったなんて……」
大人の男性ではないと予想はついていたが、まさか自分と変わらないほどの歳の少女だとは思わなかった。『黒衣』の強さはジルグドですら認めるほどだ。どれほどの才覚、研鑽があればこの年齢で黒衣を身にまとえるのか想像もつかない。フュリアタも驚きに口を押えていた。
シュンディリィは思わず腰に手をやり武器を探してしまうが、当然のことながらドラゴンベインは持ってきていない。それはドンキオッカ市内で正当な理由もなく武器を携帯することはできないからであるが。……仮に武器を持っていたとしても意味がないだろう。このジルグドにも匹敵するだろう実力を持つ黒衣の少女には、竜殺しの剣はおろか戦争装備の武器であっても通用するとは思えない。
そしてそのジルグドも今はついてきていない。彼は基本的に安全なドンキオッカの市内でフュリアタの護衛につくことはないし、商売の話に口出しすることは一切ない。そもそも「面倒くせえ。かたっくるしい大商人の家に行くのなんざ御免だぜ」と興味も示さなかった。
「う、うう……」
八方ふさがりの状況に、どうしたものかと硬直していると少女はクスクスと笑みを漏らす。
「別に何にもしないから安心していいよ。会長がいらっしゃる前に安全を確かめておけって言われただけだから。――でも二人とも本当にただの商人さんっぽいね」
興味を失った、という風にパっと彼女は身を離す。黒衣が背後に迫る圧力から解放されたシュンディリィはホっと胸をなでおろした。
彼女の言うこともわからなくもない。経緯はどうあれシュンディリィが竜を殺したのはギルドの記録にも残るまぎれもない事実であり、そのような人物を何の準備もなく商会長ムンラーナ・ミジェーロの前に立たせるわけにもいかないのだろう。それが護衛としての彼女の仕事なのだ。
「じゃあ報告してくるね。お茶は好きに飲んじゃって」
ひらひらと手を振って彼女は部屋を出ていく。ぞんざいだったメイドの仕事はただの偽装だったというわけか。
去っていく彼女の後姿を見送り、フュリアタとシュンディリィはそろって「ふう」と息をついた。残されたのはテーブルの上のティーセット。かなり上質な茶葉の匂いが鼻孔をくすぐるが、手を付ける気にはとてもならなかった。
二人はあらためてここが大商人の屋敷であることを思い知らされる。中小商人(の限りなく『小』に近い側)であるフュリアタも、自分より大きな商人のところに行ったことは何度かあるが、ムンラーナ・ミジェーロはそれとも格が違う。文字通りこの街の支配者の一人だ。
そんな人物を相手にこれから二人は『商談』を行わなければならない。
携えた『商品』、紙包みに丁寧にしまったそれに手を触れる。この紙の中にあるのはれっきとした『武器』であったが、屋敷に入る前に没収されることもなければ黒衣の少女が見とがめることもない。それはこの武器にはもはや何の殺傷能力も無いことを示しており、誰にとっても無用の長物であるはずのものだからだ。
……それは同時にこの何の役にも立たない『がらくた』を商品として相手に売り込まなければいけないということでもある。それも名うての大商会、その代表に。
その無謀な挑戦に若き商人たちが覚悟を決めるよりも先に、
「――お待たせしましたね」
応接間の戸を開いて屋敷の女主人ムンラーナ・ミジェーロが現れた。
『商談』の始まりである。
○
「なるほど。こちらで調べている情報と一致していますね」
まずは竜と戦った状況、その顛末を聞きたいとミジェーロは言った。
戦闘の詳細な報告はギルドの職員によって済まされているはずであるが、当事者であったシュンディリィの口から直接戦いのことを聞きたかったようだ。大事な仕事を全てキャンセルしてまで、というのは異常であったが大商人から乞われて断れるわけもない。
シュンディリィはダンジョンに入ってから、竜との戦いが終わるまでのいきさつを語ることとなった。魔狩人たちの包囲網をすり抜けた竜が下の階層から現れたこと、フュリアタが荷物をまとめ逃げるまでの時間を稼ごうとしたこと、あまりの竜の迫力に呑まれたところを猫戦士ジルグドに助けられ二人で戦ったこと、しかし不運にも反撃に失敗しジルグドとはぐれ一人で戦う羽目になったこと、そしてなんとか竜を倒すことができたことなどを。
彼の特異な鑑定魔術については話すべきか迷ったが、言っても信じられないだろうと思い。「自分は目端が利くほうだから、猫戦士の魔術で強化された視力で逃げ場や竜の隙を探った」と説明することとした。
「……なるほど?」
熟練の女商人であるミジェーロはそこにかすかな嘘の匂いを嗅いだのか、わずかに怪訝な顔をした。だがあくまで全ては猫戦士の絶大な魔力ありきのものということと、いくらシュンディリィがただの小僧とはいえ、手の内の全てを他人に開陳するものではないだろうということで納得したようだった。
話を聞き終えたミジェーロは、わずかに瞑目し。シュンディリィの目を見据える。
「彼女を逃がすために竜に挑むなどと勇敢なことをする――と言いたいところですが、あまりにも無謀なことですね」
切って捨てるような口調は、大きなヘマをしでかした使用人を叱るような言葉だった。
「あのダンジョンの探索権を持つ者として言わせてもらえば、非常に迷惑な話です。たとえあなた自身の無茶が原因であったとしても、死人――それも子供の――が出たとなればどうしてもギルドへの批判が起こります。そうなればダンジョン攻略の運営にも支障をきたし、多くの人の活動の妨げになることを理解してください」
「う……はい」
厳しい言葉に返す言葉もなく、シュンディリィはうなだれる。ダンジョンの中での行動の結果は全て自己責任であるが、それにしても限度というものがある。無謀にも竜に挑むただの鑑定魔術師の少年など、能力や自制心に欠けるものの入場を許してしまったのはギルドの責任だ。
時には奸計陰謀渦巻く商都ドンキオッカであれば、これを幸いにとギルドの影響力を削ごうとする動きもでる事だろう。ギルドは強大な組織であるが、もちろん完全無欠の存在ではない。その権益を掠め取られるとあれば、どんなことでもする輩は出るだろう。哀れで愚かな少年の死を利用することなどなんでもない。
……そこまで大げさな話にならないとしても、鑑定魔術師の少年がダンジョンで死んだなどという話は聞いていて楽しい話でもない。
「……」
フュリアタもわずかに目を伏せる。彼女の両親もまたダンジョンの中で命を落としたとシュンディリィも聞いている。それに加えてシュンディリィもまた……となっていたならば、残される彼女の悲しみの大きさは想像もできない。
あらためて自分のしでかしたことの重大さを思い知るのであった。
「反省しているのであれば説教はこのくらいにしておくとして」
しょぼくれた少年の様子を見て大商人はうなずいた。
「生きて帰れたこと、そして竜を排除してくれたことは素直に感謝すべきでしょう」
霊廟から竜が排除されたことはドンキオッカの街でも大きな話題となっていた。竜のような強大なモンスターはそうそうに現れることはなく、ダンジョン攻略に対する大きな障害が取り除かれたのは明らかだ。
となればダンジョンの最奥にある手つかずの宝を狙う迷宮探索者、それを相手にする商売人がダンジョンに押し寄せることは想像に難くない。
最近ではどちらかといえば「うま味が無い」部類に入っていたフリークフォドール霊廟は、降ってわいた好景気となっている。探索権を持つミジェーロにしてみれば大きな利益をあげるチャンスであり、その立役者には感謝の念もあるというものだろう。
「あなたは竜の討伐証明を放棄しているので表立っては報酬を渡すことはできませんが……気持ち程度の謝礼はさせていただきましょう」
どうせそのために来たのだろう? という冷めた目でミジェーロは二人を見た。中小商人がわざわざ大商人を訪ね、何か報告をしたいというのであれば大方そのような目当てがあってのことだ。
たかり……と言われれるのはやや心外であるが、遊びで迷宮探索をやっているのではない以上なにかしら少しでも得るものが欲しいというのは自然な心理だ。
もちろんシュンディリィとフュリアタもそうだ。
だが、それだけではない。
フュリアタはミジェーロに頭を下げた。
「お心遣いありがとうございます、ミジェーロさん。――ですが、今日はご報告のためだけに伺ったのではないのです」
「まだ何か?」
意外な言葉にミジェーロは怪訝な顔をする。
シュンディリィ君、とフュリアタは少年を促す。
はい、とシュンディリィは応え、包み紙を慎重な手つきで応接テーブルの上に乗せる。上質な木材のテーブルに紙の擦れる音、そしてその中にある『金属片』の鳴る音が響いた。
ミジェーロは小首をかしげ、少年たちの行動を不審がった。
フュリアタはティーセットを端に除け、ミジェーロの側に紙包みを寄せる。自分の目で確かめることができるように。
「本日の用件とは他でもありません。当商会の人間――彼が竜との戦いのさなかに見つけ、ダンジョンより持ち帰ったあるものをミジェーロさん、あなたに買い取っていただきたく参上いたしました」
「あるもの……?」
話の内容にピンと来ず、ミジェーロは紙包みを見つめた。
何の変哲もない紙包み。黒衣のものがあらかじめ確認した以上危険のある代物ではないだろう。迷宮の財宝か? いや、それならば拾得した財宝の所有権を持たない迷宮行商人がわざわざ面倒な手続きと対価を支払ってわざわざ持ってくることはないだろう。
「彼の鑑定の結果によれば、これはあなたにとって非常に大事なものであるはずだそうです」
謎かけるような少女の言葉に戸惑いながら、ミジェーロはゆっくりと紙包みを開く。何故かミジェーロの心中には不安にも、期待にも似た胸騒ぎが沸いていた。頭では理解できないが、何かこの紙包みの中身にえも知れぬ『予感』を覚えたのだ。
ドクンドクンと心臓が高鳴る。カサリ、と音を立てて開かれていく紙包み。そしてついに、その中身が応接間の室内灯の光に照らされた。
「これは……」
中にあったのは朽ち果てた薄い金属片。竜の体液によって浸食されたそれは、革や木目は腐り落ち残されたのであろう柄の芯となる部分と薄い曲線を描く刃によって構成された――『剣』のなれの果てであった。
一瞬、ミジェーロは何がなんだかわからなくなった。これはどう見ても価値のある代物ではない。こんなガラクタにすらならない、ゴミのようなものを「売りたい」と言ってこの二人は持ってきたのか?
だが彼女の心は強く「違う!」と訴えかけた。自分はこれが何かを知っている。これがどんなに大事なものであるか知っている! と。
そう、自分は以前にもこれを見たことがある。他でもない、今自分が座っているこの部屋、このテーブルの上で同じようにこの剣を見た。
そう、あれはたしか――
「あっ……。ああああッ!?」
気づいた瞬間、ミジェーロは膝から崩れ落ちた。目を極限まで見開き、震える手で剣に触れた。錆の欠片一つすら地に落とすことを恐れるように、この世に二つとない至宝を扱うように。
その瞳からは涙があふれ出す。理性を追い越した、脳が処理しきれぬ感情がそうさせたのだ。
「これは、この剣は――!」
愕然とする彼女を見て、フュリアタは悲しげに目を伏せる。少年の鑑定は正しかった。しかしそれは、ミジェーロを襲ったある『悲劇』が事実だったことを証明するのに等しいことだ。
「やはり、そうだったんですね」
慎重に、一つ一つの言葉を選ぶ。自分は今からこの悲劇を材料に商売をする。それが卑しいこととならぬように、誇りを失わぬように、何より悲しむものの尊厳を傷つけぬように。
「その剣はあなたの――息子さんが遺されたものなんですね」
【続く】
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