第2話 彼女と出会う

 近隣に比較的大きめなダンジョンがいくつかあるからか、ドンキオッカ市の街の市場は同程度の大きさの街に比べてかなり盛況していると言ってもいい。住民が利用する食品や雑貨の店はもちろんのこと、ダンジョン探索者ディグアウター用の道具を扱う店も多く軒を連ねている。


 武器、防具、薬、たいまつや白紙の地図といったダンジョン内で使う雑貨。そういったものを並べた露店がそこかしこに並ぶ通りをシュンディリィは歩く。時刻は正午近く。商店よりも食堂のほうが繁盛する頃合であるからか、露店の主たちは皆一様にやや暇そうな顔で店番をしている。


 シュンディリィが冒険者の類であるならば売り込みの声の一つもかけられるのだろうが、武器も持たずに平服で歩く少年などただの街の住民にしか見られていないのだろう。事実つい先刻まではただの学生でしかなかったのだからそれもおかしなことではなく、もとより買い物に来たわけでもないのだからそれもかまわない。


 シュンディリィはここに仕事を探しにきたのだ。


(ううむ、しかし思ったよりいい仕事は無さそうか?)


 キョロキョロと露店を見回して求人の張り紙などを探してみるが、目ぼしいものはなかなか見つからない。露店通りは個人営業の店がほとんどで、わざわざ人を雇って商売するほどの規模の店はあまり多くない。かと言って店舗持ちの大店おおたなでは14歳という半端な年齢(もう少し若いか、逆にもう少し年かさであれば良かった)の人間を雇おうとしているところはほとんど無い。


 鑑定士を志していた身としては、どうせなら商売――特に道具の売り買いに関する仕事に就きたいと思っていたのだが、その目標は早くも頓挫しそうである。 


(仕方ないか、とりあえずは工事現場とかの適当な人足仕事でも探してみるかね)


 そう決心して、市場から出ようとしたところで、


「おおい姉ちゃん! 早くしてくんねえかなあ!?」


「――と?」


 後ろから聞こえた大きな声にシュンディリィは振り向いた。

 視線の先、声の聞こえた方向には露店が一つ。地面に敷いた厚手の布地の上に、色とりどりの液体の入った小瓶がいくつも並ぶ店。ポーション売りだ。魔法薬調合師マギケミカルマイスターと呼ばれる薬品の調合知識を持った専門家が、体力の回復や身体の強化など様々な効能の魔法薬を調合して販売している。声の主はその店主だった。


 店主の前――つまり商品の薬をはさんで向き合っているのは一人の女性。先ほどの言葉はこの女性に向けての言葉だったのだろう。


 ――まず目に付いたのは黒髪。ハっとするほど鮮やかで、美しく艶のある長い黒髪だ。その黒髪からわずかに覗く肌は白く、遠目に見てもきめ細やかであることがわかる。そしてやはりその長髪に隠れがちな瞳の色は深い蒼、少しだけ幼さの残る眼差しは彼女の歳がまだ若いことを表していた。


 少女と大人の女性との中間くらいのような、見目麗しい女性。


 なにか、どこか吸い寄せられるようなものを感じてシュンディリィはふらふらと彼女に歩み寄り、そして『鑑定アプレイザル』の魔術を彼女へと――


(――っ!? いやいや待て待て! 何やってんだ僕は! 断りもなく『鑑定』を他人にかけるなんてとんでもないマナー違反だぞ!?)


 口の端まで魔術が上りかけてから我に返り、慌てて魔術をキャンセルする。行き場を失いかけた魔力はわずかに口の中で暴れ、苦いものを飲み込むようにしてようやくそれを押さえ込む。


『鑑定』の魔術を、本人の同意なく他者に対して使うことは鑑定魔術師の禁忌に当たる行為だ。放校処分になったとはいえ魔術学院に入学してから身体に叩き込むようにして教え込まれたことは早々忘れることなどできない。


 そもそも鑑定をされれば魔力波動の流れから嫌でも相手に伝わってしまい、すぐに相手に知られてしまう。そうなれば場合によっては即逮捕され重罪に問われることもあるし、血の気の多い相手からであれば無警告での攻撃を受けても文句は言えない。相手のデータを一方的かつ赤裸々に取得するということはそれほどまでに重い行為なのだ。


 気を取り直し、改めて彼女を観察する。彼女は露店の前に座り込み、じっと商品のポーションを見つめている。品定め、というにはどこかおかしいものがある。


「どれにするのか早く決めてくれないかねえ? 俺も昼飯にしたいんだがよ」


 苛立ちの募ったような店主の声。それに対する彼女の顔に浮かんでいるのは『困惑』の表情。つまり彼女は品定めをしているというよりは、何を買えばいいのかわからないといった具合だ。


 悩んでいるのは緑色の液体の入ったポーション、どうやら体力回復用のもの(本来ポーションは無色透明だが見分けつけるために色をつけるのが一般的である。緑はおおむね内服用傷薬として使うものにつけられる色だ)で3つほどの商品を見比べている。


 瓶の形も中身の量も同じで素人目には全く見分けはつかない。だがポーションといえど手製で作られるものである以上品質の差というのは必ず存在する。レシピが同じであっても材料の仕入れの時期などによって効能の高いときと低いときが出てしまうからだ。一応店で売っている以上は最低限の品質が保証されているのだろうが、それでもできれば良いものを選びたいところだ。


 どれが良いのかは店の者に聞けばいい、とこうした露店で買い物をしたことの無い人間は思うだろうが。それは必ずしも良い手段ではない。なんとなれば、店の者はできるならば質の悪い製品から売りつけて捌いてしまいたいと考えるのが普通だからだ。もちろんそれをやりすぎれば店の評判も落ちるためやりすぎてはいけないのだが……。


 少なくともこの女性に対し、店の者は良いものを積極的に売ろうとはしていない。彼女が選ぶに任す、という態度だ。であればおそらく彼女は――


(仕入れて別のところで売るつもりなのかな?)


 そう推測する。


 使うためにポーションを買うのではなく、ポーション以外の他の道具などとまとめてどこかで売るつもりなのだろう。どこか、とは言うまでもない――ダンジョンだ。街の露天商が行かないダンジョンの奥になどに、探索者の補給用資材を持っていって現地で売って歩く行商人というのは一般的な存在だ。市街で買うのに比べてやや割高にはなるのだが、ダンジョン内での物資不足は死活問題なので是も非もない。


 ただそれゆえに、ダンジョン内での商売はとかく商品の品質が強く求められる。質の悪い商品を高い値で買わされては探索者はたまらない。安物を売りつけたせいで後で大きなトラブルになることも少なくないのだ。

 そのため彼女も悩んで良いポーションを選ぼうとしているのだろうが……。


「そんなにじっくり見たってあんたにゃ見分けるのは無理だぜ。ポーションの目利きなんざベテランの商人でも難しいんだ」


 それが道理というものだ。試しに使ってみるならばともかく、見ただけでポーションの中身の良し悪しを見分けるというのは非常に難しい。

 店の者もずぶの素人相手ならともかく、同じ商人が相手とあれば親切心を出してやるつもりなど無い。商品を選ぶのは商人の責任。それが商売の世界の掟というもの。だがそれゆえに――鑑定魔術師という存在が必要なのだ。


 商人にとって、商品の品質を見極め保証してくれる鑑定魔術師は頼もしい味方であり、同時に厄介な商売敵でもある。お互いに持ちつ持たれつ、時に協力し時に反目しあう切っても切れない仲。大店と契約した一流の鑑定魔術師であれば、莫大な富を得ることもけして稀ではない。


 しかし今の彼女には鑑定魔術師を雇う余裕は無いようで……。えんえんと頭をひねりながら目利きに挑戦しているというところなのだろう。

 歳の若さから見て商人としてはほぼ駆け出し。商品知識の蓄えも交渉のテクニックすらもままならない。美しい青の瞳を歪ませて浮かべる苦悶の表情は雄弁に語る。

 ――鑑定魔術師さえいれば――


(……やってみるか)


 決心し。シュンディリィは唱える。


鑑定アプレイザル!』

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