第28話 竜にさよならを
「討伐証明を放棄するだと……?」
フュリアタの言葉に魔狩人の一人が驚きに満ちた顔でつぶやいた。
竜の討伐証明をシュンディリィに奪われ、賞金を得る機会を失った魔狩人たち。賞金を得る機会を失い、ダンジョンまでやってきたのがすべて無駄足になってしまう。だが竜の討伐証明を放棄するとなれば話は別だ。
上の階層で見た運び出せない女神像と同じように、この場に居合わせた魔狩人たちが『所有優先札』を貼り付ければそれだけ討伐権利を得ることができる。さすがに早いもの勝ちとはいかず山分けという形になるだろうし、ギルドの鑑定人が討伐証明の再設定を行うまでの短い間でのことだが少なくとも今この場にいる魔狩人たちには何の損もない。いや、むしろ丸儲けになるだろう。だが、
「そんなことをしてあんたらに何の得があるんだい?」
訝しむ魔狩人の問い。これももっともな話だ。いくら討伐賞金を得られないといっても気前よく他人にくれてやる道理も無い。よほどの酔狂か、ただのいい格好しい、そうでなければあるいは何かの詐欺でも働こうとしているとしか思えないことだろう。
「そうだなァ」「たしかに妙な話だぜ」「権利を売りつけてくるつもりなんじゃねえか?」「あれだろ、ギルドに金を吐き出させたいんだろ」「いいからとっとと権利捨てろよ!」
とたんに魔狩人たちは口々に騒ぎ立て始める。気の荒いものが多いのが魔狩人だ。シュンディリィの身体を操ったジルグドがにらみを利かせているから大事にはならないが、それもいつまでもつかわかったものではない。
「……――」
フュリアタはすました顔でその言葉を受け止める。事態が急を要しても、焦って言葉を紡げばかえって人からの信用とは得られにくくなるものだ。ここで一拍、間を置くのが商人のテクニック。フュリアタの腕の見せ所だ。
す、と一呼吸したあと。迷宮の高い天井にまで届くかのような、クリアでよく通るハッキリとした声で彼女は言った。
「皆さんは――この後どうされるのでしょうか?」
「え……っ?」
シンプルな問い返しの声に魔狩人は一瞬答えに窮する。
「私どもが竜の討伐証明を放棄し、皆さんがあらためてその権利を取得されたあと。どうされるのですか?」
それはただの予定の確認だ。自分たちが討伐証明を放棄する理由の説明になどなっていない。
「どうするって……」
いきなりの質問に戸惑いながら魔狩人の一人が首をひねる。別に答える義務など無いはずなのだが、フュリアタの穏やかでありながら真っ直ぐな言葉で問われると彼女を無視できなくなってしまう。熟練の戦士が眼光で敵を射すくめるように、秀でた商人は己の言葉に力をもたせることができる。フュリアタはまだ経験の浅い商人であるが、こればかりは持って生まれた
「もしあんたが竜の討伐証明を手放すってんなら、それの山分けをいただいて――」
「それでそのまま地上に帰られるんですか?」
魔狩人の言葉に継ぐように問いを重ねる。
「いや、そりゃまあ、このまま帰ってもいいんだが。ここまで来といて手ぶらで帰るのももったいねえし、ちっとはダンジョンの探索をしていってもいいかもな」
何気なく発した魔狩人のその答え――そこに、フュリアタの商機がある。
フュリアタの口に笑みが浮かぶ。
「でしたら――探索のための道具はいかがされますか?」
「道具? ああ――っ!?」
魔狩人はハっとして気づく。フュリアタの狙い、竜の討伐証明を放棄する意味がここにきてわかったのだ。
「あんた……それが狙いかっ! 俺たちに迷宮探索の道具を買えってんだな!?」
そう、それこそがフュリアタの考えだったのだ。
ひょんなことから竜を倒すという目的を失って、討伐賞金のかかったさしたるモンスターもいないこのフリークフォドール霊廟でこれ以上稼ぎを得るとなるとダンジョンの探索に切り替えるほかない。
だが魔狩人はモンスターを倒すためにダンジョンにやってくる冒険者であり。その装備や持ち物の多くは戦闘のためのものが中心で、ダンジョンの探索のために必要な道具は最低限のものしか持っていない。もし今すぐに探索を始めようというのなら道具はこの場で揃えるしかない。つまり迷宮行商人から購入するのだ。
「買い揃える金は……
年若い商人のしたたかな狙いに舌を巻きつつ、魔狩人の一人は小山にそびえる竜の死体を見上げた。
迷宮内で購入する道具は外のものより割高で、使ってしまった分の補充程度ならともかくいちから揃えるというのはなかなか手が出ない。だが今回に限って言えば魔狩人たちの予算には幾分かの余裕がある。山分けすることになるであろう竜の討伐賞金だ。山分けになったとしても竜にかけられた討伐賞金は高額だ。道具を買い揃えてもまだお釣りがあるだろう。
「私どもは商人です。どうせ利を得るのであればそれは『戦い』ではなく『商い』によって、と考えております。――みなさま冒険者の方々におかれても、形は違えどその矜持は同じであると信じております」
「むう……」
慇懃に口上を述べる彼女に、魔狩人は唸る。彼らにも戦士のプライドというものがある。いくら討伐賞金という利益のためとはいえ、迷宮行商人のおこぼれのような形でそれを得るのはいささか面白くない。ならばその討伐賞金を探索のための費用にあてて、自らの手と足で迷宮を切り開いて利を得るほうがよほど気分がいい。
フュリアタは言葉巧みにその心理をくすぐった。戦いの機をなくしていた魔狩人たちの胸の
「ふん、商人が言ってくれるじゃないか」「たしかに暴れ足りんな」「値引きの一つでもしてくれんならこっちとしても損は無え」「いろいろ買い換えるかと思ってた頃だしちょうどいいか」
先程までと違い魔狩人たちの反応は概ね好意的だ。何も言わず、山分けの討伐賞金で儲けさせた金を回収するように店を再開させていては魔狩人たちも少なからず反発心を持っていたことだろう。だがあえてひと悶着を経ることでこちらの狙いを明かし、逆に彼らの心理を好意的なものへと誘導する。それがジルグドまで動かして一芝居打った甲斐というものなのだ。
「話はわかったが……。肝心のあんたの店は大丈夫なのか? 竜に荒らされてんじゃ買い物なんかできないぞ」
「心配は無用です――
フュリアタは『格納』の魔術を刻んだ魔法陣を描いたストールを広げ、中に納められていた物品を浮かび上がらせた。光とともに現れたのは木箱に納められ、整然と積み上げられたアグザウェ商会の商品だ。
おお、と魔狩人が驚きの声を漏らす。周囲の店は竜に踏み荒らされ、ブレスに焼き払われ瓦礫に埋もれて惨憺たる有様だ。誰もが自分の命を守るのに精一杯の状況であったにもかかわらず、この女商人はきっちりと自分の商品を保全することに成功していたのだ。それがいかに困難かは魔狩人であればわかるというもの。その手際と胆力は十分に称賛に値する。
「よく無事に荷物を運び出せたな……!」
「ふん、あったりめえよ。そのために俺らが苦労して竜をぶっちめたんだからな」
そう言って不敵に笑う少年と、彼を操る猫戦士。その背後には彼らが斃した竜の巨体。あらためてこの竜を斃したのが誰なのか、そしてなんのためにそれを行ったのかを思い知るだろう。
商い――全てはそのために。
「……!」
ごくり、と若い魔狩人の一人は唾をのんだ。ここに、このダンジョンに居るのは呑気な物売りなどではない。商売という場に命を賭ける戦士なのだということに今さらに気づいたのだ。
「では、開店といきましょうか」
商品の一つ、小瓶に入った回復薬を手に取りフュリアタはスマイルを作る。殺気だった魔狩人たちに渡り合う度胸を見せたのなら、次に見せるはもちろんこれだ。
「いらっしゃいませ! ようこそ、アグザウェ商会へ!」
花のような笑みで、愛嬌たっぷりに彼女は手を広げた。
〇
「では、よろしいですね?」
ギルドの担当者、迷宮鑑定人が確認をするように問うた。
フュリアタとシュンディリィは顔を見合わせ、うなずきあう。
「はい、よろしくお願いします」
二人の了承を得た迷宮鑑定人は応じてうなずく。
「……ではここに、フリークフォドール霊廟第3層において達成された竜の討伐証明 の破棄を確認いたします。現時刻を以って竜の討伐賞金獲得権利は空白になり、権利を主張する者は半刻以内に優先札の貼付を行ってください。時間内に資格を持つ者が
複数人いる場合はギルドの規定に従ってその権利を分割することとなります」
鑑定人の言い草は硬いが話の内容はけっこう単純で『半刻以内に優先札を貼った者で賞金は山分けにする』というただそれだけのことだ。
その宣言を聞いて魔狩人たちは待ってましたとばかりに自身の優先札を準備しはじめる。以前に女神像のところでシュンディリィがやったのと同じことだ。札に名前を書き、魔力を込める。そうすれば個人を識別するパターンが札に刻まれ、あとはそれを竜の死体に貼り付ければ完了だ。
「……」
ジルグドはその様子を黙して見つめる。そして一度シュンディリィのほうを振り返り、目を細めた。何かを決心したような目線で。
シュンディリィは彼の様子を訝しむ。
「ジルグド? どうかした?」
「いや……竜を斃したケジメってもんは必要だな、と思ってな」
ふう、と一旦息をつき。やおら魔狩人たちに向かって声を張り上げる。
「――おう! おまえら、ちょっといいか?」
猫戦士に呼ばれ、魔狩人たちは彼へと向き直る。
「なんだよ猫戦士のダンナ。まだなんかあんのか?」
ジルグドは凛として居ずまいをただし、彼らしからぬ他者に誠意をこめた顔つきと声でそれに答える。
「うむ。商売の話はそっちの小娘がやったとおり俺らは何の文句もねえ。討伐賞金のほうは一切合切おまえらのほうで好きにしてくれてかまわない。だがそれとは別に、一介の戦士としておまえらに頼みたいことがある」
「!」
戦士として、という言葉を聞いた魔狩人たちはピリリと気を引き締める。戦士を引き合いに、それも最強の猫戦士によって出されたとあれば話に応じざるを得ない。
「聞こう」
「……ああ、すまねえな」
端的な言葉で応えた魔狩人に、ジルグドは頭を下げた。そして言葉を続ける。
「話は簡単だ。討伐の――賞金の権利はたしかに放棄した。金も、竜の素材も、利益になるもんは何にもいらねえ。……だが竜を斃したというその事実、その証、それまでは手放したくねえんだ。どうかそれをこっちに譲っちゃくれねえか?」
「ジルグド!?」
シュンディリィは驚いた。
それはジルグドらしくない言葉だ。他者からの賞賛や名誉など意に介さず、己の中の誇りのみを大事にするのが猫戦士の、そしてジルグドの在り方だ。それが今回に限っては竜を斃したというその事実に固執するというのは彼らしくない。
「どうしたのさジルグド、そんなことを言い出すなんて……らしくないよ!」
「いや……それは違うぜ。鑑定魔術師のボウズよ」
シュンディリィの言葉を否定したのは魔狩人だ。ジルグドの意図が彼にはわかっているのか、その口元には快い笑みが浮かんでいる。
「そっちの猫戦士のダンナが言いたいのはなボウズ、他でもないおまえさんの名誉に配慮してやってくれってことさ」
「……僕の?」
意外な言葉にシュンディリィはジルグドのほうを見る。ジルグドは何も言わず頭を下げて黙ったままだ。
「ああ、実際おまえさんらが竜とどういう戦いをしたのかはわからねえが。ダンナの言葉から察するに、おまえさんも相当頑張って竜と戦ったんだろう?」
「それは……」
たしかにシュンディリィも命がけで竜と戦った。竜は、ジルグドの助けがあったとはいえ生き残れたのが奇跡なほどの実力差のある相手だ。その竜を斃したことはシュンディリィにとっても誇るべきことであるのだが……。
ジルグドはその名誉を頭を下げてでも守ってくれようとしているのだろうか。
「――それは『半分』だよ」
猫戦士は口を開く。
「おまえにちっとは褒美をやりたいってのも無くはねえ。おまえもよくやったからな。……だがそれは半分の理由だ。もう半分はホレ――
振り仰ぎ、アゴで示したのは息絶えた竜の死体。
「竜の?」
「ああ。そいつもまぁ、こんなダンジョンくんだりに勝手に召喚されて、わけのわからねえまま戦って殺されたわけだ。いい迷惑なのはお互い様だが、だからといってその命をコケにしていいわけでもねえ。単なる食うか食われるかを超えて、尋常に立ち会った相手なら誰がその命を奪ったのかをハッキリ世に示してやるのがスジってもんだろうよ」
そう諭され、シュンディリィは言葉を失った。
たしかにあの竜との戦いはどこか、他のモンスターとの戦い(他に戦った経験など無いのだが)とは違うものがあったように感じられた。
最初こそフュリアタが店を片付けて逃げる時間を作るために挑んだだけの戦いだったが、ジルグドが合流し、そしてたった一人で竜に挑むこととなった時には戦いの空気は変わっていた。
(あの竜は僕のことをきちんと『敵』だと感じてくれていた……のかな)
蹂躙し、食い滅ぼすだけの『獲物』ではない。たしかに向き合い、己の命と尊厳をかけて戦う相手だとこちらを認識していた……そんな感触があった。
だからだろうか? 何度も殺されそうになり、思い出すだけでも恐ろしい相手ではあったがあの竜には憎しみを覚えることができないでいる。助かったという安堵、勝利したという達成感はあったが――殺しつくした喜びはない。むしろ偉大な存在が自分の手によってこの世から消え去った、どこか寂しい感覚すらあった。
だからジルグドの竜に対しても礼を尽くせという言葉はストンとシュンディリィの胸に落ちた。
「……そっか、そうだね。たしかにこの竜を殺した僕なんだ。そのことをないがしろにしちゃいけないんだ」
うん、とシュンディリィはうなずき。ジルグドにならって魔狩人たちに頭を下げた。
「お願いします! 僕に、竜と戦ったものとしてのけじめをつけさせてください!」
快活な少年の願いに、魔狩人たちはまぶしいものを見た笑みを浮かべる。彼らも戦士だ。戦いの尊厳を守ることに異論などない。
「いいさ。好きにするといい」
そう言って彼らは身を引き、竜へと道を開けてくれた。
魔狩人たちの心意気にジルグドも笑い、謝意を述べる。
「みんなありがとよ。――シュンディリィ、どうすりゃいいかわかるな?」
「うん。わかってるよ」
竜を殺したのは誰であるかを世に知らしめる。自身の栄誉と竜の尊厳を守るその方法は一つだ。
「フュリアタさん、『所有優先札』を僕にも一枚もらえますか」
シュンディリィはポケットからギルド紙幣を一枚差し出し、フュリアタに頼む。優先札ただ貰うのではなく、きちんと己の金でこれを買う。まずはそこからだ。
「――はい、どうぞ。所有優先札を一枚、ありがとうございます」
シュンディリィたちのやりとりを見守っていたフュリアタは、紙幣をうけとって丁寧にそれを手渡した。
優先札を受け取ったシュンディリィはそれに己の名前「シュンディリィ」だけを書きかけ――思いなおり、「アグザウェ商会の鑑定魔術師シュンディリィ」と書き込んだ。
手の中の紙片に念じ、魔力をこめる。淡い光が紙の表面を走り、そして消える。準備は整った。
フュリアタ、ジルグド、そして魔狩人たちが見守る中シュンディリィは竜の死体に歩み寄った。
間近に寄れば強く感じる血の匂いと死の気配。この強大なモンスターと戦ったのはつい先ほどのことなのに、なにか遠い昔のことのように感じられてしまう。
だがこの竜の命を奪ったのはまぎれもなく自分なのだ。
なにか言葉をかけるべきだろうか? ふとそう考えたが、いやそれも違うなとすぐに思い直す。シュンディリィはほとんど直感のように、自分がなすべきことを行った。
「――『
シュンディリィの目に魔術の光が宿り、竜を見据えた。
もはや竜に命は無く。たとえ鑑定の魔術を行使しても、かつてのように竜にそれを激する心は無い。
だがシュンディリィの鑑定魔術は過たず竜を、竜の死体を読み解く。生命あった頃とは違う、新たな言葉を。
シュンディリィはその言葉を朗々と謳う。世界に刻む呪文のように。
「『運命の言の葉に導かれ、竜はここに死を迎えた。
目を開け! 剣を取れ!
竜は少年に――未来を遺したぞ!』」
言葉とともに、叩きつけるようにして竜の鼻先に紙片を押し付けた。
これでシュンディリィが最初の優先札貼付者になった。商会所属の鑑定魔術師としてダンジョンに入場した彼に討伐賞金を受け取る権利はなく、しょせんこれはただの記念程度のものにすぎない。だがそれでもたしかに、
強大なる竜を殺した鑑定魔術師、シュンディリィはこの世界に名乗りをあげたのだった。
(続く)
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