第19話 市場の様子

「ありがとうございました!」


 ハーネス付きロープを買った年かさの女戦士に頭を下げ、フュリアタはふぅと息をついた。

 フリークフォドール霊廟第3層で、フュリアタ率いるアグザウェ商会が店を開いてすでに数時間が経った。ダンジョン内部は当然のことながら朝も夜もない。時間を見られるのは懐中時計ぐらいのものだ。


「少し休憩にしましょうか」


 商売には波というものがある。それなりに経験を積んだ商人であれば「しばらくは客が来ないな」ということがなんとなくわかるものだ。自分で店を開いたのはこれが初めてでも、他の商人のもとで経験を積んだフュリアタもそれくらいは推し量ることができた。


「休むならメシでも食っておけよ」


 テントの横で丸くなり眠っていたジルグドは目を開けてそう促した。

 昼夜の感覚が無いダンジョンの中では食事のサイクルが乱れがちになる。一日二日程度ならば問題ないが、一週間もいればそのリズムの乱れは体調不良にもつながりかねない。フュリアタを守るのが仕事であるジルグドは、猫戦士特有の優れた感知力で二人の体調を観察している。今食事しておいたほうがいいと判断したのだろう。


「じゃあ食事にしましょうか」


 そう言ってフュリアタは持参した食料袋を漁る。料理をするのだ。


「火、起こしますね」


 彼女が材料を用意する間にシュンディリィも準備をすすめる。取り出すのは魔法陣の描かれた薄い磁器製の板だ。傷がつかないよう厚布で包まれたそれは、野外用の加熱魔術板だ。熱伝導率のよい銅製の鍋を板の上に乗せ、


「――」


 軽く魔力を流しながら念じればすぐにじわり、と肌を撫でるような熱が伝わってくる。魔術板の中に充填された魔力がシュンディリィの念に反応して熱を発しだしたのだ。


「っと、水いれなきゃ」

 封をした水筒から水を流せば、じじじと熱した鍋が水を灼く音が響く。

 飲用や調理用の水は基本的にダンジョンの外から持ち込んだものを使う。フリークフォドール霊廟内には地下水が流れ込んでいて水を汲むこともできるが、よほど切羽詰まった状況でなければ直接飲むことは推奨できない。ダンジョンの中で腹を壊してしまえばいろいろな意味で死活問題だ。多少手間がかかっても浄化の魔術や器具での蒸留をしたほうがいいだろう。

 もとよりシュンディリィたち迷宮行商人はダンジョンの奥に踏み込む冒険者たちとは勝手が違う。物資が足りなくなれば外に戻ればいいだけの話だ。無理をする必要はない。


「だからといって贅沢ってわけでもねえんだがな――フュリアタ、俺の分は魚にしろ」

「もう、野菜も食べてよね……」


 言いながらフュリアタが取り出したのは堅焼きのパンだ。小麦の他に具材(ジルグドが頼んだのは干した魚だ)が練り込まれている。水分はほぼ無く、軽くて日持ちはするが食感は最悪だ。美味しく食べるには湯や水で戻しパン粥にする必要があってひと手間かかるが、この手間程度が最低限の『贅沢』だ。


「ダンジョンの奥ではこんなノンキにメシ作ってなんかいられやしねえ。モンスターに追われながら石みてえな干し肉かじるのがせいぜいだ」


 だから、というわけでもないだろうが市場にはそんな冒険者を見込んだ店も出ている。食堂だ。補給のためとはいえ、せっかく人心地つける安全地帯まで戻ってこられたのだから少しはマシなものを食べたいとも思うのだろう。

 実際アグザウェ商会のちょうど2軒隣の店が食堂になっている。食堂といっても食材を入れていた木箱をひっくり返して組み合わせてテーブルにし、折りたたんだ椅子を並べただけの簡単なものだ。店員は太った中年の男が一人いるだけである。

 意外なことに味は悪くないらしい。シュンディリィはまだ食べたことはないのだが。


「こういう場所で食うから、ってのもあるんだろうけどな。だがまあ腕のいい料理人がいるのも事実さ」


「腕がいいなら街で料理屋を開けばいいんじゃ?」


「まあそうできりゃそうしたいのは山々だろうが。ドンキオッカの街で新しい店やるってな大変なんだぜ?」


「私みたいな迷宮行商人専門なら店の場所は選ばなくていいんですが、市内でお客を呼ぶ店を始めるとなるとちょっと難しいでしょうね」


 ドンキオッカは歴史ある商業の街だが、それ故に既存の商人たちの既得権益というものがすでにおおよそ確立してしまっている。大通りの土地は大商人かその傘下の商人たちに抑えられていて、何の蓄えも無い新参商人が自分の店を持つことなど到底不可能だ。

 それでいてドンキオッカの商人には独立独歩の気風が強く、個人で商売を始めたいと考える者は少なくない。ではどうすればいいのかというと、そこはやはり『ダンジョン』だ。

 ドンキオッカ周辺でダンジョンの探索が行われはじめてまだ年月は浅い。なダンジョン探索に過大な投資のできる商人は多くもなく、中小商人にとってはダンジョンとダンジョン周辺は魅力的な市場となっている。

 出店には費用やコネクションなどはあまり必要ないが、なにしろ場所が場所である。ダンジョンの中にまで出張ってくる者の中には相応に上昇志向の強い商人も多く、結果としてどんな店であれある程度の品質というものが保証されることとなった。


「中にはわざわざダンジョンの中にまでメシ食いにくる物好きもいるってんだから世の中わかんねえもんだニャ」


「でもそれがきっかけで出資者を得られてお店を持つことができた人もいるという話ですから、ちょっと夢のある話ですね」


 ともあれ、そうした商人たちの熱意もあってダンジョン内の市場はシュンディリィの想像以上の活気があった。出店している店の種類には道具屋(アグザウェ商会がまさにそうだ)に武器屋に防具屋、食堂、土産物屋、出張教会、鑑定魔術師、集めた財宝の運搬屋などなど多岐に渡っている。中には役所まであるほどだ。

 店を開いてからは準備や接客などでじっくりと見る機会が無かったが、落ち着いてくると物珍しさが勝ってくる。シュンディリィはキョロキョロと近くの店を見渡した。


「んん?」


 ふと、奇妙な店を発見してしまった。

 通りを挟んだ数件先、ややひっそりと奥まった通路の影に大きめのテントが見える。なんらかの店であることは間違いないが、商品が並べられている様子もなく看板らしい看板は出ていない。テントはかなりしっかりとしたモノで、入り口は厚手の布の二重になっており中の様子はうかがい知ることはできない。

 何の店なのか、気になったシュンディリィは指を指して問うた。


「あそこのお店、あれは何の店なのかな?」


 え? とそちらを見たフュリアタは、


「あっ――」


 と口を開け何かを言いかける。しかしそこに、


「あの店が気になるのか小僧!」


 ジルグドが大声で割り込んだ。……なぜかニヤニヤと笑いながら。


「あ、うん。看板とかも出てないし、何の店かなって」


 ジルグドの勢いに押されながらも、シュンディリィはうなずいた。ジルグドはニヤケ顔を崩さないままうんうんと頷く。


「よしよし、俺が教えてやろう。あれはな――『風呂屋』さ」

「お風呂屋ぁ?」


 意外な答えにシュンディリィは驚きぽかんと口を開ける。ダンジョンの中に風呂屋があるとは思わなかったのだ。


「おう風呂屋さ。そこの、そのおまえらも使っている加熱魔術板、それのデカいのと組み立て式の浴槽を持ち込んでな。地下水脈から引いた水を沸かして風呂にしてんのさ」


 入浴の習慣はドンキオッカでは一般的なものだ。水資源に恵まれよく整備された上下水道と、加熱魔術板の普及によってドンキオッカでは入浴はさほど贅沢な行為ではない。二日に一度、余裕があれば毎日入ってもそれほど負担にはならないのだ。

 水道の無い田舎育ちのシュンディリィにはやや慣れぬ習慣であったが、魔術学院で生活していたときも学院寮の中にも浴場が備わっていて、集団生活の衛生上の理由から利用することが勧められていた。


「まさかお風呂屋まであるなんてね」

「そりゃま、長くダンジョン潜ってりゃ身体の汚れ溜まってくるってもんさ。――ニャ、フリュアタ?」

「……」


 問われたフュリアタは何故か顔を赤くし、ジルグドを睨む。睨まれたジルグドはヒヒヒと猫が悪そうに笑うだけだ。

 だがたしかに風呂があればいいかもしれない、とシュンディリィは思う。ダンジョンに入ってまだ半日程度、風呂に入りたいというほど身体は汚れていないが、しばらくすれば自分やジルグドはともかくフュリアタは汚れが気になってくるだろう。

 少量の湯を沸かすことはできるし、テントもあるので熱湯で蒸した手ぬぐいで身体を拭くぐらいはできるかもしれないが、身体の汚れを完全に落とすのなら風呂に入るのが一番だろう。

 なので何の気も無しに、シュンディリィは言った。


「フュリアタさんも後で行ってみたらどうですか? お風呂屋さん!」


 それは屈託なく、混じりけなしに善意からの言葉だったが、


「〜〜〜〜!」


 フュリアタは耳まで顔を赤くし、何も言わずにそっぽを向いた。


「? フュリアタさん?」


 彼女の予想外のリアクションにシュンディリィが戸惑うと、


「ク、ククククク……グヒャハッハッハッハッハッ!」


 ジルグドが腹を抱えて大爆笑した。

 何が起こったのかわけのわからないシュンディリィに、ジルグドは涙目をこすりながら真相を明かす。


「小僧、あの風呂屋はな――と、ちょうどいい、客が出てきたぞ。よく見てみな」


 言われ風呂屋のほうを見ると、たしかに客らしき人物がテントを出てくるところだった。出てきたのは若い冒険者だ。キョロキョロとあたりをうかがいながら、何故かやや挙動不審な様子である。その警戒心とは裏腹に顔つきは少しゆるんでいて、よほどをしたのだと思われる。

 だがそれだけでは特におかしいところはなかった。――出てきたのがその男だけならば。


「んん!?」


 シュンディリィは目を細める。鑑定魔術師は基本的に目がいい、少し離れた遠くの人物でも顔を見極めることぐらいは容易い。

 客の男と一緒に出てきたのは若い女だった。若いといってもフュリアタよりは年は半回りほど上だろうか、あまりダンジョンの中にいるのは似つかわしくない華やいだ――より正確に言うならば派手な衣服の女性だ。

 それが男と一緒に風呂から出てきたとはどういうことか?

 風呂屋のテントは大きいものだがもちろん男女別に風呂が作れるほども大きくはない。ならばあの男女は一緒に風呂に入ったということになり……。


「え、ええっと……」


 ここまでくれば世俗にはまだ疎い少年でもあの風呂屋がどういう店なのかわかる。つまりは『そういう』店だ。

 そしてそれを知らずとはいえ、フュリアタに勧めてしまった! これは重大なハラスメントであり、彼女の心証を大きく損ねてしまったことは間違いない。なんということだ!

 してやったりなのはジルグドだ。この意地悪な猫はことあるごとに少年少女をからかおうとしてくる。恨めしげにシュンディリィが睨んでもどこ吹く風、というところだ。


「ヘッヘッヘ、驚いたか? まあダンジョンも中にはこういう店もあるってこった」


 フリークフォドールの店がダンジョンの中でも多い方だってのもあるがな、とジルグドは付け足す。実際他のダンジョンはこれほども市場は栄えていない。拠点となるドンキオッカ市との距離関係、ダンジョンの発掘進行度、そして期待されるダンジョン内の宝物量。それらがすべて噛み合ってのことだ。


「……今このフリークフォドール霊廟の探索権を持つミス・ミジェーロのおかげでもあります。彼女が迷宮行商人に対するダンジョンでの商業許可料を最低限にしてくれて、さらにギルド・ガードの見回りなども強化しているからなんですよ」


 まだ顔を少し赤くしたまま(シュンディリィはたいへんバツが悪い!)フュリアタもそう解説する。


「そ、そうなんですか。すごいですね! それで、ええと……」


 適当に相槌を打ちながらなんと謝るべきか、ワタワタとしてシュンディリィは言葉を探す。だがフュリアタは、気恥ずかしさの顔をすぐに消し真剣な、そしてどこか焦りを抱えたような表情を見せる。


「……そう、本当にミス・ミジェーロはすごい。このダンジョンでは商業許可料を下げて市場を活性化させ、それによって探索のスピードを速めることで莫大な利益を得ているんです」


 それは理屈ではひどく簡単なことだ。市場の場所代を安くすれば商人が増える。商人が増えれば冒険者の探索がより捗る。探索が捗れば発掘される財宝も増え、権利者の懐が潤うというしごく単純な話だ。

 だがそんな理屈をわかっていても、並の人間はまず目先の利益(この場合はダンジョンの商業許可料だ)を捨てるということができない。あとでもっと儲けが出るとわかっていてもだ。

 つまりは『投資』。これができる人間は意外と少ないのだ。それが出来る者こそミジェーロのような一流の商人であるといえるだろう。


「私も、あんな商人に――」


 なれるだろうか? その言葉の続きを飲み込む。口に出せばただの安い願望になるような気がして。


「……メシ、焦げるぞ」


 フ、と息をついて、沈みかけた空気を飛ばすようにジルグドは言った。

 そういえば火にかけたままだったと思って鍋を見れば、いつの間にか加熱魔術の熱量は最低に落とされ、保温状態になっていた。ジルグドが気を回してやったのだろう。


「……食べましょうか!」


 フュリアタもまた今話すことでもないと思ったのだろう。笑顔を作って食器を取り出す。木のスプーンで鍋をかき回せば、粥のいい香りが広がった。

 こうして、シュンディリィたちアグザウェ商会。その初仕事の一日目は過ぎていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る