第23話

 再び、港をなぞっていた。漁船はすでに仕事を終えてマストを畳み、人の姿はない。

 今は交易の船が、貨物や人々を積み下ろしては、入れ替わっていた。空を舞う白い鳥は、ウミカモメと呼ぶ種類だと、フェブリスが教えてくれた。


「あれ、は?」


 ふと、港の端に人だかりを見つける。がやがやと、どこか騒々しい様子だ。


「……喧嘩くらいなら、いいんだけど」


 歩調を早める。リリヴェルとフェブリスがすぐに追いかけて来る気配を感じつつ、足を前へ。近づくざわつき。人よりやや身長に恵まれているオーヴスの視界に見えたのは、人だかりの中心。若干錆び付いた、金属の檻。よくよく観察すれば、この場に居るのは、ほとんどが人間だった。鎧や武器を身に着けた魔族の姿は見えるが、どうやらそれも誰かの護衛の様で、視線は常に檻以外を追っている。

 そこまで密集していないのが幸いして、人垣を辛うじて抜ける。

――目が、合った。


「え?」


 正しくは、視線がぶつかったというべきか。それも正確ではなく。檻の中で薄汚れた襤褸をまとった少女の瞳は、固く閉ざされていたのだから。それでも、オーヴスに確実に向けられた視線。

 少女は、魔族ではなかった。そして、人間でもなく。


「うそ、この子」


 リリヴェルの驚く声に、ハッと振り返る。追いついた二人が、唖然とした表情で、檻の中を見つめていた。二人にとっても稀少な存在だったのだ。


「……リリヴェル、フェブリス、この子……」


「市長のお出ましだぞ! 道を開けろー!」


 オーヴスの声を遮るように、大声が人の輪を直撃する。さっと開く人垣。咄嗟に反応しなかったのは、もちろんオーヴスたちだけだ。


「おい! 市長様が来るって言ってるだろ!」


 慌てたような声と共に腕を引かれ、檻の前からどかされる。フェブリスやリリヴェルも同様だ。訳が分からず戸惑っていると、がらがらと馬車がやってきた。

 そこから降りてきたのは鎧を着こんだ、やや背の低い男。磨き抜かれた鎧は、でっぷりとした体躯を隠しきれていない。彼が、市長だろう。この港街の総指揮者。

 がちゃがちゃと音をかき鳴らしながら、檻へ歩む市長。ふと気づけば、いつの間にか檻の鍵は開けられていた。


「引っ張り出せ」


 ハスキーな声で、市長が命令した。誰ともなく近くにいた人間が、中に居た少女を引きずり出す。髪を掴み、両腕は後ろで拘束しつつ。薄い青の長髪の少女。ぐっと口を引き結んだまま、痛みを堪えてか、眉間に皺を寄せている。


「ふむふむ。困ったものだよ。まさか、キミのような姿をした悪魔がいたとはねぇ」


 舐めるように少女を眺め、市長が口を開く。


「いや、悪魔というには少し語弊があるのかな? 魔女というべきかな?」


 どうだい? とでも言いたげに首を傾げて見せた市長の笑み。相手を確実に下に見ている目だった。この場所で、自分が最高位に居ることを確信しているのだろう。オーヴスですら嫌悪が走る。


「まぁ、魔女だろうが何だろうが、ここでキミは終わりだ。悪魔は退治しなくちゃいけないからねぇ」


 すらりと、市長が剣を抜く。明らかに不慣れな手つきで。最早ショーのようだ。

 しかし、その剣は本物で。少女の命を奪う事は、容易だ。


「言いたいことはあるかね?」


「……私……じゃ……ありません」


 さっと、市長の顔から笑みが消える。欲しかった言葉ではないに違いない。


「そうか。悪いが、市長として、海の魔女、海の悪魔は生かしておけないんだよ」


「私は……ちが、う……」


「ゴート神の御許へ逝くがいい」


――キンッ!


 金属がぶつかる音が、その場に響いた。


「……貴様、何のつもりだ?」


「話を聞いて無いのは、そっちかと思うんだけど」


 市長が少女の首をはねようとした剣は、オーヴスの円月輪にまとわせた金属の精霊アイロニアの盾が受け止めていた。ぎしぎしと軋む、金属同士。


「僕はこの子が何の罪を着せられたのか知らないけれど、私じゃないって言ってた。それを、まだ証明してないんじゃないかな」


「馬鹿を言う! 海の悪魔、セイレーンを放っておくと? 有り得ない!」


「ああ、セイレーンって勘違いしてるわけか。節穴な目ぇしてんだなぁ。市長さんは」


 フェブリスが少女を拘束していた人間を蹴り飛ばして、口を挟む。その手はまだ空だ。斧は握っていない。ただ、少女を庇う位置に立つ。


「ぬ? ゴート教徒たる貴様まで何を……ん? んん?」


 オーヴスとフェブリスを交互に見やって、市長は目を見開く。慌てた様子で刃を引き、オーヴスから距離を取った。


「魔族風情が、人間に楯突くのか!」


「出た、人種差別」


 唾棄するようなフェブリスの言葉に、オーヴスも現実が見える。世界の真実だ。これが。


「そう。僕は魔族だし、貴方は人間だ。ただ、この世界に生きる命の一つに過ぎない」


「笑わせてくれるねぇ。魔族など、人間ための労働力でしかないことをいい加減自覚したらどうだね?」


 くすくすと、笑いが周囲を包み込む。侮蔑の意の笑いだ。ついに肌で感じてしまった、世界の構図。

 それでも引き下がるつもりはもうない。


「何度だって言う。魔族は道具じゃない。人間と同じ、ただの生けるヒトだ」


「何だね、誰に口をきいてるつもりだい? 市長だぞ。俺はこの街の」


「だとしても、簡単に命を奪っていい権利はない」


 毅然と正論を突きつけるオーヴスに、ぎりっと奥歯を噛み締め、市長は太い指をオーヴスに突き付けた。


「大体、魔族の分際で良いものなんぞ着ているのが気に食わないね」


「それはみっともない恰好でその名を名乗らせるわけにいかないからに決まってるでしょう」


 呆れた様子で口を挟んだリリヴェルを、市長は鼻で笑う。


「はっ! 魔族の貴族程度が正義ぶりおって。まぁいい、何だね。名くらい名乗らせてやろう」


 再び、周囲に笑いが起こる。


(ああ、本当に世界ってものは……―)


 悲しいほどに、歪んでいたのだと悟る。だからこそ、封印し続けたその名を、口にする。

 その名が意味する可能性の封印を解く。

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