第14話

「うぉ、すっげぇ! これが炎の精霊フレイボルク?」


「最初だけね」


 火を熾すのは、炎の精霊に頼る癖があるオーヴスの横で、フェブリスは左右で異なる色の瞳を、それぞれに輝かせていた。初めて見る炎の予兆に、感激している様子は実に子どもらしく、純粋だ。

 ぱちぱちと青い炎が爆ぜ、やがて赤へとシフトし、一定の炎を確保する。


「ふわぁ。すげぇ~! なぁなぁ兄貴はホントに魔王の一族なんだな! すげぇよ!」


 手をぱちぱちと叩いてはしゃぐフェブリスに、オーヴスは苦笑を返した。否定する要素はないのだが、ただ火を熾しただけなのだ。そこまで喜ばれると、こそばゆい。


「じゃあじゃあ、他の精霊もあるんだよな! そう言えばアイロニアは見たなさっき! シルフィードは俺も良く知ってるからあれだけど、えっとえっと、他には……」


 腕を組んで眉間に皺を寄せるフェブリス。ちらりと何の気なしに火の向かいに座っていたリリヴェルに視線を向けると、薄く笑みを浮かべている。微笑ましく思ってくれているのかもしれない。リリヴェルも言葉が鋭角なだけで、魔族が嫌いなわけではないのだ。フェブリスは人間に対する嫌悪はあるようだが、それはオーヴスが時間をかけてでも歩み寄らせるつもりだ。仲間なのだから。

 たった三人。そう、自分たちはたった三人で世界をひっくり返そうとしているのだ。

 我ながら無謀であり、滅茶苦茶だ。だが、何故か不安はない。

 確信はないが、やれる気がする。

いや、やり遂げなければならない、と自分に規定している可能性はあるが。


「オーヴスの兄貴、俺さ、雷の精霊って見たことねーから、見てみたい!」


「今はその時じゃないからまた今度ね、フェブリス。それよりも、この辺りは魔物が多いのかな?」


「ん? そー……だな。夜型の魔物は少なかったとは思うけど」


「じゃあ一応、警戒は必要だね」


 曖昧に頷いたフェブリスにオーヴスは笑みを返す。ぴ、と鼻先に指を突きつけると、フェブリスは吃驚した様子で目を丸くした。

 ふわりと、青い蝶が空気から滲む様に現れる。監視用の蝶だ。


「うわ、これルクシード?」


「そう。光の精霊。一番情報を早く伝えてくれる、僕のとっておきの監視役だよ」


「すっげぇ。……マジすっげぇ」


 感心のあまり語彙力が極端に落ち始めたフェブリスに苦笑し、軽く指を滑らせる。

 それに合わせて、フェブリスが視線をスライドさせる。ひらりひらりと、光の蝶が分裂して四方へ飛んで行った。何かあれば、彼らが知らせてくれる。一安心だ。

 目を輝かせて精霊の蝶を見送るフェブリスに、ほっとした。


「……さて、ゴート教会普及員のローランドくん? さっきの話の続きを聞きましょうか?」


 リリヴェルの声に、再びフェブリスの表情は硬くなった。

だが、避けては通れない話だろう。オーヴスもリリヴェルを制するつもりはなかった。

 フェブリスは一度深く息を吐き出す。乱暴に帽子を脱ぐと、ぼすっと音を立てて、伸ばした膝の上に載せる。


「ゴート教会ってのは、ご存知の通り人間の作った宗教だ。あんたもそうだろ?」


「一応人間だからね。ゴート神の御心のままに」


 胸に手を当て、軽く目を閉じたリリヴェルの動作は、ゴート教の挨拶のようなものだ。フェブリスは不愉快そうに鼻を鳴らし、軽く肩をすくめる。


「ゴート神ってなんだよ。万物の根底を支えるのは自然に宿る精霊だぜ? 笑っちまって、俺しょっちゅう司教に説教されたな」


「そうね。魔族の信仰するフェルク教とは相容れないでしょうね」


 返答の代わりか、軽く肩を竦め、フェブリスは空を仰いだ。爆ぜる火の粉。その向こうに、星空が広がっている。


「まぁいいや。んで、ゴート教も宗派があって、ゴート派とカルディナ派が今は主流だな。もっと昔は色々あったらしいけど、今はこの二つ。んで、俺はカルディナ派に入れられてる」


「その違いは、大きいのかい?」


「そうだな。保守派がゴート派っていえば良いのか? 全ての事象はゴート神の御心のままに。魔物が出没する地域が増えれば、【それは仕方ない。ゴート神が滅ぼしたいのだろう。ならば御心のままに滅ぶがよい】って感じだな」


「ひどい」


「んで、逆にカルディナ派ってのは、魔物は魔が呼ぶ、つまり魔族が呼び寄せている。ならば奴らと共に魔物を屠れ、それこそゴート神の御心だ、ってわけ」


「どっちにしろ過激ねぇ」


 膝の上に肘を載せながら、リリヴェルは呆れた様子でそう口を挟む。


「フェブリスは、その様子だとカルディナ派……なのかい?」


「一応な。だから魔物退治とかも仕事の一つだし、魔族にゴート教を布教するのも一つの役目。要は同族からなら受け入れやすいだろうって考えだろうけど」


「なるほどね。……そう……随分と過激思考化が進んでるのね」


 炎に照らされた、リリヴェルの瞳は、若干翳ったように感じた。暗く、哀しげに炎に揺れる瞳。そこにいるのは、頼りない少女に見えた。


「捨て駒みたいなモンだ。魔族ばっかりだ。魔物退治に駆り出されるのは。みんなみんな、そうやって死んでった。俺の目の前でも何人も何人も」


 ぎゅっと帽子を握ったフェブリスの様子に、オーヴスは手を伸ばす。

 痛みと涙を堪える、自分の半分もまだ生きていないだろう少年を抱き締めてやる。


「な、なんだよ」


「大丈夫」


「なにが……」


「僕も、リリヴェルも、死なない。フェブリスも、死なせない。だから」


 ぽんぽん、と頭を軽く叩きながら囁く。

――我慢しなくて、泣いていいんだよ。

 ぴくりと、フェブリスが震える。否定も、拒否も思考の淵に置きながら、オーヴスはまだ幼い少年を、昔母がしてくれたようにぎゅっと抱きしめる。


「……ありがと、へいか」


 掠れた声で、フェブリスは小さく零した。オーヴスは苦笑を零す。

フェブリスは額をオーヴスに預けたまま、やがて小さな寝息をたてはじめた。

 規則的に上下する肩の動き。張り詰めていた糸が切れたように、フェブリスは眠りに落ちていた。自然と、オーヴスの表情も緩む。そっとセパレートカラーの頭を撫でると、そのまま膝を貸す。無防備な寝顔が、そこにはあった。


「……陛下、にはまだ早いんだけどな」


 正面のリリヴェルに思いを零すと、くすっと無邪気にリリヴェルは笑う。


「期待されてるのよ。応えてあげなさい。それこそ、貴方の一族が脈々と血を受け継いできた意味でしょう?」


「リリヴェルも、僕にそれを期待しているのかい?」


「そうね……衣装代に見合う仕事は、してもらいたいものだわ」


 漆黒の衣装を指さし、リリヴェルが意地悪く笑った。そういえば、代金は支払っていない。

 いわゆる出世払い、というところだろう。オーヴスは思わず乾いた笑いを返した。

――いくらするのか今聞いたら、逃げ帰りたくなるだろうから。

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