第6話
◇◇◇
「はいこれ。良く読んで、とっとと倒しに行くわよ」
ギルドを出ると早々に、声を弾ませながら、リリヴェルは羊皮紙をオーヴスに押し付けた。
恐る恐る確認すれば、契約書の下段に写真付きの対象が記載されていた。
巨大な牙が二本。爛々と輝く金色の瞳。巨大な猪といっていい姿だ。
「……体長三メートル級」
「小さい方ね」
「うりぼうは可愛いと思うよ、僕も」
「それくらいなら貴方一人で何とかなるでしょう。こーんな楽勝な仕事で倍に報酬はね上げさせたんだから、とっとと終わらせて、次行くわよ。ここで荒稼ぎして、馬車やホテルも使いたいしね」
リリヴェルは実に楽しそうだった。言えば怒られるとは思うが、その思考回路はまさしく魔王と呼ぶに相応しいのではないだろうか。
魔王より魔王らしい少女の思考に、オーヴスは苦笑を零す。
自分は人々に恐怖を与えるような事は、恐らくはできやしない。それでも、もしも本当に魔王として、魔族の王として立つならば。
それは自分がかつてノクトの村で感じていたような安息の日々を、与える事だろう。
むしろ、それ以外は出来そうにない。
◇◇◇
ぎしぎし軋む、結界の境界。それは最早オーヴスの心の悲鳴だ。
「りりり、リリヴェル?! 何で手を貸してくんないのかな?!」
「何言ってるの? 私が強くなる必要はないんだから。これから先、もっと敵が強くなっても困らないように、しっかり倒しなさいな」
「そーいう展開だったんだ?! うわあああ、お気遣いどうもー!」
自棄になるしかなかった。クルトの町を出てすぐ北西の森。リールの川に沿うように広がる原生林に踏み込んで間もなく、賞金対象の巨大イノシシは姿を見せた。
空腹だったか、鼻息荒くこちらを捉えると、そのまま突撃。加速してきたその姿に、咄嗟にオーヴスは結界を張る。腰に手を回しマントに隠れた背面からリング状の刃を手にする。円月輪。
ブーメランのような遠距離の武器だ。外側全周囲が刃の、扱いが難しいと言われるそれを手首を使ってくるくると回す。徐々に加速をつけて、そこに魔法を纏わせる。
冷気が、周囲を包み始める。結界がぴしぴしと、割れ始めた。時間がなかった。
後ろに控えたリリヴェルは腕を組んだまま、紫水晶の嵌った剣を抜く気配はない。本気で手を貸す気はないという事だろう。覚悟を決めるしかなかった。
「気は乗らないけど、頼んだよ! セルフィス!」
氷の精霊の名を呼び、両手の刃を放った。結界が割れるとほぼ同時に、巨大イノシシの両側面からオーヴスの放った円月輪が襲い掛かった。
肉を断ち、再び手元に戻ってくる円月輪を手首で受け止める。刃に見舞われた巨大イノシシは、傷を負った箇所からぱきぱきと、瞬く間に氷が侵食していく。
見る間に氷漬けとなったイノシシに、回転を止めた円月輪を手に、オーヴスは歩み寄る。
「……ティターニア」
大地の精霊の名を呟き、円月輪で軽くその表面を叩く。地面から突き立った土の鋭い柱が、氷漬けになった巨大イノシシを粉々に砕いた。
形を残したのは、強度の高いその二本の牙だけ。
「ご苦労さま。楽勝だったわね」
「あんまり、気分のいいものじゃないけどね」
「でも、これで何の罪もない人が傷つくこともなくなったと思えば、少しはどう?」
「……まぁ、悪くない、かな」
「それで十分よ。誰かが勝てば必ず誰かが負けるの。世界はね、簡単な二択しか用意してくれないのよ」
リリヴェルは巨大な牙を一つ手に取って、少しだけ寂しそうに笑った。
「さ、帰るわよ! あとの一本も持っていくのよ。証拠になるからね。あとで売ればそこそこの値になるはずよ。ふふ、まったく、午前中で終了なら三倍って言ってみるもんだったわ」
魔王に誰よりも近そうな思考回路の少女に苦笑を零しつつ、ふと、オーヴスは視線を川の方へと向けた。
ここからそう歩かず、川岸へ辿り着ける。それほど勢いがないようには見えるが、川幅は広く、向こう岸まで泳ぐには一苦労しそうだった。
アイラン湖から流れ出る三つの支流のうちの一つだそうだが、透明で綺麗な水が流れている。それだけで涼しさを感じられるほどだ。
「どうかした、オーヴス」
「ああ、いや。大きな河だなぁって」
「そうね。西部ではリール河とアイル河、あとヴィント河が主流ね」
「この大河をわたる橋が今、閉鎖されてるんだっけ」
「そういえば……見えるかしらね?」
すたすたと牙を担いだまま、河へと歩み寄っていくリリヴェル。オーヴスも慌てて牙を拾い上げてその後を追いかけた。
徐々に近づく川岸。土から小石に代わる足元。
案外深くはないのかもしれないが、透明な水は下流へと向かっていく。辿った先に、石造りのアーチ。その上は白い靄が掛かっていた。風にも流れず、ただ橋を隠すように。
「……あれがリールの橋かぁ。確かに、大きいわね」
「そうね……あの靄の中に、何かが居るのね」
「魔術だとは思うんだけど……目的が分からないな」
「それは言えてるわ。何しろ、悪いけどこっち側は、牧畜産業とか農業で成り立ってるからね。困るのはその辺を入手できない首都連中だとは思うけど」
「それが狙い?」
「可能性は、ゼロじゃないわね」
「でも、それじゃみんなが困ってしまう。……何とかしなきゃいけないんじゃないかな」
リリヴェルはふっと笑い、ぽんと軽く肩を叩いた。
「……そう思うなら、何とかしましょうか、魔王様」
「流石にリリヴェルも手伝ってくれるだろう?」
ただの魔物ならばまだ奮闘は出来るが、流石に不安が大きい問題だ。情けなくも、願いを託して問いかけたオーヴスに、リリヴェルは笑顔で。
「もちろんよ。そういう時のために、私がいるんじゃないの」
「……じゃあ、報酬を貰って」
「ええ、行ってみましょうか。次なるステージへね」
嬉しそうに笑ったリリヴェルには敵わないと、つくづく思う。
再度も視線を橋へ向けた。
あの白い靄を越えた先に、まだ見ぬ世界があるのだ。
それは純粋に、何故か楽しく思えてきた。
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