第5話

◇◇◇


 日が昇り、火の始末を確認すると朝食もなしにリリヴェルは出発を促した。


「一応、言われた通り干し肉とか持ってきたんだけどな」


「まだ早い。一時間も歩けばクルトの町よ」


「クルトの町か。僕らの納品してる牛乳が乳製品に加工されているのを見られるかな」


「とりあえず、着いたら朝食にしましょう」


「そうだね。うん、楽しみだ」


「私も、オーヴスがどんな顔するのか実に楽しみだわ」


 にこりと楽しげに微笑んだリリヴェルの裏に、何か意図があるのだと悟り、オーヴスは思わず表情を引き攣らせた。馬車がすれ違えるほどの木々に挟まれた街道を抜ける。


「あれが、クルトの町よ」


 オーヴスの暮らしていた家の高さほどの石作りの塀に囲まれた、ノクト村の数倍は大きな土地。兵より高い建物がぽつぽつと見える。三角屋根、とんがり帽子のような建物。

 入口らしき場所に人が立っているのが見える。まだ距離はあるというのに、見上げてしまいそうだ。唖然となるオーヴスの脇に、リリヴェルの肘が撃ち込まれる。


「行くわよ。まったくもう、初っ端から驚かないでよ……」


 まだ足も踏み入れてないんだから、と呆れた口調で付け加えたリリヴェル。オーヴスは息を呑み頷いた。


「凄い。ああ、だんだん楽しくなってきたよ、リリヴェル!」


「はいはい。どーかそのテンション維持してね、魔王さん」


◇◇◇


「……うそだ」


「要らないなら貰うけど?」


「いやそれは駄目だけど。でも」


 ちらりとテーブルの上に置かれたメニュー表を見やる。正確には、そこに書かれたメニューの価格を見やる。


「……高くない?」


「むしろ良心的ね」


 スクランブルエッグにベーコン二枚、トースト一枚、それとカップ一杯の珈琲。オーヴスの朝食と差がないそれに値段が付いているわけだが。


「考えてもみなさい。この店で鶏を飼ってると思う?」


「思わない」


「うちで服の解れ直してもらう時には?」


「お金を払うね」


「そう言う事よ」


 しれっと触り程度の話をして、リリヴェルは珈琲に口をつける。

 考えたことはなかったが、確かにそういうものだろうと、納得はできる。オーヴスが生活できたのは、酪農家として牛乳を納品してその対価を貰ってきたわけで。そのお金を使い、商店で買い物をする。当たり前すぎて、生活の基盤を支える職に居た自分を自覚する。


「卸値があって、それを更に人件費を考慮して、その他諸々経費を踏まえて利益を得るための価格ってのは決まるのよ。理解した? 魔王様」


「はぁぁ……経営って大変なんだなぁ」


「貴方だって乳牛たちのための餌は購入してたでしょ。同じことをしてるだけよ。まぁ、それは規模とかは違うかもしれないけれどね」


「要は、手に入りにくい、取り扱いが厄介なものほど高くついて、その逆だと物価は抑えられる、って話で良いかな」


「早速そこまでたどり着けるとは、流石ね。無駄に朝食に対価を払わせただけの教育成果はあるわね」


「そうだね。ありがとう、リリヴェル」


 苦笑を返したリリヴェルに、オーヴスはトーストを齧る。村のそれとは少し違う。そうやって、色々知っていく必要があるのかもしれない。

 本当に、魔王として君臨するかは別として。世界の広さに、何だか心が明るくなる。


「さて、それじゃさっさと食べたら、次行くわよ」


「ん? どこに?」


「生活に必要な物は?」


「……お金?」


「正解。使った分を稼ぐ方法を、探さないとね。とてもヴィントまで持ちやしないわ」


 まさしく、正論だった。


◇◇◇


 鞄を背負った人間の子ども達がわぁわぁと騒ぎながら、通りを駆け抜けていった。向かう先には、箱のような建物。リリヴェル曰く、あれが学校というモノらしい。

 かつてリリヴェルも通っていたそうだ。そういえば、早朝から眠そうな顔をして馬車に揺られて出かけていく人間の子ども達を見たことがある事を思い出す。

 あれは、学校へと向かう馬車だったのだろう。知らなかった。

 リリヴェルはまっすぐに、どこかへ向かっていた。歩く石畳の道。様々な商店が並ぶ。ノクトの村の商店と比べずいぶん規模の大きな店もいくつか見えた。花に水をやる女性を横目に歩いていると、目が合った。軽く目を見張った女性に、オーヴスは小さな会釈をすると慌てて視線を前に戻す。

 服が目立ちすぎるのかもしれないと、今更思い出しつつ。


「ここね」


「ここって……?」


 リリヴェルが足を止めたのは、若干重苦しい空気を纏った木造の二階建て。周囲に比べて、塗られたペンキの色が暗いのが重苦しさを助長している。

 ぶら下がった看板には『斡旋所・クルト支部』と書かれていた。


「もしかしてこれ、ギルドってやつ?」


「名称くらいは知ってたのね。感心だわ。いわば何でも請負うって人たちが集まる、簡単なアルバイト紹介所ね」


「リリヴェルの事だから、危ないものを軽々請け負いそうで僕は怖いんだけど」


「その覚悟があるなら、大丈夫そうね」


「ええええ!」


 やっぱり、という叫びを遮断するように、リリヴェルは扉を押し開けた。

 かろんかろん、という軽やかなベルの音は、オーヴスには不幸の呼び込みの音に聞こえた。

 まだ朝が早いせいか、店内は空っぽだった。カウンターはほぼ壁で奥は見えず、一か所だけガラス張りの場所があり、そこに新聞を広げた中年男性が欠伸をしていた。


「仕事を貰いたいんだけど」


 リリヴェルが声をかけると、胡乱げに視線を寄越し、男性は値踏みするようにリリヴェルを眺める。ふと、背後にいたオーヴスに気づいたのか、軽く目を見張った。


「って、魔族!」


「あ、どうも」


 魔族特有の尖った耳で気付いたか、声をひっくり返した店主に、オーヴスはへらりと笑顔を返す。

 店主はリリヴェルに慌てた様子で問いを投げる。


「嬢ちゃんの連れかい? いや、護衛?」


「そうね……どっちかって言えば反対ね。短時間、明瞭に片付く仕事探したいんだけど。出来れば軽い魔物討伐が欲しいわ」


「ああ、それならいくつかあるけど……しかし魔族の護衛をする女の子とはねぇ」


「いつか逆転してもらうわ。で、何か手ごろなのは?」


「うーん、最近増えてきてるからねぇ。リール川閉鎖からあっちの傭兵さんたちが来れなくなって、割とこっちも困ってるところでさ」


「閉鎖? 橋が閉鎖されたって事?」


「そうそう。二週間くらい前かな。でっかい鳥型の魔物って聞いてるけど、ずーっと霧が掛かってて結局倒せないわ、だけど渡ろうとすると襲い掛かってくるわで、閉鎖で対策探してるみたいだよ」


「なるほどね……」


 軽い嘆息と共に、リリヴェルは差し出されたファイルを捲っていた。賞金額とその特徴が描かれた魔物の紙。掃除や給仕の仕事は見事にスルーしているリリヴェルの本気が見える。

 正直、オーヴスは平和主義なのだが。口を出したところで言いくるめられ、勝ち目はない。

 今の自分の立場はよく弁えているつもりだ。

 それで本当にいいのかは別として。


「うん、とりあえずこれにしましょう。オーヴスでも、軽く倒せそうだしね」


「……ん?」


 不穏な響きに首を傾げていると、リリヴェルは笑顔で。


「おじさん、これ引き受けるわ。今日中にやってくるから二割増しの報酬でお願いね」


「言うね嬢ちゃん。じゃあ、一日延びるごとに二割減で文句ないな?」


「あら、そこまで言うなら今日中を倍額にしてもらわないと釣り合わないわね」


 けろりと返したリリヴェルに、男は大きく笑って、にんまりと笑った。


「よぅし、その賭け乗った。俺は嬢ちゃんみたいな破天荒な娘は嫌いじゃないんでね」


「じゃ、そういうことで」


 さらさらと何やら契約書にサインするリリヴェル。後ろで見守るオーヴスが口を挟む暇などもちろんない。

 確認すべき事項を頭で空転させつつ、何とも言えない時間が過ぎ去っていった。

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