クルトの町

第4話

 この大陸は、総称してトルネオ大陸と呼ばれ、単一国家で成り立っている。

 オーヴスの暮らしていた村は、大陸西部、ヴィント領の北東部だ。雲をも貫く様な山脈を隔てた大陸東部が、帝都のある領土にあたる。ヴィント領内でも、川で隔てられた箇所ごとに名称がある。ヴィント北東部が、ヴィント・リール。リール川を挟んだ向こうにあるのは、ヴィント・アイル。ヴィント・アイル地区最大の街が貿易港を有するサラーズラドの街だ。その他にも小さな町は転々と街道で結ばれている。

 軽く嘆息しつつ、オーヴスは地図から顔を上げた。


「世界は広いなぁ」


「オーヴスが見てた世界が狭すぎただけでしょ。まったくもう」


「はは、リリヴェルの視野が広いんじゃないかな」


「違うわ」


 きっぱり告げて、リリヴェルは爆ぜる炎を見つめていた。

 ほうほうと、どこからか鳥の鳴き声のする夜の森。村を出てすぐ陽は落ちてしまった。

 考えてみれば早朝出発も視野に入れるべきだっただろうが、リリヴェルに言われるがままに、夕刻の出発で。この辺りは夜間活動する魔物がいないからこそ出来た選択だろう。

 オーヴスが軽く精霊術で熾した火を見つめたまま、リリヴェルは言う。


「魔族に教育していないだけよ」


「教育? ああ、勉強の事か。それは自ら進んですべき……」


「違うわ。あの村に学校や教育者が居なかっただけで、この先にある町で、私は教育を受けた。人間には、教育が義務付けられているのよ」


「義務?」


「そう。社会人として必要最低限の事を叩きこむの。だから地理くらい知ってるわ。歴史もね。もちろん、得手不得手はあるけど」


「……へぇ。昔話も、教育の一環なのか」


 素直に感心したオーヴスに、リリヴェルはさらに表情を陰らせた。


「人が良いのか馬鹿なのか判別できないのよね、オーヴスって」


「ば、ばか……」


「そうやって差別されてる時点でおかしいでしょ、普通。種族は違えど、同じ大陸で生きて、会話もできる私と貴方なのに。どうしてそういう知識を魔族に与えないのか。それっていずれ自分たちの道具にするためだけの存在だって、上が考えてるからよ」


「上?」


「そ。統治者と言えばいいのかしら」


「なるほど」


「分かってないわね、絶対」


 完全には否定できず、オーヴスは苦笑で返した。

世界の仕組みとは、もっとシンプルだと思っていた。人間と魔族がいる。隣人に、当たり前のように。魔族はフェルク教を、人間はゴート教を信仰する。別に逆でも構わない。

 困っていたら、お互い助け合って生きていく。それがオーヴスの知っている世界だ。ノクト村という小さな世界だったことは否定しないが、実に平和だった。

 だが、リリヴェルはそうでないことを知っている。本当の世界の姿を、知っている。

 ふと視線を向ければ、膝を抱えたまま、リリヴェルは動かなくなっていた。座ったまま、眠ってしまったらしい。

 固い鎧もものともせず。裁縫屋の娘としてしか知らなかったリリヴェルの装備は、本物だ。あるいは、オーヴスの知らない所で自警団にでも混じって魔物を屠っていたのかもしれない。


「……不思議な子だな」


 今更ながら、そんな事を思う。それも、追々知って行かなければならないだろう。

 空気を撫でるように、手を宙に滑らせる。青白い光を纏った蝶が五頭、空気から滲む様に現れる。


「……見張りは頼んだよ」


 ひらりひらりと、オーヴスの周りを舞って、蝶は別々の方向へと飛んで行った。

 精霊のひとつだ。何かあれば、オーヴスの意識に直接危険を知らせてくれる。代々受け継がれた幾つかの精霊術のうちの一つだ。今までは役に立つことなど一度もなかった事だが、外に出て初めてそのありがたさを感じた。

 もっと、役に立つものがあるだろうか。自分の持つ能力や精霊術が、あるいは世界を変えるのであれば、どうかそれは生ける全てのもの達のためとなればいい。

 眠気に薄らいでいく意識の淵で、オーヴスはぼんやりと願った。

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