第8話
クルトの町から、徒歩で約一時間。見えた橋の始まりは、すでに靄で覆われていた。すっぽりと、それこそ橋だけを隠すように。
人影は見当たらなかった。皆恐れて近づかなくなったのだろう。
「……さて、ここからどうするか、よね」
「リリヴェル、勘違いをしていたのかもしれない」
「どういう意味?」
「僕は、てっきり魔術だと思っていたんだ。だけどこれは、違う。精霊術だ」
「つまり?」
「僕なら案外何とかできるかもしれない」
世界には、魔術と精霊術がある。魔術は術式に則れば人間でも魔族でも使えるものだ。
だが精霊術は違う。精霊と契約できるのは、魔族だけだ。完全なる血統で受け継がれる、一家相伝の術。
そしてその精霊術の全ての精霊との契約を許されたのが、グリードフェルク王家の特権。よもやここで役立つとは思ってもいなかったが。
「シルフィードで吹き飛ばすのが一番簡単かな」
「やり方は任せるわ。その代わり」
すらりと、初めてリリヴェルが紫水晶のついた剣を抜く。太陽の光を受けて煌めいた手入れの行き届いた剣を手に、リリヴェルはオーヴスの前に立つ。すっと剣を構え、横顔を見せた。
「不測事態には、備えてあげる」
「頼もしいな」
くすっとお互い笑って、リリヴェルは再度前を向く。凛とした背中に、オーヴスは勇気をもらう。すっと短く息を吸って、軽く瞳を閉じた。体内に流れる精霊の声を拾い上げる。
「おいで、風の精霊シルフィード!」
そよりと、風が吹いた。合図だ。
「吹き飛ばせ!」
オーヴスが鋭く命令を飛ばす。突風が、背後から吹き付けた。
だがオーヴスの周りだけは、守られたようにそよ風が吹き抜けるだけ。草を舞い上げ、橋の石を若干崩し、風が靄を攫って行く。
ものの数秒の出来事だ。瞳を開けば、靄は消え去っていた。
完全に、橋が見えるほどに。ほっと胸を撫で下ろす。
刹那、影が掛かる。
「え?」
「気ぃ抜いてんじゃないわよ!」
胸倉を掴まれ強い力で引かれ、そのままの勢いで転倒する。伸びた雑草が体を受け止めてはくれたが、勢いが勢いだけに痛い。
「早く立って!」
鋭く叫ぶリリヴェルは、すぐ脇に立って上空を睨んでいた。つられて視線を上げる。
尾が虹色に輝く巨大な青い鳥が、羽根を広げていた。
「マジかよー。まさかシルフィードの血統がこっちにいたとは計算外」
まだ幼さの残る、変声期前のだろう少年の声。
声の主は、橋の欄干の上に、立っていた。距離にすれば、約数メートル。自分の背丈ほど――いやそれよりも大きな紫の斧を手にした少年。左半分は萌黄色の髪、右半分は紫のセパレートカラーの髪色が特徴的な少年が、不機嫌そうに見下ろしていた。纏う白い衣装に、どこか既視感を覚える。
「困っちゃうんだよなー。ここ通れるようにしたらさぁ、ある意味最後の楽園なんだぜ、ヴィント・リールは」
「あらあら、そんな楽園を閉鎖するなんて。それでいいのかしら」
「いやそれよりも、僕は教えて欲しいんだけど」
立ち上がり、一応に備えて円月輪を手にしながら、オーヴスは少年を見やる。
「君、精霊術が使えるってことは魔族だよね?」
「そう言うアンタも、その耳魔族だな」
「そんな君が、どうしてゴート教会の服を着てるんだ」
はっとリリヴェルが一度だけオーヴスを見やった。気付いていなかったのかもしれない。
だが、見覚えがあると思ったのは、彼の被る帽子の紋様だ。金色の円に、十字。そして特徴的な白に統一された衣装。腕まくりをして、あげく前側のボタンを全て開けている少年は下に来た青いシャツが覗いているが、腰のベルトポーチに入っているのは、間違いなくゴート教会の聖書だ。魔族が信仰するフェルク教ではなく今ここに居る少年は、人間の信仰するゴート教会の巡業者だ。恐らく、普及のために派遣されたに違いない。
「そういうアンタは何モンだ? シルフィードの一族特有の気配は感じねーし。……むしろ」
不意に、少年は言葉を切った。そして軽く頭を振る。
「まぁいいか。お前らが何モンかは、この際後回しだ。ここを通行可能にするわけには、いかないってことで」
上空を見やる。待機していた、虹色の尾の巨大な鳥を見上げ、少年はにっと笑った。
「いくぞ、ウィンディア。こいつらはぶっ殺すしかなさそうだからな!」
「ちょっ……」
物騒な響きにぞわりと悪寒が背筋を駆けたオーヴス。だが冷静に、リリヴェルは囁いた。
「鳥の相手は私がするわ。貴方はあの子を説得して。魔族同士の方が話は通じるでしょう」
「リリヴェル」
「オーヴス、あの子を救えるのは多分、貴方だけだわ」
救う。その言葉に、脳裏をよぎったのは、ノクトの村。ずっと暮らしてきた、あの平穏な場所。一人ぼっちになってしまった自分を助けてくれたのは、他ならぬ村の皆だった。
ぎゅっと円月輪を握り直し、頷いた。
「……ごめん、リリヴェル。任せる」
「ええ、……行くわよ!」
そして、互いに別の方向へと駆けだす。リリヴェルがどう戦うのか、オーヴスには皆目見当もつかなかった。だが、心得ているとばかりにその蹴り出しに迷いはなく。
だからこそ、オーヴスも少年へと駆ける。
少年は不敵な笑みを浮かべ、巨大な斧を両手で握った。
「……フェブリス・ローランド。覚えとけよ。死ぬ直前まで。アンタを殺す、俺の名前だ!」
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