第45話

「……ねぇ、本当に大丈夫なの? 足元ふらついてるわよ、フェブリス」


「大丈夫だっての! 大体、ここに居る方が精神衛生上悪い」


 仏頂面で新しい制服の袖に手を通すフェブリスの背中にリリヴェルが大仰にため息を零す。

 フェブリスは夜が明けた頃、目を覚ました。現状を理解し、口を開くなり「とにかくここを離れたい」の一点張りで、譲らなかった。フェブリスの過去から考えれば、何一つ不思議はない。それでも、体調が万全ではないのは誰の目にも明らかだった。見舞いに来たカタリナだけが「元気ですね」と笑っていた。着替えを用意させたのもカタリナだ。

 嫌な顔はしていたが、フェブリスはカタリナから着替えを受け取り小声で礼を述べていた。根底が素直なフェブリスらしい。


「違うのを用意させても良かったのですけれど」


「いい。俺は別に、この場所が嫌いなだけで、ゴート教そのものが嫌いなわけじゃないし」


「そうなのですか。それは嬉しいです」


 屈託のない笑みを浮かべたカタリナに、フェブリスは視線をそらした。要はカタリナに仕える事を嫌悪していないことを認めたのだから、恥ずかしいのだろう。


「別に、託宣の巫女の為じゃねーし。……俺は、その方が、兄貴の力になるだろうって、そう思ってるだけ」


「立派ですね。そんな教団員が居てくれることを、わたくしは嬉しく思います」


「だからっ……はー、めんどくせぇ巫女様だな」


「カタリナはそういう子よ、フェブリス」


 ため息を一つついて、フェブリスは新品の制服をきっちり着こんで向き直った。顔色はまだ青白いが、意志の強い瞳は戻っていた。


「行こうぜ、兄貴」


「……そうだね。行こうか」


「さぁ、では表までお送りしますね、魔王さん」


 ひらりと緑の衣装を揺らし、カタリナが踵を返す。思わずオーヴスがリリヴェルを見やると、リリヴェルは肩を竦めてみせた。


「託宣の巫女様が送ってくれるっていうんだから、見送られたらいいんじゃない?」


「それはそうなんだけど。……マイペースだね、リリヴェルの仲間は」


「そうね。誰かさんも似たようなものだけどね」


 返す言葉もない。苦笑を零し、カタリナの後を追いかけ歩き出す。


「そういえば、相変わらず精霊の声は聞こえないのかしら、魔王様?」


「うん。でも、応えてくれる。僕はそれだけでも十分嬉しいかな。僕らは、精霊の恩恵で生きているんだ。その精霊が力を貸してくれるんだよ。凄いよね」


「そんな加護を受けられる貴方も、十分凄いわ。オーヴスの性格だから出来る事よ」


「本当にそうなのかなぁ……」


 その点だけは、未だに納得がいかないままだ。有り難い事には変わりない。

だが、血統だけが恩恵の証明ではないとオーヴスは思っていた。答えの在処の分からない問いが頭の中を駆けまわる。

 オーヴスが頭を悩ます傍らで、リリヴェルが小さく笑う。


「貴方じゃなければ、私は行動を起こそうと思わなかったし、フェブリスやミールもとっくに道を違えてたんじゃないかしらね」


「……リリヴェルは、何で、僕を」


「それは……全部終わった時のご褒美ね」


 寂しげに微笑み、リリヴェルは速度を速めてカタリナの傍らに並んだ。カタリナと談笑するリリヴェルは、等身大の少女そのもので。とても勇者の記憶を受け継いでいるとは思えない。

 そして、不意にオーヴスは気づく。


(いつから……? リリヴェルは、いつから勇者の記憶を)


 リリヴェルの両親は健在だ。リリヴェルだけがかつての姿を捨てたのだと言った。その血脈に、記憶を引き継いでいると。だがその引継ぎポイントは。

 まだリリヴェルは何か隠しているのかもしれない。世界がひっくり返る以外の、別の目的のために。

 言いようのない不安が、押し寄せる。リリヴェルが消えてしまうような、そんな嫌な予感が過ぎる。


「……オーヴス様? 大丈夫ですか?」


 ミールの声に、虚構の不安から現実に引き戻される。心配そうな顔を向けるミールに、オーヴスは慌てて首を振った。


「何でもない。ミールは疲れてない? ずっと治癒に当たってたし」


「私に出来る事をしただけです。ほとんど、守られてばかりですから。あれくらいさせてください。今後も何かあれば、遠慮せずに言ってくださいね。ないのが、一番ですけれど」


「……ありがとう」


 いいえ、とミールは安堵したように微笑んだ。安堵の息を吐き、オーヴスは前を向く。


(今は前に進まなきゃ)


 時が来れば、どんな形でも答えは出る。その時に、間違った選択さえしなければいいのだ。後悔しないように。今は、そう自分に言い聞かせるほかオーヴスに出来る事はない。

 記憶の薄い静かな廊下を抜け、ようやく正面扉へ辿り着く。待っていたのは、ヨリドだった。

 カタリナは軽い足取りでヨリドの隣へ並び、道を開ける。


「どうぞご武運を、魔王さん」


「ありがとう。……また会おう。カタリナ、ヨリド」


「はい。楽しみにしています。ね、ヨリド」


「期待はしないですけど。……カタリナが悲しむので、死なないでください」


 最後まで刺々しいヨリドに、リリヴェルは肩を竦めた。慣れているのだろう。

オーヴスも苦笑を浮かべる。ヨリドなりの見送りの言葉を無下には出来ないのだから。

 会釈をして、扉を開け放つ。昨日託宣が解放された広場が広がる。


「え?」


「……何これ」


 リリヴェルの唖然とした声が、耳を通り抜ける。正しくは、喧騒に掻き消される。

託宣解放が行われた広場は、人で溢れていた。

白い教団員自らが境界線のように、押し寄せそうな人並みを制御している。


「魔族……?」


「そう言う事です。早朝から、集まっていましたよ。託宣が思ったより早く知れ渡ったのでしょうね」


「でも、それだけでこんな」


 動揺するオーヴスに、カタリナはにこりと微笑んだ。


「ケフェルという少年が、精霊を使って貴方の事を知らせたみたいですね」


「えっ……」


 サラーズラドで出会った少年。最終的にはオーヴスを招き入れたことで住処を追われ、アクシアの集落へ身を寄せる事になった、気弱な少年が脳裏を過ぎる。

恨まれてもおかしくはないと思っていたのだ。


「詳しくはわたくしから聞くよりも、彼らから聞いた方が良いでしょう。わたくしは、ここから見ています。貴方の事を必要としている人たちの元へ行ってください」


「これは、失敗が許されねーな、兄貴」


「失敗なんて許すわけないじゃない、私が」


「……だね」


 頼りになる仲間に背中を押される。

これから背負うのは、今傍にいる彼らだけではなくなるのだ。

後戻りはできない。時間と同じで、オーヴスは前に進むしかないのだ。


「行こうか」


 カタリナとヨリドに見送られ、オーヴスは教会を後にする。最後の場所へと向けて、歩き出す。

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