第44話
「わたくし達は、貴方の祖先を討った。それについて、まずは謝罪をさせてください」
「え、あ……その」
「ですが、当時はそれが必要だった、という事もご理解ください。家族を奪った事は詫びますが、わたくし達にとってはそれが生きるために……それこそ、生きる尊厳の為に、必要だったのです」
「……うん」
「その上で、わたくし達は五人それぞれ別の道を選ぶことにしました。わたくしは、当時から神の眷族たる精霊とコンタクトできる家系でした。だから、託宣の巫女となりました。ヨリドは、そんなわたくしを守るために、このゴート教会西方本部に身を置く選択をしたのです。カルディナさんは、特に魔族の影響力が大きかった今で言うヴィント領を、領主として統治する事を選んだ。そしてブランディールさんは、ゴート教会の教皇として、人間の心の支えとなるゴート教を復興する道を選んだのです」
「……そのブランディールって人も、もしかして」
「ええ。今でも教皇としてゴート教を支えています。山脈を越えた東部に普段は身を置き、実質的にこの国で一番の権力者です」
「リリヴェルは……」
ちらりと、リリヴェルを見やる。リリヴェルはオーヴスの視線にため息を一つ。
「私は、貴方の一族がまた間違った道を歩かないように見張ることを選択しただけよ」
「またリリヴェルさんはそんな事を。貴方はただ逃げ延びた魔王の血脈が無事に生き続けられるように、ずっと見守る選択をしたのでしょう?」
「どうだったかしら。忘れたわ。オーヴスはこんなだし」
肩を竦めたリリヴェルにカタリナが苦笑する。実に酷い言われようだが、オーヴスとしては反論できない。
リリヴェルに叱咤されなければ、ここまで来ることはできなかった。あの日リリヴェルに促されていなければ、今でも間違いなく大事な乳牛と共にいた。ノクトの村で魔族の苦しみも知らずに生きていたに違いない。裁縫屋と酪農家という、ごく普通の関係を死ぬまで続けていたのだろう。
だからこそ、不思議でもあった。
「……でもじゃあ何でリリヴェルは、僕を魔王にしようとしたんだい?」
「ふふ。だから言ったじゃないですか。リリヴェルさんは昔からとても正義感が強いんですよ。人間はかつての魔族と同じように、今、絶対的統治者としての道を歩こうとしている。歴史は繰り返す。その言葉通りに、増長し続けているのです」
「でも、言い方は悪いけど……君達人間にとっては、それが望む世界じゃないのかい?」
ヨリドの鋭い眼光が突き刺さる。オーヴスとて言いたくはない考えだったが、聞かざるを得ないのが本音だった。
カタリナは視線を宙に彷徨わせ、ひとつ頷く。
「人間にとっては、そうでしょう。ですが、わたくしは神の代弁者に過ぎません。隣人を愛し、争いを忌み、苦悩を抱えた人々に手を貸しなさい。それがゴート教の根幹の教え。ブランディールさんが守ろうとしているのも、ただそれだけなのです」
「カルディナ……は?」
「カルディナさんが直接介入できることなど、多くはないでしょう。権力を覚えれば、人は変わる。そうやって少しずつ少しずつ、世界は歪んでいたのですよ、魔王さん」
「意図してやったことじゃない?」
「ええ。ブランディールさんは魔物が暴れる事について目を瞑れと言っていましたけれど、カルディナさんはそれを良しとしなかった。ゴート教会に魔物討伐の班を作ったのも、力なき人々を圧倒的暴力から守るために始めた事です。魔族も人間族も、等しく守るために。でも、いつしか歪んでしまった。目が届かなくなった頃、誰かを傷つける事を覚えた」
ちらりと、カタリナがミールに付き添われて未だ眠っているフェブリスを見やる。その表情はどこか痛みを堪えたようで。カタリナも、自分の足元で行われてきた暴走に心を痛めているのだ。長い年月は少しずつ理想から際限なき野望へと形を変えてしまったのかもしれない。
「……僕も、変わってしまうのかもしれない。いや、きっともう変わってる。ノクトに居た頃の僕じゃない」
「オーヴス……」
「良いのではないですか。人とは、そういう生き物です。少なくとも、歪んだ今を続ける事を貴方は良しとしない。それは正しい感性だと、わたくしは思います。それとも……――」
す、っとカタリナが目を細める。薄く笑みを湛えてはいたが、世界を俯瞰的に見つめる【人】とは異なる世界を見つめる目だ。オーヴスの背筋に寒気が走る。
「それとも貴方は、自分が頑張りさえすれば世界が変わるとでも?」
「それ、は」
「わたくし達は確かに魔王を討ち、一時の平穏を確保された。今とは正反対の構図から。ですが、結局年月を経て、上下関係が逆転しただけの世界が、ここにはあるのです。出来るのは、一石を投じる事だけ。そこからは、生きるもの全てがその問題を向き合うか否か。ただそれだけです」
「……反論も出来ないな」
「ただの経験談ですよ」
納得する。カタリナの刺さる様な発言は、過去から今に続いてきたカタリナ自身の悔いだ。穏やかに微笑み、未知を示す彼女の心の中は、悔恨が渦巻いているのかもしれない。
ヨリドが心配そうにカタリナの背を見つめているのは、世俗から隔絶され、人よりも概念の神に近づく妹を案じているに違いない。
勇者と呼ばれた彼女たちも、今を生きる『ただの人』なのだと、何故か安堵する。
「少しは、魔王さんの今後に役立てれば光栄です」
「……引退でもするみたいだ」
「そうですね……託宣の巫女を誰かが継いでくれるなら、ありうる話ですね」
次代が現れるまではカタリナはその座を守り続けるのだと、笑う。
選んだ道を最後まで貫き通す意志の強さが、カタリナを生かし続けてきたのだろう。
強靭な精神力に、オーヴスは尊敬の念さえ覚え始めていた。
「……さて、わたくしの話はこんな所です」
「え? 教えてもらってばかりだった気がするけど」
「そうです。それがわたくしの【したかった事】ですから。わたくしが感じてきた事を、魔王さん、貴方に過不足なく伝える。そうして、貴方の選択の糧にしていただく。それがわたくしの、未来への布石です」
「大袈裟ね、カタリナは」
「リリヴェルさんには敵いませんよ。かつて魔王を討った貴方が、魔王さんを動かそうなんて。誰も思いつかない発想です。流石ですね」
渋面で、リリヴェルは口を噤む。珍しく言いくるめられているリリヴェルに、オーヴスは笑みを零した。
「ちょっと。何で笑ってるのよ」
「あ、いや、リリヴェルが口で負けてるの初めて見るかなぁって」
「なっ、負けてなんてないわよ!」
瞬間睨み付けたリリヴェルに、オーヴスは表情を強張らせ慌てて首を振る。
「何も言ってないです」
「……そう言う事にしておいてあげるわ」
くすくすと笑う声に、カタリナを見やる。楽しげに肩を震わせるカタリナと、若干呆れたようなヨリド。かつての勇者は、想像よりも近しい。
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