第43話
応接室に運び込まれたソファーの上で、ミールはフェブリスの治療に当たっていた。その様子を、興味深そうにカタリナが見守っている。外見通りの純粋な興味を向ける少女は、それでもこの教会の中で最大の権力を持つ。不釣り合いにも見えるが、口を開けばぴたりとその役に嵌った威厳を醸す。
「凄い。失われた治癒の術が、この目で見られるなんて。魔術の一つなのですか? それとも精霊術?」
「元を辿れば同じだとは思いますが……細部は秘密です」
ソファーの傍らで膝をついたミールが苦笑でカタリナに返す。カタリナは虚を突かれたような表情を浮かべ、次いで苦笑した。
「ふふ。そうですね。これは秘密にしておいた方が良いです。それが、明るい未来のためかもしれません」
「ご理解いただけて何よりです」
「力を持つものが多くを手に入れれば手に入れる程、大きな暴走をするものです。そこに人種は無関係です。それ故、海の人々はその秘術と共に、陸の人々と別れを告げたのでしょう。余計なお世話ですけれど、出来るなら貴方も海の世界へ帰るべきかもしれませんね」
「そうですね。……出来るなら」
ミールの表情が曇る。カタリナはそっとミールの肩に手を置いて、淡く微笑む。
「ごめんなさい。余計な一言でした。貴方を傷つけるつもりは、なかったのです。許してください」
「いいえ。私も、そう思いますから」
「……カタリナ。遅くなる前に話を終えたいんだけど?」
リリヴェルがしびれを切らしたように口を挟む。カタリナは「ああ」と今思い出したとでも言わんばかりの反応を見せ、ゆったりと丸テーブルへ戻ってくる。
着席しているのはオーヴスとリリヴェル。服の裾をつまみながら椅子に座ったカタリナの後ろに、ヨリドが立った。護衛なのだろう。二人の耳には、同じ紫水晶のピアスが揺れている。
「改めまして。わたくしはカタリナ・コトハです。ヨリドは、わたくしの双子の兄にあたります」
「あ、僕はオーヴス・グリードフェルク」
「はい。よろしくお願いします、魔王さん」
「僕はまだ、魔王なんて偉そうな立場じゃないよ」
思わず苦笑いが零れる。そうでした、とカタリナは屈託なく笑い、ヨリドは半ば呆れたような表情を浮かべている。
「ヨリド、オーヴスはこういう人だから。ノクトで酪農してますって言わないだけ、少しは自覚が出てきたのよ。許してあげて頂戴」
「らっ……らく……」
何とも形容しがたい表情で、ヨリドはオーヴスをしげしげと見やる。イメージの落差に苦しんでいるのかもしれない。オーヴスとしては、魔王と言われる方が余程むず痒いのだが。
「良いじゃないですか。素敵です。生命に触れる、これほど素晴らしい事はないです」
「カタリナは相変わらずマイペースよね……」
「貴方もその正義感の強い所は変わりませんね、アンネヴェルトさん。ああ、今はリリヴェルさんでしたね」
リリヴェルは困ったように肩をすくめる。二人の間にある親密さが、オーヴスに疎外感を与える。詮無きことだとは分かっていつつも寂しさを感じる自分を飲み込み、オーヴスは口を開く。
「聞いて、いいかな、カタリナ」
「もちろん。わたくしや、リリヴェルさんの事でしょう?」
言い当てられ、オーヴスは鈍く首を縦に振った。カタリナは問いかけるように、リリヴェルを一瞥する。リリヴェルはその視線に、ふっと小さく息を吐き出した。
「……今更、隠す気はないわよ」
「そうですか。それを聞いて安心しました。では簡単に。わたくしやヨリド、それからリリヴェルさんは、かつて勇者と呼ばれたその一行です。正確には、五人います」
「えーっと……勇者の子孫たちって事かな?」
「リリヴェルさんは、そうですね」
カタリナの返しに、オーヴスは首をひねる。勇者がいたのは、四百年以上前の話だ。人間だろうと魔族だろうと、その寿命は百年もない。ミールの様に人魚ならば話は別だが、釈然としない。戸惑うオーヴスに、カタリナはそっと左耳で揺れるピアスに手を触れた。
「紫水晶はご存知ですか?」
「あ、うん。とても貴重なもので、魔導具にも良く使われるとか……」
「その通りです。わたくし達は、この紫水晶でもって人よりも強力な魔術を使えます。もっとも、今では特定の魔術を発動し続けるための媒体となっていますけれど」
「え?」
「突飛な話です。信じろという方が難しい話かもしれません。……ただ、これがわたくしたちの現実です。わたくしやヨリドは当時のままで居る事を、リリヴェルさんはその記憶を代々受け継いできました」
息を呑んだ。カタリナの口から語られる事が真実であるならば、カタリナとヨリドは『勇者』そのものであり、リリヴェルは『勇者』の記憶を受けつぐ血脈なのだ。紫水晶の恩恵の元、今なお勇者であり続けるという事になる。
「オーヴスが信じられないのも無理はないわ。……でも、カタリナの言う事は、嘘じゃない」
「リリヴェル……じゃあ、君は」
「そうね。言うなれば、ずっと貴方の血族を監視し続けた勇者の一人だわ」
言葉もなかった。
ただの裁縫屋の娘と思っていた少女が、まさか勇者とは想像もしない。かつての祖先を屠ったその記憶を受け継ぎ、自分たちの一族を監視してきたなど。
「表現が適切ではないですね、リリヴェルさん。何故貴方は、そうまでして悪になろうとするのでしょう。わたくしには、未だに不思議でなりません」
「嘘は言っていないわ」
ぴしゃりと跳ねのけるリリヴェルに、カタリナは肩をすくめる。外見的にはリリヴェルの方が年上なのだが、態度はカタリナの方が年上だった。不思議な光景でもある。
そんな二人を交互に見つつ、オーヴスはすっかり忘れていた紅茶のカップに口を付ける。温くなった紅茶が、渋みを残しつつ喉を通る。
「……どちらが言っても、角が立つ。ふふ……何だか懐かしくて、嬉しいです」
「そうなんだ?」
「ええ。リリヴェルさんは……当時はアンネヴェルトさん、って言ったんですけど―、正義感がとても強くて、そして誰よりも優しかった。よくカルディナさんやブランディールさんとも喧嘩していました」
「……カルディナって」
聞き覚えがあった。オーヴスの記憶が間違いなければ、それはヴィント領の領主の名だ。カタリナやヨリドがかつての勇者であるならば、重要なポストにカルディナが付いていることも不思議ではない。腑に落ちる構図に、オーヴスは嘆息する。
「……そうか。じゃあ、ずっとこの平和を守り続けたのは、やっぱり勇者なんだね」
「そう言ってもらえると嬉しいです、魔王さん」
「でも、その平和は人間の為だけにあるんだね」
「それは違う!」
ずっと黙っていたヨリドが、オーヴスの苦言に声を荒げる。忌々しげにオーヴスを睨むヨリドをカタリナがゆっくりと振り返る。
「ヨリド、でも魔王さんは間違ったことは言っていないんじゃない」
「かつての祖先がしたことを棚上げで? 今まで頑張ってきたカタリナや、カルディナさんが貶められる謂れはない」
「……ごめん、嫌な言い方をしたね」
ヨリドの苛烈な怒りに、オーヴスは反省を口にする。怒りに心が支配されているのは、自分も同じだった。
そして、ヨリドは魔族に支配され、虐げられた時代を生きていた。怒りは簡単には消失しない。今でも心の中で燻る憤りがあっても不思議ではなかった。
「いいえ、魔王さん。貴方は間違ったことは言っていない。でも、ヨリドも間違ってはいない。祖先が行った罪を、貴方が罰として背負う必要はないです。そして、これから貴方が進む道も、誰一人責める権利は持ち合わせていない」
「カタリナ……」
「託宣を、魔王さん、貴方も聞いていましたね。世界は変わる。人間と魔族は、手を取り合う。今の状態では、到底誰一人としてそんな未来を信じられないでしょう。でも、神はそう告げた。……いえ」
――神は、精霊はそうなることを願っているのです。
そうカタリナは微笑んだ。思いもよらぬ発言に、オーヴスは目を瞬かせる。
リリヴェルは頬杖をついて、ため息を一つ。
「とんだ託宣の巫女ね、カタリナ」
「そうでしょうか。わたくしは、神と人を繋ぐだけの存在です。これまでも、これからも」
「……そうね」
渋い表情で、リリヴェルは頷いた。ふと、オーヴスは違和感を覚える。
「……つまり、もしかしてカタリナは、世界がひっくり返ろうと、どうでもいいって事……?」
「極論を申せば、そうなります。それがわたくしとヨリドの選んだ道そのものですから」
「選んだ道?」
はい、とカタリナは頷きテーブルの上に指を組んだ。
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