第48話

「カルディナッ……!」


 即座にリリヴェルが立ち上がって、迷いなく剣を引き抜く。かつての仲間へ、その剣先を向ける。


「怖い顔。アンネヴェルトは本当に、正義が現実に顕現したような真っ直ぐな目よねぇ」


「そうかもしれないわね。なら正義に刃を向けられる貴方は、悪なのかしら」


「ま、待ったリリヴェル」


 このまま加速度的に刃を交えかねないリリヴェルを制止する。膝に手をつきながら、ようやく立ち上がってオーヴスもカルディナへと対峙する。


「僕は、貴方と戦いに来たわけじゃない。話をしに来たんだ」


「話、ねぇ。……確かに筆は剣よりも強い事があるわ。でも、それは劇的ではないの。今の時代には合わないのよ、魔王さん」


 すっと、杖の先端を、カルディナが向ける。踏み出しかけたリリヴェルの腕を掴んで、後ろへ下げた。

 驚愕に目を見開くリリヴェルを振り返らず、オーヴスは毅然とカルディナへ向かい合った。


「今、このヴィント領で一番力を持つのは、間違いなくカルディナ、貴方だ。だから、貴方が一言告げるだけで、きっと世界は変われる。まだ、きっとやり直しが出来る」


「……甘いのねぇ、魔王さんは。いえ……純粋すぎるのね。人の心には、光が絶対に在るって信じている顔だわ。……羨ましい」


「羨ましい……?」


「でもね、魔王さん。……それでは世界は変われないの。あの時の私達が立ち上がったように、今度は貴方が私を倒す番。それからね」


 雷撃が杖の先から放たれる。コンマの早さで肉薄した雷は、はじける音と共に霧散する。

 精霊に助力を願うより早く、オーヴスは円月輪を握っていた。それは強制的に使う事と似ている。だが、声は聞こえなくともオーヴスの中で精霊は共にあった。


「……それから?」


「ふふ。……手を汚さずして、誰かに責任を押し付けるのは魔王さんとして、結局何もしてないのと変わらないんじゃないかしらぁ?」


 言葉に窮する。カルディナの言う事は、正論だった。


「命の大切さを謳うのは人として当然だけれど。貴方がすべきは、それではないんじゃないかしら」


「恐怖で支配なんて事はしたくないんだ」


「それは、上に立ってから言う事ねぇ。貴方はその権利すら、まだ持っていない。ただ嘆願書を提出しにやって来たのと変わらないわぁ」


「……受け取る気は、ないって事?」


「目の前で燃やして差し上げるわよ、魔王さん。それが今のヴィント領主たる私が人々から求められている行動なのだから、当然よねぇ」


「貴方は……」


「さぁ選びなさい。背を向けて、全てを投げ出して再びノクトへ戻るのか。それとも、ヴィントの総意である私を否定するのか」


 どちらを選択しても、カルディナは応えるだろう。前者は沈黙で、後者は交戦で。選択権はオーヴスに委ねられていた。誰の為でもなく、オーヴス自身が悔いのない選択をカルディナは強いている。

 だがオーヴスは、もう迷うものがなかった。

 ゆっくりと息を吸い込み、カルディナを静かに見やる。薄く笑みをたたえたカルディナはその答えを、すでに予見しているようだった。あるいは、そうなるように会話を誘導されたのかもしれない。

 しかし、悔いは残さない。残したくない。


「……僕は、カルディナ、貴方をその座から引きずり下ろす」


「よくできました」


 それは一瞬の、疎通。最初で最後の、覚悟を決める。

 鎌鼬が渦巻き、カルディナの周囲を薙ぎ払う。直撃すれば死は免れない。


「……リリヴェルは、下がってて」


「馬鹿言わないで。……身内の不始末は、身内がつけるものよ」


「いいから。……僕に、任せてほしいんだ」


 リリヴェルは、それ以上食い下がらなかった。代わりに、オーヴスの背中を軽く小突いてぽつりと。


「……勝って」


「もちろん」


 両手に円月輪を握り、オーヴスは庭園の煉瓦を蹴って走り出す。カルディナは小さく笑い、鎌鼬の進路をオーヴスに向けた。


「決着といきましょう、魔王さん!」


 カルディナに答えることなく、オーヴスは両手の円月輪を同時に放つ。右手から放たれた円月輪はその軌跡に鉄の柱を地面から突き立たせ、鎌鼬を受け止める。金属をえぐり取る耳障りな音を響かせ、それでも鎌鼬は勢いを失い消失。安堵する間もなく、叩き付けられた火球で、鉄の柱は砕け炎と共に霧散する。

 高速詠唱で魔術を連発するカルディナに、それでもオーヴスは対抗する。

 聞こえないとしても、精霊は同じベクトルでオーヴスと在る。迷う必要はなかった。

 そして、一手は放たれている。

 右へ左へ交わすたび、庭園の草木が舞い、脅威に悲鳴を上げる。無残に破壊されていく見事な庭園。


「逃げてばかりじゃ、勝てないんじゃないかしらぁ?」


「僕もそう思うよ! だからッ!」


 再度握り直した右手の円月輪を放つ。弧を描き、その軌道に炎と紫電を撒き散らしてカルディナの動きを制限する。その場で動くことなくカルディナは魔術でそれを相殺したが。


「使い方がなってないわねぇ、魔王さん。魔術や精霊術は、使い方のセンスが問われるのよ」


「いや、終わりだ」


「え?」


 少女のように小首を傾げたカルディナ。

 刹那、割れる。目を見開き、硬直するカルディナ。ゆっくりと視線を動かす。

 杖の先。紫水晶が粉々に砕け、きらきらと破片が太陽に反射する。オーヴスは手元に戻ってきた円月輪を左手で受け止める。


「……これで、無尽蔵には魔術は使えない。……違うかな」


「そうね、半分正解だわ」


「半分?」


「でも、これじゃ貴方が勝った証が残せない。困るわねぇ。手間のかかる魔王さんだこと」


 ふう、とため息をついて、カルディナは小さな魔術を発動する。鎌鼬。その矛先を、


「え」


自分に向けて、発動させていた。

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