第21話

 慌ただしく街の外へと急ぐ馬車を横目に、観光気分の抜けないままに、オーヴスはリリヴェルとフェブリスに挟まれながらきょろきょろと周囲を見回す。新鮮な光景に気分は高揚するばかりだった。

 海側から吹き付ける独特な香り。ようやく潮の香りとして合致した柔らかな風を受けながら、緩やかな下り坂を下っていく。

 港から街の入口まで一直線に続く大通りは馬車が二台は通れるほどの広さ。下る馬車と上っていく馬車が忙しなく行き過ぎる。大通りに沿うように商店が立ち並び、開店の準備が進められている。


「そういえば、朝食もまだだったね」


「携行用非常食が優先。ギルドを探して換金できないか確認してからよ」


「肝心のギルドは、港のすぐ傍にあるって教会の人間から聞いてきた。このまま下って行けば辿り着くだろ」


「流石ね。オーヴスよりよっぽど頼りになるわ、フェブリス」


「そりゃ、どーも」


「それにしても……浮かれてるのも大概になさいね、オーヴス」


「え?」


 不意に声を潜め、リリヴェルがオーヴスの意識を現実へと引き戻す。見れば、横目を軽く細めたリリヴェルの視線とぶつかった。冷ややかなその視線に、ぞくりと背中が震える。


「……覚悟、しといた方が良いわよ。ここからは、特にね」


 足は止まらない。頷く程度しか、返せない。不安さえ感じる物言いに、何かを問い質すより早くリリヴェルがすっと前を指さす。

 指先に視線を滑らせると人の賑わう港の入口。出発と帰還に入り乱れる人々の姿が、そこに見えた。活気の在る光景だ。近づく喧騒。強くなる潮の、海の香り。

 左右に開けた場所までたどり着きようやく首を巡らせれば、一番遠くの船は陰に隠れて見えない。一番近い船からは、小柄な少年が重そうな荷物を搬出している。中身が余程重いのだろう。足元がふらついていた。


「あ」


 心配をしている間に、少年が転倒する。転倒のはずみで木箱に収められていた魚が滑り出てきた。見る間に忙しなく行きすぎる人々に蹴られ踏まれの顛末を辿る鮮魚たち。あれでは商品が台無しだ。


「うわ、助けてあげないと……」


「待ちなさい」


 咄嗟に動き出そうとしたオーヴスの右腕を、リリヴェルが掴む。少女とは思えないほどの力強さで引かれた腕に、たたらを踏むほどだった。


「ちょ、リリヴェル?」


「見なさい」


 顎で促されて視線を戻す。衝撃に目を見開く。

 転倒した少年を蹴り、恐らくは罵倒しているのだろう。唾が飛んでいるのが見える。恐怖と防衛本能で体を丸めながら、少年も懸命に口を動かしていた。

 その少年は、魔族で。少年に暴力を揮っているのは、顔を真っ赤にした人間族。


「あれが、現実よ」


「何言って……とにかく止めなきゃ!」


「よく見なさいって言ってるでしょ!」


「オーヴスの兄貴、まわり、良く見ろよ」


 フェブリスの苦々しい声音に、ハッと視線を向ける。フェブリスは体を抱くようにして、視線をそらしていた。まるで、目の前の光景から目を背けるように。

 恐る恐る、周囲を念入りに確認する。心臓が、うるさく高鳴り始める。

 搬出入をする少年や青年たち。それを指示する船主と思しき人々。


「……なんで」


「ここはヴィント全地区の中で最大の交易港。当然労働力が最大限必要な、発展した場所よ」


「だから、労働力が要るんだ。それこそ、奴隷みたいに使役できる労働力が」


 左右から紡がれる言葉に、耳を塞ぎたくなる。

 だが、それは敵わない。右腕はリリヴェルに掴まれたまま。


「分かる、オーヴス。ここではね、魔族は人間にとって都合のいい労働力でしかないのよ」


 断言した刹那、リリヴェルが掴んでいた手に僅かに力が強まった。

 そして、ふと思い出す。旅立ったあの日、リリヴェルは言っていた。魔族には教育がなされていないと。だからこそ、オーヴスは地理など知らなかった。近所付き合いの延長で、断片的な教育がなければ、もっと無知だったに違いない。地図だって、必要に駆られて一度だけ使う事があったからだ。それも、近所に聞いてようやく理解した程度で。

 教育。勉強。人間が当たり前に経ていた、知識の共用。それを許されなかった魔族。

 気付けば、蹴られていた少年は、ようやく暴力から解放されていた。口の端に滲んだ血を無表情に拭って、口を引き結び無事な鮮魚を拾い上げていく。


「……っ」


 思わず、目を反らした。


「行こう、オーヴスの兄貴。……ギルド、そこにあるみたいだし」


 オーヴスが左の袖を引いた。その手が微かに震えているのを、気付かないオーヴスではなく。


「フェブリスも」


「……俺の事はあとで、話すつったろ」


 苦しそうな笑顔を見せたフェブリスに、ぐっと言葉が詰まる。強く拳を握りしめて、オーヴスは頷いて見せた。


「ギルド、行こうか」


「ええ、そうしましょう」


 そっと、リリヴェルの手が解ける。解放された腕は、僅かに、震えていた。

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