第20話

 物音に、眠りから浮かび上がる。開いた扉の隙間から零れる光が、シルエットを浮かび上がらせていた。誰かは認識できない。

 ふらつくシルエットに、体が反射的にすくみ上る。そして脳裏で囁くのだ。

―寝ていて、フェブリス。ぼくが代わるから、ね。

 強い匂いと、その手が触れる前に、意識は分断された。


◇◇◇


 空は昨日までと打って変わって、快晴だった。まだ早い朝の陽ざしが、部屋をゆっくりと暖めていく。窓を開けると、小鳥のさえずりが聞こえ、オーヴスは笑みを零した。鳥の声は、村と変わらないのだと思うと不思議であり、安堵ももたらす。ベッド二つだけしかない小さな部屋。扉の真正面にある窓の前に立っていたオーヴスは、久しぶりにしっかりとした寝具で就寝できたお陰で、すっかり疲労も抜けていた。

 かちゃりと扉の開く音に振り返ると、左右の瞳の色が異なる、フェブリスが室内へ踏み込む。その顔は、実に複雑そうではあったが。


「おはよう、フェブリス。起きたら居なかったから、心配してたんだよ」


「えと、……はなし、してきた」


「話? ああ、教会の人とだね」


 こくりと頷くフェブリス。被っていた帽子を脱いで、胸にぎゅっと抱きしめ、オーヴスへと歩み寄る。その足取りはどこか不安げだった。

 オーヴスは向き直って、努めて明るい声音でフェブリスへ告げる。


「大丈夫だよ」


「え?」


 顔を上げたフェブリスに、笑顔を向ける。


「言いたくないことは、言わなくていいし、リリヴェルも無理には聞かない。だから、リリィがどういった存在かとかは、言わなくたっていい」


「オーヴスの兄貴……」


「もちろん、抱えてるのが辛いなら聞くよ。でも、決めるのはフェブリスだから」


 強要はしない。だが、受容する覚悟はある。オーヴスに出来るのはそれだけだ。

フェブリスはしばしぽかんとオーヴスを見上げていたが、ゆっくりと顔を俯かせると、帽子で顔を覆った。


「……とに、兄貴はさぁ。優しすぎて不安だよ、俺。ホントにこの人についてって後悔しねーかなぁって」


 くぐもった声が、震えていた。オーヴスは、苦笑を零す。


「自分でも思うよ。それも、フェブリスが決めてくれればいい。リリィと一緒に」


「行く」


 即答したフェブリスは、ようやく顔を上げた。目は潤んでいたが、真っ直ぐな視線をオーヴスに向けて。


「オーヴスの兄貴と一緒に、俺も世界を変えたい。つーか、自分を、変えたい」


「……そっか」


「ん。……俺とリリィの事は、ちゃんと話す。……それはきっと、兄貴の為にもなるって思うから。だから、リリヴェルのねーちゃんにも、嫌でも聞かせる」


「……無理してない?」


「もとからずーっと無理してんだよ、馬鹿だな」


 くしゃっと笑ったフェブリス。オーヴスも笑みを返す。

 帽子をしっかりと被り直し、フェブリスはくるっと背中を向ける。


「さ、行こ、兄貴。リリヴェルのねーちゃんも待ちくたびれてるだろうから、まずは街を見て回ろーぜ!」


「そうだね。リリヴェルは、怒らせるとホントに怖いからね」


 踏みつけられた足が青あざをこさえたのは、流石に本人には秘密だ。


◇◇◇


 港町サラーズラドは、緩やかな傾斜に栄えた街だった。教会は街の入口に近い所にあったようだ。入口からまっすぐに伸びた大通りに突き当たると、ようやく景色が見渡せた。


「すごい」


 素直な感想が、口から零れ落ちる。


「言うと思ったー」


「ほら、言った通りでしょう」


 フェブリスとリリヴェルの揶揄がすり抜けていくほどに、オーヴスにとっては見事な景色だった。下る煉瓦作りの道の先には、帆を畳んだ船のマスト。その向こうに広がる、太陽の光を反射する青い波打つ水面。


「あれが海だろう? うわぁ、凄い! 果てじゃ空と海がくっついているみたいだ」


「大声出さないで。恥ずかしいから。ほら、折角だからもっと近くに行ってみましょう」


「行こう行こう! ああ、生きててよかった!」


「大袈裟過ぎね? オーヴスの兄貴」


「僕、生まれてこの方、牧場しか知らないからね!」


 笑顔で断言した瞬間、フェブリスの表情が若干引き攣った気がしたのは、オーヴスは気のせいという事にした。

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