第29話

 ディーネが足を止めたのは集落の終わり。そして湖の畔。

すっかり日の落ちた湖面は、静かな水音を響かせ、その水面には月の灯りが揺れていた。


「ふふ。精霊達がこんなに喜んでいるのは初めてかもしれません。貴方は、認められているのですね」


「喜んでる、んだ。……残念だな、僕には……聞こえない」


「精霊に声があることも、貴方はついさっき知ったのでしょう?」


 思わず目見張る。ヴェールは被ったまま、更に日が落ち、明かりのない闇の中で、ディーネの口元に笑みが浮かんでいる事だけが分かる。


「凄いな。本当に何でもお見通しなんだ。……アクシアの巫女、だっけ」


「ええ。アクシアの一族の巫女。我らは水の精霊の加護を最も受けた系譜。中でも能力に秀でた私は、巫女としてこの集落の責任者でもあるのです」


 淡々と語るディーネだが、その両肩に乗った責任は重いはずだ。雰囲気からして、歳は幾分上だろう。だが、たった一人が背負う責任の重さは、年齢で軽減されるものではない。


「……一つ、貴方には辛いかもしれませんが、昔話をしましょう。精霊が私に教えてくれた、古い古い話です」


「昔話?」


「そう。何故、我らの魔族の長であり、そして貴方の祖先たる玉座を追われたのか、知りたくはないですか?」


「知りたい」


 思わず即答した。くすりと、ディーネが笑う。子どもの興味を惹きつけた事に満足した母親のようだ。気恥ずかしくなり、視線を外す。黒い水面しか、視界には映らなかった。


「かつて、この大陸は全て魔族の長が手中に収めていた。それは精霊という強い後ろ盾があったから。精霊術。逆に今では、それだけが私達を守ってくれるたった一つの希望。何故魔族にしか、その力がなかったのか。それは、魔族がもともと人間族とは違い自然と共存する事を一番として居たからだと言います」


「フェルク教の教えそのもの、かな?」


「ええ、きっと。だからこそ精霊たちはその長に力を貸していたんだそうですよ」


 ディーネは語る。そうして、魔族の長だったグリードフェルクの一族には、全ての精霊が契約をしてくれたのだと。彼らは争いを避けるために、同族を守るためにその能力を借りてきたのだそうだ。

 だが、力は人を変える。魔族を守り続けるために、いつしかその能力は人間族を押さえつけるために揮われ始めた。そうして、魔王と呼ばれる存在が出来たのだという。

 ふと、合点する。


「ああ、だから……人間が魔王を討ちに来たんだね」


「……ええ。魔王は倒され、生き残ったグリードフェルクの一族は家臣たちに守られて逃げたというわ。そこからは、貴方の方が詳しいのでしょうね」


「うーん、僕もあまり知らないんだ。……そんな歴史も初めて聞いた。そうか、僕たちの一族は、精霊に見限られたんだね。だから、声が聞こえないのか」


「でも、貴方は精霊術を使えるのでしょう?」


 ハッとディーネを見やる。言われて初めてその矛盾に気づく。精霊と意思疎通をまともに出来ないままに、彼らの力を使役してきたのは、何故なのだろうか。


「円月輪。彼らはそれで使役できるのだそうですよ」


「え、これ……?」


 腰に吊った円月輪を手に取る。一般的なそれに見えるのだが、生憎とオーヴスはこれ以外見た事がない。しげしげと表面を観察していると、つい、とディーネの細い指が円月輪の表面をなぞる。


「もうほとんど削れてしまっているようですけれど、ここに強制契約の陣を結んでいたのだそうですよ」


「……でも、効果は切れていないんだ」


「ええ、そのようです」


 ようやく腑に落ちた。しかし同時に、寂しさも過ぎる。結局は、今まで無理強いを強いてきたという事で。意識を通わせていたつもりが強制的に、従えていただけなのだ。

 それは、自分がしようとしていることと正反対だ。


「何故、悲しむのです?」


 そっと問いかけたディーネに、オーヴスは薄く笑って軽く首を振る。


「……人間族の圧政から魔族を解放したいと思った僕が、精霊そのものを、抑圧してるんだなって」


「本当に、精霊が貴方を恨んでいるとでも?」


「違うの、かい?」


「ふふ。精霊はずぅっと貴方を見てきて、そうしてここへ導いた。知っていますよ。貴方がここに来るまでの経緯は。アクシアの同胞が貴方達の命と引き換えに、その命を捧げたことを」


「……エジェットの、命を、僕は」


「精霊は、いずれ貴方に答えをくれる事でしょう。……ただ、私個人としては」


 す、とディーネの口が寂しそうに笑う。


「貴方が、本当に再びかつての、精霊と心通わせた初代のグリードフェルク様と同じになるのならば。命を賭して我らが長を守り抜いた息子を、誇らしく思えるのですよ」


「え……」


「さぁ、戻りましょう。そろそろ、支度も出来ているはずですよ」


「貴方は、エジェットの」


 言葉を濁すオーヴスに、ディーネが軽く首を振った。


「ふふ。何の話でしょう。ご安心ください。あの子ども達は、こちらでお預かりします。もし必要ならば、別の集落へ連絡する事も出来ます。……貴方は、どうぞ貴方の信ずる道を、真っ直ぐに。それが」


――恐らく、魔族の希望となる道なのですから。

 アクシアの巫女であり、エジェットの母たるディーネはそう淡く笑って踵を返した。

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