第9話

 たん、と身軽に少年は欄干を蹴って宙を舞う。斧の物量を円月輪でまともに受けたら、確実にこちらが叩き割れる。だが回避は選択しない。

 オーヴスは、戦う選択など、容易にするつもりはない。右手に握ったフェブリスと名乗った少年へ円月輪を掲げ、その名を呼ぶ。


「来い、絶対防壁の要アイロニア!」


 フェブリスの振るい降ろした巨大な斧を空中に現れた鉄格子が受けとめる。甲高い金属音がぶつかり合った衝撃を伝え、フェブリスが目を見開いたのがその隙間から窺えた。

 鉄格子を足場に後ろへ跳躍したフェブリスは、再び橋を塞ぐように降り立つ。

 その表情には、明確な困惑が浮かんでいた。


「おい……おま、えら……なんなんだよ」


「そうね、血を見るまで戦う必要は今はないと思うわ」


 しれっと言い切ったリリヴェルが、オーヴスの傍らに立った。驚いて視線を背後へ向ければ、地面に伏して、やっと息をしているような巨大なあの鳥。僅かな時間で、リリヴェルは相手をねじ伏せていた。その強さに、ひやりとする。


「名乗ったら、オーヴス。それが一番あの子には早いと思うわ」


 肘で小突かれ、オーヴスはハッと我に返る。


「そ、そうだね。ええっと、君は、フェブリス・ローランドと言ったね。はじめまして」


「な、ふざけてんのかッ?!」


「安心なさい。オーヴスは至って真面目よ」


「うん。村の外で出会った魔族は君が初めてだ。……僕は、オーヴス・グリードフェルク」


「グリードフェルク、って」


 さっと、フェブリスの顔色が青ざめる。

 思わず、オーヴスは苦笑を零しつつ、頬を指で掻いた。


「えーっと、うん。一応、かつてのグリードフェルク王家の末裔だよ」


 信じてもらえない可能性は高かった。それもそうだ。最早架空の存在でしかないのかもしれないのだから。もっぱら、酪農家として生きていた自分を辞めたのは、本当に昨日の出来事に過ぎない。

 それでも、その名に課せられた重責と誇りは、オーヴスの心のどこかには、燻り続けている。そこに薪をくべたのは、リリヴェルだったとしても。


「……は。……ははっ、マジか。マジかよ。まさかかつての魔王の末裔かよ」


 左手で顔を覆って、フェブリスは笑う。若干、壊れたように。

 そしてゆっくりと手を下ろすと、フェブリスは紫の色をした瞳をオーヴスに向ける。その真剣な瞳を、オーヴスは見つめ返す。


「だからか。だから、あんたはそんなに精霊術が多彩なんだな。納得した。だけど一個だけわっかんねぇ」


「何かな」


「なんで、ずっと息を潜めて暮らしてたようなアンタが、こんな所にいるんだ。こんな事を、するんだ」


「逆に、君は何故、ここを閉鎖したんだい? ゴート教会が困ってるのは、もちろん教徒たる君が一番分かっているだろう?」


「は? 誰が好き好んで、こんな宗教普及するかよ。俺は魔族だぞ。万物に神が宿り、その眷族たる精霊に生かされ自然に感謝を捧げるフェルク教を守るのが、俺の役目だ」


 ようやく合点する。フェブリスがこの橋を塞いだ理由を。最後の楽園と言った、その本当の意味を。オーヴスは、円月輪を仕舞う。そして、無防備なままにフェブリスへ歩み寄る。

 条件反射か、フェブリスは斧をオーヴスに向けて構えた。一振りすれば、恐らくはオーヴスの体は易々二つに分かれるだろう。

 だが、恐怖はない。すっと、手を差し出す。


「僕も、そう思う。ゴート教会が何を考えているのか知らないけれど、信仰は誰かに縛られるべきじゃない。君が何故ゴート教会に属しているのかは分からない。だけど、確かなのは、僕らは同志だ」


「どう、し?」


「そう。まぁ、上手くは言えないんだけど。僕は、魔王に戻るために、ヴィントを目指しているんだ。魔族が一番とかは、思ってない。だけど、魔族の信仰を弾圧するのは、ちょっと我慢できないって思ったんだ」


「……魔族の王に、なるつもりでいんのか」


「一応ね。いや、ちょっと違うかな」


 くす、とオーヴスは笑みをこぼす。ある意味自嘲だ。自分でも、実現可能かどうかなんてわからない。夢物語でしかないかもしれない。それでも。


「……僕は、魔族と人間が、上手く暮らせる世界を作りたい。フェルク教もゴート教も、どっちもあっていいと思う。だけど、それを強制されるような世界は、僕は作る気はない」


 事実、ノクトの村ではそうやって生きてきた。あれが、当然だと思っていた。

 そして、自分は世界を知らな過ぎると言った。人間の少女リリヴェルが、それを教えてくれた。

 だからこそ、今ここに自分は居る。

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